イラクでの新しい大きな挑戦
[2011.09.03]
2002年ワールドカップ後、日本で約10年活動した後に日本代表チームを率いて代表監督という仕事に挑戦した。今回私はアジア地域での仕事に戻ってきたが状況はかなり異なっている。イラクのサッカーは選手の技術的なレベルもあり常に興味深いと思っていたがそれほど密接に見ていなかった。我々ブラジル人スタッフにとって反対側である大陸で新たな大きな挑戦とある。
イラク監督就任のオファーを受けたとき、一番私の気を引いた点はイラクを再びワールドカップに出場させようとしている皆の努力であった。1986年にイラクが唯一のワールドカップに出場した時には私の兄エドゥー・コインブラがスタッフであった。今回兄はここで私のアシスタントコーチになる。1986年メキシコ・ワールドカップでイラク代表チームを率いたのはエヴァリスト監督だったが、予選最終試合ではエドゥーがチームを指揮した、そしてもう1人のブラジル人ジョールジェ・ヴェイオラが最初の試合では監督だったが病気になってしまた。
今回残念ながら時間は短い。9月2日にはヨルダンとの対戦があり、4日後には敵地にてシンガポール戦がある。フィジカルコーチとして私をサポートするためにモラシー・サンタナを連れてきた。彼は、有能なプロである上、中東で何回か仕事したことがあり、この地域の選手の特徴と弱点を知っている。
イラクということで、自分の身の安全性に対する懸念を表明してくれている多くの人々がいる。私が言えることは、FIFAがここでの試合を認可し、私はErbilにてみんなから愛情を受けているということ。この街が静かで我々の安全が危険にさらされているようには感じていない。私は安全について心配していない。
イラクでの練習初日に、我々は非常に良い質の高いプレーヤーがいることを確認した。私は30歳に近い年齢でいる多くの選手達に対して、2014年のカップは最後のチャンスかもしれないということを伝えた。彼らは2007年にアジアカップを優勝しすでに勝者でもあるが、彼らは一生懸命頑張っているので理解していると思う。
これまでイラクでは良い結果が出たときにはブラジル人が参加していた。ランセタ先生とフンコ医師の支援でフランコ・ヴィエラ、私の兄アントゥーネスとサルダンヤ先生の支援で兄のエドゥー、エヴァリストとフェルナンド・ソアレス(大学時代の友達で、アジアカップでチームを率い、それらの有望選手を発掘するに手伝った)の支援を受けたジョルヴァン・ヴィエイラ。私はこの国でのブラジル人の経験によって良い結果が出ることを期待している。
ではまた!