ジーコの部屋

Mais cuidado 気使いをもう少し

80年代のフラメンゴは、下部組織から育った選手らがベースとなり世界サッカーの中でいくつかの主要タイトルを制覇していた。そして私はいつもあの団結力を持ったメンバーがいた事を思い出す。時には誤解を生じる事もあったりしたが、仲間同士お互いを尊重し合ってとても家族的な雰囲気であった。選手権や遠征などの長い時間をいつも私達は共存していた。回を増す毎に仲間同士の絆は親密になっていたものだ。あの頃の仲間と今になっても親しくしているのは偶然では無いのだ。

チームの中での仲間同士でお互いを尊重し合う意識は、基本的な事だと私は確信する。毎日一緒に練習して試合をし移動をしてホテルでの部屋を分けていつも一緒にいる・・・などなど。しかし疲れたりする事もあった。結婚しているようなものだ。日々の接触が、たまには困難である事もある。このジーコの部屋にもうひとつ別の家族的な話を持って来た。 

私はたくさんの偉大な友人や仲間を作った。ピッチの中での雰囲気はピッチの外でも要求された。それはマッサージ師、ドクター、用具係りも時々私の生活をひっくり返した。

1985年、私とこのサポートをする人達、特にドクターとマッサージ師との接触は、急激に増した。私が怪我をした後、マッサージ師のセルジーニョが面倒を見てくれる事になった。彼の話はジーコの部屋の中でも、私の家でたらふく食べる例のおやつ時間で紹介した。足が動かせない状態でいる私を、セルジーニョは担いで風呂場に連れていってくれた。彼は私の怪我の回復を、とても親身になって手伝ってくれた。彼は約2ヶ月間私に付き添ってくれ、とても貴重な人物である。私達は深い友人関係になり、彼の息子はノーヴァ・ジェラッソン・チームでプレイもした。彼は私がサッカー・センターを作ってから仕事も一緒にした。

このセルジーニョとの思い出話は幾つもある。その中の一つには、彼が誰に対してでもやっていた行動を私に対してはしなかったという事。私はそのことについて証言もしたことがないが、他のメンバーはよくそれを理由に彼をからかっていた。

「セルジーニョ、俺はさ、ジーコにしている事と同じ事をしてもらいたいのだけど・・」

一人が言う。

そのうち選手らは、同じ手当てをしてもらえなかったと言いふらして歩いていた。

「そうさ、ジーコにしかやってやらないんだよ!」

セルジーニョが気使いながら私に注射をする時だ。私は一度も注射に対してクレームを言ったことが無い。だが、仲間達の中にはすぐに比較して口出しをする輩がいた。

「まあ、だいたいそうだよな。ジーコに注射をする時は、彼はゆっくりと薬を注射器に移してよく見てそれから優しく注射をするもんな。完璧だよ。それが他の誰かの番になれば、シー・・とか言って静かにしろだのって。彼は5メートルぐらい離れた所から:準備は良いか?と聞いていきなりダーツでもやるかのように注射器を投げるように刺すんだよ。それに重たい腕を預けるようにブスっと入れる。出血しちゃうよ!!!」 

こういう話は、いつも合宿などでチームメイトの爆笑を誘っていた。まあ、実際はそんなに大げさなものじゃなかったけどね。セルジーニョは、それをセンス良く受け止めて、逆に冗談を言ってからかっていたものだ。 

「今日も私はとても腕が重たいけどな。次は誰だ?注射をする奴は??!!」

まったくセルジーニョには適わない。

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