世界紀行

バルセロナ、全ての観光客のための都市

[2009.09.15]

少し前のことであるが、年間の途中の休暇でブラジルに戻る前に、私と妻サンドラは少し旅行することができた。カタルーニャの首都で短時間であったが非常に楽しい時間だった。バルセロナは行政的に成功したリオ・デ・ジャネイロであると冗談を言う人もいる。自然の美しさとその他の多くの点で我々の“Cidade Maravilhosa(美しい都市)”を他の都市と比較するのは難しいと思うが、そのような議論は理解できる。

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興味深い側面のひとつに、バルセロナには非常に美しい海岸があってリオを思い出させること。違う点は、リオでは自然がロープウエーのあるポン・ジ・アスーカルとキリスト像とが組み合わされていること。バルセロナでは、1992年のオリンピック時に復興・整備されて海とより美しい風景が作られている。スペインが大会の開催国として選出されるまでは、同国の都市は古い構造であった。その後決して二度と昔のバルセロナに戻ることはなかった。

我々が宿泊したホテルは、海の近くの復興した地域に位置していた。塔、ホテルが建設され、独創的な可動橋は陸地とショッピングセンターがあるコンクリートの島を結び、すべてが非常によく整備されている。絵はがきにもなる眺望、路面電車みたいなロープウェイもある。

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私はスポーツが大好きなので、いくつかのオリンピックの開催場所を訪問した。今回は、サッカー界の強豪クラブの一つ、バルセロナを訪問する機会がなかったが、私はオリンピックのスタジアムに行き、オリンピック村を訪問した。そして都市に対して与えるオリンピックのような大きな大会の影響力についてサンドラと話した。バルセロナの交通システムは、どこにでも電車やバスがあり、範囲がよく維持されて、現代的で効率的である。中心街では、他の大都会と同様に、泥棒によって観光客は苦労しているが、警察がよりそれに注意を注いでいる事に私は気づくことができた。

バルセロナは同時にスペインの街とカタルーニャ(大統領、政府、法律や全てを持つ自治州)の首都であるから。それは、都市と市民を共有するスペインによって受け入れらるので、2つの警察がある。都市のほとんどの場所に2つの言語(スペイン語とカタルーニャ語)が見られるのは奇妙な許容の行使となる。地下鉄、レストラン、観光スポットや中小店までに。

私が街を訪れた当時は、ほとんど世界中からの観光客を見ることができた。そして待ち合わせポイントのうちの1つは、中央にあるカタルーニャの広場と復興された地域、港を結ぶ、「ラ・ハンブラ」という大通り。キオスク、大道芸人、レストラン等、観光地域にある全てのものがラ・ハンブラや近くの路地に存在する。そして、通り道では、博物館、現代芸術と教会を見ることができる。

教会と言えば、バルセロナを通って、モデルニスモ期のアントニオ・ガウディの作品、美しくて有名な未完の大聖堂、サグラダ・ファミリアを見ないわけにはいかない。この大聖堂には余りにも多くの詳細があるため、我々には、全部を肉眼で確認することが難しい。ガウディは市内各地に広がっている公園や彫刻を作り上げた、当時の天才の1人であった。

より古典的な建築物への視線を失うことなく、若い精神とともに歩くのが好きな人々に、バルセロナには、モダニズム、現代性、組織化と多くの美しさがある。すべての年齢層の観光客から気に入られる、そして私とサンドラをうっとりさせた。世界を旅している人へ、今日の私からのお勧めの場所である。


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モスクワ、ロシアの経済の中心

[2009.05.30]

