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ジーコがタラント医師の死を嘆く

[2010.12.31]

12月4日は、フラメンゴにとって悲しい日になりました。ジーコを含む、クラブで偉大な選手の怪我に対し、30年以上にわたりクラブで医師として働いたジウセッペ・タラント医師が癌の為に亡くなりました。ジーコにとっては友人以上の存在でした。] 「偉大な友人を失い本当に悲しいです。タラント医師は私がフラメンゴの中で最も強い絆を持ったうちの一人でした。彼はクラブで非常に重要な仕事をしてきました。彼は私の家族の友人でもあり、自分の父の死後からはほぼ父の代わりのような存在で、私が常に話し合っていた人でした。彼は3月4日に生まれたので、一日違いの私と一緒に誕生日を祝っていました。彼は仕事の経歴の中で多くの分をフラメンゴに捧げてきた優秀な医者でした。彼の奥さん、ソニアと2人子供のファービオとパトリーシアへ励ましの言葉を贈りたいです」とジーコが述べた。 ……

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Zicoよりのメッセージ

[2010.12.26]

見果てぬ大きな夢と願望を具現化してくれたボール そんなボールに私は最大級の愛情を抱き全身全霊を傾注して来ました その最大級の愛情で今尊敬してやまない大好きな皆さんに「平安、健康、喜びいっぱいのクリスマスと新年が訪れますように」と祈ります 来たる2011年が皆さんにとり丸いボールのごとく思い通りになります様に ジーコ……

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鹿島アントラーズU-18監督にキッカが就任

[2010.12.25]

この度キッカが鹿島アントラーズのユース・チーム監督に就任することが決まった。契約は1年間で来年2月より活動を開始する予定。 旧友でもあるキッカに対しジーコがエールを送った。 「アントラーズの下部組織を統括する高島氏からの打診を頂いたのが全ての始まり。とても魅了的な仕事だと感じた。最終的にはジーコに背中を押されたこともあり快諾させて頂いた。高島氏とは CFZで指導者をしていた時からの付き合い。ジーコサッカーセンターでサッカーキャンプや今現在までも続く日伯友好カップを通じ日本人選手とのコンタクトが始まった。自分にとって日本は常に魅力ある国だった。日本人の真面目さ、またサッカーにおける組織もしっかりしていると感じていた。長い間このチャンスを心待ちにしていたのも事実。ただし自分の人生の中でも大きな賭けというか挑戦になると思う。心配と言うより期待に応える為に重要な任務を自分なりにしっかりこなして行きたい。心の準備は出来ている」とキッカは語った。  23日、 キッカはCFZにジーコを訪ねた。「ジーコと初めて知り合ったのはフラメンゴにいた時。当時自分はユースにいた。ジーコを夢見て頑張っていたが、右膝の五度に及ぶ手術で身体は悲鳴をあげていた。そこで下した結論は“引退”。まだ23歳だった。そんな時ジーコが指導者の道を歩む様に勧めてくれた。さらに監督としての最初の仕事もわざわざ用意してくれた。そんなジーコは自分の人生に於いて終生最も大切な存在なんだ」 キッカのキャリア:本名はJoaquim Filho。1995年現役引退後、CFZのサッカー・スクールのコーチとして指導者としてスタート。後に同クラブのmirimカテゴリー監督に就任。1999年には州リーグを獲得。またinfantilカテゴリーを率いては2003年に日伯友好杯優勝の偉業を成し遂げる。2007年、アラブ地域に挑戦。 Al-Nasr, Al-Shababでの成果を評価されサウジアラビア17歳以下代表の監督に就任、ガルフ杯を制す(2008)。翌2009年にはチュニジア杯を獲得している。……

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鹿島アントラーズU-18新監督キッカにジーコがアドバイス

[2010.12.24]

鹿島アントラーズU-18監督に就任したキッカが、23日にジーコサッカーセンターを訪れた。ジーコはキッカの新しい仕事が成功するようにアドバイスとエールを送った。……

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エドゥー・コインブラがアメリカのテクニカルデイレクターに

[2010.12.22]

