ジーコの主張

最高の思い出 

[2013.06.14]
コンフェデレーションズカップでブラジル対日本の対戦が行われる。今回はただのサポーターとして 自分も観戦する。ブラジルに対してはあまり話をする必要はないが、日本との私の関係も特別であることはみんなが知っている。2005年6月22日に同じコンフェデレーションズカップでブラジル戦の引 分けの時には私は日本の監督だった。
日本でプロサッカーが始まった時代に多くの思い出がある。私が1991年に 日本へ行った時の我々のチーム、住友金属工業は従業員が会社の工場で働いた後にサッカーをしていたアマチュアチームだった。私にとっ て非常に奇妙なものだったが特別な挑戦だった。5月に鹿島を訪問した時に、私は1991年から1994年の間に歩んだ道の多くの分を思い出すことがで きた。
私 は下記の写真には説明する価値がある。これは私が鹿島スタジアムに着くために通っていた道である。当時新設されたスタジアムは住 金を土のピッチから抜け出して、現代スタジアムに変え、プロ意識、マーケティングの構造と後に達成するタイトル獲得に辿り着くための多く のプロジェクトの 一つだった。
私は毎日、田んぼの道を通っていた。日本人たちに対してそれらの田んぼの重要性を覚えてい る。5月は田植えの時期であり、利用可能な土地のすべてを利用し、9月から10月に収穫を待つ。実際に鹿島アントラーズのチームはこの作業によく似ている。私たちはプロサッカーの田植えを 行った。日本の地図上に町を加え、その後成長してきたし、チームは現在、国内で最も成功している。良い収穫だ!
私も開催に向けて色々とアドバイスした2002年 ワールドカップに向けて建設されたいくつかのスポットも記録することができた。私が何回も利用した列車が通過する神宮橋、スタジアム にある私の銅像、そし て私が住んでいた住宅。日本でここに私が住んでいた頃の素晴らしい思い出。ギャラリーの最後の写真は、私が試合結果を写真で​​サイ トに送信していた時を 思い出す。
私 はノスタルジックではないので、常に前向きに挑戦することを探している。しかし、本心から感じる懐かしさの感情は違うものだ。私は日本で たくさんの友達がで きた、思い出話もいっぱいある。そして日本のサッカーの発展のために私が最善を尽くしたきたという確信もある。最大の報酬は、今回私はこ の訪問で再度確認 することができた、サポーターの愛情。これは、自分にとってすべてを尽くしてきた努力に対する最も嬉しいご褒美である。
写真をお楽しみください。ではまた!

3278_2
3268

3269
3270_2
3271

3272
3273
3274
3276_3
3277

in [ジーコの主張] |

< 前の記事へ | 最新の記事へ | 次の記事へ >