私がCSKAの監督に就任してから、ここ数ヶ月、休みの日にモスクワの街を訪れる機会が何回かありました。私がより観光の為に尽くした時間はここで妻・サンドラと一緒にいた時でした。今回私が用意した写真は、ヨーロッパの中で人口が最も大きい都市で、我々が昼間または夜に出かけた時のものものです。現在私は、ロシアの首都、そして、国の経済力の中心である、モスクワ、我々がポルトガル語で言う“Moscou”約1300万人の1人です。 ロシアについて何も知らない多くの人々でも、少なくともモスクワという名前は知っていることでしょう。例えば、ここでは、待伏せを受けて、ナポレオンが1812年に戦争に負けました。社会主義が1991年に終止符を打ちました、スターリンやトロツキー等のソビエト社会主義共和国連邦(USSRまたは CCCP)の首都でもありました。 私は興味を持ったので歴史的な部分から語り始めました。モスクワには国の政府の建物があります。クレムリンとして知られている行政とメドベージェフ大統領の官邸。塔をもつモスクワのクレムリンは、間違いなく主な観光名所のうちの1つです。ここで調べてみると、クレムリンはロシア語で「要塞」と言う意味であることがわかりました。ユネスコの世界遺産である赤の広場に位置します。後世に語り継ぐために保存していく必要があります。 どこであっても観光において建造物の影響は大きいと思います。多数の大聖堂、美しい教会と建造物が2つの大戦に関与したモスクワ都市の歴史を知る為に役立ちます。そして、教会の影響力も強いです。当然のことながら、ここには、1億人以上の信徒を持つ東洋の相違、ロシア正教会の本部があります。ドームと特殊な色をもつ、聖ワシリイ大聖堂のような有名な大聖堂の大多数は、正教会に属しています。ドームと色の組み合わせと塔は、都市に特別な形を与えます。夜には特別なイルミネーションが使用され夜景が非常に美しいです。 しかし、観光スポットに限らず、他に様々なレジャースポットのオプションもあります。首都であるため、経済的中心は、すべての味覚を満足させる料理、夜の生活や中心都市が提供できるすべてを持ちます。しかし、それらは費用もかかります。私は生活をしてみてモスクワが世界で最も生活費が高い都市であることをすでに感じました。モスクワは、私が以前住んでいた東京での生活費を越えています。 都市に多くの雪をもたらす厳しい冬にもかかわらず、サッカーは非常に人気があるスポーツであり人々を感動させます。プレミアリーグ(1部)で競う16のチームのうち、6はモスクワのチームです。最も伝統的なチームの間で、CSKAの他に、Dynamo、LokomotivとSpartakがいます。大きな2つのスタジアム(そのうちの1つはCSKAが建てている)が、都市をサッカーで熱くさせます。それらの独特な特徴にもかかわらず、私はここで、キンチーノ区とモスクワを結びつける要素を見つけました。都市の紋章には、カッパドキアの戦士、聖ジョージがあり、そして私が生まれ育ったキンチーノには聖ジョージの本部教会があります。聖ジョージのイメージは市内を走るバスに貼られているので、カメラで写真を撮りました。 世界を旅しているなら、モスクワを訪れてください。……

エルサレム、神聖な都市

[2009.02.15]

歴史的な都市、そしてモダンな都市、あるいは自然の美しさが目立つ地域について話してきた30以上のこの世界紀行のコラムに今回は異なる場所を訪問する機会がありました。CSKAチームに就任し、最初のイスラエル合宿の際に、パウロ・パッシャオンの招待のおかげでエルサレム市を訪れるチャンスがありました。アラビア語で「神聖な都市」は、私のようなカトリック教徒だけではなく、ユダヤ人やイスラム教徒にとって特別であります。紀元前10世紀には、既に地域の精神的な中心でした。そして、紀元前4000年の歴史を持っている、世界でも最古な都市のうちの1つです。 パッシャオンはこれまでにエルサレムを2回訪れており、イスラエルより認められてない首都での束の間の散歩では私のガイドでした。興味を起こさせることは、神聖な場所であるため、人々にはエルサレムが小さな地域(つまり旧市街)で観光の中心地という概念がありません。 主要観光スポットの中には、聖教会、神殿の丘、ダビデの塔博物館、そして、すべてで最も有名であるもの: ユダヤ教徒が祈って、願い事を書いて隙間に入れ込んでおく、嘆きの壁。 地理的には、エルサレムはオリーブ山に位置し、旧市街の周りに発展しました。写真でご覧の通り、街の地形を観察するのは非常に興味深いものです。街路は上下で、美しい図面を作って行きます。 遊園地の遊具のようです。 私は町をかなり歩き、おそらく唯一の地域の宗教ではない観光ポイントを通りました。それはマハネの市場。しかし、商取引は地域の経済で最強ではありません。我々が聖なる都市の住民から聞くのは、イスラエルのテクノロジー産業の大きな成長があるということです。 不幸なことに、イスラエルは国としては、常に戦争の瀬戸際に置かれています。エルサレム自身の領域はユダヤ人とイスラム教徒の間の論争地域です。そして、両方とも神聖な地域の所有者だと言明します。戦争やテロの脅威は、この地域への非常に価値のある訪問を阻むことがあるので、とても残念です。 あなたがとちらの宗教的なオプションにしても、世界を旅している人にはエルサレムは優れたお勧めです。 ……

