名選手列伝

Peu ペウー

■選手名 ペウー
■本名 ジューリオ・ドス・サントス・アンジェロ (Julio dos Santos Angelo)
■ポジション : フォワード
■背番号 : サブ
■出生地 : アラゴアス州マセイオー市
■生年月日 : 1960年04月04日
■主な所属クラブ :
  • CSA (アラゴアス州 ?1977年~1981年)
  • : CRフラメンゴ (リオ・デ・ジャネイロ州 - 1981年~1983年)
  • : サンタ・クルス (ペルナンブッコ州 ?1983年)
  • : アトレチコ・パラナエンセ (パラナー州 ? 1983年)
  • : ボタフォゴ (サンパウロ州)
  • : モンテッヘイ (メキシコ ? 1986年)
  • : クルゼイロ (ミナス・ジェライス州)
  • : サン・ジョゼー (サンパウロ州)
  • : CSA (アラゴアス州 ? 1994年)
■主なタイトル :
  • : トヨタカップ優勝 (フラメンゴ - 1981年)
  • : リリベルタドーレス杯優勝 (フラメンゴ - 1981年)
  • : ブラジル全国選手権優勝 (フラメンゴ - 1982年)
  • : メキシコ・リーグ優勝 (モンテッヘイ - 1986年)
■その他のタイトル :
  • : アラゴアス州選手権優勝 (CSA ? 1978年/1980年/1994年)
  • : リオ・デ・ジャネイロ州選手権優勝 (CRフラメンゴ - 1981年)
  • : グァナバラ杯3連覇 (CRフラメンゴ ? 1980年/1981年/1982年)
経歴

フォワードのジューリオ・ドス・サントス・アンジェロ選手は、そのクラシカルな名前では余り世に知られておりません。フラメンゴで数々の栄冠を手にした「黄金世代」を構築した一人でもある、アラゴアス州出身の彼は、僅かに3文字の「P-E-U(ペウー)」で知られております。

ペウーは、フラメンゴ史上偉大なるプレイヤーの一人であるディーダと同郷のアラゴアス州で生まれました。そして、更には背番号10のクラッケ同様に、サッカー歴をセントロ・エスポルチーヴォ・アラゴアーノ(CSA)でスタートさせたのです。ペーウの母親はクラブの洗濯婦、父親は警備員や用具係もこなす、所謂「faz tudo(何でも屋)」的存在として働いていました。このような環境で、ペウーは幼年時代から選手とサッカーボールに囲まれて育てられたのです。正に価値ある経験を取得したと言えるでしょう!

僅か15歳の年齢でペウーはCSA(セントロ・エスポルチーヴォ・アラゴアーノ)の一員としてプレーしており、下部組織で多くのタイトルを若くして獲得しました。そして、17歳の時には既にプロチームに所属していたのです。CSAは選手を発掘して、リオ・デ・ジャネイロ州及びサンパウロ州のチームへ供給していたこともあり、1981年に彼はCRフラメンゴへと移籍して来たのです。

素晴らしいボール・コントロールと正確なボール・タッチの持主だったフォワードの彼は、フラメンゴで更なるチャンスを得るべく活躍の場に恵まれなかったのは、黄金世代にかち合ったからなのです。この様な状況により、能力に長けていながらも彼は常にスーパーサブとして、殆んどベンチに甘んじていました。だからと言って、彼は決して悲観的な人物ではなかったのです。正にその逆でした! ペウーは四六時中明るく元気に振舞いながら、選手達のからかいの中心的存在だったのです。

ガーヴェア(フラメンゴ)には僅か4年間の在籍でしたが、クラブ史にその名を刻むには十分な期間だったのです。ペウーは、グァナバラ杯で3回とリオ・デ・ジャネイロ州選手権で1回のウイニングランを果たし、更にはブラジル全国選手権、リベルタドーレス杯とトヨタカップを制覇する機会に恵まれたのです。如何ですか? 正に、クラブの偉大なる選手列伝に名を連ねるには十分な功績だと言えるでしょう。

フラメンゴを後にしたペウーは、ブラジル国内の数々のチーム、更には海外にまで及び冒険をしました。ペルナンブッコ州とパラナー州で優勝、サンパウロ州ヒベイラォン・プレット市のボタフォゴではライー選手と共にプレーをし、1986年にはメキシコでモンテッヘイの一員としてチャンピオンの座に輝いたのです。その後も数多くの州を駆け巡り、最終的に34歳で、発掘してくれたCSA(セントロ・エスポルチーヴォ・アラゴアーノ)でアラゴアス州選手権のタイトルを手にして現役に終止符を打ちました。

引退後、彼は監督としての人生を、生まれ故郷のアラゴアス州をホームグランドとして歩み始めたのです。先ず、1996年にコメルシアオの指揮を執り、次にディナモを率いてアラゴアス州2ndディビジョンで優勝を成し遂げて、後にムリシーの監督に就任しました。

それ以降は、下部組織の監督としてホライマ州のヒーオ・ネーグロで指導に携わり、2004年にはブラジル全国選手権セリエCの采配を採るべく、セアラー州のイタクルバのオファーを受けたのです。

ミニ知識
  • *ペウーの父親は当時CSA(セントロ・エスポルチーヴォ・アラゴアーノ)で用具係りを担当しており、常にディーダのことを語っていたのである。その様な経緯から、ペウーは幼年時代から同郷者の彼を英雄視し、フラメンゴを応援していたのだ。
  • *常にジーコとの親交は深く、彼は今日でもリオ・で・ジャネイロを訪れ、ガリンニョ(ジーコ)がいれば、二人は会って想い出話に浸るのである。
  • *彼の慢性的などもりが精神的に影響を与えることはかつてなかった。弊害は有ったにしろ、彼は明るい性格の持主であり、常に仲間内でのからかいを巧みに交わしていたのだ。正に漫談の達人である。
  • *ペウーは1981年にオルランド・ペサンニャ監督にスカウトされてフラメンゴに入団した。
  • *彼は、ペウーの謂れは本名ジューリオとは一切関係なく、その根源は不明だと断言している。

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