ジーコの部屋

A bola ボールから

今回はいつもジーコが書いている恒例の内容ではなくサイトがジーコの53歳を記念して特別に作成したものです。 

まだとても小さくてやせ細っていたが、私があの男の子は特別だと気が付くのにそう時間はかからなかった。その男の子とはジーコ。私には優しく接してくれた。彼のベッドにそれも彼の横で寝ていた。オモチャ以上のものを感じていて直ぐに偉大な道程をするお供となった。キンチーノの通りで一緒に遊び、私は歩道と石畳の間の障害物を避けて通り、彼は私を運んだ。彼の技術の下で方向は正しいと私は確信していた。 

ある日に私は素敵な家族を頂いた。そう・・つまりジーコの家族、他の者たちも同じように器用で私の兄弟たちを上手く操った。その内に家の奥に小さなピッチが出来た。私の楽園、いや私達の楽園となった。あそこで彼と私は何も約束事が無い草サッカーで多くのゴールをした。そして日ごとに私達の間に情熱の相互関係が深くなっていった。 

この楽しさは分散していった。彼は育ちキンチーノから出てフラメンゴのガベアへと移って行った。そこでは私は広い野原にいるような感じだった。緑の芝生が広がりそれ以上にワクワクした気持ちが湧いてきた。それであのフラメンゴに一つのファミリーが出来上がるのを見たと、言ってもいいくらいだ。だけどそれは決して楽な事じゃなかったのは事実だよ!泥沼状態のピッチ、乾いた堅い土のピッチ、スクールからプロに到るまで私達はとてつもなく辛い障害を乗り越えて来た。でもジーコは一度も怖さにひるむような事を現さなかった。むしろいつも自信を持っていたくらいだ。そして私を容赦なく確実にネットの奥に叩き込んでいた。 

そうだ!それからマラカナンがやって来たんだ・・・。それは彼の二番目の家だ、いや私達の家だね。それにしても彼ほど何度も私をあのスタジアムのネットの中に放り込んだ人はいない。私達のペアは致命的だった!それでも試合は困難でスコアも我々に不利な状態の時、彼はゴールしても、私をネットの隅にほおって置かなかった。直ぐに脇に抱えてピッチの中央に走り更に勝利点を取ろうとした。そして多くの場合逆転に持ち込めたものだ!  

彼が遠くからシュートした時私は既に道を心得ていた。近くでは凄いテクニックで私を押し出した。賢いキーパーが私達の仕事を邪魔させないようにね。それはたまたまそう出来たのではないよ、天才には積み重ねた努力があった。何時間も何時間もフリーキックの練習を繰り返し、私は決して間違った場所には行かなかった。そう、必ずと言っていいほどポストの中に飛び込んだ。そしてブラジルや世界で居眠りをしたがるゴールネットを叩き起こしたものだ。

嫌な事だってあったさ!1978年にはアルゼンチンで彼は私をヘッドで叩き込んだ。だけどレフェリーがそれを無効にしてしまって。私はネットの中にいたよ・・つまりボールだけど。それから1982年にも決着をつける時私は反対側で止まっていた。私のせいでも彼のせいでもなかったね。どうもあのパオロ・ロッシとか言う人物だった。やはり相手も私の兄弟を大事に扱う一人だったらしい。それで彼とイタリアが良きを得た訳だ。  

1985年にはバングーとの試合である局面(相手DFから受けた両足でのタックル)には私は目を塞いだね。あれは酷い。でも私は一度も疑問を持つ事はしなくてその通りにジーコは復帰した。それには大変な苦労はあった。暫く私たちは近くにはいたけど再会は無かった。その後で、あの日、あの時なんとか手助けしたかったが出来なかった。彼らと運命が導く、それに私は抵抗しない。それは1986年にPKでフランスのゴールネットに向かって行く時だ・・もう少し曲がろうとしたのだが・・・入らなかった。それも人生と試合の一部で仕方の無い事だった。 

私達は幸せな時間が多くあって不幸な事は小さくなってしまっている。1981年には南米で試合を楽しんだが、叩かれた事も凄かった。中には選手を血だらけにするぐらい酷い相手もいたものだ。だけど、どうする事も出来なかったね、相手たちは次々と列を成して倒れて行き、南米大陸制覇は私達の手に入った!そして12月にはあの寒い東京・トヨタカップで-私は襟巻きすら使えなかったけど- リバプールイ相手に快勝した。世界は私達の手中にあった。とても忘れることは出来ない。 

正直に言うと日本が気に入った。ジーコとお喋りもしたが、その時に私の意見を述べた。でも彼は聞いていなかったと思う。しかし、私達はあの時だけで終らなかった。1991年の引退試合。お別れなんて冗談じゃないよ、マラカナンは素晴らしかった。けど、私は彼のシュートでネットを揺らすことは出来なかった。続けるしかない。日本まで行ってプロフェッショナリズムを植え付ける大仕事にチャレンジした。それは価値あるものだった。やりがいがある事だった。日本の人々は私達を暖かく向かえてくれ、その中で暫くの間ジーコは幾つかの魅力的なゴールも見せていた。私も一緒に行って、当然だ。それに日本にぞっこん惚れ込んでしまったね。  

数々のタイトル、思い出・・・今日彼は53歳になった。まだ私達は一緒だ。時間は過ぎても草サッカーは続く。私を操る技量は衰えを見せない。彼は現在日本代表を指導している。チームは眼を見開いて今始まったばかりではないサッカーを見つめている。彼らも又指揮官と同じように優しく私を操ってくれている。 

ジーコ、おめでとう!こんなに長い間一緒にいられるなんて私はとても嬉しい。ドイツに行く時も一緒だ、安心していて欲しい。この使命を果たすために。私が決められる事なら、きっとソーセージの国で君と青いサムライ達は祝杯を挙げるであろう。     

“ボール”より

>一覧へもどる