アデレード、オーストラリアのガーデンシティ

[2008.10.28]

私の孫や家族と共にリオ・デ・ジャネイロで過ごした美しい休暇の後、私は仕事に戻った。そして、再びこのコラムにテキストや写真を提供してくれる都市へ旅立った。ブニョドコルとの最初の海外遠征は、ACL準決勝での相手チームのホームタウンである、オーストラリアのアデレードであった。 景色は素晴らしく、歴史的な部分を感じさせるヨーロッパの都市とは非常に異なる。オーストラリアはとても若い国で1836年に設立された。以前には英国の植民地であり、リオ・デ・ジャネイロより約300年も若い都市である。 街を歩きながら、その近代的な特徴を感じられた。最も顕著な特徴の1つは、ガーデンシティの面である。偶然ではなく、同都市の計画によるもの。池や公園、いつも緑たくさんの場所と、植民地時代に詳細に完全に計画されて都会化された、より現代的な建物の建築に混ざる景色。全てが非常に美しい。   私は、同都市の創立者のうちの1人である、ウィリアム・ライトに言及している都市の設立について語る看板の写真を撮った。更に、街中で出会う、たくさんの公園の幾つかを撮影した。約一万人の人口を抱える都市すべてが非常に整理されている。 ブラジルでは、スポーツを観戦している多くの人々がアデレードのことを聞いた事がある、ただしそれはサッカーでではない。1985年~1995年の間に、市街地サーキットではF1を開催していた。そこで、ブラジル人アイルトン・セナが優勝2回、そしてネルソン・ピケが優勝1回で歴史に残った。アデレードでストリートレースの10年間について、未だにコメントされる。 オーストラリアの伝統である、オートバイレース、クリケット、ラグビーとバスケットボールはいつものように街に存在する。同国は伝統の全豪オープンテニスを14回開催した。文化的なものと同様に、スポーツでの才能は非常に明白である。先進国の特徴である良い大学の存在、そして更にオーストラリアの青春と同国南部の素晴らしい気候との組み合わせは、大きなフェスティバル、ショーとあらゆる種類の芸術的な表明のために完璧な結びになる。そう!優れた交通インフラはもちろんのこと... 時間が短かったため、他の場所を訪問したりできず、アデレードの詳細を知ることは出来なかったが、街を歩いているだけで、我々はアデレードの美しさと壮大さを感じる事ができた。この街は世界を旅する人に勧められる場所のひとつである。  ……

デンマークの美しい首都 ・ コペンハーゲン

[2008.07.11]

