[2010.07.28]
25日にブラジルのポルト・アレグレ市でのインテルナシオナル戦の後に、ジーコはサンパウロへ向かいCopa Eurofarma Sub 18【U-18エウロファルマ・カップ】を視察します。クラブの下部組織の状況を視察してチームに戻ります。
試合はバルエリー市で行われます。フラメンゴの他に、カップに参加するチームはコリンチャンス、サントス、パルメイラス、セビリア(スペイン)、ポルト(ポルトガル)、ボカジュニアーズ(アルゼンチン)とペニャロール(ウルグアイ)。……
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[2010.07.27]
Muricy Ramalho【ムリシー・ハマリョ】がブラジル代表の新監督候補であるというニュースを受けたとき、ジーコは新しい監督候補に祝福メッセージを送りました。
「これは、CBF【ブラジルサッカー連盟】の正しい選択だと思います。数年間にわたってのクラブでタイトル獲得実績があり、素晴らしい仕事をしている監督です。ムリシーは代表監督に値する人物であり、私は応援し、彼の幸運を願っています」と述べました。……
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[2010.07.23]
2010年7月19日
ディズニーでのサッカークリニック
は~い。忙しくてここに来て書くことはだんだん難しくなっている。でも私は、メールなど届いたものは全部読んでいるよ。次の投稿では、私にメッセージを送ってくれている人たちの中から何人かの名前を挙げます。
忙しい中で、私がアメリカのディズニーで行ったサッカークリニックによる3つの写真を用意した。このクリニックはディズニー・カップに出場したチームの準備となった。このパークが元選手とサッカー・クリニックを開催したのは初めて。素晴らしい経験となり、そしてサイトスタッフはその仕事について取材を準備している。
何もかも全部を計画したのは私の息子ジューニオルとアメリカに住んでいる彼のパートナー、Malavasi。
クリニックの子供たちと一緒に、そして私の孫フェリッペの気を逸らしていたミッキー。
そして、息子たち(ジューニオル、ブルーノとチアゴ)と一緒に。家族が出席。
また後で!
……
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[2010.07.21]
14日に行われた試合は、実際にフラメンゴのテクニカル・ディレクターとして働き始めたジーコのデビューを果した。マラカナンでボタフォゴに1-0と勝利した試合終了直後に彼はサイトスタッフと話した。
「フラメンゴで仕事を開始しマラカナンに戻って、非常に感動しました。そして厳しい相手に対する重要な勝利で我々には良いスタートでした。試合中に選手全員が精力的にプレーし、よく頑張りました」と分析した。
ジーコは就任してから常に選手達と話していて、クラブに新しく加わる選手の合流前に、若い選手達がチームのレギュラー争いに加わることを示している。
「ゴールはパウロ・セールジオが決めたので尚更よかった。彼は下部組織出身で常に得点王でした。この選手権は拮抗した争いがあり、我々のチームはまだかなり向上すると思います。サポーターは下部組織の選手を支援し続けて欲しいです。」……
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[2010.07.20]
フラメンゴのサッカー・テクニカル・ディレクター、ジーコが7月13日午後に記者会見し、プロ意識が大事な点であると再び話した。一番大事なのは全ての従業員、選手とコーチ陣のメンバーが「フラメンゴ」の重要性を知ること。
クラブ史上で最大のアイドル、ジーコが、クラブは誰よりも大きい存在なのでガーベア(練習グランド)の中で個人の虚栄心は認めらない。クラブに対するこのような気持ちを持つことはフラメンゴのシャツを着る誰にとっても基本的で必要な事であると述べた。
「大事なのは、みんながフラメンゴが誰よりも大きい存在ということを知るということです。クラブは尊重されなければならないです。私はそうやってプレーヤーとして働いてきました。現在も続けていきたいと思います。これが私の哲学です。私はこれから先にそれを望むので、サポーターに理解して応援してもらいたいです」と述べた。
クラブの下部組織から生まれた彼は、再びフラメンゴで下部組織出身選手への特別な関心を示した。サポーターに忍耐を求め、ジーコはそれらの選手を準備するために落ち着きが必要だと述べた。
「改革についてはかなり話しあっています。そして、今回イトゥーへ行ったチームの中で14人は下部組織出身の選手でした。彼らにはチャンスが必要です。我々は彼らをうまく育てる方法を知っていなければなりません。誰もが到着してすぐに成功するのではありません。それはペレ、ロナルジーニョやメッシのような才能のある選手しかできません… 果実を享受できるために我々は準備と再編成を実施する必要があります」と付け加えて言った。 ……
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[2010.07.18]
イトゥー町(サンパウロ州)- 正式にフラメンゴのサッカー・テクニカル・ディレクターに就任してから2週間が経った6月29日に、ジーコは練習場のあるガーベアでチーム再合流の際にクラブの公式サイトのスタッフと話し、新しい役目に関する最初の印象を明らかにした。
ジーコはこれから先の仕事について話し、後期の良い成績を目指し、今は完全に献身する時だと話した。
ピッチでの活躍によりフラメンゴのアイドルとなったジーコは、ピッチ外でも歓喜を得たいと思っている。現在は今季のブラジル選手権でチームの献身を期待している。仕事の開始によって活気づけられたチームではあるが、構造上の改良が必要だとジーコは再び断言た。そしてチームの若い選手の能力に期待し、クラブの肯定的な将来を予想していると話した。
フラメンゴ公式サイト:フラメンゴの練習を充分視察していますね。チームを常に見ていることはどれだけ重要ですか?
