ジーコの部屋

Os tres partos ?Cantinho da Sandra Por Sandra de Sa Coimbra
サンドラの「ジーコの日記」3回の出産 

主人(ジーコ)を驚かせる事をするのは、そう難しいことでは無いと正直思っていた。サイトの編集部に呼ばれたその内容は、毎週ジーコが書いているコーナーに何か面白い話を書いて欲しいと言うものだった。長い間一緒にいて、話題はたくさんあるはずなのに・・・。いざいきなりそう言われても、すぐには思い浮かばず頭の中が真っ白になってしまった。少し時間を置いて・・・話を絞って。ジュニオール、ブルーノにチアーゴの3人が別々の環境の中で生まれた事を、今回の話題にしようと思う。

1977年の10月には、ジュニオールが生まれて来るための準備をしていた。私達にとって初めての子供で、普通出産の予定だったが私は死ぬほど怖かった。それ以上に、いつもあちこちで聞いている事が気になっていた。ジーコは、フラメンゴの遠征などの移動で、私の出産には立ち会えないのではないかと心配した。その為、私達は帝王切開で出産する事にして、その日を10月15日に決めた。ジーコは分娩室にいる私の横で出産を見届けた。その翌日、彼はマラカナンで試合に出ていた。フラメンゴは5対1と言う圧勝をビトーリアの上に勝ち取った。その内の2得点はジーコのゴールだった。それから次の試合まで5日間私と一緒にいてくれた。

最初の子はこうして試合と試合の間に生まれてきたが、次男のブルーノが、兄と出会う約束をしたのは1978年だったらしい。そうだった。ちょうど一年後だった。私は二番目の子供のための準備をしていた。ジーコはいつもの様に落ち着いていた。長男ジュニオールの1歳の誕生会をフラメンゴ-フルルミネンセの伝統の一戦の日曜日に決めた。私はベッドで陣痛を感じていた。

「慌てなくていいよ。絶対上手く行くから」

とジーコは私に言った。

しかしその日は、大変な一日だった。私の母は陣痛で苦しむ私の面倒を見くれていた。私の姉がジュニオールの誕生日に来た招待者を接待し、ジーコはマラカナンスタジアムにいた。想像出来る?パーテイは17時から始まったのよ。おまけに注文したはずの料理は、私達の家に来る前に迷ってしまっていた。

夜10時ごろになって、ジーコとあと10人ぐらいの友人たちが現れた。もう私は陣痛の痛みに耐えかねていた。フラメンゴはあの年タイトルを制覇していた。それは、その後に続く幾つものタイトル制覇の始まりだった。しかしあの日の試合は、フルミネンセが2対0で勝っていた。パーティの料理はもう底をついていたのにフラメンゴのサポーターたちまで家に来ていてた。

そして翌日、私はボタフォゴ区のサンタ・ルシシア病院の分娩室にいた。ブルーノが生まれ、私達は一年前と全く同じ部屋にいた。もう少しで同じ日に生まれるところだった。

それからチーアゴが生まれるまでには少し間があった。私達は、お互いにもっと理解する時間にもなった。そしてジーコは別の事も考えてもいた。ある日、私がもう妊娠数ヶ月になっていた時、ジーコは三番目の息子の為に新しい事を持ち込んで来た。

「サンドラ、僕はチアーゴの出生を撮影するよ。誕生の瞬間を記録するんだ。」 

私は、そのアイデアは新鮮だと思った。そして1983年の1月6日、サン・ビセンテ病院に私達はいた。ジーコは忘れずに8ミリカメラを持って記録撮影の準備をした。だけど、私が麻酔を受けるとき、ジーコが部屋にいない事に気が付いた。ちょうどその時、友人のカルロス・エドワルド・ドラベーラとペピッタ・ロドリゲスが部屋に入って来た。

「ジーコはどうしたの?何処へ行ったの?・・・」私は心配になって聞いた。

ジーコは別の訪問者たちが来たので席を外したと彼らは言っていた。後で戻ったジーコにそれを確認した。実は、分娩室で私への注射の大きさを見たジーコは気絶しそうになって、一時部屋から出て気持ちを落ち着かせていたのだ。そして医者も同じ事を言っていた。

そんな彼は、部屋に戻ると撮影をしていた。医者はカメラのレンズを通して見ているジーコに、生で血液を見ないように勧めた。レンズでは白と黒しか見えない。注射器の大きさに驚いたぐらいの彼が、私の切られた腹部を見たらどうなるか想像が付くでしょう?・・・と私は考えていた。しかし、最終的に全て無事終わった。ジーコはチアーゴの誕生を記録できた。それとマラカナンスタジアムでゴールする感動を比較していた。       

お分かりのように、どの出産も常にサッカーと関連している事です。それも自然な感じで。でももっと大事な点で言える事は、ジーコの選手としての質、一人の人間として、夫として、彼は同じく父親としても凄い人である事。妊娠の時から出産までいつも私のそばにいてくれて、子供のオムツも代えてくれたし、お風呂にも入れてくれたし、お茶の時間でも子供たちを抱っこしてくれた。仕事上で、移動などいろいろな困難があっても、いつも家族と一緒に過ごしている。

だから、サンドラの「ジーコの日記」は彼のコーナーに割り込み、52歳になったジーコの人生におめでとうと言いたい。これからもたくさんお祝いすることが出てくるでしょう!

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