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ABMNからの表彰

[2013.07.31]

7月11日に、ABMN(ブラジルマーケティング&ビジネス協会)は、その年度に業界で目立った専門家の評価を高めるために制定された、Prêmio Marketing Contemporâneo(現代マーケティング賞)の第12版の受賞者を発表した。ジーコは出席し、ボタフォゴに位置するPalácio da Cidadeで専門家の他に芸能人や著名人を集めたセレモニーで特別に表彰された。 謝礼を告げるためにステージに上がった時、ジーコは妻サンドラに賞を捧げ、そしてサッカーのマーケティングにおける重要性に対してR7サイトでのインタビューを強調した。 「この表彰は私にとって光栄である。現在クラブのマーケティング部門はますます活動的になり、取締役会でも積極的取り組んでいる。良いマーケティング専門家は、機関に大きな収益をもたらし、それが競争力のあるチームを構成するための要素になれる」 ABMNの会長、Record放送局の営業部長であるトマス・ナベスは、ジーコに敬意を説明した。 「ジーコは60歳を迎えたので、表彰は当然である。彼はサッカーが存在しなかった国にサッカーを確立した。現在、社会及びスポーツプロジェクトで子供たちと素晴らしい事業を行っている。一方、ベルトラメはリオ州で素晴らしい事業をしている。安全保障はリオで常に虚弱で複雑な事項であり、彼は、勇気を持って、疑う余地のない事業を行っている」 イベントは、9つのカテゴリーに受賞者を選出し、2つのエキストラ賞を受賞した:本年度の著名人として、リオの安全保障担当国務長官、ジョゼー·マリアノ·ベルトラメ、そしてビジネス著名人としてAB InBevの所有者、ジョルジェ·パウロ·レマン、カルロス·アルベルト·スクピラとマルセル·テレス。 各カテゴリには、登録された約100作品の中から選ばれた3人のファイナリストがいた。 ……

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NBAの新ブラジル人、ルーカスがジーコに会う夢を叶えた

[2013.07.28]

NBAに向けて米国に出発する直前に、Lucas Bebê[ルーカス・べべ]は彼の誕生日前に夢のプレゼントをもらった。 21歳を迎える前日(彼の誕生日は7月26日)にアトランタホークスの将来センターは、Esporte Interativoテレビがサプライズした企画で用意した出会いで、彼の偉大なアイドル、ジーコに会った。 ルーカスは、米国への彼の出発前の週に別のインタビューに参加すると思ってEsporte Interativoテレビへ行った。ルームに入って、椅子に座ってマイクを付けて、記者アリネ・ナスタリからの質問に答え始めた。一方、フラメンゴ史上最大なるアイドルでEsporte Interativoテレビの司会者でもあるジーコはルーカス用のサイン入りシャツを持って、適切なタイミングで入場するようにルームの外で待っていた。   ……

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ジーコがローマ教皇との面会の詳細を明らかにする

[2013.07.28]

ジーコがローマ教皇との面会の詳細を明らかにする 25日のZico na Áreaは、Palacio da Cidade (市長執務室のある市庁の一部。ボタフォーゴ区)で開催された式典でジーコが教皇フランチェスコに会った数時間後に放送された。ゲストとして、アトレティコ・ミネイロの永遠のアイドル、レイナルドが参加した番組の実行中に、ジーコはフラメンゴのTシャツを渡した時にカトリック教会教皇に言ったことを明らかにした。 「これは、私が20年間プレーした、国民のチームです。色は、教皇フランチェスコがアルゼンチンで心を寄せるチーム、サン·ロレンツォの色に似ています」と、ジーコが述べた。 教皇はサッカーが大好きで、プレゼントに対してお礼を言った。プレゼントの予定は当初はなかった、ジーコが渡せるようにパーソナライズされたTシャツを送ったフラメンゴの社長の贈答品だった。 ジーコは、毎週木曜日午後8時(ブラジル時間)にEsporte Interativoテレビで放送される「Zico Na Área」番組を司会する。  ……

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ジーコがローマ教皇にフラメンゴのシャツをプレゼント

[2013.07.27]

