CFZクラブ

CFZクラブのロゴ ブラジル・リオデジャネイロのヘクレイオにあるジーコサッカーセンター(CFZ)のオープンから1年6ヶ月後の1996年7月12日に、従来のスポーツクラブとは違う企業としてのクラブであるCFZ DO RIOが登記を終えて実際に活動する事になった。企業としてのクラブのあり方は、ジーコがスポーツ省の長官であったときのプランでもありブラジルで初めての試みでもある。

ジーコの大きなテーマとして、従来存在したジーコサッカーセンター(CFZ)に通う子供達が実際の大会を通してさらに技術を伸ばす事があり、それを目的として作られたものである。その組織は、5つのカテゴリーから成り立っており、一番小さなカテゴリーのミリン部門(12,13歳)、次のインファンチル部門(14,15歳)、ジュベ二―ル部門(16,17歳)、ジュニオール部門(18,19,20歳)、さらにプロフェッショナル部門となっている。その中での一番最初の試合は、ジュベ二―ル部門の試合。コッパリオという大会をカシーアスという場所において、対戦相手サンクリストバンと行なわれた。

CFZ DO RIO の当初の名称であった、最初の企業体としてのこのクラブの名前はブラジルにおいてリオデジャネイロ・ソシエダージ・エスポルチーボと名づけられた。しかしながら、この名についてはすでにリオネジャネイロという名称で登記されている団体があった為、この名称を変更しなければならなかった。1998年2月4日にCFZという名称で認証されたが、DO RIOというのはリオデジャネイロという最初のチーム名でもあるオリジナルのアイディアを継承していく為に付けられたものである。

ジーコのサッカー人生のように、この CFZ DO RIOもすべての困難を乗り越えて力強い勝者となる為に生まれました。プロフェッショナル部門は1997年、州選手権の3部リーグへ登録しました。この年の9月27日決勝戦においてCFZ DO RIOのプロフェッショナルチームはダキ・カシエンセを1-0で破り優勝して2部入りを決めました。この時の監督はジャイメ、フィジカルコーチとしてジョウベール・フィーリョ、テクニカルコーディネーターとしてジョウベールであった。またこの時の試合で唯一の得点を挙げた鈴木隆行選手は今現在も日本代表の選手であります。

プロフェショナル以外のジュニオール、ジュベニールなどこれらのカテゴリーも非常に素晴しい成績を挙げました。元フラメンゴでジーコと一緒にプレーをしていたチームメイトのアジーリオやアンドラーデが指揮する CFZのジュニオール部門の2部で1999年、2000年、2002年と3冠を達成しております。また州内で有名なチームが多数参加するオタヴィオ・ピント・ギマラエンスカップでは2年連続の優勝を遂げています。2000年にジュヴェニールのチームでは無敗で州チャンピオンのタイトルを獲得しその前の年にはミリン部門が優勝を遂げております。

ただし、このプロフェッショナルを含めた素晴しい CFZ DO RIOのチームの活躍もなかなか最大の目的でもある1部リーグへの昇格は果たせておりません。もう少しRIOの協会組織の中がしっかりして政治的なものがなければすでに達成しているはずですが、残念ながら現状はそのようにはなっておりません。この様な困難な状況の中で、ジーコは選手時代と同じ様にチームの向上を求める為に一つの決断を下しました。その決断とはより良い組織を持ったブラジリアへのチームの移行であります。このブラジリアは以前よりジーコサッカーセンター(CFZ)の活動で非常に好成績を挙げている地区であります。このブラジリアの地でジーコは更なる躍進を遂げられる様なベースを得たのであります。1999年8月1日にCFZのブラジリアにおいての支部が誕生しました。HPMAという企業の協力を得てこのCFZ ブラジリアが誕生しました。

この様な形から RIOとブラジリアにCFZのプロフェショナルチームは試合に参加する事になる訳ですが時によってはRIOとブラジリアのチームが同じメンバーで戦うという様な事もたびたび起こりました。このCFZブラジリアのチームはジュニオールのカテゴリーとプロフェッショナルのカテゴリーを持ち、リオの本拠地において活躍していた多くの選手が登録されております。その翌年に女子チームが設立されており2000年、2001年、2002年と3年連続優勝を果たしております。

また、男子のプロフェッショナルのカテゴリーのチームもリオの様に政治的な妨害もなく、スムーズに1部リーグに昇格し2002年にはその大きな目標でもあったタイトルの獲得にも成功、この時は無敗という成績でありました。19勝7引き分け。この優勝により2003年のブラジル選手権の出場権を得てセリエ Cへの昇格も獲得しました。

このセリエ Cでの活躍において、チームを率いた監督はレイナルドで、決勝リーグまで駒を進めたのですが決勝トーナメントで敗れてしまいました。

CFZクラブのユニフォーム