ジーコの部屋

Cuidado com a dividida 接触に要注意

ある日、何人かの友人と雑談をしていた。その中の一人が私のサイトの中で面白いと言われているこのコラムを指摘した。私もブログの中で同じような意見が載っていたのを思い出した。それはフラメンゴの良き時代の昔話で多くの人が興味を持ってくれていたようだ。私もたくさんの人達が共感を持って楽しんでくれるコラムになればという思いが伝わっているようで嬉しくなった。しかしその友人が言うには多くの話題は私自身が考え出したのではなく、幾人かの仲間が出したものだと言う。そうした人達は私が突っ込みを入れることに巻き込まれることが好きなのである。今週もそんな話をしたい。

まず90年代のワールドカップに戻ろう。私がバンデイランテス・テレビの解説者として呼ばれた時だ。その後でアピット・フィナウと言う番組にも参加した事は楽しかった思い出でもある。その頃には山のように色んな事が起こって雰囲気は最高だった。そして今回はシルビオ・ルイスと言うナレーターの話をしよう。彼はあのアピットのレギュラーでもあり、偉大なナレーターでもある。最近ジーコセンターに顔を出した。

彼らが仕組んだペラーダ・草サッカーで多くの招待者が集まった。実際にはシュラスコを中心とした懇親会みたいなものだった。シルビオは私達のチームに入っていた。未だに彼とは冗談を言い合うのだが、その彼をウイングに指名したのだが一向に前に走れない。そこが問題じゃなくてゲームは何しろ開きっぱなしで全くの“ペラーダ”なのだ。あっちでゴール、こっちでゴール、で、問題なのは私達のチームに全くヘタでミスばかり起こしている人がいたのだ。 

「オーイ、ボールを出せよ早く! 行こうぜ、行こうぜ~~!・・・」 

 私は彼に声をかけざるを得なかった。

シルビオが私に近づいて困った顔をしているのさえ気づかなかった。もう5回目ぐらいかミスを犯したので私は再度声を出すしか無かった。 

「ほら、簡単な事だよ。これじゃあ駄目だよ、駄目!複雑にしているだけだ、もっと簡単にボールをまわせよ ・・・!!」  

そしたらシルビオが又私に何か言い寄ろうとした。つまり私はその人だけに怒っていたのだ。しかしシルビオは結局なにも言わなかった。実際、私は大変な事態に気づかずにいたようだ。だがついに5度目か6度目に私が注意を言ったらついにシルビオは心配になって私に近寄り忠告した。 

「ジーコ、あの人はサアジでテレビ会社の社長だよ、ちょっと気を使ってやってよ・・・」  

しかしその時では遅い・・・だったよ。ピッチの中で私は思った事を腹の中にためたことが無い。そして試合が終わって、勝って結果オーライだった。ペラーダはそんなものだ。要は懇親を深めることで、彼はそれを理解してくれた。だけど、周りは私に厳しかったね。即、クビにされて二度とアピット・フィナウには出れないとか、直ぐにブラジルに帰国させられたとかね。

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