フェネルで監督をしていた時のこと。フェロー諸島で行われたB36との試合の際に、私達はコペンハーゲン都市を経由する事になった。同都市は、デンマーク最大の都市であり、スウェーデン国の正面でバルト海の海岸に位置する。人口は約200万人の街で、とても気に入った。居心地よい所であった。 街のいくつかの観光スポットを訪れる機会があったので、写真に残した。ひとつの娯楽点はニューハウンにあるハーバー運河。困難な事を忘れてリラックスできる、ストレス解消の場所と言われている事が何とか分かる気がする。素晴らしい風景で、運河にはヨットや船が通り、全てがとても快適である。運河の両側には色々なレストランやバーが並んでいて、人々が美味しい料理を食べ好みのドリンクを飲む事が出来る。   横の写真に写っているメイン広場では、サッカーのクラブチームまたは代表チームの国際戦の日には大変な事になると聞いた。お酒が好きな応援者達はそこで集まり、他の応援者に喧嘩を売ることもあるそうだ。そうすると伝統的に寒い都市では気温があがってしまうそうである。 ヨーロッパのほとんどの観光都市と同様に、コペンハーゲンは歴史と芸術を大切にしている。多数の美しい建築の博物館や素晴らしい劇場、そして私はその中でより新しくてもっとも人気を集めている劇場の写真を撮るチャンスを得た。コペンハーゲン・オペラ・ハウスは、街での最も伝統的な劇場の収容力を解決する為に、2005年に開幕された。 デンマークの政体は立憲君主制度である。すなわち、王子、女王やお姫が存在し、しかしながら議会の議員が法律を制定させる。私はアマリエンボー宮殿の外側を訪ねて、衛兵と写真を撮った。彼は仕来り通りにそのまま動かずに立ち止まっていた。興味深いのは、毎日衛兵が交換の時間に市内を練り歩いて、それが地元のイベントである事。 宮殿の近くに建っている銅像の前を急いで通った時にこのコーナーの為に写真を撮った。フレデリック5世の注文に応じて1768年に建てられた、ジャック・ジョセフ・サリー彫刻家の作品。2回も修復され、世界で最も美しい馬の彫像の一つと知られている。 コペンハーゲンのような場所には、美しい物語がなくてはならない。より訪問される像は、運河の岸に設置された人魚姫の像である。岩の上にある像の撮影をしている、いつも興味津々の日本人たちの写真を撮った。 ハンス・クリスチャン・アンデルセン作家の童話においては、小さな人魚姫が人間の王子に恋をする。彼に近づくため、人間に変身できるように人魚姫は魔女の家を訪れた。魔女の魔法が永遠に続けるには、王子の愛を勝ち取らなければならない。そうでなければ、姫は海の泡となって消えてしまう事になる。 小さな人魚姫は王子の愛を勝ち取る事が出来なかった。しかしながら、人魚姫の姉たちが魔女と協定を結び、姫の命の代わりに王子の命を求める。姫はナイフで彼を殺さなければならなかった。もちろん、人魚姫は王子を殺すことは受け入ず、そして魔女の処罰として、海の泡となった。これが伝説である… この訪問には、奥に美しいヨットが見える、運河で撮った写真に写っている、ヴォルカンとモラシー・サンタナが同行した。 伝説、娯楽、寒さ、しかし、なによりも美しくて居心地の良い訪問するべき場所である。 あなたが世界を旅している時に、よい散歩をするに値する場所の一つである。 ……

アレッポ ・ 過去への旅

[2008.07.05]