25日の朝にボタフォゴ区のPalacio da Cidadeで開催された式典で、教皇フランチェスコは沢山のスポーツ選手を迎えた。ジーコはそのスポーツマンのうちの一人であり、自身のFacebookでファビ、ファビアナ、ラース・グラエル、パヘイラとオスカー・シュミットと一緒に撮った写真を掲載した。  以下の写真はバレーボールのファビ選手が撮った、ジーコがフラメンゴのシャツを教皇に渡した瞬間の2枚 ジーコは「感動の瞬間だった。最初はシャツを渡す予定はなかった。フラメンゴの社長が用意してくれて私が渡した」とコメントした。  ……

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マカビア競技大会開催式でジーコがブラジルの旗を掲げた

[2013.07.26]

イスラエルで42以上のスポーツ種目が実施されるスポーツイベント、第19回マカビア競技大会は、首都エルサレム首都で7月18日に開始された。開会式は、シモン・ペレス大統領とベンジャミン・ネタニヤフを含む約3万人の観客でテディ・スタジアムで行われた。 ジーコはブラジル代表団一員として、78カ国が参加したパレードに旗を持って参加し注目を集めた。ユダヤ人のオリンピックと考えられ、マカビアは9000以上の選手が参加している。 「とても美しくて良く運営された、この大きさのイベントに出席したことは私にとって大きな喜びである。 1991年に、私は国内のマカビア大会に出席したが、国際大会がそれほど偉大であることを知らなかった。満席のスタジアムで素晴らしいイベントだった」とジーコが語った。 今回、Confederação Brasileira Macabi(ブラジルマカビ連盟)は選手、コーチ陣とスタッフを含む、460人のメンバーで史上最大の代表団を連れて行った。選手は14〜80歳であり、7月30日まで開催される。 Shalom Brasil番組によって製作された開会式のビデオをご覧ください。   ……

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Altas Horas番組でのマルセロ・マホンからの敬意

[2013.07.25]

21日にセルジーニョ・グロイスマンの番組で放送されたコメディアンとミュージシャンのマルセロ・マホンからのジーコへの敬意の曲をご覧ください。 ジーコは番組に出席し、その歌に感動した。 </iframe……

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インペラトリスのカーニバル・パレード登場は2日目に

[2013.07.12]

7月9日にCidade do Samba(サンバの町)で、2014年リオデジャネイロカーニバルのサンバ学校のスペシャルグループのパレード順番が設定された。パレードは3月の日曜日(2)と月曜日(3)に開催される。 インペラトリス・レオポルジネンセ学校のテーマとなるジーコ(彼はマルケス・デ・サプカイ広場で誕生日を迎える)は、 その各学校が登場する日を決定する球を抽選した。そして、彼に敬意を表する学校の登場を、たとえ4日の深夜であっても、3日に確保した。 「インペラトリスの会長は4番目になりたかった、そして私は4号の球を取った。私は運を与えられて嬉しい。学校が素晴らしいカーニバルをするように願っている。私は、スタッフゲームではいつも背番号4を使用しているため、4は私にとってラッキーナンバーだ」と述べた。 12学校は、すでに来年のテーマを設定している。 スペシャルグループのパレードの順番は次の通り。 日曜日 インペリオ・ダ・チジュカ グランデ・リオ サンクレメンテ マンゲイラ サルゲイロ ベイジャ・フロル 月曜日 モシダデ ウニアォン・ダ・イリア ヴィラ・イサベル インペラトリス・レオポルジネンセ ポルテラ ウニドス・ダ・チジュカ    ……

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ウディネーゼに行く前にジャジソンはジーコからのアドバイスを受ける

[2013.07.04]