リオのアメリカFC史で最大のアイドルのうちの1人がクラブに戻った。アメリカでプレーして何と212得点を記録。そしてブラジル代表チームでは54試合に出場し、6得点を挙げたエドゥーこと、エドゥーアルド・アントゥーネス・コインブラは、思いであるクラブへ11月下旬より復帰した。 ブラジル代表チームを指揮した経歴をもつ元選手と監督であるエドゥーは2011リオ州選手権を戦う為にチームとコーチ陣を構成するテクニカルディレクターとして戻った。 「どんな状況においても、アメリカに戻ることは常に光栄と喜びである。我々にはこれから大きな挑戦があるが、それらを乗り越えるために一生懸命頑張る。2011年に今年以上の大会を達成するためにとても努力しなければならない」とエドゥーが述べた。 仕事のスタートが成功のために重要だと意識し、エドゥーは、役員達やサポータたち等、関係者全員からの支援は全てが順調に進む為に必要だと言った。 「我々は調和で連携したグループを構成するよう期待している。今は団結する時だ。競争力のあるチームを構成するという目的に集中する必要があり、あらゆる方法でそれをサポートするべきだ」 アメリカの社長である、Dr.ウリーセス・サルガード氏はクラブへアイドルの復帰を祝った。 「エドゥーはアメリカ自身を表する、活気のある勝者クラブを代表する人物。我々が、アメリカの勝利と制覇の伝統を取り戻すこのプロセスを続けるためには、みんなを鼓舞する、そのようなプロフィールを持つ人が我々と共にいることは重要である」 選手時代のように自信をもち、エドゥーは再開に対し満足感と期待を示す。 「私はアメリカで私の選手経歴をスタートした。その後、監督としての経歴を開始して、今再びここで開始する、しかし今回はテクニカルディレクターとして。私は最善を尽くすよう非常にやる気があり、そしてクラブのために多くのことができると確信している」と述べた。 ……

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「フラメンゴバイブル」出版記念会にジーコが参加

[2010.12.21]

12月3日にブラジルで最も人気のあるクラブの歴史についての本、Bíblia do Flamengo【フラメンゴバイブル】が出版された。著者はポルトガル人ジャーナリストのルイース・ミゲル・ペレイラ。序文は、バッハ・ダ・チジューカ地区のFnac書店にて行われた出版記念会に出席したジーコによって書かれた。 「不思議な事にルイースはポルトガル人だけどフラメンゴファンである。そして、彼は非常に興味深い本を書いていて、私は原文を読んですぐに気に入り、今回の出版記念会に出席するべきだと思った。フラメンゴファン達が買う価値があるよ」とジーコが述べた。 ……

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2022年W杯開催国カタールにいるリカルド

[2010.12.20]

FIFAはカタールで2022ワールドカップを開催することを発表した。元CFZの理学療法士でジーコの友人である、アントニオ・リカルドはAl-Rayyanのスタッフとして働いている。このチームのスタッフはパウロ・アウトゥオーリ監督とフィジカルコーチのジルバン。3人は2006年に鹿島アントラーズで一緒に働いたこともある。 カタール・リーグの第1ステージ終了時点でAl-Rayyanは5位。しかし、リーグは2011年2月にしか再開しない。現在チームはQNBカップの予選を戦っている。 その大会の後に、リカルドはブラジルで家族と何日か過ごし、そしてその際に、12月26日17時からエンジェンヨン・スタジアムで行われるスターゲーム(ジーコが毎年主催するチャリティーマッチ)を利用して友達に会う予定。……

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フラメンゴがジーコの「種」でユース無敗チャンピオン

[2010.12.13]

