[2019.01.09]
昨年12月27日、ブラジルサッカーの年間カレンダーを締めくくるビッグイベント、ジーコのチャリティーマッチ「Jogo das Estrelas = スター達の試合」が、開催されました。
2004年にジーコが始めたチャリティーマッチで、昨年で第15回を迎えました。
ブラジルでは、サッカーのスター選手なら、1度や2度、チャリティーマッチを主催したり、何らかの機関や企業が主催する試合に、メインの選手として呼ばれて出場するのは、よくあること。
でも、ジーコの違うところは、毎年12月の終わりに、必ず開催してきたこと。そして、例年マラカナンを満場にする規模や、出場する選手達の華やかさや人気度から、個人で主催するイベントにも関わらず、ブラジルサッカーの伝統的な年中行事とみなされるようになっているんです。
昨年も、ヴィニシウス・ジュニオールやマルコス・パケターといった新星、カカーやジュリオ・セーザルといった近年のセレソン、それに往年のレジェンド達や、もちろん、アルシンドやジョルジーニョなど、鹿島やJリーグで親しまれている選手達が一同に会し、サッカーファンを沸かせました。
たくさんの笑顔が生まれる試合で、助けを必要とする人達に手を差し伸べる。ジーコのスピリットが、詰まった夜となりました。
サッカーキングの公式SNSで、試合ハイライトと、一部インタビューが掲載されています。
試合はこちら。https://youtu.be/0R7_JXSTzqU
サムネイルは、こんな感じ。
一部インタビューはこちら。https://youtu.be/ilINFFmZ8Q4
サムネイルは、こんな感じ。
是非、ご覧下さいませ ♪
追伸:Planeta Kiyomi でも、別の形で編集したバージョンで、多彩にご紹介したいと思っています。アップしたら、こちらでお知らせします ♪
文=藤原清美、写真=藤原清美/サッカーキング……
昨年12月、U−19日本代表が、リオデジャネイロ遠征を行いました。スケジュールは、リオデジャネイロ郊外テレゾーポリス市にある、ブラジル代表専用合宿施設「グランジャコマリー」でのトレーニングと、12月17日 ゴイタカス戦 in マラカナン12月19日 U−20フラメンゴ戦 in エスタジオ・ダ・ガヴェア (フラメンゴの本部)12月21日 U−19ブラジル代表戦 in グランジャコマリーこの3試合のうち、2つのクラブチームとのマッチメイクと場所の確保は、なんと、我らがジーコと、U−15日本ブラジル友好カップのコーディネーターとしても有名な指導者フェルナンド・バヌッチさん、そして、鹿島アントラーズ育成部長の高島雄大さん、このトリオが全面協力して、実現したものなんです。この遠征の模様は、サッカーキングの公式SNSや、テレ朝、日テレ、スカパーと、テレビ各局で、ハイライトやインタビューが紹介されました。今でもすぐにご覧頂ける、サッカーキングの公式YouTubeでの動画があります!全3試合のハイライトと、選手達のインタビューです。https://youtu.be/x93RABdwMm4 サムネイルは、こんな感じ。
ちなみに、初戦の相手ゴイタカスは、フェルナンド・バヌッチがアシスタントコーチを務めるチーム。しかも、マラカナンでの試合ということで、選手はもちろん、日本代表スタッフの方々も、ジーコ、ありがとう!と、感激の様子でした。ぜひ、ご覧下さいませ ♪追伸:近日中に、Planeta Kiyomi で、別バージョンも編集予定です。アップしたら、ここでお知らせします ♪文=藤原清美、写真=藤原清美/サッカーキング……
[2018.09.14]
ジーコの長男ジュニオールさんが運営しているYouTubeチャンネル「Rap77」ってご存じですか?毎週、ブラジルサッカー界の重要人物を招いて、楽しいトーク、真剣なサッカー談義を繰り広げるこのチャンネルに、先月、ついにジーコが登場しました。
テーマはもちろん、ジーコの日本サッカーへの復帰。
ジーコの鹿島アントラーズ・テクニカルディレクター就任を記念して、日本サッカーについて、たっぷり語ってくれています。それがまた、この回だけは特別に、日本語の字幕スーパー付きという、嬉しい配慮。
こんな感じの画面です。
ジュニオールならではの切り口で、他では聞けない話が満載です。まだご覧になっていない方、こちらからどうぞ。https://www.youtube.com/watch?v=y1ePhxaimz8
文=藤原清美、写真=Rap77……
[2018.06.04]
6/4(月)朝10:30から二子玉川ライズ ガレリアで行われた
マクドナルドのイベントに出演しました!
