ジーコの主張

イラク代表監督辞任について

[2012.12.15]
私は、サッカー界に入る時に、両親より与えられた良い環境と兄弟の支援を受けたことを誇りに思った。私が子供の頃に学んだ一つのことは約束を守ることだ。私は決して契約を見捨てたりしなかったし、口約束をしたことも必ず守ってきた。残念ながら、今回私はイラクサッカー連盟との契約を最後まで履行せずにイラクでの仕事を辞めなければならなかった。決して私が望んでいたことではない。
昨年イラクに着いた時、私はあそこには苦しんでいるけどサッカーに情熱を持つ人々がいることにすぐに気づいた。そして才能を持つ選手がいた。私は2007年にアジアチャンピオン世代に出会い、彼らはワールドカップに出場する可能性を夢見ていた。特に2014年ブラジルでのワールドカップ。経験豊富な選手で、彼らは両手を広げて私を歓迎してくれた。
しかし、日ごとに明らかになっていく運営組織の困難に気づくために長い時間はかからなかった。いつも難しい移動での遠征、ビザ手続きの不手際のために途中で残された選手たち。利用できる練習場やスタジアムの不足。長年の戦争により弱体化した国内リーグ。更にその状況がより悪化させる出来事が起こった。プレーできる状態であったたった一つのスタジアムがある場所、首都バグダッドは安全ではないということを理由にFIFAより国内での予選の試合を禁止された。このために我々はホームでプレーできくなった。
これらの問題に加えて、基本的な支援がなかった。1986年にイラクの唯一のワールドカップ出場を決めた監督、私の兄エドゥ·コインブラによってもたらされた歴史的な事実があっても、彼は最終段階で協会よりの受けるべき心遣いがなく、契約がなかったため私は彼を頼りにできなかった。フィジカルコーチのモラシーは最後まで私について行くことを決めたが、結局彼は同じ問題になってしまった。イラク連盟との良好な関係が築けなかった。
私を何回も勇気付けてくれたのは、才能のある選手で新しい世代が出てきたこと。ベテランたちが疲れ始めた頃に、若い選手が自然に入ってきて、私はチームの改革を開始した。それは、ワールドカップ予選の最後ラウンドでヨルダン戦での勝利に影響した。
戦争から出たばかりで戦争後による困難とまだ立ち会っている国の状況が大きな挑戦であった​​ことを私は最初から理解していた。私はより多くの協力とより良い関係を持つことができたと思う。だけど最低限のことさえも履行されなかったし、結局私はFIFAに契約解除を陳情することになった。今回語った色々な理由のため、私はイラクには戻らなかった。私は、選手たちが前進し、障害物を克服するように願っている。常に私のためにメッセージを残しくれる多くのファンに対し申し訳なく思っている。
では、また来週!
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