[2011.07.30]
現在、ジーコの銅像は3つ存在する。ひとつは、リオデジャネイロのマラカナン博物館のホールにある。他の二つは日本にある。鹿島市のショッピングセンター「チェリオ」とカシマサッカースタジアムの前にある。鹿嶋市は3月の地震と津波で被災地域であり、スタジアム大きく被災してしまった。
6月のチャリティーイベントにおいて、被災された多くの人々と地域を支援するために、ジーコの銅像レプリカオークションにかけられた。今回ブラジルでもサイトを通して、ジーコの感謝状付きのそのレプリカを限定販売し、その売り上げを寄付することになった。
「我々は期間限定で募集を開始し、8月末に発送する予定でいる。一般に販売されている価値を上回る製品であるが、チャリティーする意味で限定販売する。コレクターには向いている商品。我々は既に購入に関心あるコレクターから連絡を受けている」と、サイトの管理者、ルイース・クラウジオ・コスタが述べた。 ……
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[2011.07.26]
ジーコが体調を崩し緊急入院した。ジーコの友人でもあり主治医の Pedro Cirillo氏によると「ジーコは激しい頭痛を伴う発熱の症状を訴えたていた為即時検査入院を決めた」。しかしその後はジーコ自身が病室からサイトスタッフに対し「あくまで検査入院、大丈夫だ。今病室で安静にしていて検査結果を待っている」とコメントした。
当初検査に関して主治医は「本人は最近クイアバ地区に滞在したり現在、髄膜炎で治療入院中の御孫さんと長い期間過ごしているのでマラリア、髄膜炎に関しての検査もするつもりでいる」としていたが、検査結果では幸いどちらの感染もなかった。
「お陰さまで回復した。皆にご心配をおかけして本当に申し訳ない。突然の報道に驚かれたと思う。海外からも含め本当に多くの方々から連絡を頂いた。気になったのは孫とアメリカで長くいた為に感染したのではないか?と疑ったがお陰さまで大丈夫だった。さらに血液検査また治療を在宅にて来週まで行う予定でいる。その後なんでもなければ元の生活に戻れるので心配しないでほしい。皆のお気持ちは本当に嬉しかった。ありがとうございました」。
ジーコは23日午後無事退院した。……
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[2011.07.23]
私の誇りは日本に於いて、鹿嶋の地で選手として復帰し、現在押しも押されぬ勇者となったアントラーズの基礎造りの一端を担い、さらに運営面に携わりクラブの基礎造りにも尽力出来た事だ。その後栄えある日本代表監督に任命され、多くの若手を見いだし、彼等が今日国を支える選手として活躍してくれている。ワールドカップにも連続出場しまさに日本サッカーの存在感を世界に知らしめつつある中、先週末にとてつもない事が起こった。
日本が女子サッカー世界チャンピオンになったのだ!正直、もの凄く感動的だった。彼女達のゲームも二試合ここで観ることが出来た。極めてハイレベルな技術の他にどんな状況に置かれてもけっして諦めない不屈の戦いぶり。素晴らしいの一言につきる!優勝後すぐに協会を通じてデレゲーションに祝福のメッセージを送った。送らずにはいられなかったのだ。日本スポーツ史上に燦然と輝く快挙だ。特にアメリカという女子サッカー界の巨人を決勝で破っての優勝だけに価値がある。つい最近アメリカのフロリダでサッカークリニックを行っている最中に佐々木監督が自分の事をコメントして下さったのも嬉しかった。実際鹿嶋でのチャリティの際TVを通じてデレゲーションに健闘を祈念したメッセージを送らせて頂いたが、なんと彼女らは優勝トロフィーを持ち帰ってくれたのだ!大震災に打ちのめされていた時だけになんと素敵なプレゼントだろう。日本が少しでも笑顔を取り戻してくれたらこれに勝るものはない。スポーツは本当に素晴らしいものだ!
