[2014.03.27]
ジーコは先週、1962年ワールドカップの優勝チームのメンバーであり、3月3日リオのカーニバルで
Caju、Rivelinoと共にパレードの山車に乗っていた名選手Amarildoに感謝の気持ちを伝える機会を持った。彼は6月に行われるワールド
カップ大会組織委員会の大使でもある。
「彼に感謝の気持ちを伝えたかった。私が14歳の時、サンタテレザのフットサルクラブAmarildoでプレーしていたことがある。フラメンゴでは1971年に彼の兄弟Renatoとプレーした。」とジーコが語った。
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[2014.03.25]
20日、昨年末のスターゲームの収益金を2つの機関に届けた。ジーコと息子ジュニオールはリオの中心にある国立がん研究所(INCA)と Mario Kroeff研究所を訪問した。1985年ジーコはがんの治療器具を購入するための支援の運動を援助したことがある。
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[2014.03.22]
20日、ジーコはOJosé Padilha 映画監督でTropa de EliteやRobocopのリメイクなどを手掛けた映画監督でフラメンゴの偉大な会長と同じ名前の映画監督José Padilhaと対談した。
「私たちはサッカーについて語り合った」とジーコが語った。
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[2014.03.20]
3月18日に、ジーコは2013年度Jogos das Estrelas(スターゲーム)の恩恵を受けた23機関のうちの7つを訪問した。機関には、大きさや必要性に応じて、6千~1万2千レアルの金額が割り当てられる。
ジーコは、初回のイベントから支援機関選択と収益金配分調整を担当しているJosé Matosとスターゲームの責任者である、息子のJunior Coimbraに同行した。
「非常に素晴らしいプロジェクトを知ることができるので、訪問できる事は私にとって常に特別で感動的な瞬間である。Rogério Steinbergは、私がフラメンゴへ戻るための立案者であり、他界してしまったため、 Rogério Steinberg研究所は特殊な側面を持っている。Retiro dos Artistasは 、Stephan Nercessianが非常に素晴らしい仕事えおしている。また、障害児のニーズに応える、Lar Maria de Lourdesもある。私も個人として支援している非常に素晴らしい活躍を行っている機関もある。例えば、Mariana修道会は、とても素晴らしく、彼らが昨年寄贈したお金で実行したことを我々に見せてくれた。前回にも寄付した、Obra Dona Meca。Jacarepaguá地区のTaquara区に位置するLar Frei Luizでは、500人の子供たちのための学校や幼稚園が揃っていて、現在では、私の兄アントゥネスとエドゥと対戦した元Botafogo と元BonsucessoのFifi元選手を含む、約50人の高齢者を介護している。私は彼と少し話しして、Bonsucessoで活躍した頃の彼を思い出した。私が皆さんと分かち合えた特別な瞬間だった」と、ジーコが述べた。
7つの機関:
1) Casa Maternal Melo Matos (Jardim Botânico区で約250人の子供たちを対象)
2) Instituto Rogerio Steinberg (またJardim Botânico区で約250人の子供たちを対象)
3)Retiro dos Artistas (Freguesia区)
4) Lar Maria de Lourdes (Taquara区で約50人の子供たちを対象)
5) Congregação Mariana (Taquara区で約200人の子供たちを対象)
6) Obra Social Dona Meca (Taquara区で約200人の子供たちを対象)
7) Lar Frei Luiz (Taquara区で約500人の子供たちと50人の高年者を対象)
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[2014.03.14]
12日にマラカナンで行われた Flamengo x Bolívar の試合を観戦したジーコは、ハーフタイムにEduardo Bandeira de Meloフラメンゴ会長より、フラメンゴの練習グランドがあるガベアに昨年建てられた銅像のレプリカをプレゼントされた。
「自分の更なる誕生日プレゼントとして受け取りました。会長そしてフラメンゴに感謝したいです」とジーコはコメントした。
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[2014.03.12]
Quintino区のBernardo Guimarães 通りからPontal 通りまで、Juventude団体でのカーニバルは子供の頃から常に特別なパーティーだった。当時の自分を含めアントゥネス一家は友人に囲まれて一緒に遊んでいたころの思い出は最高だ。 70年代以降、サンバ学校の存在は私の人生の中でより強くなった。そしてBeija-Florへの愛情が生まれた。カーニバルの時期に仕事に余裕があった時は、常にBeija-Florに行ってた。今年はImperatriz Leopoldinenseによって自分の歴史がサンバ大通りで表現された。自分は本当に恵まれた者だ。今回は自分がこれらの日々に経験した感動や喜びについて語り、この瞬間に参加した多くの人々にお礼を伝えたいと思う。結局のところ、サポーターがハッピーバースデーを歌いながら、私はサンバ会場の大通りで61歳を迎えた。素晴らしい経験だった!