ジーコ:選手達と常に話し、常に接触を持つことは重要です。特に、評価をする時に、肯定的または否定的でも、すべての要因を分析するために彼らとの基盤を持つことは大事です。これはサッカー・ディレクターとしての私の義務でもあると思います。練習には可能な限りいつでも出席すること。
サイト:イトゥーでこれらの日々の中で最も重要な点は何だと思いますか?
ジーコ:仕事は今後結果を出していくでしょう。今はロジェーリオ監督がピッチでチームの戦術的な部分とテクニックを訓練する時間があり、ブラジル選手権の再会から何をするべきか考えられる余裕がある時です。これまではフィジカルトレーニングなどが行われていました。そして今はゲームプランのトレーニングをする時が来ました。
サイト:今のところまで、チームに対してどう評価できますか?
ジーコ:現在のチームは少し人数が多すぎると思います。それは、結局のところ練習しかしてない選手に何と無く不満を感じさせるので、良くないことです。また、もう少し磨かなければならない選手を磨くこともできないです。しかし、焦った対応はしたくないです。落ち着いて全てを見ています。我々は多くの能力がある上流なチームを持っています。いくつかのポジションには多くの選手がいて、その他のポジションには少ないため、バランスがとれるように幾つかの分野を補強する必要があると思っています。そしてそれは適切な方向に進んでいると思います。
サイト:グループには若い選手が沢山います。彼らには期待できるでしょうか。
ジーコ:下部組織から多数の選手を昇進させ新人にチャンスを与えるのは大事なことです。私の場合はそうでした。ロジェーリオ監督は既に彼らの仕事を知っています。ジョウベールは私に対してまったく同じことをやりました。ジュベニールの頃に私と既に働いたことがあったので下部組織から私を引き上げました。私だけではなく、あの世代全員に対してそうでした。引き上げ当初は忍耐が必要だったことを忘れてはいけません。チームがかみ合うまで暫く時間がかかったが、かみ合った後は素晴らしい結果が訪れました。
サイト:それらの若い選手達に与えられるプレッシャーについてはどう思いますか?
ジーコ:彼らにチャンスがあるならば、それを活かすことが大切です。彼らともこの話をしました。補強や獲得について非常に噂が広がっているけど、ここにいる選手はフラメンゴで活動できる状態なので、これまで以上にそれを証明するときです。練習に集中し身を捧げる時です。この中断があって、おそらくブラジル選手権再開の最初の試合にはまだ補強がないので、今はチャンスをつかむために完全にサッカーに専念する時です。
サイト:最近フラメンゴと契約した補強選手、Renato【レナート】、Corrêa【コヘア】とVal Baiano【ヴァル・バイアノ】について何を話すことができますか?
ジーコ: 彼らは、我々のチームにプラスになる3人のプレーヤーです。レナートはすぐにクラブとサポーターに慣れて、再び上手くいく可能性は十分にあります。コヘアは攻撃的な質を持つ経験豊富な選手で我々が必要としている攻撃側での役目を果せます。一方、ヴァル・バイアノは得点王です。だてに18ゴールを挙げるはずないです。
サイト:チームは将来の理想に近いですか?
