ジーコの部屋

Bloco do Caju カジューの一団

多くの人が私のカーニバル好きを知っている。1976年にベイジャ・フロールを知ってからリオのパレードに参加して来た。現役選手や現在のように監督をしていると参加出来ないこともある。遠征や合宿、練習等があるためである。

しかし、可能な時には必ずプレジデンテ・ヴァルガス通りやマルケス・デ・サプカイー通りに出かけて行った。他にも多くの仲間も同じように情熱を抱いていた。

中でもお祭りごとが好きだったのは名選手・パウロ・セーザル・カジューだった。いつも毎年の約束事を守ってはいたが、最後の最後になって現れるというタイプだった。彼は合宿や遠征前の休暇をいつも上手く使って楽しんでいた。今週はそのカジューを主役にしたカーニバルの話を提供しよう。

以前このコーナーで1974年にザイールへ遠征したときの事を話したと思う。あの時には試合は八百長で、なおかつアフリカの選手達の踊りを奇怪に感じたものだ。正にこのアフリカ旅行の時にカジューが絡む事件が起きた。当時はカジューに纏わりつく混同した話題が多かった。彼はお祭りごとが好きであったが、練習の時も常に先頭に立って引っ張っていた。

練習試合だったこともあり、カジューは遠征に行きたく無かったのだ。カーニバルに参加できないのが理由だった。しかし、チームは主力全員行く事になっており遠征準備がなされていた。誰かが抜け駆けする可能性が有る状況の中で、誰かがある噂を流した。それはフラメンゴと一緒に遠征に行かなければセレソンに召集されないと言うものだった。丁度あの時のワールドカップでセレソンがザイールとぶつかる事になっていたからだ。

噂は回りまわってカジューの耳にも届いた。カーニバルから遠く離れてザイールで過すのは中々我慢がいる事だ。内紛は起こしているし、今にもアフリカダンスを踊りだしそうなレフェリーが笛を吹いているし、そんな中で我々はリオでのお祭りがどうなっているだろうかと、想像する外は無かった。パレードなどが気になっていた。私の方はまだ若く、海外遠征旅行に興味を引かれていたから良かったが。

だがカジューに取っては辛い話だったと思う。セレソンから切られるかもしれないと言うニュースが気になったのか、出発の日にはいつもはギリギリにしか現れないカジューが一番乗りで現れてメンバーを驚かせた。そしてアフリカへ行ったわけである。  

恐らくカジューはあのカーニバルを一生忘れないだろう。私と同様に。仕事は仕事であるし、試合も可能な限り尽くした。あの後、彼をからかう時にはあの遠征を「カジューの腑抜けた一団」と呼んでいる。

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