十数年にわたり、たびたび、いくつかのサンバグループの学校が自分に対して大通りでの敬意を表す提案をしてきた。ある時には、私にはまだ歴史が足りなかったと確信していた。またある時は、そのプロジェクトをチェックする時間がないだろうと感じていた。常にこれらのことは適切なタイミングで我々の人生の中で起こると信じていた。
今回のImperatrizの場合はまさにそうだった。最初の接触は息子チアゴを通してきた。その後、もしLuizinho Drumond会長が私の人生はサンバのテーマにふさわしくならないだろうと思ったならばその決定は尊重しようとした。私はサンバ大通りで参加経験重ねており、しばしば「サッカーをテーマにする事は困難であり、カーニバル審査員を喜ばせるには難しい」との伝説を常に聞いていた。
しかし、今回は違った。それら全ての障壁を破り、私の話は学校とメンバー全員の支援を受けてサンバ広場に登場した。学校のメンバーによって受け入れられたテーマの選択は、YouTubeの動画や家族による報告によって私が知ったことなので、日頃海外での仕事が多い中で、最終段階でCahe Rodriguesの作業を近くで見れるように私がここブラジルにいることは運命のお陰だ。
Imperatrizのパレードは非常に綺麗だったし、うまく伝えればサッカー話は尊敬を受けることを示すことができた。テーマはすべての審査員から10点を与えられた。美しい山車、豪華な衣装で、サンバがスタンドを盛り上げた。いくつかの小さなミスがevolução(進歩)、conjunto(総体)とharmonia(融合)の必要条件に影響を及ぼしたので残念だった。もちろん勝ちたかったが、私は非常に嬉しくて5位で満足している。
> なによりも私にとって重要なことは、Imperatrizのメンバーからの支援を受けて、大通りで美しいサンバと良い仕事を見せたこと。それら全てのことは実現した。偶然ではなく、Caheは2014年の最高のcarnavalesco(カーニバル・プロデューサー)として、一部の専門家によって指摘された。
それら全てのことで、私は誇りと感謝の気持ちでいっぱいになった。Luizinho Drumond会長、カーニバルディレクターのWagner Araujo、カーニバルプロデューサーのCahe Rodrigues、つまり、私に今回のパーティーを与えてくれた、Imperatriz Leopoldinenseのメンバー全員に感謝!!一生忘れられないパレードを実現させたすべての人に感謝しています。
私のそばにいた友人や家族、本当にありがとう。そして、私はパレードの前夜にFacebookで言ったことを繰り返す。ただ、私の子供の頃に我々がQuintino区で楽しんだように、このパーティーを一緒に楽しむために父Antunes、母Matildeと兄Antunesに生きていて欲しかった。
今年のカーニバルは間違いなく私のカーニバルの最高のカーニバルとなった!
では、また!
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in [ジーコの主張]

[2014.03.07]
私はImperatriz Leopoldinenseからの今回の敬意に対して本当に感謝したいと思います。彼らは両手を広げて私を歓迎してくれました。私は、Luizinho Drumond会長、Cahe RodriguesやImperatrizの全てのメンバーに感謝しなければなりません。リオのカーニバルでのパレードは本当に素晴らしかったです。Imperatrizを本当に祝福するべきだ。そして8日にまた会いましょう。私はカーニバルでの経験があるため、今回タイトルを逃してしまった、パレードでのいくつかの小さなミスがあったことは承知しています。
しかし、そのことで自分自身の喜びが小さくなる訳ではありません。私の誕生日に、家族や多くの友人とともに、このような経験をしたことを光栄に思います。色々な形で愛情やサポートを表してくれて出席したすべての人々や元仲間に感謝の気持ちを伝えたいです。
そして、スポーツアイドルのアイルトンセナに敬意を表し、今年のリオのカーニバルで優勝した偉大なチャンピオンのUnidos da Tijucaおめでとう!そしてもう一度伝えたいです、Imperatriz,本当に凄かった!ありがとう!!
