ジーコの部屋

Eneas e a altitude エネーアスと高度

ある日のこと、サッカー界で多くの話題の中心となる人物がいる事を思い出していた。フラメンゴやセレソンでも一緒にプレーしたことのある、元キーパーのニエルセンと話していたらその面白い話を思い出した。エネーアスという、ポルトゲーザ・デスポルトスに所属したことのある偉大な元選手がいた。彼は同じチームで、1973年にサンパウロ州選手権を制覇した。その彼が、私のようにイタリアのボローニャに所属した時のことだ。

ここに紹介するのは、その頃私が彼と一緒にプレーする機会となった、オリンピック代表の時の話だ。エネーアスはとても変っていて、無礼なところがあった。何だかいつも、何の欲も無いような感じだった。彼の最大の特徴は、ピッチの外で誰にでも反抗することだった。1971年にボゴタへ行った時の事を良く覚えている。ブラジルはオリンピック予選を勝利して、翌年の72年にミュンヘン大会に出場できた。この時私が、風邪で苦しめられた話は以前のこのコーナーでも紹介した。

以前セレソンは、標高の高い場所で試合をする時にはその場所に慣れる為に早くから現地入りをしていた。その為、我々は21日間も現地で練習をして肺活量を強化していた。ボゴタは海抜2600メートルもある。コロンビアの首都に着き、ホテル・エル・コメンダドールに宿泊する。そのホテルには70年のワールドカップ予選の時に69年にもセレソンが泊まっている。その後、77年には78年アルゼンチンWカップ予選で、私は泊まったことがある。高所でコロンビアと戦う為の宿泊だった。最近はそれが無く試合直前に着いて、高度差をもドリブルしなければいけない。

さて、前置きが長くなったが、ホテルの前には広場があって、それはブラジル・セレソンが泊まってから、ブラジル広場と名前が付いたそうだ。そこでチームで最初の練習が行われるはずだったが、直ぐにある忠告を受けた。それは走ってはいけないことで、それをすると酸欠状態に陥り、身体に影響を及ぼすと言うものだった。理想的にはゆっくり散歩する程度だった。

だが、エネーアスは指導部の忠告を否定して、特に監督のアントニーニョに向かって言った。私はアントニーニョ監督が彼に言った事をよく覚えている。

「エネーアス、走るなよ!!君は歩くだけで良いんだ!」

そこでエネーアスは皮肉っぽく答えた:

「アントニーニョ監督、そんなのは迷信ごとだよ!見てくれよ!」

そこでエネーアスはダッシュをした。全員が見守る中、アントニーニョ監督の高所定義をからかうように走った。1回目のダッシュをやって微笑んだ。アントニーニョ監督の注意を呼び、パフォーマンスを見せつける。

「見ての通りさ。高所なんて何も感じやしないよ。そんなことは全くのデタラメさ!試合に出る準備は万端だよ」 

そう言って、もう一度ダッシュをした。自分の言うことが正しいのだと確信させるために、もっと速度を上げてダッシュした。メンバーはその様子を信じることも無く見ていたが、1,87センチの大柄な黒人は走った。が、急にその巨漢が、地面にまるでジャガイモの袋が落ちる様に倒れた。手を挙げて助けを求めている。呼吸困難に陥っているのだ。アントニーニョ監督は、遠くでエネーアスが地面に転がっている様子を眺めていたが、一喝した: 

「ばか者が、行けよもっと!行けばもっと気持ちよくなるぜ!走るのを止めるな・・・」 

初めはみんなびっくりしたが、直ぐに大したことは無いと解った瞬間から、全員で大笑いになった。ブラジル広場で、のたうち回るエネーアスを眺めながら、アントニーニョ監督はからかうのを辞めなかった。 

偉大な変わり者エネーアス。このコラムでももっと話を載せたいが、彼は1988年の交通事故で既に故人となっている。サッカーに生きた偉大な元選手でもあったが、ここで彼を思い出し記念に残したい。

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