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オーランドとニューヨークでジーコキャンプが行われる

[2013.06.29]

米国のオーランドとニューヨークでジーコサッカーキャンプが行われる。サッカークリニックに参加したい6~18歳の男子と女子が参加する。 オーランドでのサッカーキャンプはもう恒例になっていて、有名なディズニーの公園内に位置するスポーツ複合体のESPN Wide World of Sportsにて再び開催され、8月13~15日の間に行われる。 今回は新しく8月の5日と9日の間に開催されるニューヨーク州のサッカーキャンプで、10月にオープンされる「ジーコサッカーアカデミー」トレーニングセンターのプレビューになる。 キャンプスタッフにはガウッショ、ジャセニル・シルバ、マルシオ・メイラとエドゥアルド·ソウザなどのコーチがいる。 http://www.zicosoccercamp.comで詳細をご覧ください。  ……

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ジーコ、コンフェデ杯ブラジル対日本を観戦

[2013.06.17]

ジーコはブラジリアのMané Garrinchaにて行われたブラジル対日本のコンフェデ杯開幕を観戦した。 試合は3-0でブラジルが勝利した。 ……

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ブラジリアで中田と会う

[2013.06.16]

自分が日本代表監督をしていた時の選手である中田と久しぶりにブラジリアで会い、食事を共にした。 中田はNHK解説者としてここブラジルに来ていて、コンフェデ杯開幕のブラジルー日本戦を解説する。 ……

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最高の思い出 

[2013.06.14]

コンフェデレーションズカップでブラジル対日本の対戦が行われる。今回はただのサポーターとして 自分も観戦する。ブラジルに対してはあまり話をする必要はないが、日本との私の関係も特別であることはみんなが知っている。2005年6月22日に同じコンフェデレーションズカップでブラジル戦の引 分けの時には私は日本の監督だった。 日本でプロサッカーが始まった時代に多くの思い出がある。私が1991年に 日本へ行った時の我々のチーム、住友金属工業は従業員が会社の工場で働いた後にサッカーをしていたアマチュアチームだった。私にとっ て非常に奇妙なものだったが特別な挑戦だった。5月に鹿島を訪問した時に、私は1991年から1994年の間に歩んだ道の多くの分を思い出すことがで きた。 私 は下記の写真には説明する価値がある。これは私が鹿島スタジアムに着くために通っていた道である。当時新設されたスタジアムは住 金を土のピッチから抜け出して、現代スタジアムに変え、プロ意識、マーケティングの構造と後に達成するタイトル獲得に辿り着くための多く のプロジェクトの 一つだった。 私は毎日、田んぼの道を通っていた。日本人たちに対してそれらの田んぼの重要性を覚えてい る。5月は田植えの時期であり、利用可能な土地のすべてを利用し、9月から10月に収穫を待つ。実際に鹿島アントラーズのチームはこの作業によく似ている。私たちはプロサッカーの田植えを 行った。日本の地図上に町を加え、その後成長してきたし、チームは現在、国内で最も成功している。良い収穫だ! 私も開催に向けて色々とアドバイスした2002年 ワールドカップに向けて建設されたいくつかのスポットも記録することができた。私が何回も利用した列車が通過する神宮橋、スタジアム にある私の銅像、そし て私が住んでいた住宅。日本でここに私が住んでいた頃の素晴らしい思い出。ギャラリーの最後の写真は、私が試合結果を写真で​​サイ トに送信していた時を 思い出す。 私 はノスタルジックではないので、常に前向きに挑戦することを探している。しかし、本心から感じる懐かしさの感情は違うものだ。私は日本で たくさんの友達がで きた、思い出話もいっぱいある。そして日本のサッカーの発展のために私が最善を尽くしたきたという確信もある。最大の報酬は、今回私はこ の訪問で再度確認 することができた、サポーターの愛情。これは、自分にとってすべてを尽くしてきた努力に対する最も嬉しいご褒美である。 写真をお楽しみください。ではまた! ……

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ジーコはサンドラと共にラフラメンゴが1981年に泊まったホテルに戻る

[2013.06.07]

Jリーグ20周年記念のセレモニーへの招待で日本を訪問したジーコは東京都品川区のプリンスホテル高輪でサンドラと一緒に朝食をとった。偶然の事だが、32年前の1981年、フラメンゴは、クラブワールドカップ決勝のリバプール戦の時にこのホテルに泊まった。 サンドラと手前の庭を歩き、当時、試合キックオフが正午だったので、私たちは6時が朝食の時間だった。 ……

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歴史的な試合の審判との9年ぶりの再会

[2013.06.06]