日本でしか食べられないマックの裏メニューが
うらやましすぎて・・・・日本の裏側から緊急来日
してしまいました!
ジーコもうらやむマクドナルドのマックの裏メニューは
6月13日(水)から
詳しくは
www.mcdonalds.co.jp/campaign/uramenu/
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[2018.02.19]
3月3日はジーコの誕生日です!今年は鹿島アントラーズ20018年シーズンのホーム開幕戦が行われる日と重なりました。
鹿島アントラーズ vs ガンバ大阪 16時キックオフ 場所 カシマサッカースタジアム
下記鹿島アントラーズオフィシャルサイトにて ジーコ誕生日のキャンペーンが行われています。みんなでジーコへおめでとうメッセージを送りましょう!
http://www.so-net.ne.jp/antlers/freaksplus/20180303/event.html
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[2016.12.17]
現在行われているクラブワールドカップ準決勝、決勝に鹿島アントラーズの進出を確保した試合終了の笛を審判が吹いたとき、私は記憶は自動的に25年前に
戻った。三つの得点は、我々の伝統的な日伯友好カップにてCFZのフィールドでプレーしたことがある選手によって決められた(2007年・土居、2003
年・遠藤、2011年・鈴木選手が参加)。日伯友好カップは、1991年に日本のアマチュアサッカー2部のクラブの発展を支援してプレーする挑戦を私が受
け入れた時に始まったものの続きである。
当時ピッチは土で、スタジアムはなく、私のチームは茨城県鹿嶋市の工業、住友金属で従業員として働いてもいた。ちなみに、鹿嶋の町をよく知らなかった日本
人を見ることは珍しくなかった。翌年にJ-リーグの創設で日本でのサッカーはプロ化された。そのとき、私はキャリアをスタートし始めた少年であるかのよう
であったが、そこでは経験からスポーツを発展する使命を持っていた。
私は当時の役員たちとの話しを思い出す。ゴールネットの色、サポーター構成を支援する必要性、スタジアム、外国人の来日、その上、選手が一人も他の仕事により疲れて練習に来ないようなチームを構成することについて。
私の仕事は、将来的に得る結果でのチャレンジだったことを私は覚悟していた。通訳の鈴木に会い友達になり、私はJリーグと対話するなど、プロ化に協力でき
る全てのものをフラメンゴ、ウディネーゼやブラジル代表の選手としての経験上から探した。そして、私はその国の文化について学び、一定の引き換えで、そこ
まで学んできたことを渡した。我々のフェイジョアーダ(ブラジルの豆料理)まで鹿嶋に持っていた!
鹿島では、これまでに多くのブラジル人選手やコーチングスタッフが仕事をした。ジョルジーニョ、ベベト、レオナルド、マジーニョ、モーゼル、アルシンドな
ど、優秀な選手、スタッフ。そしてピッチ外で支援してくれた多くの人々。そのうちの一人は、プロとして私のインスピレーション、戦術や才能の育成において
深い知識をもつ玄人、私の兄、エドゥ・コインブラ、1995年に鹿島を率いた初のブラジル人監督である。
エドゥは、1996年にクラブの下部組織を見ながら、現在はプロチームに所属する、若い曽ヶ端ゴールキーパーの育成に支援した。ところで、レアル・マド
リードと対戦するチームの小笠原キャプテンは、中田浩二と本山と一緒に高校から来たときに私が最初のシュートを指導した。そして、私は日本代表の監督とし
て彼らに再会した。現プロチームに所属する何人かの選手は、キッカが発掘した選手なので、さらに誇りに思う。彼は、リオCFZの下部組織の元コーチで、鹿
島ユース監督として働いた。
クラブワールドカップ決勝で対戦する鹿島アントラーズを見る感動を言葉にするには難しい。10年前、世界の反対側に移動する前に、サッカー選手としての私
の最大の成果を経験した、同じ国。そしてそう温かく私を歓迎してくれて、2002年に日代表の監督として私を招待した国、そのことをとても光栄に思った。
多くの思い出、映像、勝利、そして25年後に残っている遺産はそこにあるとの確信。その遺産は私が重要な一部となっていることが山ほど良い感じをさせてく
れる。サッカーで別の現実を体験しているレアル・マドリードとの対戦結果は、重要ではない。その勝利は、すでに鹿島とサポーターのものだ!