ジーコ:コヘアとレナートの到着によって中盤はよく補強されていると思います。今後は良いフィジカルコンディションに達して、彼らがどういう結果を出すか待つことです。
サイト:契約が終了するDavid選手については?
ジーコ:それらの問題は進んでいます。Davidの件は進捗していると思います。それらの件についての責任者たちが私と連絡を取り、締結に進んでいると言いました。重要な選手であるヴァーグネル・ラブに対しても継続できるように働いています。
サイト:本日、ジーコはちょうど2週間を迎えました。新任務にはもう慣れましたか?
ジーコ:私はフラメンゴに慣れているし、良い結果が必要だと分かっています。私だけでなはく、新技術委員会に対しても、チームからの歓迎を受けて非常に嬉しく思いました。仕事は始まったばかりだけど、私は活気づけられています。
フラメンゴ公式サイトより……
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[2010.07.14]
キンチーノ(リオの郊外地区)は間違いなく偉大なサッカー選手の宝庫であった。踏み固められた土の道から、当地最大のスターであり、サッカー界に広く知られる偉大な名選手のうちの1人を生み出した。すなわち、アルトゥール、そう“ジーコ”のことだ。
確かに、素晴らしいプレーの数々と、その輝かしいキャリアについてはマスコミによって世に知らしめられ、多くの人が耳にした話も山ほどある。しかし、今回、私がお教えする話は、多くの読者は聞いたことがないと思う。現在、サッカー選手たちの教科書ともいえる存在であり、本当の意味での世界の顔ともなったジーコの成長に関しての、社会的・専門的な面において有意義な話であると思う。我々が幼児期に経験した、胸を打つ思い出だ。
彼が生まれ育った場所、ルシンダ・バルボザ通りのチーム、Juventude de Quintino(ジュべントゥーデ・デ・キンチーノ)は多くの歴史を持ったチームだ。チームでプレーしたことのある人たちの心には、ことごとこく、このチームのことがある。このチームには真実の友情というものがあるのだ。
6人兄弟の末っ子で家族のアイドルだったジーコは体が小さかったので、少年時代にはその場所で持ち前のサッカーセンスを見せることができなかった。彼が悪賢くて生意気な少年たちとプレーすることは体格的に危険があると考えられていた。
しかし、ある時、年齢に関係なく、隣人への優しさと敬意を示した“敵”との出会いがあり、それが思い出深い記憶となっている。彼はスポーツに精進する精神とともに、繊細な行動や賢明でインスピレーションたっぷりの態度で、我々の記憶に残っている。意図したことではないのだが、彼の行動が、サポーターからジーコへ向けられる、あのコールを生んだのだ。この親愛なる偉人の名前を私は残念ながら思い出せない。それだけが残念だ。
いつのことだったかは、完全には覚えていないのだが、ジーコが12~14才くらいの頃だったと思う。もしかしたら、もっと若かったかもしれないが…。年齢を思い出せないのはジーコのプレーが幼い頃から常に素晴らしくて、プレーしているイメージが子供や青年ではなく、大人のプレーのようだったからだ。
それでは…、何が起こったかお話しよう
Cascadura Tênis Clube【カスカドゥラ・テニス・クラブ】、当時この偉大なクラブはフットサルチームも保有しており、彼らはリオのフットサル王者だった。観客が高いレベルの2つの強豪チームの試合を観戦できるという理由で、我がチームをフレンドリーマッチに招待した。フットサル連盟に加入していなくても、Juventudeがリオ・デ・ジャネイロのトップにいることは明らかだった。