まだ私が日本各地をサッカークリニックで廻っていた際男の子に混じって女の子達が一生懸命ボールを追っていたのを思い出す。皆さん本当におめでとうございます!!!!さらなる飛躍を目指して日本中が共に手を携えて前進していきましょう!
ジーコ……
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[2011.07.20]
FIFAは、2014年ワールドカップ・ブラジル大会の大陸別予選の組み合わせ抽選会の参加者を発表した。抽選会はマリナ・ダ・グローリアで7月30日に開催され、ジーコは、ロナウド、ネイマール、カフー、ベベット、ザガーロと共に参加する。
ジーコは日本との関係が深く、アジアのグループを抽選するというアイデアについて、CBFのコミュニケーション・ディレクター、ロドリゴ・パイヴァより相談された。その後、ジェローム・ヴェルケ事務局長が署名したFIFAの公式招待状を受け取った。
「私はワールドカップのイベントに参加する大きな喜びでこの招待を受け入れました。私は日本との非常に特別な関係があるが、アジアの様々な国に遠征し、多くの愛情で歓迎してもらえた事を嬉しく思っています。」と、ジーコがコメントした。ジーコは、サンパウロFCの有望選手、ルーカスと共にアジアグループの抽選を行う。
組み合わせ抽選会では、常に偉大元選手と有望な若手選手が並ぶことになる。アフリカ→カフーとネイマール【サントス】欧州→ロナウドとアドリアン【フラメンゴ】オセアニア→ベベットとルーカス・ピアゾン【サンパウロ】北中米カリブ海サッカー連盟→ザーガロとフェリッペ・バストス【ヴァスコ】アジア→ジーコとルーカス【サンパウロ】
抽選会は世界各国に放送される予定。参加国は5つの地域サッカー連盟(ヨーロッパ、アフリカ、アジア、中央アメリカ、北アメリカ及びオセアニア)からの166代表チームが含まれる。南アメリカの予選は、全てのチームが一つの総当たりのグループリーグで対戦する為抽選の必要はない。また、ブラジルは、開催国として2014年W杯の出場枠が保証されており予選リーグには参加しない。……
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[2011.07.15]
ブラジル選手権でフラメンゴの6回目の優勝を果たした時の監督でジーコと共にフラメンゴでプレーしてきたアンドラーデがゲストとしてVitor Sérgio と共に"Zico Na Área"に出演した。
"Zico Na Área"ジャーナリストのMauro Betingがジーコと共に出演していて毎回スペシャルゲストを呼んでいる。アンドラーデは12番目のゲストであった。
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[2011.07.14]
先日、マラカナンスタジアムにて61周年記念日イベントが行われた。スポーツ局長官、マールシア・リンスが、現在2014年ワールドカップのために改修工事再されているスタジアムで、歴史に名前を残したサッカースター選手を集めたトークショーを開催した。
ジーコ、ロベルト・ディナミテ、マウリーシオ、ペチコヴィッチとエジーニョは、約2時間のトークイベントで、感動的な瞬間を思い出したり、面白い話でみんなを笑わせた。このイベントはスタジアムの改修工事の進行状況を見れる、Torre de Vidro【ガラスのタワー】で開催された。