私はいつも言っているが、サッカーは私に普段行く事がない場所や以前から行きたかった場所を訪問る機会を与えてくれた。これらの場所を紹介したくて、このサイトで「世界紀行」のコーナーを作った。通常は外国人向きで、豊かな構造、美しい自然や文化等を持つ観光スポットを紹介しているが、今回の提案は少し異なっている。 4月上旬に、アル・イテハドのスタジアム竣工式で行われた親善試合の為に私たちはシリアを訪れた。ほぼ200万人の人口で、ダマスカスに次ぐシリア第2の都市、アレッポでの素晴らしいイベントであった。 トルコとの共通点は、人口の大多数がイスラム教徒である事と、国境に近い事だけ。更に、アレッポの概観は、発展のため、十分に異なっている。つい最近まではテレビさえもなかったが、写真でご覧の通り、多くの衛星アンテナが見られる。 最近の近代化への試みにもかかわらず、都市の特色はまだ歴史であって、最も普通なのは、遺跡と伝統的な建築に行き逢う事。私が異なる提案であると言うのは、それはアレッポが観光客より考古学者のための訪問として示される点である。現代のアレッポが古代アレッポの場所に立っているため、様々な所で遺跡が発見され、歴史を研究している人には大事な資料となる。 地元の人と話しながら知ったのは、アレッポが他の地域に向かっている冒険家達の寄り道の都市であり、結局寄り道が歴史的な訪問になってしまう事。イスタンブール同様に、大きななバザーがあると聞いたが、訪ねる機会がなかった。  しかし、ほとんど時間がなくても、昔の円形劇場と素晴らしい城(我々にはあまりにも素朴的に見えるが、古代建築の美しさの象徴であり続ける建物)で写真を撮る事が出来た。 フィールドの中では、試合は同点で終わり、そして私達は偉大ないイベントの参加者になった。数時間のイベントでは、スタジアムの中の群衆と外側に入場できなかった群衆。およそ7万5000人の人々が出席し観戦した。 本当に素晴らしい経験であった。アレッポは、考古学散歩やちょっと変わった旅を味わいたい世界中の人々が訪れるべき場所である……

ドバイ:近代性と観光 

[2008.06.26]

私が2007年6月にアラブ首長国連邦で行われた会議に参加した際に、美しいドバイ都市(東部アジアに位置する、国に名をつける7首長国のうちの1つ)を訪れる機会に恵まれた。 訪問はニコラスの仲介によって実行された。彼はスポーツ界で活動しているアルゼンチン人でとてもいい人。同会議に参加した、私の友達であるフェルナンド・ネデルの連絡後にて、ニコラスより招待された。本当に行ってよかった。石油貿易においてよく知られている地域では、建てられた構造がとても印象的であった。我々サッカーの世界の中でも、同地域を厳しい宗教的伝統と石油によって成り立っている印象が強い。いわゆる「オイルダラー」を目的にドバイを訪れていた人が多かった。 しかし、それは過去の事実である。現在、ドバイの状況は少し違う。石油はまだ経済成長の軸ではあるが、ドバイは他に比べて非常に若い、建国からわずか30年でブラジルの首都、ブラジリアより若い。この為に伝統を破る事ができて、観光に焦点を当てている。 ドバイの人口は約100万人である。しかし、およそ600万人の観光客を迎え、つまり、6倍の人々があの楽園を満喫するために歩き回っている。それを旨く行かせるには、高い投資によって、全てに対してよりスペシャルなものを提供できるように考えられた。みなさんは今、私が何を言いたいのだろうと思っているはず。 砂漠映画に出るようなオアシスを想像してください。設備の設計から、快適度、装飾、全てがまるで他の惑星の様なホテル。ドバイにはそんなホテルがある。バージュアルアラブは最初の7つ星ホテルである。更に、地面から280mの高さで、タワーとして世界最大の高さを誇っている。 東洋のインスピレーションに溢れて何もかもが豪華であり、世界中の誰もが招かれる場所である。雪、山や典型的な寒さがあるスキー場を想像してください。ただし、ショッピングモールの地下で。その通り、そこでは地面の下で雪、スキー場と小山がある。ペルシア湾に面する海岸と、東洋の真中に位置する所で。 この場所には人間の手の作用だけでは十分ではなかったようで、神様は更に素晴らしい海岸を与えた。海の色は、まるで我々の正面に描かれた絵のよう。従って、街の現代性と自然のコンビネーションが魅力的である。すべてが最も豪華な観光のためである。 それらを妻サンドラと一緒に少しでも過ごす事が出来てとてもラッキーだった。アラブ首長国連邦での日々はとても楽しかった。ブラジル人達にはちょっと遠い地域だと思われるが、私の推薦する都市である。あなたが世界を旅しているなら、是非ドバイへ……

