ジーコの日記

2004年06月27日(日曜日)

やあ。皆さんからの要望にお答えしよう。23日に紹介したエッセイが少し隠れていたようなので、再度下にその文章を載せます。内容は偉大な仲間で、今はブラジリア CFZ の監督をしている、ホンジネーリの事をテーマにしたものです。

闘志の象徴~ 

(注:直訳では種族=ブラジルのサッカー界では、一つのチームを愛する人々の集団の意味に使う。応援に使う場合は転じて「闘志」となる。勝った時には「・・・のお陰の勝利」というように使われる。)

少年時代、それは遥かなる思い出。聖なる日曜日、坂を上がった過ぎ去りし遠き日々のひと時。知る人ぞ知っているであろう。熱さだ。ゴールの後ろ。そこだ。そこは聖地だ。ミサの二時間前。礼拝は同じ。父の名の下に座る、立つ。聖歌、神聖なる衣服、ゴール。神聖なるものは血のグラス、兄弟達。互いに祝い合う。終りの笛、平和を告げる。

そう、平和だった。バロン・デ・メスキッタ通りを歌いながら行った。神の精神が我々に浸透していた。ひとつ確信~次の日曜日もミサがある。そして我々は立ち、我々は座り、我々は膝まずく。我々は信じる神を持っていた。神聖なる歓喜と説明も出来ないほどの愛が詰まっているメッセージの献身的な信者であった。宗教の感性は説明つかない。信ずること。それだ。

伝道師の質問を聞いた。懐かしいコウチーニョ、週の間ずっと。彼は傷ついている、出場するか?しないか?神は傷ついている、打ち砕かれている、馬鹿げている。もしかしたら、その両目から涙が出るのか、もしかしたら。もしかしたら神は疑問を持っているのかも。

それは我々の信頼を揺るがした。聞くのを待った。グローボ・ラジオから神を聞くことを。

ダニーロ・バイーアが質問していた。バイーア。神は口を閉ざしたままだ。

試合は決勝戦でもなくそれほど大事ではなかった。だが、神は我々と一緒ではないことで信条が揺らぐ単純な想い。そんなことは無いはずだ。フラジャウーはほどよい加減で観客席に居た、双方の旗がはためいている。垂れ幕は上段の手すりに縛られていた。大勢の固まりが4つ、5つ、爪を噛んでいる。

叫び声が振動に変わる、チームがピッチに入って爆発し、それはフラッシュである。(現代のは甘いフラッシュである)彼等は全員あそこに居た。カルペジアーニが、偉大であり永遠のヒーロー、高貴なアイドルジーコが、眩しく輝くアジーリオが、鉄壁カンタレーリが、ジュリオ・セザールはよくよくの狂人、左ウイングの帝王チッタが、トニーニョが、ヘルメットが、マンギットが、プリンスのアダンも。彼は最後に入る。そうだ、彼はやるぞ!神がプレーする。物凄く。

背番号3番。神であり闘志の象徴。ホンジネーリ。

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