「私はここで過ごした全てのもののため、あちこちにセメントの袋を見た時びっくりした。ここマラカナンスタジアムは常に私の第2の家だった。しかし、それが善意であるということを知っている。スタジアムは、ワールドカップのファイナルを迎えるために改修されている、このスタジアムへの一番の大きなプレゼントは2014年決勝でのブラジルの勝利だ」とジーコがコメントした。
ジーコは333得点でスタジアムの歴史で最大の得点王であり、Torre de Vidroのホールに彫像で栄誉を与えられた。
トークショーは、ジャーナリストのマウリシオ・メネゼスとセルジオ・デュ・ボカージェが司会進行を行い、5人の選手の面白い話を導いた。
ボカージェが思い出したのは、1981年のリオ選手権の決勝戦のときのヴァスコとフラメンゴの試合で、フラメンゴファンがピッチに入り、フラメンゴが2-1で勝利したエピソード。
ペチコヴィッチとジーコがフラメンゴの良い話をしていて、ホベルト・ディナミテは冗談で何回も文句を言った。「ちょっと、またヴァスコのことを言うんじゃないだろうね?」とヴァスコのアイドル・ホベルト・ディナミテが聞いた。
エジーニョの、肘鉄を練習しているように腕を開いた面白いウォーミングアップについても参加者を楽しませた。「でも、私はいつもフェアプレーで常に皆に深い敬意を持っていた」と、エジーニョが言い訳した。彼はその後、元相手選手からフォローの言葉をもらった。
マウリーシオは、21年間勝てなかったボタフォゴを優勝に導いた。その1989年の優勝を決めた得点について話すことになった。彼はヘディングするためにSBレオナルドを押したので、ゴールは論争の的となった。ジーコはその試合ではピッチにいなかったが、得点の無効性を指摘した。ボタフォゴのストライカーは「私はその試合の後にレオナルドと会い、彼も私だったら同じことをやったと言った」と答えた。
ペチコヴィッチの最後のメッセージが一番興味深かった。「自分は外国人であるため、私はこのスタジアムにより強烈な印象を持っている。、私はここにいる人たちほどの逸話を持ってない。ここでは2つのタイトル、多くの良い瞬間を過ごせた。私がこのスタジアムで見たものは本当に素晴らしい。このスタジアムのエネルギーは本当に特別だ」
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[2011.07.12]
7月の最初の2日間は、もう一つのZico 10サッカースクールを開校するためにジーコはパラナー州のイタイツバ町を訪れた。
ジーコは大喜びで歓迎された。そして、いつも開校時に行っている伝統的な親善試合は欠くことができなかった。ジャイールとアチルソンのようなボールの元仲間と共に、ジーコはフットサルで5-3で勝利し、芝ピッチでは5-0で勝った。そして、金曜日の夜には更に現地ホテルで名選手のために夕食会が行われた。
Eletrobras【ブラジル電力】が支援するイタイツバZico 10サッカースクールによっておよそ1200人の子供と青年たちが参加する。全校でのZico 10と同じようにプロジェクトの主な目的は、勉強している人だけが対象となる。研究を奨励し、善良な市民を育成することである。
プロジェクトは、イタイツバのスポーツ理事会の調整によって多くの地区、学校の体育館とサッカーのピッチで実行される。
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[2011.07.10]
7月7日に、アメリカのディズニーの中にあるESPN総合施設で、およそ60人の子供たちを対象とするサッカークリニックを行った。
午後は大雨が降ったが、我々のクリニックは午前行われたのでよかった。暑さは非常に厳しく、それでも子供達の参加は素晴らしかった。活動は続く!