現代的、歴史的でスポーツ的なアテネ

[2008.06.21]

いつも美しい映像を見せてくれる、トルコと国境を接する国を少し知る為に、2008年で一日以上の珍しい休みを利用した。選手として何回か訪れた事はあったが、結局いつも空港からホテルまでの間の移動だけであった。今回は、少なくともアテネ首都で良い一日を過ごすことが出来た。妻サンドラに、フィジカルコーチのモラシーとダイアニ夫人の夫妻が同行した。  アテネはとても興味深い都市である。調べてみたら、古代時代では文化の偉大な中心地であった事が分かった。更に、美しいギリシャ神話伝説の舞台だった。現在では近代的な都市となり、2004年に開催されたオリンピックの会場にもなったが、それにも関わらず遺跡や素晴らしい歴史的なポイントを維持している。 私が撮った写真の内の一枚は、ギリシャの事を少しでも知っている人なら聞いたことがあると思う。アクロポリスの丘でサンドラと一緒に写っているもので紀元前5年にギリシャの女神アテナの神殿であった、残されたパルテノン神殿が奥の方に見える。確かに古代ギリシャの最もよく知られている古代遺跡である。写真を見ても分かりらないと思うが、時の経過によって建物の遺跡を維持する為に足場で支えられている。   丘では何百人の観光客がいた。現代文明と古代史の組み合わせで観光スポットになる事は当たり前の事である。アクロポリスの景色は非常に美しい。人類の歴史がどのように豊かである事を感じられる。 他の観光スポットも訪ねてみた。いくつかはより近代的で、2004年に行われたアテネオリンピックによって世界中で注目を集めた。紀元前776年に行われた最初のオリンピックと同じ場所なので、過去に戻ったような気分だった。当時のオリンピックは現在とは非常に異なるが、現代ゲームの「曾祖母」とも言える。 アテネ市内の競技場の一つである、オリンピアコスのスタジアムの写真を撮った。もう一つの、オリンピック・スタジアムは五輪の為に完全に改修され、チャンピオンズリーグの決勝戦が同スタジアムで3回行われた。素晴らしいスタジアムである。 もちろん、アテネ・オリンピックで悲劇のヒーローとなった、ブラジル人マラソン選手ヴァンデルレイ・デ・リマ選手が走った道路の近くも通った。ヴァンデルレイ選手はトップ゜を走っていたが、暴漢に襲われペースを崩し、金メダルを失ったが信じられない回復において銅メダルを獲得した。 タイトルの通り、アテネは次のように要約する事ができる:スポーツ、歴史と現代性の入り交じったもの。素敵な場所を訪問し、良いレストランでご馳走になって、そして私たちが神話伝説で知っているように、永遠の味がする旅。世界を旅したい人へ私が是非お勧めする場所。 ……

ポルトガルのパール・リスボンとファティマ 

[2008.06.14]

