ジーコサッカーセンター

背景・歴史

1980 年代半ばから、ジーコは青少年を対象としたトレーニング・センター開校の夢を抱いていました。選手としての日々の活動がその実行を妨げており、現役を退いた後のプロジェクトとして温められていたのです。でも、ガリンニョ(ジーコ)は、バッハ・ダ・チジューカのあるコンドミニアムで、実兄のエドゥーが編成した若年層親族と友人の子供達から成るチーム「ノーヴァ・ジェラサォン」を指導する楽しさを既に味わっていました。子供達は年齢別で合計 80 人にも達した程です。キンチーノ時代のジュヴェントゥーデの様な気分、即ち、単純に楽しみとアマチュア競技を融合したチームです。但し、そこでジーコは更に大胆な思想を持っていたのです。

1990 年、スポーツ庁長官に就任した時にサッカーセンターの建設プロジェクトが熟し始めたのです。日本行きが着工を延期したものの、実際にはガリンニョ(ジーコ)の中ではプロジェクトを明確化させる為に大変重要な期間ともなったのです。そして、建設への第一歩は、 1993 年にヘクレイオ・ドス・バンデイランテスの地で踏み出されました。そこにジーコ・サッカーセンターの練習場と本拠地が建設されたのです。

日本の地で永遠に現役を引退後、ジーコは誠心誠意自己プロジェクトへ専念する為にブラジルへ帰国しました。そして、リオ・デ・ジャネイロ市創立記念日の 1995 年 01 月 20 日に、人生のクラッキ(名選手、名手、立派な)育成を最大の目標として、サッカーセンターの落成式が行われました。翌年にはサッカーセンターに伴い、結果として CFZ が設立されました。サッカースクールに入校する子供達を動機付けるきっかけとして、クラブを辞めずに上のカテゴリーに昇進出来る機会と競争心を与えることが最良の方式だと判明したのです。

サッカー史上偉大なる選手の一人である人物の名を記すこのプロジェクトは瞬く間にブラジル全土で反響を呼び、サッカーセンターはフランチャイズ制度にて、ベーロ・オリゾンテ市とジュイス・デ・フォーラ市(ミナス・ジェライス州)、カンポ・モウラォン市(パラナー州)、ブラジリア連邦区(首都)、マナウス市(アマゾナス州)、ナターウ市(リオ・グランデ・ド・ノルテ州)で開校されました。そして現在、リオ・デ・ジャネイロ市以外では、ガリンニョ(ジーコ)の二つ目のクラブ「 CFZ デ ブラジリア」の本拠地でもあるブラジリア連邦区の「イーリャ・ド・ゴーウ」のみでの活動となっております。