ジーコの日記

2005年10月29日(土「曜日)

  やあ。もう日本へ戻るために荷物をまとめています。水曜日に移動をして日本でJリーグカップ戦の決勝を見るつもりです。そして16日にはアンゴラとの親善試合があるので、その準備をして、それで2005年を締めくくりたい。12月はドイツでのワールドカップ組み合わせ抽選会を見守ります。休みの後には来年新たな戦いが続きます!

今週が少しバタバタしていたけど、ちょっとコラムに寄って行こうと思います。サッカーセンターでは多くの取材があって、チジュッカのアウジーラ・ブランドン通りではSPORTVのスペシャル番組の収録もあった。この通りは昔から伝統的にサポーターが集まる所なのです。

友人のシルビオ・ルイズがセンターに来てくれて、クラシコと言う番組のインタビューをしました。月曜日にTVA系のバンデスポーツで放映されます。沢山の話を思い返してね。

長かった1週間にはグローボ、ランセ+Aという雑誌やレコードTVの取材も受けた。木曜日にはチジュッカ区まで出かけた。ヴィクトリオ・チェルモントと82年のワールドカップについて気楽な雰囲気で会話をして、世界選手権のこととか、色んな話もしました。これもSPORTVで放映されます。

魔術師もいたよ。写真の奥に写っているけど、我々のそばにずーっといた。デレクターに言わせるとあれも“撮影機材を組み立てる”ためだそうだ。そう言う事ですか。 

子供達や近所の住民の皆さんがサインを求めて来ました。温かい人達だ。こういう楽しいコンタクトはうれしいね。

SPORTVのスタッフです。左から右へ:プロデユーサーのロドリゴ・アラウージョ、デレクターのヘナット・ノゲイラ、レポーターのセルジオ・ローボ、私、ヴィトリーノにカメラのジュリオ。一緒に写ってはいないが、プロデユーサーのロジェル・ガルシアもいたよ。音声や照明スタッフの人たちも含めて皆さんお疲れ様でした。それにアウジーラ・ブランドン通りの皆さんも有難うございました。 

この9日にはリオで89歳になるカーニバルの伝説と言われたクロビス・ボルナイが亡くなりました。私は自宅にいていろいろ整理をしていたら彼があの80年のフラメンゴ時代に私に画いてくれた一枚の絵が出てきた。彼のユーモアだけど、私はこのような感じでライバルたちを考えた事はなかった。いつも相手を尊重していたのでね。ここにその思い出の写真を載せて彼に対する記念としたい。彼はカーニバルになるといつも華麗でファンタジックな衣装を着けて我々にフェスタの楽しみを提供する事を一生続けた。華やかな衣装でコンテストの舞台を盛り上げていたカーニバルの大物・ボルナイ、神とご一緒に! 

サイトから二つのコメント:

ひとつは“飢えに対するクリック”。世界で3秒に一人の割合で子供が死んで行く。これを読んで頂きたい。そのキャンペーンに私も参加しました。下の写真はまず撮影前の準備です。

そして何処にでも“赤黒”(フラメンゴファン)はいる。今は困難な時だ。だが、応援しなければ!

もう一つはリカルドに関したもの。CFZ・ド・リオで育った彼は三度にわったて所属チームがJ2からJ1に昇格した。

ではまた。日本に戻ります!


2005年10月23日(日曜日)

やあ。フラメンゴにとっては不幸な日曜日になってしまった。土曜日の試合で又負けてしまったからね。私は宿舎に行って選手達と話をして来た。次のジャパンコネクションのテーマにしようと思う。今回はリオデジャネイロ・カップ2006の写真を持って来ました。大会は来年にジーコ・サッカー・センターにおいてワールドカップの後に行なわれる。 

さて写真です。CFZでの合同記者会見。SMGのマルクス・チノコ、提案者のエジソン・マウロ、私とイーグルのジュニオール・コインブラ。 

報道関係は私といろいろ質問をして来た:日本のこと、フラメンゴのこと・・・ 

左から;ペドロ・シリーロ、ジョゼー・マットス、ロベルト・デイナミッチにゴンサウベスと私。


さらに元代表監督ラザことセバスチオン・ラザローニが。 

ヴァスコでプレーしたルイジーニョとフラメンゴのファビアーノ。 

ではまた。

>一覧へもどる