トップチームの試合の前に前座試合が行われた。冷たい雨の降る月曜の夜、高いモチベーションで我々はイベントに参加した。しかし、クラブの正面玄関で起こった1つの出来事によって、その試合の輝きは失われるところだった。体の小さなジーコが、役員によって許可された年齢に達していないと判断され、責任者(成人、父親または母親)の不在を理由に選手としての参加を断られたのだ。
我がチームの数人の大人たちが、不機嫌そうで頑固な役員と長い話し合いを持った末、ジーコは入場することは許された。そこまではそれほど困難ではなかった。難しかったのは、プレーできないということをジーコに納得させることで、チームにまた違った苦境が生まれていた。ピッチ内外での状況が暗くなってしまった。
ロッカールームの入り口に座って、ジーコはすすり泣いていた。彼よりずっと年上の相手とピッチで対戦して喜びを示すことを禁じられた、その姿を見て、そこにいた人たちは可愛そうと思った。それが場の緊張の原因となっていた。
彼がプレーすることに反対した多くの人たちの態度は無理もない。だがそれは、Cascaduraのトップチームのうちの1人の選手によって中断された。チームの最大アイドルであった選手(繰り返すが名前は覚えていない)がその状況に同情し、他の選手らにジーコを受け入れることを納得させたのだ。さらに、フィジカル任せのプレーをしないよう彼らを指導した。
ジーコが流した涙に、天井からジーコの頭に落ちてきていた雨のしずくが混ざり、珍しい感動の場面を作った。前座に出る他の選手達とキンチーノ駅からほぼ3キロの道程を歩いてきたことが報われたのだ。
ジーコの感情は失望から喜びへと大きく変化した。赤・黄色のユニフォームに着替え、ウォーミングアップを行う体育館に入り、はしゃいで駆け巡っていた。
多くの“galalaus”【巨人たち】の真中にいた小さな子供を見るのは本当に珍しいシーンだった。
観客は想像していなかった“pintinho de quintino”【キンチノの雛】・ジーコのプレーを見た。
それは本当に完璧で、あまりに素晴らしいプレーだったので、観客たちはスタンドで満足感と喜びの叫びで盛り上がっていた!
その声援は近所の人の注意を弾くほどで、彼らは何が起こっていたのか知るために体育館に向かい、やがて満席の状態になった。
ジーコは2点を決めた。Juventude Bは相手チームをびっくりさせ賞賛をも引き起こした。彼らはキンチ-ノの5人による見事なプレーに反応できなかった!
チームメイトはゴールが決まるごとに、ジーコを指し、その後すぐに彼を妨げた役員を指した。これは、“キンチノのゴールデンボーイ”のプライドを傷つけたことに対する皮肉から生まれた冗談だった。
そして、最も思い出深いのは、そのとき起こったコールだった。それがどうやって始まったのかは分からないが、叫びはただ1人に向けられていたのである。今でも、私の胸には、あそこにいる人々から聞こえた、高くてとても響きの良い声が残っている。
Ziiiiico!! Ziiiico! Ziiiico!
試合終了まで数分というところで、彼は交代を志願した。しかし、彼を妨げた役員をも含めた、その場にいたすべての観客からの熱心な叫びによって止められた。出ないで!出ないで!出ないで!!!
今でもあの時の本当に美しい映像が浮かぶ!
その後のトップチームの試合でさえ、この前座試合が放った40分の輝きを持たなかった。両チームとも勝利者(Cascadura とJuventude)だった。しかし、最大の勝利は、善ある人々に対して、暴力や粗悪な対立なしに、スポーツによって喜びの瞬間を与えられること、そして、成し遂げることができることに対してどう取り組んでいけばいいのかを学び理解したことであったのだ。
ジーコをさらに成長させるものが、そこで自然に生まれたのだ。そう、後にプレーした世界中のスタジアムで聞こえたあのコールが!
Ziiico! Ziiico! Ziiiico!
