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ジーコがSEAD 2010の閉会で講演を行った

[2010.10.30]

先月10日に、ジーコはUNIARP -Universidade do Alto Vale do Rio do Peixe【Alto Vale do Rio do Peixe大学】で講演を行うために、サンタカタリーナ州のCaçador【カサドール】の町を訪れた。そこで「競争して、成長するための革新」をテーマとしたSeminário Regional de Administração (SEAD 2010)【経営地域セミナー SEAD 2010】の最終日に参加した。その時、最初に語ったのが元大蔵大臣でエコノミストのマイルソン・ダ・ノーブレガだった。その後、ジーコは、障害を克服したいくつかの状況を強調しながら彼のキャリアについて話しをした。講演では、ジーコはサッカー以外のプロジェクトへの関与に加えて、スポーツマンや管理者として彼とのキャリアの比較をした。 「当局やジョアォン・カルロス・マルチンス作曲家のようなすごい経歴をもつ人たちの参加により非常に興味深いイベントでした。そして、これは大学との接触を維持する良い機会です。私の経歴についても少し話すことができ、非常にうれしく思います。」とジーコは述べた。 セミナーの名誉席には、ジルベルト・セレメ(Uniarp会長)、アウリー・バウー(ACIC会長)、アデールシオ・マシャド(Uniarp総長)、パウロ・カンポス(SEADコーディネター)、アルカンタロ・コレイア(FIESC会長)、ルイス・アントニオ・ラモス(Badescテクニカル・ディレクター)とグラウコ・コルテ(FIESC副会長)が出席した。 講演前に、ジーコはColégio de Aplicação da UNIARP学校へ訪問する時間があった。そして学校の廊下で有名な訪問者に出会うことを想像もしていなかった、他のクラスの学生達を喜ばせた。……

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JASC第50回大会に参加

[2010.10.14]

先月9日にサンタ・カタリーナ州のBrusque【ブルースケ】において、ジーコは、JASC (Jogos Abertos de Santa Catarinaサンタカタリーナ州開幕式)、86町と約7000人の選手が参加するイベントの第50回記念大会に表彰され、出席した。 ジーコはJASCの考案者、Arthur Schloesserと同名である。Schloesserはスポーツに熱心な人で、50年代にジーコ長年の友人、Rubens Fachiniからの支持を得た。Fachiniは、1957年にサンパウロ州でのサンカルロス・ゲームに行った二人の使者と今50周年を迎える大会を企画した。JASCのトロフィーには、Rubens Fachini(大会の名誉会長)の名前が書かれている。 「とても素晴らしいイベントで、JASCの成長が自分には嬉しいです。私は1990年にBrusqueを訪問して、20年後に、このような大きいイベントの実現の為の熱意を感じます。創造者のうちの1人である、友人のFachiniからの招待を受けてここに来れて非常に嬉しく思います。私はJASCが素晴らしい事例であると思いますので、リオデジャネイロのスポーツ局にも提案したいと思います」とジーコがコメントした。 Fachiniの他に、ジーコは式典で昔からの知り合いに会った。ペドロ・ロペス。Fundação Catarinense de Esporte(Fesporte)【サンタカタリーナ州スポーツ財団】の現在の会長はメキシコの1986年ワールドカップで、当時ブラジル代表団を担当した。そしてFesporteに代わってジーコに次の文が書いてあるプレートを与えた:「世界スポーツに威厳を与えたすばらしい名選手」 イベント開催式には体育館で約4000人が参加した。さらに、テニススターのグスタボ・クエルテンとバレーボールの1984年チームのレナン・ダルゾット等偉大な元選手が出席した。……

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Zicoが第4回 Dia Nacional da Construo Sociaのイベントにゲスト出演

[2010.10.06]

先月9月21日土曜日、ブラジル国内24州に於いて第4回 Dia Nacional da Construo Sociaの記念イベントが催された。リオデジャネイロでは元フラメンゴ、ブラジル代表のスーパースターのZicoがゲスト出演し注目を集めた。会場には約四千人の人々が訪れたが サインに応じたZicoは大忙し。 またFutebol Soaiteで活躍する選手達とのトークショーも行った。因みに今年のテーマ "Cidado da Construo Bate um Bolo: com cidadania todo mundo  campeo"。にちなんで LESPAMのグランドで行われた交流試合のキックオフも任された。 「本当に素晴らしいイベントだった。なにより日頃あまり見過ごされがちな公共事業の重要さを家族連れでスポーツを通して再認識出来る。皆さんに楽しんでもらい印象に残る一日になればうれしい。建設業に携わる方々の特殊な才能を羨ましく思うことがある。自分は全くの門外漢でどちらかというと出来上がったモノを利用させてもらう方がよい(笑)」とジーコがコメントした。また本職の方は?との質問に対して「現役時代はピッチ内で主役をはらせてもらい、数多の危機を救って来たが、今は立場上なかなかそうも行かない(笑)」……

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三番目の孫、Antonioが誕生!!