指導コーチたちはコリンチャンスでプレーしたマルコス・ホベルトとジャセニール、フラメンゴのフィジカルコーチだったマルコス・メイラ、現在アメリカに住んでいてフラメンゴとCFZに所属した、ガウッショGKコーチと7人制ソサイチサッカーのチームとZico 10スクールの監督である、ミゲル。
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[2011.07.04]
過日私は、実兄に関する件でセアラークラブを訪れた。兄に対して政府の恩赦委員会より軍事政権時代に彼が被った損害に対する正式賠償の決定が下ったのだ。
私は60年代にはまだ幼かったので同件の詳細を知ったのは最近だ。しかしながら幼い私でも当時兄ナンドを始めとした家族が非常に心を痛めていたことは感じていた。
正直、私達家族にとって賠償などはどうでもよいことだ。重要なのは兄が当時当局からさんざん不当な扱いを受けた上に誤認逮捕にまで到り多大な苦痛を味わされた事に対して約40年を経た今日真実と兄の正当性が公に明らかになったことだ」
姉のゼゼーの話によると当時ナンドはタクシーの仕事をしていて、たまたま両親の要望である期間いとこのセシリア・コインブラの家に夜間通い世話をしていた。当時まだ学生だったセシリアには事実共産党系の革命グループに属する友達がいた。
ある日ナンドがセシリアと友人達とのパーティにたまたま同席していた際にいきなり連行され逮捕されたのだそうだ。職業がドライバーだった為に有無を云わさず革命家グループのドライバーであると決めつけられたのだった。
釈放後も彼は当局にマークされ続け結局数十年に渡って経済的な面も含め多大な被害を被ることになる。
ところで今回セアラーで短期間しかプレーしなかったナンドがクラブから表彰を受ける事実もだが、同クラブが元所属選手の稀有な体験を一冊の書籍にまとめあげたカルチャー・センター組織を保有しているのがとても興味深かった。文化と歴史、スポーツを組み合わせるという試みはとても魅力的に思える。
政治的な問題は別にして、兄の名誉と正当性がほぼ40年という年月を費やしたとしても晴れて公に証明されたことは我国にまだ正義が存在する証であり大変喜ばしい事である。
また来週!
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in [ジーコの主張]

[2011.07.03]
Esporte Interativoテレビにて毎週木曜日に放送されているZico Na Áreaにブラジル代表監督、マノ・メネーゼスがゲストで登場した。スポーツジャーナリストのマウロ・ベーチングと共に、ジーコは、七月にブラジル代表が参戦するコパ・アメリカ【南米選手権】についてマノ監督からの意見を聞くことができた。同監督にとって、グループステージでのライバルはパラグアイとなる。
「パラグアイは、主なメンバーとジェラルド・マルチノ監督がいて一番難しい相手だと思う。同国のサッカーは好調を維持し、リベルタドーレス杯では2つのチームがベスト8に入っている」と分析した。
マノ監督はまた、怪我から回復中のガンソ選手についてコメントした。「最初の試合まで、ガンソが準備するために後10日間がある。それからベネズエラ戦までは6日間。ガンソはリベルタドーレス杯でペニャロルとの2回戦に出場する予定なので、コパ・アメリカでは戦力になると思う」と述べた。
ジーコが出演し、常にスペシャルゲストが来るZico Na ÁreaはEsporte Interativoテレビで毎週木曜日20時40分に放送される。番組は既に、ジョエル・サンタナ監督、GKジューリオ・セーザル、DFチアゴ・シルバ等を迎えた。 ……
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[2011.07.01]
CFZの下部組織で実績を上げ、現在は鹿島アントラーズユース(U-18)のキッカ監督が6月26日に関東クラブユース大会でクラブとして初優勝、キッカ監督自身も日本での初タイトルを獲得した。6チームによる予選リーグで3勝2分でグループ首位となり、決勝トーナメントの準決勝で東京ヴェルディに2-1、決勝でFC東京に2-0で勝利した。
ジーコはこの結果の連絡を受けキッカ監督を祝福した。「キッカが日本でさらに良い仕事をしていることに対し本当に嬉しく思う。ここCFZでもそうだったが若手の育成が彼の強みだ。特に今回鹿島では彼のサポート役として当時私の選手として非常に質の高い中盤選手で代表経験も豊富である熊谷の存在がも光っている。スタッフ全員にこころからの賛辞を贈ると共にさらなる成功を祈念している!」
Joaquim Filho・通称キッカはジーコサッカーセンターで1995年より指導者としてのキャリアをスタートさせた。1999年にはミリンのカテゴリーでリオ州選手権に優勝、2003年にはインファンチルのカテゴリーで日伯優勝カップでCFZで唯一の優勝を果たしている。2007年にはサウジアラビアに渡り、 Al-Nasr, Al-ShababとU-17代表チームを指揮した。 2008年にGolfoカップ 、2009年に Tunísiaカップで優勝している。 ……
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