イタリアに向かう前に、ジャジソンはそのイタリアクラブとブラジルサッカーの史上最大のアイドルうちの一人であるジーコに会った。ボタフォゴに所属する前 にCFZの下部組織にいた彼は移籍前にクラブを訪問し、イタリアに行くことについてアドバイスを受けた。 ジャジソンはブラジリアから、わずか15歳でリオに到着し、CFZの試合で注目を集めた。良いプレーをしていたので、ジーコはクラブで彼に残ってほしい いと言った。その頃、現在フラメンゴ所属のラフィーニャもいた。ジャジソンもフラメンゴでプレーしたことがあるが、同クラブは選手が残ることに興 味がなく、当時の状況に対してジーコは批判する。 「我々は彼を信じていた。それは、私たち全員にとって誇りだ。ブラジルサッカーのたくさんの名選手が通った大会、日伯友好カップで彼を見た。私は彼をフラ メンゴに残して欲しかったけど、クラブは興味なかったので、私には何もできることはなかった。」 現在19歳のボランチは、2012年前半にプロとしてボタフォゴにデビューし、キャリアでの夢の実現について語った。ウディネーゼのチームで第5目のブラ ジル人となり、DFダニーロ、左サイドバックのガブリエル・シルバ、ボランチのアランと、フラメンゴで一緒にプレーしたことがあるMFマイコスエ ルと合流する。ジャジソンは、将来の監督、フランチェスコ・グイドリンに関するいくつかの情報を聞いてると言った。 「 もちろん、私はボタフォゴに気を張っていたが、時間があった時はウディネーゼをチェックしていた。ヨーロッパに移籍し、ブラジル代表に選出され、それは誰 もが子供の頃からの夢だ。監督については、アランに話を聞いたし、彼の名前を検索したこともある。セードルフは「素晴らしいコーチであり、非常に 良い仕事をする」と言ったことがある。若い選手たちと働くのが好き、そして忍耐を持っている。それもあってウディネーゼの平均年齢は低い。」 ジーコも監督を賞賛し、ウーディネの街について話した。彼は、イタリア人のファンの好意をかち取るには、ピッチの中で見せるサッカーでしかできないと強調 した。 「シンプルで居心地の良い、とても美しい街だ。効果的なのは、良いプレーを見せることだ。良いサッカーを見せれば、みんなに好かれる。現地選手は良い体格 でぶつかってくるので、ちゃんと食事をとらなくてはならない。私の頃は、試合中はいつも強くマークされていた。ブラジル人だからって、不機嫌な顔 をしてはいけない。イタリアのサポーターは良く歓迎してくれる、しかし、選手に共感がなければ難しい。」と、分析した。 ジーコとジャドソンの間で会話の最初のトピックは、欧州の寒さだった。まず最初に、ジーコはウディネの気候について警告し、ついでに外国で暮らし始めた頃 の面白い出来事について語った。 「私には面白い問題があった。いくつかのパイプでできた壁にあったヒーターを使ったことはなかった。そのヒータを使用するには容器が必要だったことを私は 知らなかった。私は間違った方法で使用し、耐え難いほどの頭痛で一ヶ月間も過ごした。私は色々な検査を受け、病院に行っても痛みが止まらなかっ た。ある日、ウディネーゼの監督が私の家を訪ね、あまりにも暑かったので彼は何かがおかしいことに気づいた。ヒーターを彼に調整してもらい、それ から頭痛はなくなった。」 イタリア語については、ジーコは最初は子供の本を利用したことを認めた。 「私は子供用の本でイタリア語を学んだ。アルファベットやルールで見始めた。また 新聞を読んだり、テレビも見ていた。間違って話すことを恥ずかしがっていたら、人間は何語も話しできないので、私は始めは間違って話していた。まずは、挨 拶、その後、喫茶店でコーヒーを頼んだり、少しずつ学んでいた。」 ジャジソンの新しいクラブの歴史の中で最大のアイドルのうちの一人に相談したあと、彼はイタリアへ出発する。イタリア選手権で5位に終わったウディネーゼ は、ヨーロッパリーグの最初の段階で競争する準備を始める。 ……

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メッシの友達チームの監督はジーコ

[2013.07.02]

6月29日にコロンビアのメデリンにて開催された親善試合でメッシ友達チームは9-6でワールドスターチームから勝利した。ジーコは、コンフェデレーションズカップの決勝のためにリオデジャネイロにいたーファビオ・カペッロの代わりに、メッシ友達チームの監督として出場した。 ジーコが率いたチームの得点は、パブロ·アンヘル(3)、アイマール(2)、マロウダ(2)、メッシとパボンが決めた。 チームはオスピナ(コロンビア)、メディナ(コロンビア)、デミチェリス(アルゼンチン)、マテラッツィ(イタリア)、アビダル(フランス)、マスチェラーノ(アルゼンチン)、アイマール(アルゼンチン)、メッシ、マロウダ(フランス)、パボン(コロンビア)とパブロ·アンヘル(コロンビア)によって構成された。ロビーニョとジュリオ・バティスタは、ワールドスターのチーム側でプレーし、それぞれ1ゴールを挙げた。 試合には約12,000人のファンの観客がいた。2日にはメッシ友達チームが再びプレーする。今回はネイマールと他のスターを持つチームとの対戦で、ジーコはネイマールチームを指揮する。 ……

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