異なった二つの町だが、いくつかの地理的接点だけでなく、自然な組み合わせがある。大都市リスボンを訪れて、その後ファティマに立ち寄っていかなかったら旅は中途半端になる。この考えで私はサンドラと息子チアーゴと一緒に、ポルトガルの首都であり、同国最大の都市であるリスボンを訪ねた。 リスボンにいる時は、同時に混ぜ合わせた近代性と歴史的な伝統が味わえる。偶然ではなく、ブラジルはポルトガル人達に発見された。そして私はポルトガル人のアントゥネスとブラジル人のマチウデの愛のおかげで生まれた。 更にファティマを訪問することは、宗教と心の平和に出会うことである。したがって、ポルトガルを訪問する際は、私にとってはいつも特別なんだ。血筋の関係で、私は既に正式に二重国籍をもっている。つまり、ポルトガル人でもある。不思議なことに、これまでに「世界紀行」でポルトガルの町を語る機会がなかった。それで今回は2つの町で決めた。まずは最大都市から。 リスボンは非常に美しくて、海に流入するテージョ川の河口に位置する都市である。したがって、郷土料理で魚料理の強い影響に気づくことができる。横の写真に写っている、私とサンドラ、そして奥の方に後でちゃんと御馳走になったロブスター。ボリーニョ・デ・バカリャウ等、ポルトガル料理は本当に私を魅了する。デザートには、是非パステル・デ・ベレンがお勧めだよ。 ポルトガルで最も裕福な都市は、主なサッカーチームのホームでもある。 その中に、私が父親とラジオを聴きながら知った、スポルティング。父は同チームの狂信的なファンだった。他のチームは、ベンフィカとベレネンセス。私は3チームのスタジアムの写真を撮ることが出来た。 リスボンの特徴のうちの一つは観光である。永遠の「ベレンの塔」、「コメルシオ広場」の他に、素晴らしい博物館、美術館、劇場等、美しい場所を訪問できる。そして、名前のために魅力を少し失う(笑)ヴァスコ・ダ・ガマ橋では伝統のハーフマラソンが行われる為、観光とスポーツ名所である。 リスボンのメイン通りの「リベルダデ通り」で歩くのは、興味深いこと。主要なブランドがあって、勿論大きさは別として、パリの「シャンゼリゼ通り」に似ている。 リスボンから147キロ離れているファティマへ向かう。コーバ・ダ・イーリャという場所で、1917年5月13日から10月13日までに起きた、羊飼い達の前で聖母マリアの出現によって、ファティマは世界中で有名になった。 現在、その場所はちょうどファティマ大聖堂に位置するので、私が訪れる機会ができた。人々がお祈りをする礼拝堂である。横に礼拝堂のいくつかの写真がある。 ファティマは現在、より強烈に宗教的な観光に向かっている。1568年に創設され、他に主要な観光ポイントはサンチシマ・トリニダーデ教会、教区教会と聖母マリアを見た小さな羊飼い達の家。それに、訪れる機会がなかったが、非常に美しいと知っているファティマの蝋人形博物館。 ポルトガル人の子孫であるとして、私は本来カトリックであるが、すべての信仰を尊重し、そしてこの地域を訪れる際に獲得される平和はいかなる宗教でも超越することを請け合う。忘れられない場所で、我々がお祈り、熟考、感謝する為であって、心に素晴らしい平和をもたらしてくれる。 あなたが世界を旅している時に是非訪れる価値がある事を見せる為に、ほぼ200キロ離れている二つの町を、私がこのコーナーで愛情を込めて結びつけた。 ……

楽園の島 ・サルデーニャ

[2008.06.08]

イタリアでプレーする機会ができてから、私は同国に愛情を抱いた。それは無理もない、だって海岸はとても綺麗だし、地中海は本当に特別なを沿岸を流れている。 先日休暇でサルデーニャで何日か過ごす機会があった。サルデーニャは、地中海に囲まれている島で、イタリア法制に従うことにもかかわらず、自治州である。   この旅行にはサンドラ以外に息子達、ブルーノとチアゴにそれぞれの彼女マリアーと夫人ダヌービアが同行した。 写真を見てもらえばわかる、信じられないほどの色の海に完全に囲まれていて、島においての最大の娯楽は船に乗ることである。 今回の滞在ホテルの位置は私が大好きなバイア・サルディニアのビーチ。他に好きな所は、最後の写真に写ってるヨットや世界の一流ブランドのブティックが揃っているポルト・チェルヴォと、最高のレストランがあるポルト・ロトンド。 他に有名な観光名所は、私がどうしても写真にとっておきたかったモニュメントがある、エメラルド海岸(コスタ・ズメラルダ)と、大変美しいビーチが沢山あるジェンナジェントゥ。この島は非常に大きい為、飛行機でしか移動できない。そして空港はオルビアにある。 多くの歴史を持つ地域だが、やはり強調は自然環境である。18世紀には王国であって、そしてイタリアの形成において統一した。 リオ・デ・ジャネイロを愛し、そしてビーチ、友達との会話やビーチバレーがとても恋しく感じる私が、少しでもその特徴をサルデーニャで楽しむことができた。若者達には夜にグループで十分に楽しめるパーティーで夏が燃えることは知っているが、私の場合はやはりビーチが一番。 サルデーニャでは一般に話されている言語はイタリア語だけど、サルデーニャ語を話す人もいる。シチリア島に次ぎ、イタリアの2番目に大きな島となっている。ヨーロッパでは8番目となっているが、地理のおかげで広大な沿岸地域の差異がある。つまり、地中海の真ん中にある楽園なのだ。 立ち止まって自然の美しさを眺める所である。船に乗りながら楽しんで、世界にはこんなに素晴らしい場所があるんだってことを確認できる。 あなたが世界を旅してるならば、是非サルデーニャを訪れる価値がある。 ……