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[2014.03.06]
Amarildoは、かつてスパイクにしていたように白い靴の紐を結んでいた。Julio Cesar Uri
Gellerはインタビューに答えていた。他の元フラメンゴの選手はストレッチをし大きな試合前のように過ごしていた。元フラメンゴ選手たちは写真やサイ
ンの求められた。3月3日、正確には4日火曜日の深夜1時8分に演奏隊がパレードを開始する為にサンバ会場に入ったとき、会場のMarquês de
Sapucaíの観客スタンドセクター1ではフラメンゴの旗が揺らされていた。
Imperatriz
Leopoldinenseは、その日に61歳を迎えたジーコに「誕生日」とフラメンゴの祝歌を歌って祝福した。ジーコに敬意を表する"Arthur
X - O reino do Galinho de Ouro na corte da
Imperatriz"の曲でのImperatrizのパレードはリオのカーニバル会場Sapucaí
広場をMaracanãスタジアムの雰囲気に変えた。
Imperatrizの曲の歌詞の中にはフラメンゴという言葉は一度も出てこない。Imperatriz役員は「フラメンゴのサポーターも素晴
らしいが、このパレードでは国民的アイドルであるジーコを賛美している」ことを強調した。しかし、それはこのコメントのみとなった。フラメンゴと
ジーコとの連帯は、スタンド全体で数百人もが使用していたフラメンゴのユニホームや旗で見ることができた。Imperatrizのメンバーの第二の皮膚にもなった。
多くのメンバーは衣装や作業ユニフォームの下にフラメンゴユニホームを着ていた。山車を押すVinícius
Pereiraのように、彼はシャツの中にフラメンゴのユニホームを着用していた。
「三つの情熱が合体したんだ!フラメンゴ、ジーコとImperatriz」と、Viníciusが熱く語った。
しかし演奏隊には、リオのチーム間のライバル意識はすぐに現れた。一人のメンバーが、背中にVascoのエンブレムの大きな刺青を見せた。その近くでフ
ラメンゴ社長とヴァスコ社長(Eduardo Bandeira de MelloとRoberto
Dinamite)は握手を交わし一緒に写真を撮った。
しかしその後にバスコ会長Dinamiteはにはブーイングが起こった。
「すべてのフラメンゴファンはジーコを尊重しなければならない。彼はクラブ歴史上の最大のアイドルだ」と、パレードが開始する前に
Bandeira de Melloが述べた。
またトヨタカップで優勝したフラメンゴの80年代の選手たちは金色のスーツを着ていた。Júnior、Leandro、Adílio、
Andrade、Cantarele達は山車の上に登場した。
Imperatrizのパレードの前、集合場所にVila Isabel打楽器隊の女王、Sabrina
Satoが現れたときは大騒ぎになった。彼女は十数人の記者、カメラやフラッシュに囲まれた。しかしその後にジーコがパレード会場に着いたとき、そのメデ
イアの数が倍になった。
本番前にImperatrizの演奏隊による祝歌は、Maracanã競技場でよく知られているフラメンゴの曲だった。そしてジーコに敬意を表す
横断幕。花火の音はMaracanãで昔の日々を思い出させた。ジーコがプレーしていた時代には、競技場でも花火使用が許可されていた。
様々なスタンドが盛り上がったが、最高の瞬間は、最後の山車に王の衣服を着て王冠を持ったジーコが通過するときだった。白のパンツと赤と黒の服
装でいたジーコにImperatrizの旗がマントになった
パレード最後はサッカースタジアムの雰囲気が再び現れた。最初のスタンドで起こったように、最後のスタンドでは「チャンピオン」と叫びながら、
「ハッピーバースデー」を歌いフラメンゴのアイドルを迎えた。
Imperatrizメンバーはパレードが終わると抱き合った。演奏が終わっても。山車の一番高いところにいたジーコは止まらなかった。手に王冠を持ち、
彼はお祭り騒ぎを続けた。ジーコがいた山車のライトが消されたが、スタンドからの「ハッピーバースデー」は再び強く聞こえた。周りを見な
がらジーコは頭を下げお辞儀をした。
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[2014.03.04]
リオのカーニバルの初日、ジーコはサンドラ夫人や息子、友人たちと共に会場にてカーニバルを楽しんだ。
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