ジーコの部屋

Da um remedinho ai! 薬をくれえ!

休暇の終りに私は記憶を辿りフラメンゴ時代の面白話しを幾つかチョイスした。コラムも既に3年目になるからぼつぼつストックも希薄にもなって来る。そうは言っても実際にはまだ昔の仲間を思い出せば出てくるし、私は一人でパソコンに向かっている時やもしくは紙とペンを取っている時、思い出しては吹き出してしまうのだ。

これらの主役の一人にパウロ・セーザル・カルペジアーニがいる。彼は監督でもあり私のように自分のチームも持っている。彼がフラメンゴに来たのは1977年で我々のゴールドチームに加わったのだ。彼は79年まで選手としてプレーしたが、後に我々の監督となり、リベルタドーレス優勝に81年の世界チャンピオンにも貢献したのだ。 

南リオグランデはエレチン出身のガウーショであるカルペジアーニはいつも冗談ばかり飛ばす面白人間だった。だが、我々選手間では奇怪な人間として見られていた。何故って?これは説明しても説明しても理解しにくいが、一つそれを物語る本当の話を紹介しよう。

クラブハウスで練習の日、試合前の合宿かまたは遠征に行く前になるとカルペジアーニは必ず医務室を訪れるのを欠かさなかった。遠征旅行の前などドクタールームにまで顔を出していた。それは何かしらの薬を貰うためだった。その時の状況を述べると次のような感じである。

「セルジーニョ、ドクターは何処へ行った?B-12をくれないか、どうも僕は気分が優れないよ・・・。」 と彼はせわしく医務室に駆け込んだ。

「カルペジアーニよ、そりゃ駄目だ。私はドクターの指示が無ければ薬は渡せない。」 とマッサーのセルジーニョが答える。

それを聞いたカルペジアーニ、顔色が悪いような振りをして普通だと心配するものだ。だが直ぐに次の言葉を言った。

「解ったよ、じゃあタンデリールでいいからくれよ。」

ここで説明のため一時休止をする。タンデリールを知らないか忘れてしまった人には、この薬はあの当時では今で言うヴォルタレンみたいなものだった。この薬は痛め止めなので普通何にでも効くものだ。仲間同士で誰かに問題があると良く冗談で言ったものだ。寒気でも、頭痛でも、歯痛でも果ては爪の食い込みでも効くと言う物だ。“タンデリールでも飲んで氷で冷やしとけばそんなもん治ってしまうよ”、と言う具合だったのである。 

それであの日、セルジーニョはどうしたものか強気だった。タンデリールまで拒否したのだ。カルペジアーニは困った。 

「ポー、セルジーニョ。僕は本当に具合が良くないんだ。なんかここが痛むし、こっちも痛いような・・・何だか気分が良くないね・・・」

どうも会話に説得力の無い我々の中盤である。しかし追い打ちを賭ける。

「そうだ、コリーリオはどうだセルジーニョ?ここに2滴でいいからよ、なんか目がシバシバするんだ。どう?・・・・・何だよ、返事しろよ!解ったよ!じゃあそこの机の上にあるクリームでもくれ、そしたらもう何も言わないからさ。」

もういつもの話に飽きているセルジーニョは反論した。

「それよりか君は身体が痛かったんじゃないのかい? クリームでも何でも持って行け、それで気が済むならね!!」

「そうだな、このクリームを足に塗って見るよ、効くかも知れないしね。それしかない」

こんな調子でカルペジアーニの薬マニアは笑いの種になっていた。ここで注意して置くけど、彼は何も薬の中毒になっていたわけでは無いのだ。単純に一時の間何故だか病気か痛みのマニアックになっていただけでこれはよく言う一種の憂鬱症なのだ。あの頃は彼に近づいてはからかい爆笑をしていた。

「よお、薬はあるかい?」

いつも陽気なパウロ・セーザル・カルペジアーニ!

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