ジーコの部屋

Chegou o dono! 主人が来た!

多くの人達はオリジナルからコピーを取って安く売りさばく“海賊版”の話は最近の事だと思っているかもしれないが、そんなことは無い。サッカー選手現役の頃、そして今は監督として、世界中を歩き回っている私は普通に昔からあったことだと感じて来た。ここブラジルでは大衆に加える税金が高いのはお茶の間の話題である。給料が低いから税金を払えないので安い海賊版を買うしかない“消費者マーケット”である。CD、DVD、飲料水、何でも偽造してしまう!!だが、私達の国だけの事ではないし、ブラジルで良く言われるパラグアイ製の責任でもない。

私は世界でこうした状況をたくさん目にして来た。海賊版(コピー商品)が出回っていたのを見て一番驚いたのはアジアの国でのことだった。それは日本での事じゃなかった。もう20年も前の事で、バーレーンで起きたのだ。最近予選で訪れた国である。そこで昔起きた事を思い出してしまった。

1986年にフラメンゴの遠征旅行での事だった。イラクで1試合した後、バーレーンに行き、そこでもウエスト・リッファというチームと試合をした。我々は3―1で勝った。休日になった時、街を一回りしようと皆で繰り出した。習慣や生活様式が全く異なる街を右往左往しながら見て歩いていたが、ひょんな通りに自分の名前が書かれている看板を見て気になった。近くまで行くとちょっと変った店が見えてきた。驚いたね。自分の名前を書いた看板の店を見て何も言えなかったよ。一緒に行った仲間達も同じように驚いていた。

バーレーンの街角に私の“ブランド”が使われていたのだ。Tシャツだとか何だとかそんな物じゃないよ。私のネームをそっくりコピーして衣料品全部に使っているのだ。マークは黄色いシャツを来たサッカー選手だけど、色とりどりのシャツがあった。何でもあったね。ジーコのバンド、ジーコのジャンパー、ジーコのショーツ・・・店は私のだったよ。

だけど、私はそこでお金は貰っていないし、店の事も知らなかった。知らぬ顔して入ることにした。

あの頃は誰も英語など話さなかったが、責任者は我々が店に入ったの知っていた。私はいきなり言い放った。 

「この店の主人が来たぞ、店員さん。」

言われた本人は私が何を言っているのか当然解らず、あっけにとられていた。モーゼルはもっとエキサイトしていて、相手に飛びかかろうとまでしていた。我々のデフェンダーはピッチの中で私を守るかの様にしていたが、外国に来ていて、そこの法律と言うものがある限り、相手を殴ったところで何もならなかった。

その場ではアラブの海賊に成すすべもなく引き下がるしかなかった。私の名前が入った品物を一つずつ購入して持ち帰り、フラメンゴの弁護士に見せた。だが、あの頃あの国の法的な部分は大変複雑で即解決には成らなかった。今回カンタレーリも横にいたてワールドカップアジア最終予選で行った時によほどあの店を探して行ってみたかったが、現在の街はかなり変化していたので諦めた。

バーレーンは生涯忘れることが出来ないね。ワールドカップ最終予選で決定的な勝利を得たのもあるが、同じく19年も前に海賊版(コピー商品)の犠牲者となっていた事もあるからね!

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