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[2015.07.12]
ジーコは、8月に始まるインドスーパーリーグ(Indian Super League)の開始前に、Goa F.C.チームの準備と編成の最終詳細を決定するためにインドに滞在している。現地で2つの学校を訪問、子供たちから大歓迎された。
ニューデリーではカトリック学校のDom Bosco Schoolとポルトガルの石で構築された現地の教会へ行った。一方、ゴアでは、Loyolla High Schoolを訪問し、子供たちで満員の講堂で迎えられた。
「多くの子供たちを見るのは嬉しい。昨日はLoyolla High Schoolへの訪問しここでは忙しいスケジュールをこなしている。」と、ジーコがFacebookでコメントした。
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[2015.06.11]
6 月10日に、ジーコはリオ·デ·ジャ ネイロの西区、Recreio dos Bandeirantes 区 に位置するCFZに て記者会見を開き、Facebookペー ジで2日に表明したFIFA会長選への立候補についていくつかの点を明確にし た。以下はインタビューからの一部抜粋である。
記者会見趣旨
「私は何かを決断をした時はみんなに知らせる必要があると思っている。FIFA会長選への私の立候補について自分の考えを投稿した。今回ブラジルに帰国してすぐに自分が尊重しているマスコミの皆さんに報告する必要があると思った。私が決断した次回のFIFA会長選挙の候補者になりたいことを伝えたいと思う」
立候補する決定
「私はヨーロッパ滞在中にこの立候補の決断をした。私はFIFA会長に立候補する資格を持っていると感じる。もちろん、選挙方式の変更が必要だ。現在の規約では何のチャン スもない。FIFAだけでなく、CBF(ブラジルサッカー連盟)や州サッカー連盟においても。この規約ではサッカーを苦しめている汚職が起きてしま う。私はこのような重大な事実について替えるべきだと思っている。私のことを知っている人は私の真剣さを知っている。可能であれば必要な規約の変更があれば私は候補者になる。私は現 在62歳で、これまでにジョアン・アヴランジュとゼップ·ブラッターの2人のFIFA会長しか知らない。この期間で世界でサッカーを率いるための機関でこの二人だけしか会長をしていないというのは許容できない」
選挙
「規約変更がなければ私は候補者にならない。候補者になる為に世界を回って投票を依頼するために航空券を購入して私のお金を費やすことはない。誰とも話をしていない。私は立候補資格の5協会からの推薦が必要というこの規約に反対する。そこですでに腐敗が始まると思う。選挙は候補者がサッカーに対して提供する内容によって行われなければならない。新しいルールが必要である。 それがなされるべき最初の変更でなければならない。FIFAは新たな選挙が行われる方法について知るために委員会を収集する必要がある。今はどのような選挙になるのかを知るために待つ時だ」
FIFAでの腐敗
「指導者が逮捕され起訴されるニュースを見ることは悲しい。我々はサッカーに汗をかいて身を尽くしているが、我々がやってきた事は本当に身を尽くした結果であるのか心配している。この出来事は私のように、スポーツを愛する人には残念なことである」
2018年と2022年のワールドカップ開催地
「不規則性を確認した場合、我々はすべてを停止し新しい選択をする必要がある。選択肢に腐敗が証明された ら、これらのワールドカップが率直に行われるように新開催地を探す以外の代替手段はない」
計画
「何度も頭の中では思い返したが変更の可能性は見えなかった。今可能性が見える。我々は腐敗が何よりも上ということを受け入れることはできない。サッカーそのものをすべての上にする必要がある。現在、私はサッカーを協議するために国際的な経験を もって信頼する人達のチームを構成できる。私の決断を承認して真剣さ確固を見せるために、今日マスコミんの皆さんに集まってもらった。」
PLATINIの支援
「彼が立候補することも可能だ。私は彼と一緒の時期にプレーしていたし彼の友人でもある。彼はUEFAで非常に順調に活動している。しかし彼はまだ決断していない。私は、誰もが選挙の規約を知るまで決断し ないと思う。現状を協議するためにFIFA委員会の会議が行われるだろう。」
ROMÁRIOの支援
「彼らの支持を得ることは重要である。すでに支援を表明してくれているロマーリオに感謝している。」
MARADONAが立候補しているようだが
「彼は私のサッカー界でのもう一人の友人だ。彼はシャイフの副会長になると述べている(ヨルダン王子のAli Bin All Hussein)。」
MARCO POLO DEL NERO
