ジーコサッカーセンター

Friendship Cup Brazil-Japan 日伯友好カップ

日伯友好カップは1998年より U-15のカテゴリーの日本、ブラジルの少年たちによって、その友好を図るという目的のために始められました。特に選手たちにとっては将来のプロのサッカー選手を目指す上で非常に重要な年齢であり、サッカーに対する進歩の促進という意味でも以後、毎年続けて行なわれております。今日、第1回大会から6年を過ぎて両国においては、この年代の大会としては重きを置かれる大会となるまでに成長しております。その参加チームの数も毎年増えてきており、同年代のチームとしては非常にビックチームが参加しております。この大会は毎年8月ブラジル・リオのヘクレイオにあるジーコサッカーセンターとバージンピケーナのCFZ DO RIOのトレーニングセンターを利用しております。ここ数年のうちに今現在の日本とブラジル以外でも、ヨーロッパの同年代のビッグチームの参加、例えばイタリアではミラン、ウデイネーゼ、フランスではパリサンジェルマンなどやアフリカの有力チームの参加も検討しております。

始まり

この友好カップのアイデアというのは、90年代の中期にジーコが日本の繋がりが深かった事からこの両国においての友好を促進する為の目的で考えられておりました。1994年まで鹿島で現役として活躍したジーコがその後、テクニカルコーディネーターという役職に付きアントラーズを率いる事になりますが、1997年この友好カップの創案についてかなり具体化され、ついに翌年に第1回友好カップが開催される運びとなりました。ジーコサッカーセンターと鹿島アントラーズとの間において8月に10日間のブラジルでのサッカーキャンプを行う契約がありました。この日伯友好カップのアイデアについて誰が出したか明確になっているわけではありませんが、少なくとも当時にジーコサッカーセンターの責任者であったジーコと鹿島アントラーズ事業部の高島との間において選手達を実際の大会の中で、それぞれのゲームを通じて国際交流をはかるというアイデアが具体化したものであります。これにより今までジーコセンターを使用していた日本人の選手達にとってトレーニングのみの状態からまたさらに一歩飛躍した形となりました。この大会によって特に日本のチームの実力の伸びは大会前後で目覚しいものがあり、日本に帰国したのちの大会や試合においてブラジルで学んだ事を有効に生かしているようであります。

ジーコ自身が語るところによれば、「私たちは日本から来る選手達を非常に能力の高いアンドラーデを始めとする実績のあるコーチに任せることにより、日本に帰った後にそれぞれの試合や大会で目覚しい進歩を見せているという報告を受けています。そのチームの中にはタイトルを獲得まで至ったチームもあり、ブラジルでの大会の中での急激的な進歩が如実に表れている例だと思います。昨今では日本の方達にもこの日伯友好カップは非常に浸透されており、テレビでの中継等も含め非常に良い形いなってきております。

この日伯友好カップという名称は CFZの副社長でもある、アントニオ・シモーエス・ダ・コスタの案により命名されました。その中にはブラジル・日本の両国の素晴しいスポーツによる交流を目的としたものであるという事です。また1998年より具体化されたこの大会はジーコサッカーセンターの非常に有能なるコーチたちのもとで行なわれております。第6回大会までに総数で25のチームが参加しています。2003年の第6回大会で初めて開催地であるCFZ DO RIOのチームが優勝を果たしました。