ジーコの主張

2011年総括

[2012.01.05]

短いコメントで1年間を要約するのは常に困難な作業である。数多くの出来事や良い思いでがあるので、いつも何かいいものが忘れられてしまう。2011年を私の記憶で振り返ってみたい。

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サッカーを愛する市民の育成において、私が開発した方法をブラジルに広めるジーコ10サッカースクールにとって、重要な成長の1年となった。コミュニティにプロジェクトを持って行って、リオデジャネイロでパートナーシップを結ぶこともできた。2011年は様々な地域での警察の協力もあった。州警察と共に我々の活動を広めること。それは私を二重に喜ばせることである。

若者やサッカーに関連するプロジェクトにおいて、ロナウドと私の最初のパートナーシップで、既に成功しているPneraの開発を言及せずにはいられない。ブラジル中の子どもたちに自分の技術スキルをみせるためにチャンスを与え、そして何人かにはビッグクラブでトレーニングする夢の実現につながる。

ブラジル選手権ではコリンチャンスが優勝したが、リオデジャネイロのチームの活躍が目立った。リオの4チームは最後までタイトルを争った、そしてフラメンゴ、フルミネンセとヴァスコはリベルタドーレス杯への出場権を獲得した。これは珍しいこと。ボタフォゴは最終ラウンドで失速しなければ、タイトルを争えていた。また、今年8月にはバスコのリカルド・ゴメス監督が試合中脳卒中になったが、神のおかげで回復。ヴァスコの躍進の原動力にもなった。

ブラジル選手権で優勝に値するチームはコリンチャンスだった。もちろん、今年サントスは我々に多くの素晴らしいプレーを見せてくれた。特に若者ネイマールのおかげで。残念ながら年末でのクラブワールドカップ決勝の大敗で少し輝きを失ったようにも見える。しかし、対戦相手のバルセロナは代表チームのようで、メッシを中心に素晴らしいサッカーを見せている。私は選手たちや世代を比較することは好きではないが、よく見ると我々の1981年のフラメンゴは現在のバルセロナの多くの特徴を持っていたことは事実である。我がチームはバルサと同様に前半でリバプールを3-0で終えたこと。それから30年が過ぎた。今年私はかつてのチームメイトとその日を祝うことができなかったが、歴史は永遠に記憶に残されている。

私の仕事のキャリアでは、新しい挑戦のスタートした年であった。私はイラク代表監督の任務を受けた。長年にわたって内外の紛争の後に平和を模索している国。いくつかの場所では破壊された状態にある。復旧するための苦悶がある。イラク代表の我々スタッフには選手の能力が見えるている。我々は国のサッカーを発展させる必要がある。私はチームがワールドカップへ行く事を手伝うために使命を任された。そして早期に予選の最終予選の出場資格を獲得した後、ワールドカップ出場へ私は自信を持って進んでいる。

プライベートでは、私の息子アルトゥール・ジュニオルが4人目になる孫を私にプレゼントしてくれた。アルトゥール第3世代だ。フェリペ、ガブリエルとアントニオの後、今年の孫が誕生しtら。私がフットサルチームを構成するのにはまだ1人足りない(笑)大きくなっていく家族で多くの喜びがあった。

生命の誕生という喜びもあったが、大きな損失もあった。ソクラテス元選手は、勇敢に健康状態と戦った後に、我々のもとを去った。“マグロン”は82年の代表チームで素晴らしい仲間だった。私がサッカーにおいて作った友達。彼は勇敢で政治家でもあった。ピッチ内外で非常に知的な人だった。2011年にスポーツにおいて我々にとって最も大きな損失の一つである。

2012年は、健康、平和と多くの喜びがやってくるように期待したい!

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