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クラブワールドカップ優勝の30週年

[2012.01.23]

フラメンゴが世界一となった1981年12月13日に行われたトヨタカップを思い出すことは常に大きな喜びである。2011年はドーハにいた為に、フラメンゴの元仲間達に会って、史上最大の優勝の30週年を祝うことはできなかった。フラメンゴで我々は単なるチーム以上のものを構築できた素晴らしい時代を過ごし、ピッチ内外で説明するのは難しいほど素晴らしい関係だった。我々が会う時は常にほぼお祝いであることは偶然ではない。


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私の人生最大の喜びは、私をマラカナン・スタジアムのスタンドへつれて行くきっかけとなった、心を寄せているクラブ・フラメンゴでの史上最大の優勝に貢献したこだと思っている。当時の写真や映像を再び見て、ゴールやスタジアムの出口でサンバを歌いながら祝福したことなどの思い出が残っている。日本人たちにはあまり分かっていないだろうが、遠く離れたフラメンゴサポーターはブラジル国内の色々なところで盛り上がっていた。我々はどれだけブラジルのみんなと一緒に祝っていたかったかについて、ホテルに着いた時にコメントした。

リバプールとの決勝戦は、試合結果から道のりが穏やかだった感覚を残したかもしれない。しかし、実際にはそうではなかった。我がチームは非常に強い気持ちで戦い、当時争ったタイトルを制覇した。難しい道のりにおいては予選をクリアした。我々は国内で非常に強いチームがいた時に最初のブラジル選手権タイトルを獲得しなければならなかった。それから、ラフプレーに対し、攻撃サッカーの貫いて、我々は初のリベルタドーレス杯を獲得した。フラメンゴは美しいサッカーを見せていた。多くのライバルサポーターは、それを見る為にマラカナンに試合を見に行ってたと事もあった未だに話している。そして我々はピッチ内でラフプレーに直面し、アウェーゲームでは我々の方に向かっていた銃さえ見たこともあった。

一番興味深いのは、我々は当時とても団結力の強いチーム(選手からコーチ陣、用具管理員から社長まで)を持っていたので、その強さを意識していたこと。ピッチにはフラメンゴの団結力と能力が入っていた。それは我々にさらに自信を与えた。

我々のプレイスタイルは間違いなく守備より攻撃的だった。攻撃面に対し守備は得意ではなかったので、ゴールを挙げることは重要だった。我がチームは局面でのポジショニング戦略を持っていた。スペースを占有しボールを持っていた時は、みんなが近づいて突進していた。ボールを失ったときにはすぐに対戦相手を囲むようまとまっていた。それは守備の選手の為にもよかった。そして、現在バルセロナが見せている連携スタイルによく似ている。

我がチームがゲームの組み立てにおいて、あまりインスピレーションがなかった時のための練習があったのを、私は思い出す。コンビネーション・プレーやボールなしでの動き練習を繰り返し行った。全員に目隠しを出来るようだったと多くの人が冗談を言う。例えば我々にはリコとジュニオルというよく動ける選手いた。多くの選手が自分のポジションを変え、それが自然なものになるようにより多くのトレーニングを行っていた。

私は仲間の1人1人について話さないけど、彼ら全員がチームの一員であったことは非常に重要であった。才能、努力と献身さがあった。何よりも、私たちは誰もが常に勝利するために自分自身をより向上させる意欲があったチームを構成した。そして、それら全ては世界の向こう側にさえ出席した12人目のプレーヤー、サポーターによって推進された。

何万人が応援して盛り上がっているのを知ることは、我々にとって勝利の為の欲求という燃料を供給することだった。そして我々は勝った!

サイトスタッフがYouTubeで見つけた以下のリンクにてリバプール戦でラメンゴの勝利のビデオを完全にご覧いただける。

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