名選手列伝

Andrade アンドラーデ

アンドラーデ

■選手名: アンドラーデ
■本名: ジョルジェ・ルイス・アンドラーデ・ダ・シウヴァ (Jorge Luiz Andrade da Silva)
■ポジション: ミッドフィルダー
■背番号: 6番
■出生地: ミナス・ジェライス州ジュイース・デ・フォーラ市
■生年月日: 1957年04月21日
■主な所属クラブ: (選手として)
  • : フラメンゴ(リオ・デ・ジャネイロ州 - 1974年~1976年 / 1979年~1988年)
  • : ULA(ベネズエラ - 1977年~1978年)
  • : ローマ(イタリア- 1988年~1989年)
  • : ヴァスコ・ダ・ガマ(リオ・デ・ジャネイロ州 - 1989年~1990年)
  • : インテルナショナル・デ・ラージェス(サンタ・カタリーナ州 - 1991年)
  • : デスポルティーヴァ(エスピーリト・サント州 - 1992年~1993年)
  • : オペラーリオ・デ・ヴァールゼア・グランデ(マット・グロッソ州 - 1994年)
  • : バカバーオ(マラニャォン州 - 1995年)
  • : バッヘイラ(リオ・デ・ジャネイロ州 - 1995年~1996年)
■主なタイトル :
  • : リオ・デ・ジャネイロ州選手権優勝(フラメンゴ - 1979年、1979年特別開催、1981年、1986年)
  • : ブラジル全国選手権優勝 (フラメンゴ - 1980年、1982年、1983年、1987年)
  • : ブラジル全国選手権優勝 (ヴァスコ・ダ・ガマ - 1989年)
  • : リベルタドーレス杯優勝 (フラメンゴ - 1981年)
  • : トヨタカップ優勝 (フラメンゴ- 1981年)
■その他のタイトル :
  • : エスピーリト・サント州選手権優勝 (デスポルティーヴァ ? 1992年)
  • : マット・グロッソ州選手権優勝(オペラーリオ・デ・ヴァールゼア・グランデ ? 1994年)
  • : オーストラリア建国200周年トーナメント優勝 (ブラジル代表 ? 1988年)
経歴

アンドラーデこと、ジョルジェ・ルイス・アンドラーデ・ダ・シウヴァ(Jorge Luiz Andrade da Silva)は、1980年代にフラメンゴのチームを編成した黄金世代を代表する偉大なる選手の一人です。クラシカルな守備的ミッドフィルダーの彼は、典型的に優秀なブラジル人ボランチとして、ジーコ、ジューニオル、アヂーリオ等を有したフーブロ・ネーグロ(フラメンゴ)の全盛期に、チームの攻撃の起点として活躍をした主要選手でもあります。

アンドラーデは、ブラジル国内に於いて最もリオ・デ・ジャネイロに似た町だと言われる、ミナス・ジェライス州のジュイース・デ・フォーラ市で生まれました。彼は1979年から1988年まで不動のレギュラーを務めたフラメンゴの下部組織で発掘されたのです。フラメンゴでのトップチームの一員としては、1974年にファーストチャンスが訪れ、ベネズエラのUniversidade Los Andes(ロス・アンデス・ユニバー シティー)にレンタル移籍をされるまで、2年間に亘りチームで活動しました。その後、1978年にレギュラーの座を争うべく凱旋を果たした彼は、翌年にはフラメンゴ史上最強軍団に定着をしました。そして、リオ・デ・ジャネイロ州選手権2連覇と、東京へ向けてのスパートをかけました。

タイトルに関して語るのであれば、アンドラーデはその豊富な経歴に興味深い一頁があります。彼は、フラメンゴで4タイトルを獲得し、その後イタリアのローマで1シーズンを過ごしてからヴァスコ・ダ・ガマへと移籍して更に1タイトルを制覇して、ブラジル全国選手権での合計5回優勝を経験した、最多タイトル保有者なのです。

アンドラーデは、現在でもその市名で存在するサクァレーマ市のバッヘイラのチームで1994年に現役を引退する前に、豊富なタレント性を披露しながらブラジル国内のエスピーリト・サント州、マット・グロッソ州とマラニャォン州のチームを駆け巡りました。そして、それらのクラブでも更なるタイトルを獲得したのです。

ブラジル代表でも、アンドラーデに1988年と1989年にその実力を発揮するチャンスが数回に亘り訪れました。A代表では11試合とオリンピック代表で4試合闘ったのです。彼は、これらの試合で1得点を記録しています。アマレリンニャ(ブラジル代表)を背負ってのデビュー戦は、2―1で勝利を収めた対ユーゴスラビアとのオリンピック代表での試合でした。そして同年には、オーストラリア建国200周年トーナメントでタイトルを獲得しております。

現役を退いたアンドラーデは、1995年にジーコ・サッカーセンターで開校したばかりのサッカースクールの指導者としてジーコから誘われました。その翌年には、CFZ do Rioが設立されたことで、ジュヴェ ニール・チームの監督に就任しました。2年間監督を務めた後、更に2年間に亘ってジュヴェニールのチームでタイトルを重ねながら指揮を執りました。そして、引き続きCFZ do Rioのプロ・チームも3年間率いて、一部昇格寸前まで導いたのです。

その後、アンドラーデはフラメンゴからの誘いがありました。彼は既に3度に亘りチームの指揮を執る機会に直面しており、その都度よい結果を残しました。2005年度はジューリオ・セーザル・レアーオ監督のアシスタント・コーチを務めました。それ以前には、同じくフラメンゴで、ジューニオル、ヒカルド・ゴーメス、パウロ・セーザル・グスマォン、アベーオ・ブラーガと共に仕事をした経歴を持っています。

ミニ知識
  • *アンドラーデは、2005年度のリオ・デ・ジャネイロ州選手権ではフラメンゴのアシスタント・コーチを務めている。
  • *アンドラーデがブラジル代表選手として唯一挙げた得点は、ウイーンで行われ、2―0で勝利した対オーストリアとの親善試合である。
  • *アンドラーデは、自分を発掘してくれたフラメンゴでは、合計566試合に出場して329勝138分99敗を記録している。
  • *フラメンゴがブラジル全国選手権で制覇した5タイトルの内、アンドラーデは唯一1992年の優勝にのみ参戦していない。

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