監督達の綱渡り
[2011.05.06]
2011もすでに数カ月が過ぎて、ブラジルの北部から南部まで数多くの監督が既に解任された。これは毎年繰り返される事実で今回のテーマである。
ブラジルのどこへ行っても、私は常に2つの質問をされる。1つは、私がいつフラメンゴの社長になるかということ。そうしてもう1つは、なぜ私がブラジル国内でサッカー監督として活動しないかということ。両質問の答えには関係がある。私がブラジルで監督として数多くのオファーを断った主な理由は、まずは私のフラメンゴとの関係がある。でも理由はそれだけではない。
監督になるということは、常に結果という綱渡りをしながら歩くということ。ブラジルでは、クラブに足を踏み入れた瞬間から綱が弛んでいる上、切れそうになっている。365日の周期を完了できるような監督を持つことができないまま何年間も過ごしてきてるクラブがいることを示している統計を私は読んだことがある。クラブにおいて監督就任期間は平均1年未満である。
4月になって、リオ・サンパウロ中心または南部と北東においても、監督の行ったり来たりのリストはもう膨大になっている。私が不思議なのは、州選手権での結果で監督解任を導いてはならないと思うのだが、一般的にはそういう風に考えてないこと。そして監督を変えていく。
現在、その現象は、ある意味で国際的である。外国でも多くの決定者を持つクラブでは、その決定はほとんど熱情のこもった基準に従い、監督のためのロープも到着した時点から断片になっている。私自身も2回その感覚を味わった。
私は、「計画」という単語を適用せずに力を失った事実を知っている。しかし、実際に計画は長期的には差が明らかになる。クラブは今日、おそらく明日でもタイトルを獲得することができる、しかし偉大なチームは長い、難しい、そして現在ある程度のプロ意識の高レベルの作業によって歴史に残っていく。プロジェクトを考えて、サポートを与え、同じ割合で要求して採用する必要がある。我々のブラジル国内でそれがない。
我々は親友のファルコンがインテルナシオナルの新監督に就任したというグッドニュースを聞いた。彼にとって困難は、試合の解説者として活動するためにピッチから離れていた期間に勝つことと、通常どの監督でも望む任務、過去においてブラジル代表チームを率いて監督経歴をスタートしたこと。しかし、心を寄せているチームに入団し、偉大な仕事をする能力を持っているファルコンを私は応援している。綱渡りで幸運を祈っている…
では、また!