クラシック音楽の都 ・ ウィーン

[2008.06.04]

フェネルでの合宿中にオーストリアで興味深い経験をした。滞在地はバード・タッツマンスドルフという、人口は約1,600人で、同国の文化・政治の一大中心地であるウイーン首都から120キロ離れている町。その後すぐウイーンで宿泊し、あなたへ見せるために都市の観光スポットを訪ねた。 ウイーンはほとんどのヨーロッパ中心街のいくつかの共通特徴をもつ都市。 歴史観光に非常に強調があり、興味深い博物館、素晴しい美術展覧会、劇場やオペラ等 - ほぼすべての場所に音楽の印がある。洗練された文化のおかげで歴史的に音楽の都(得にクラシック音楽)として有名である。 最初はその古典的な素質の理由を不思議に思ったけど、地元の人々から歴史を聞いたり、街を観察しながら理解できた。17世紀に、アーティスト達がウイーン宮廷に受け入れられて拍手喝采されるのは非常に難しい事だった。洗練された趣味は良質の同意語となり、クラシック音楽家がヨーロッパで就かせるにはウィーン人の賛同が必要だった。当時その賛同を頂いたアーティスト達はみんなアイドルになった。最も重要なかかわりを持つ有名なクラシック音楽の音楽家はみんなウイーンで活動した。そしてモーツァルト同様に何人かそこで眠り続けている。モーツァルトはウィーンで生まれ育ち、現在有名な音楽学校へ名を貸している。 しかし、私たちにとてはウイーン主力の最大のシンボルはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンかもしれない。クラシック音楽を聴かない人にでもよく知られているドイツの作曲家は教育を受けるためにウイーンに移住して、結局そこで輝かしいキャリアを生かした。ウイーンで彼が影響を与えたものは数少なくはない。アン・デア・ウィーン劇場(現在博物館)は同作曲家の一時的住居であった。 私と観光スポットを訪ねた仲間の内、エウリコ・カンポスとモラシー・サンタナがいて、みんなが建築に魅惑された。シュテファン大聖堂、ウィーン国立歌劇場や大方の博物館は目覚しい。国会議員や統治者がいる場所もとても素晴らしい。 奇妙な詳細は、看板には都市で活動した音楽家を論及し、そして街の芸人達が生きている像のように、クラシック音楽の偉大なアイドルの真似をしている事。 ごらんの写真の通り、ウィーンの豪華さを実証する為に王権の宝石を保護する博物館を訪れた。その美しさによると、王権は非常に豪華な物に好みがあったらしい。 多数のハイレベル大学にも現れるこれらの文化的側面に加えて、ウイーンは美しい観光地であり、他に美味しい料理や交通機関の効率も魅力的である。 スポーツについては、サッカーチームはあるが、ホッケーが盛んだ。私達はウイーンで今シーズンの良いスタートができた。イスタンブールへ勝利を持ち帰った... 町で歩いている時クラシック作曲家の音楽が口笛から流れてくるような、異なる提案。ウィーンはこういう場所であって、世界を旅してる人に是非一度訪ねて見る価値がある。 ……

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