「私はDel Neroを知らない。サンパウロで彼が行った仕事を知らない。ただ、我々が見たものでは、彼とMarinはRicardo TeixeiraがCBF会長を辞職した時はいつも一緒だったと思う。Del Neroはその時に実施されていた全てのものを知っていなくて、Marinが、全て単独で行っていたと自分の態度を取るのは違和感を感じる。もしかしたら間違っているかも知れないけどMarinがいた時には彼もいた。」
FBIの調査
「このような事態を調査はじめたら直ぐに終わらない。調査が長く続くと思われる。」
FIFAの対策
「第一は指示の問題。これが基本である。候補者になるには誰にも依存することはできない。私は、1回のみの再選に賛成する。」
……
[2015.06.04]
2日、FIFAの会長に再選出された直後に17年間FIFAを率いてきたブラッター会長が、FIFA役員の汚職事件問題に対して引責辞任する意向を表明した。
その直後にジーコは、FIFA会長選への立候補の可能性について、自身のFacebookページに投稿した。
立候補を実現させるには、ジーコは、少なくとも5協会からの推薦を得る必要がある。
ジーコは、Esporte Interativoチャンネルの解説者として、バルセロナ対ユベントスのUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦の行われるベルリンに滞在している。
そこででFIFA会長選挙への参加可能性を表明し、妻サンドラと食事し、一緒に写った写真を投稿した。
今のところ、ジーコに加えて、他に二人の方が選挙に出馬する意向を示しいる。ヨルダンの王子、Ali bin Al Husseinとフランス人元選手のDavid Ginola。他の可能な候補者は、UEFA会長のMichel Platiniとポルトガル元選手のLuís Figo。
3日記者への表明では、ジーコは彼の立候補意欲はサッカーの腐敗に抗議するためであると述べた。
「何故全くないといえるのだろうか?私の人生はいつもサッカーとともにあった。ブラジルや他の国で、情熱、真剣さと敬意をもって行為してきた。妻サンドラと食事しながら、会長選挙のことを考えていた。妻と子供たちはいつも私を支援してくれている。私はブラジルでもスポーツ大臣をしたことがある。私のリオのクラブや、鹿島や日本でも仕事してきた経験もある。私は政治よりサッカーを優先する。協力者が今いるわけではいないが、可能ならば私はFIFA会長に立候補することもできる。もちろん今思いついたアイデアではあるのだが。」と、ジーコがコメントした。
……
[2015.05.20]
ジーコは18日に、Quintino 区に位置するEscola Municipal Haiti(市立学校ハイチ)を訪問 し、同国の国民にとって最も重要な祭典の一つ、ハイチ国旗記念日に参加した。
イベントには、ブラジルでハイチの大使、Madsen Chérubinも出席し、Rubem César Fernandesが取締役であるViva Rio NGOが主催した。
その学校の元学生である ジーコは、学生より暖かく歓迎された。ジーコは、その移民がより良い生活をできるように彼らが選んだ国、ブラジルで歓迎されるよ うに、そのカリブの国についてより多くの情報を発信させる重要性を強調した。
「今日は、ハイチ国旗の記 念日であり、私はQuintino 区にあるハイチ学校へ行っ た。当時、Rocha Pombo学校は小学校5年までしか なかったので、私はハイチ学校にAnileda先生がいた小学校6年生の 時に通った。ハイチのMasen Chérubin大使が出席し、イベントはViva Rio NGOのRubem Césarによって開催された。昔に戻って、私が生まれ育った場所を訪問することは常に喜びである」と、ジーコが彼のFacebookページでコメントした。
Chérubin大使は、イベントに出席す ることは大変光栄だと述べ、残念ながら最近の地震のニュースででよく知られるようになったこの国の文化的側面を人々に知ってもらうことの重要性を強調した。
大使はハイチの平和の歴史 の一部として、ブラジルとサッカーを強調し、国の首都、ポルトープランスで2004年に開催された、ブラジル 対ハイチの平和のゲームを思い出した。
式典は、Viva Rio のプロジェクト、Haiti Aquiポータルサイトよって主催 された。このプロジェクトは、雇用機会を取得するために行われ、ブラジルでハイチ移民を支援し、また、国の文化を少しでも広げる ことを目的としている。イベントは、Circuito Haitiano de História e Arte の一部として、5月22日までリオ·デ·ジャネイロ、そして5月30日にはサンパウロで行わ れ、国の文化や歴史を促進するために様々な活動を実施し、最近の移民状況について討論する。
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