ジーコはすでに辞任した為にフラメンゴのテクニカルディレクターではないが、彼がクラブにいた短い時間に植えたいくつかの種が、早期に成果を生み出し始めている。少し前の話になるが、10月16日に、フラメンゴはペドリーニョ(PK)とマテーゥスの得点によってボタフォゴを2-0で下し、リオデジャネイロのユースカテゴリで優勝を果した。その制覇は、リオのCFZから来た二人の選手(ラフィーニャとロマーリオ)の他にも元CFZのコーチ陣のよるものであった。 1980年以来クラブはカテゴリで無敗優勝を獲得していなかった、そして3年間もトロフィーを持ち上げなかった。ラフィーニャは大会の注目選手として取り上げられたが、今日彼は出場停止だったのでプレーしなかった。15日日にはトップチームで練習して、ブラジル選手権においてインテルナシオナル戦に対しベンチに入ることにもなった。一方、16才になったロマーリオは後半出場し、2つの得点に対してアシストした。一つはペナルティーエリア内に突進したところでファウルを受けペドリーニョがPKを蹴った。二つ目は、マテーゥスはロマーリオのアシストによって得点を挙げた。更にロマーリオはゴールポストにもボールを当てる決定的チャンスもあった。 ジーコはタイトルについて話した:「フラメンゴのこのタイトルは、リオのCFZから出た有能なコーチ陣の仕事も評価され、私は非常に嬉しく思っている。最も良い例はアンドラーデ監督。彼はCFZでスタートし、フラメンゴへ行き、そこで去年のブラジル選手権のチャンピオンになった。今年の6月にユース指揮し始めたフェルナンド・ヴァヌッチと他のコーチはCFZから移籍して今回すぐに優勝を果たし、更にもっと大事なこと、スター性のある選手を発掘するために働いている。ラフィーニャとロマーリオは決定的な活躍をした。二人には幸運を祈り、精力的にプレーを続けるように、そして選手全員、コーチスタッフ、コーディネーター達と下部組織の役員達へ祝福の言葉を贈りたい」 フラメンゴでコーデイネーターの仕事を始めた時、ジーコの優先事項の一つは、3年間のうちにプロチームが再び才能のある選手を発掘するために下部組織の部門を再構成することだった。コーディネーターのトニーニョバローゾと下部組織の役員達、ノバールとブラジルの支援で、ジーコは下部組織選手の獲得に慎重な評価のプロセスと寮施設再構築を行った。現在では、コーチやコーディネーターの署名とレポートが必要であり、起業家のための"代理"としてクラブを使用することに終止符を打った。カテゴリでの選手人数を減らし、寮はそれらの選手の中で、チームでレギュラーであり、最も必要がある選手に権利がある。今年パトリーシア・アモリン会長が締結し、クラブの役員から批判されて今はすでに消滅された、まだデライール・ドゥーンブロスキの管理においてブルーノ・コインブラによって成立されたCFZとフラメンゴ間のパートナーシップが、今回のユースチームに新しいチャンピオン達を与えた: フェルナンド・ヴァヌッチ監督、アシスタントコーチのマルシーニョとフィジカルコーチのウイリアム・コスタによるリオCFZのコーチ陣達。 彼らは6月末から着任し、CFZ時代の二人の選手、バスコに勝利した時のような活躍で今回のリオ選手権で注目を浴びたラフィーニャ。そしてまだ16才でユース1年目のロマーリオ活躍もあって優勝を果たした。 彼らは、わずか4ヶ月のジーコが行った仕事で最初の成果です! ……

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ジーコがポルトベロで講演

[2010.12.07]

マンガラチーバ町とアングラ・ドス・レイス町の間で、美しい景色のPortobello【ポルトベロ】ホテル。ジーコは、「ピッチ内の財務」という、11月20日に行われたOi会社のイベントで講演しました。ジーコはサッカーの数十年に渡った経験、自分の歴史について話し、その中でのエピソードは聴衆の笑いを誘いました。 「非常に良い雰囲気の中で、色々なテーマについて話すことができた。私が好きなように会話ができた」とジーコが述べた。 すべての参加者に対してサッカーチームのシャツを着てみないかとジーコは誘いました。もちろんフラメンゴファンは講演の後にジーコと一緒に写真を撮りました。相変わらず、イベントでフラメンゴファンは大多数でした・・・……

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トレーニングセンターのレンガキャンペーン

[2010.12.04]