マラカナンのゴール記録を打ち破るなどの実績だけではなく、ブラジルのすべてのサポーターたちから、人間性という点で最大の敬意を送られているのがジーコであることは不思議ではないのだ。それは神様、そして、彼が歩んできた道にいた人々のおかげでもあるのだ。
……
in [ニュース]

[2010.07.03]
最初にお断りしておくが今回のW杯に関してはいつもの様にほとんどの試合をほぼリアルタイムでチェックする事が出来ていない。理由はご存知の通りフラメンゴでの業務に忙殺されている為だ。何しろトップチームから下部組織まで全てを統括している為他の事に時間を割く事が出来ない。そんな毎日の中でも再放送やVTRで観られる部分は空き時間になんとか頑張って出来るだけ観る様にしているがなかなか。
その様な状況下で今回のテーマはあえて日本代表に捧げる事にした。もう何度もコラムで話しているが私と日本は深い絆がある。ちょうど四年前、私は今の岡田監督のたっておられる場所に立っていた。今でも残念なのは全て順調に進んでいた我々が最終的に本大会で満足のいく結果が残せなかった事だ。その理由の一つにはブラジルと同グループに入ってしまった事もあるのだが。
さて今回大会の日本の成績はというと私は大変喜ばしい結果だと思う。対パラグアイ戦でPK戦まで縺れ込み敗退はしたが実に立派な戦い振りだった。いくつかの批判的な記事やコメントも目にしたが私は彼等が成し遂げた事を評価をする。特にデンマークとカメルーン戦での勝利は素晴らしかった。日本の進歩を感じさせるモノだ。約六年程前までは欧州のチームが日本人を獲得するのはいくつかのケースを除いてはほとんどがマーケティング目的であった。しかしながらその後は本当の意味での補強として日本選手が注目される様になった。この事実は日本の精進の賜物である。
前回大会を目指す戦いの中で心配だったのが中田、小野世代と次の世代との転換期に起こり得る狭間であった。この時期の対処の仕方を誤ってしまうと代表の成長がストップしてしまう。それに対し私が出来る事はドイツ前に複数の有望な若手に代表経験をつませる事だった。残念ながらそうした若い力を本大会に連れて行ってやる事は出来なかったが今回の代表で彼等の多くが活躍してくれていたのは大変嬉しかった。今や彼等は日本を代表する選手に育ってくれたのだ。
岡田監督はよくぞこの難しい時期を乗り切って下さったと思う。またもう一点私が嬉しかったのがフリーキックの進化である。かねがね私はこのポイントに執着してきたが今大会で開花を見た気がする(もちろんさらなる向上を目指すべきであるが)。特に遠藤は印象深い。彼にはフリーキックをほぼ強制したからだ。見事なゴールを見せてもらった。
あのPK戦に競り勝ちさえすればベスト8に・・・にと思われた結果、残念ではあるがこれがある意味サッカーというスポーツなのだと。最終的に誰かが外す結果となった訳であるから。
今大切なのは2006年の修正、反省点をクリアーしてステップアップした才能ある選手達が、さらに経験を積み、次回私の母国で開催されるW杯の出場権を獲得し本大会でさらなる好成績をおさめるべく最良の準備をする事である。心から期待しています。
ではまた……
in [ジーコの主張]

[2010.07.02]
先日、ジーコサッカーセンターに於いて「Zico10サッカースクール」の11校の代表者の間で組織強化に関してのミーティングが行われた。ジーコ・オーナーから同プロジェクトのさらなる発展を促進するためのガイドラインが提示され『さらなるパートナー・シップの強化を目指し内部組織とサービスの改革を考えている』との提案があった。
実際センター内に、新な専門窓口が開設され、CFZ社長のブルーノ・コインブラ氏、ファビオ・ソドレー氏またチアゴ・コインブラ氏等の陣頭指揮の元アテンド業務を強化していく予定。「今回の改革によりお互いの意思疎通の度合いが増しより質の高いサービス供給を維持出来る様にしたい」と述べた。
さらに同ミーティングではジーコ10スクールポータルサイト・プロジェクト(ジーコのサイトでで各スクールがそれぞれのスケジュール、トピック等を掲載アピールが可能になる)の詳細紹介も行われた。……
in [ニュース]

[2010.07.01]
2010年6月15日
友人の激励とサー・ボビー・チャールトン
ハ~イ。フラメンゴでの仕事はすでに始まっている。後でそのテーマについてもう少し書くと約束するよ。今回は用意した2つの写真を見せます。フラメンゴに戻った最初の日に、私はとても大切な友人の訪問を受けた。私の友人のハウールが私の仕事に幸運を願うために、ガベアのトレーニングセンターに来てくれた。Valeu , Véio(*ブラジルで男性の友達同士でよく使われる俗語、“ありがとう、おじ”という意味)
南アフリカのワールドカップに行ったとき、試合の行われたスタジアムでサッカーの伝説のイギリス人のSir Bobby Charlton(サー・ボビー・チャールトン)との写真。同じ列で観戦したのが我々のPelé(ペレ)、オランダ人のCruyff(クライフ)とカメルーン人のRoger Milla(ロジェ・ミラ)だった。
後でまた来るよ!……
in [ダイアリー]