ジーコが日本代表を率いた2002年から2006年までの間に、いくつかの瞬間は歴史的となった。最初の主要な成果は、中国で2004年にアジアカップの獲得。長年にわたった両国間の紛争の思い出のため、日本は現地サポーターによる敵対的な雰囲気を感じた。 日本はオマーンを下し、タイに大勝し、イランと引き分けて、第1ステージの終わりにグループの首位にたった。準々決勝では、サムライたちに対してもう一つの歴史的な瞬間。ヨルダン戦で1-1のままPK戦へ向かい、日本は最初の2つのペナルティを失って、ヨルダンがPK3本を決めた後でも、結局4-3でPK戦を勝利した。 しかし、この試合の好奇詳細は、マレーシアのSubkhiddin Mohd Salleh審判がPK戦を指導した方法だった。まず、彼は滑りやすいサイドを選んだため、日本人からの苦情が発生した。中村とアレックスはPKを外したが、アブ・ぜマは決めた。選んだサイドに対して間違ったことを指摘し、審判はヨルダンの2番目のPKの前にサイドを切り替えることにした。この決定は日本を怒らせ、ジーコは切り替える前に当然ヨルダンも2番目のペナルティを打たなければならないと主張し、最も興奮していた。 試合後、マスコミはジーコがサイドを変更するためにプレッシャーを掛け、それで審判が譲ったと報告した。下のビデオは、そうではなかったことを示す。実は、ジーコは同じサイドでヨルダンの第二目のペナルティを要求していた。そして先週、ジーコとSalleh審判は9年後に再会。現在SallehはFIFAインストラクターであり、ジーコサッカーセンターで開催された審判研修とセミナーに参加した。 「未だにヨルダンの人は、私がジーコにプレッシャーされたと言ってる。こんなに時が経っても、私はまだ説明しなければならない」とSallehがコメントした。 良いユーモアでジーコは、最も興味深いのは、その話が正反対だったことであることを思い出した。 「そう、最悪なのは我々に損害を与えたこと。ヨルダンは良いサイドに行って、我々は悪いサイドで2回ペナルティを打ち、彼らはたった一回打ち、そのうえ決めた。我々のチームが勝ったからよかったけど」 この試合は重慶スタジアムにて52000人の観客の前で7月31日に開催された。未だに、これはアジアカップの歴史上でPK戦で最大の番狂わせの一つと考えられている。   ……

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ソニーのイベントへの出席

[2013.06.05]

5月28日ににジーコがサンパウロでソニーによるEntende.com.br/zicoのプロジェクトのイベントが行われた。 ジーコはRodrigo Faro, Bebeto、そしてジャーナリストのBenjamin Backと共に出席した。 ……

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改装されたマラカナンでの感動

[2013.06.04]

2年以上の工事の間、ジーコはマラカナンをときどき訪れた。内部を見て労働者と話した。工事現場での作業員に対するプレミアムを与えたマラカナン合同の行為に参加した。前回の訪問では、3月末に、スタジアムを俳優のトム·クルーズに紹介した。2日には、ブラジル2対2イングランドの親善試合で完全に出来上がっていたマラカナンスタジアムとの再会だった。スタジアムの歴史上の得点王のエースは、新装されたスタジアムに当然のことながら感動した。 「リニューアルスタジアムの最初の公式イベントを見るためにマラカナンに戻ることは、これまでと異なる感動だ。スタジアムは凄くきれいになったし、ファンたちも再び盛り上がっていた。確かに、多くの人にはコンフェデレーションズカップのためのゲームテストするために非常に困難であったに違いない。ぎりぎりの時間まで遅らせるブラジル人の習慣によって、キックオフ直前にスタジアムに入場する多くの人々を見た。これらの試合では、少なくとも30分前に着いて、試合が始まるのを忍耐して持っていなければならないことを理解する必要がある。私は妻のサンドラ、孫のフェリッペ、息子のジュニオルと彼の妻アリネと一緒に行った」とコメントした。   ……

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日本での旧友との再会

[2013.06.01]

Jリーグ20周年のイベントの為に日本を訪問したジーコは、滞在中に鹿島アントラーズや日本代表で共に戦った友人たちと東京にて夕食を共にした。 「現在、サッカーの現場で働いている人もいるので今回は会えなかった人たちもいるが、日本の友人たちととても素晴らしい時間を過ごすことができた。鹿島ア ントラーズから、いや住友金属から始まり、今日Jリーグが20年を迎えるにあたっては多くの歴史、多くの喜びがあった。」 - Edson (通訳), Takashima (鹿島育成部), Satouchi (元日本代表、鹿島フィジカルコーチ), Wara (JEF GKコーチ), Suzuki Man (自分の日本での最初の監督であり現在鹿島常務), Kurosaki e Honda (鹿島最初のチームメイト), Sekizuka (元U23代表監督、磐田監督), Yukawa (元日本代表主務)  Dr Seki (鹿島チームドクター) ……

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