私は、フラメンゴのテクニカルディレクター職を辞任してから、間違い、成功、私が決断したことや挑戦に直面して学んだ貴重な経験についても熟考してきました。しかし私は政治的問題を除いて、フラメンゴは常に最優先されるべきことを強調することが重要だと思います。今週テーマは、ヴァルジェン・グランデ区でトレーニングセンターを建設するために先週から始まったCampanha dos Tijolinhos【レンガキャンペーン】についてです。 私は現経営者が行っているプロジェクトに反対している多くのフラメンゴファンの意見を読みました。そのプロジェクトを私が支持しないように求めてくる多くの人々から、何百もののメール、TwitterやFacebookでメッセージを受けたり、街で声をかけられました。 そして、当然、私はプロジェクトがトレーニングセンターに使用されない仮説を考慮しなければなりませんでした。参加することを受け入れる為に、私はそれらの資金がどのように使用されるか調べることにしました。そして、善意をもつフラメンゴファンがクラブに関与していると私は信じます。それは政治的意見には関係ないです。 プロジェクト発表の前日に私が参加するというコメントが録画されました。フラメンゴは私のためにレンガ番号10を用意したが、私は両親と家族全員の名前を付けるためにあと20個を買いました。私は本当に皆が協力することができると思い参加する事にしました。 私はこのレンガのプロジェクトがトレーニングセンターの全ての問題を解決しないことについては理解しています。そして多くのフラメンゴサポーター達を対象しない事もわかっています。各レンガのコストが高いため量が限られています。つまりこれはほんの一部のファンしか参加できないプロジェクトです。 私がクラブにいた頃は、常にスタジアムに行くブラジル中に広がっているファンや世界で遠く離れているファンまで含む、何百万人のサポーターを対象とする他のいくつかのプロジェクトを提出しました。 私がプロジェクトに関係してることを政治的な面としてみて欲しくないので、コラムで私のキャンペーンへの参加を説明することに決めました。まるで私がかつてクラブとケンカしたかのように、「仲直り」という言葉が使われている報道を読みました。私の異論として思っている事は、決して私が心を寄せているクラブに対してではなく、一部の働いている人間のプロセスと決定方法に対してです。 私を知っている人は、私がフラメンゴに良かれと思ったときは、どんな経営陣によるプロジェクトやキャンペーンであっても参加したことを知っています。それは今後も決して変わりません。コラムの最初に言ったように、フラメンゴにおいては、政治的利益や個人的な事よりも最優先されるべきことがあります。クラブの存在はとても大きいものです。私はプロジェクトが成功するように、そして資金の用途が保証されるように注意深く監視される事を祈っています。そして、フラメンゴに重要なトレーニングセンターができるだけ早く完成するために、他にもプロジェクトが実行される事を期待しています。 ではまた!……

in [ジーコの主張]

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ジーコがTucuruí町にある世界で4番目に大きい水力発電所を訪問

[2010.12.03]

10月下旬に、新しいZico 10サッカースクールを2校開校するためにジーコがパラー州を訪れた。ひとつの学校はマラバー町で、もうひとつは約10万人の都市で100%ブラジル最大の水力発電所を持つ、トゥクルイー町。ジーコは、1984年11月22日に建設された世界で4番目に大きい、トゥクルイー水力発電所を見物した。 息子たちのブルーノとチアゴ、友達やZico 10のメンバーの他に、サンクレール・フェヘイラ市長と共に、ガリーニョはエンジニアのフェルナンドさんの案内によって、水力発電所の歴史を少し知り、施設の一部を訪問した。 「トゥクルイーのような水力発電所の大きさは本当に印象的です。私は、最初に使用された機械を見物するができて、更にあの中でいくつかの写真を撮りました。その構造が3つの州(パラー、トカンチンスとマラニョン)のほとんどのエネルギーを発生するなんてすごい。これは非常に興味深い経験でした。私は、従業員達を祝福して、我々が受けた歓迎に対して感謝したいです」とジーコがコメントした。 トカンチンス川の実力を利用して水力発電所の建造のための研究は1957年から始まった。しかし、トゥクルイー水力発電所の工事は1976年にしか始まらなかった。プロジェクトは、第一段階で、4000メガワットの発電を想定していた。それは開始の1984年に実施された。第二段階は2007年に完成して、現在では3つの州を供給し、2倍のエネルギー生産能力を持つ。 トゥクルイー水力発電所は他に印象的な数字を持つ。例えば、ダムは78メートルの高さと8キロメートルの範囲に広がる。所有者は鉱山エネルギー省と関係があるEletrobrasの子会社、Eletronorte(Centrais Elétricas do Norte do Brasil S/A・北ブラジル発電所株式会社)である。 ……

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ジーコが日本に帰国する荒川領事に別れを告げる

[2010.12.02]

10月下旬のことになるが、近年、日伯友好カップの熱心な関係者の1人、リオの日本総領事であるMR YOSHIHIKO ARAKAWAが帰国することになり送別会が開かれた。ジーコは同じ日にMarabaとTucuruiでZico 10スクールの開校式があったため、出席することができなかった。しかし、ジーコは後日、荒川領事の家を訪ねて、領事がサッカーセンターでのイベントで常に与えてくれた支援に対して感謝の言葉を伝えた。 「荒川領事は日伯友好カップにおいて常に我々と共に開会式や閉会式に出席して、トーナメントに重さを与えてくれた。日本に帰国する荒川領事へ、我々が受けたその支援に対する感謝の気持ちとさよならを告げずにはいられなかった。また、私が2022年ワールドカップの日本委員会から受けた訪問を受けた時の会合にも参加して頂いた。私は彼が無事に帰国する事、そして再び会えるように祈っている」とジーコが述べた。……

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