[2010.10.05]

三男、Thiago Coimbra と妻 Mariahの第一子が9月30日誕生した。付き添った Zicoにとって3人目の孫となる。 ジーココメント:「本当にめでたい。 Felip、 Gabrielに続いてまた男の子だ。家族が段々増えていく。」 また父親のThiagoは「まさに感動の一言だ」と喜びを表現した……

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Zicoが選手の前で退任の挨拶

[2010.10.04]

私の云いたいことは全てサイト内で云いつくした。ジャーナリストの方々にもご了解頂きたい。またいずれ語る時が来たら必ずお知らせする。 退任を決めた翌日の10月1日、家でニュースを見たりして過ごした後、 CTに出向き選手達に挨拶をした。語った内容は彼らのパワーを信じているしまたチームの復調も期待している。今回の辞任は家族への誹謗中傷の為であった事も説明した。 感極まってしまったがとにかく1番大切なのはチームが前を向くことだと言いたかった。また同席してくれていたスタッフも含めこれまでの協力に感謝した。 そこまでしなくともと思われるかもしれないが私に向けられた諸々の中傷には断固対処していく。特に誰が首謀者なのかも突き止めたい。……

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フラメンゴに対する公開状

[2010.10.03]

フラメンゴのディレクターの要請を受けた時もそうだったがこのサイトで正直に皆に伝えた。私自身の声で表現で私を支持してくれる皆に。 そしてクラブを離れる決断をした今回もまた同じ様に正直に皆にお伝えしたいと思う。辞職理由はフラメンゴの為に良いと思った事を実行することが不可能な状況に陥ったからだ。最初から多少は感じてはいたのだが多くの方々にとって私の加入また存在が心地良くなかったのだろう。父親譲りの“頑固さ”からか私は真っ直ぐにしか生きられない。日々の仕事への献身のみが全てだ。 しかし、卑怯な誹謗中傷は息子達までも傷つけた。それでもPatricia会長には心から感謝したい。彼女により私はクラブの為に再度尽力するチャンスを与えられた。クラブの将来を見据えて改革を企画、実行に移すことが出来た。トップチームだけでなく私が育った下部組織の改革までも触手出来た。また私が現役時代から夢見ていたトレーニングセンターの建設もおぼろげながらにも見えてきた。 これらの企画が頓挫しないことを心より願う。 正直、辞任の決断は困難をきわめた。しかしながらクラブの中枢から自分に向けられる冷たい視線や不信感は耐え難いものであった。クラブにとり最高に大事な部門の人々がクラブを浸蝕する様な考えまた行為に及ぶ。私は立場上彼らにもの申す事が許されない。まぁ就任前から予測出来た事だっただけに就任会見の内容もとにかくクラブが結束して困難に立ち向かうことの必要性を強調したかったのだ。 私は常に困難に挑戦する戦いに挑む場合、権力と金より日々の努力と誠実さが最大の武器となると考え実践してきた。CFZ を一部に昇格させる事が出来なかったのも権力に迎合しなかった為だという事実は周知の事だ。私がミスをしなかったとは言えない。クラブに良かれと決断したことが結果に結び付かなかった事があった。しかし根底には常にクラブの事を最重要と思う気持ちがあった。 私に期待を寄せて下さる方々をどうして欺くことが出来よう。この場をかりて私に協力してくれたクラブのスタッフ、選手諸君、一人一人に深く感謝したい。彼らの努力が結果となって現れる時が絶対に訪れるだろう。今日まで選手としてもまたフロントの一員としてもクラブの為に精一杯の努力をした。このクラブのお陰で今日の私がある。 しかし残念ながらこの偉大なクラブの輝きは長い間に腐食されてしまった。この9月30日を私は生涯忘れないであろう。理由は孫のAntonioの誕生、同時に心に輝いていたフラメンゴが心無い人々に乗っ取られ瀕死状態になってしまったこと。 サポーターのみんなには心より感謝したい。また実際、皆の愛するクラブの残念な実情は悲惨ですらある。今の私はクラブにとって好ましくない存在だった。多くの人々がクラブの現状打破より私を追い出すことに躍起になっていた。私は辞める決心をした。 最後に私と家族またCFZまでをも傷つけた内外からの誹謗中傷を私は忘れない。法的手段の行使も視野に入れている。 ではまた……

in [ジーコの主張]

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