バックナンバー

ジーコが”Grandes Jogos do Flamengo ”の出版記念サイン会に出席

[2010.01.31]

1月28日に、ジーコは“Grandes Jogos do Flamengo – Da Fundação Ao Hexa”(フラメンゴの大試合・創設から6度制覇まで)(Panini出版社)の著者、ジャーナリストのRoger GarciaとRoberto Assafに挨拶するためにレブロン・ショッピングセンターのTravessa書店を訪れました。ジューニオルの端書がある本は、簡単なテキストと素晴らしい写真によってクラブの歴史的な試合を紹介しています。 Roger GarciaとRoberto Assafは2003年に刊行されたジーコ50才伝記の著者 です。RogerはSportvチャンネルのプロダクションで働いています。そしてAssafはLance!新聞でコラムを書き、Hélio Alonso大学の教師でもあります。 「2人は偉大なプロで、わたしは是非挨拶に来たかった。もちろん、後でゆっくり本を読んで楽しい瞬間を思い出すでしょう」とジーコがコメントした。元選手、スポーツジャーナリストやサッカー界の有名人もこの本の発売を祝福しました。 ……

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ブルーノ・コインブラ CFZ社長インタビュー

[2010.01.30]

ジーコの次男は社長として就任してから1年半間の経験について語り、プロチームの成績や、下部組織について、またクラブがなくなると言う噂について説明した。そして来年のあり得るパートナーシップについてコメントした。 2009シーズン 我々は結果について嘆く必要はありません。仕事は十分に達成されました。下部組織では数人の選手をビッグ・クラブへ送りました。フェリッペ・リマ、ノゲイラ、ナタンとアレックスの4人選手はボタフォゴに所属し来年にはプロチームに昇格するでしょう。ジュベニールからはジャジッソンがフラメンゴに移籍しました。更に4人選手が強豪チームへ行く予定なので、近いうちにそれらの移籍を発表します。全体的に2009年は非常に良かったです。 学習 毎年より多くの経験を積みます。しかし、私はまだ学ぶべき事が沢山あり任務を向上させる必要があります。だから私は常にクラブを指揮する人々の近くにいて、スポーツに関する講座に通っています。私が1年半前にクラブ社長に就任して以来、色々な事に対して改良したと思います。我々は、すでにいくつかの事について違うやり方で仕事を実行する事を知っていました。この任務を引き受けてから多くの支援を受けました。プロフェッショナル面だけでなく、個人的にもに責任を持つようになりました。また、時間が経過すれば、多くの事が変わって行きます。我々もそれに合わせていく必要があります。 トップチーム プロチームの目的は1部昇格であったが、あまり投資がなかったため、困難な年になると分かっていたので、焦点は下部組織でした。それでも、競争力のあるチームと良いコーチ陣を構成することができた、しかし、残念ながら、特に我々が常に強かった場所、ホームスタジアムにて今年はゴールを挙げることを知りませんでした。アントゥーネス・スタジアムで試合を見た人は、我々が多くのチャンスを逃して、相手チームがゴールを決めて結局相手が勝利を手にしていたのを見ました。逆に、州選手権ではアウェーにおいて我がチームは非常に良かったです。我々は第2ステージへ進出する完全な可能性があったが、不幸に、敗退してしまいました。それもサッカーによるもので仕方ないです。 下部組織 今季には、ジュベニールとインファンチルは州選手権準々決勝まで進みました。ボタフォゴによって敗退された試合では我々の方が良いプレーを見せ、相手さえその事実を認めました。ミリンチームは大会に優勝してダノンカップのブラジル国内代表チームとなり、2010年にはアフリカで世界大会を争う予定です。下部組織は我々の期待に応じて、我々はアマチュアサッカーのプロたちが発展している仕事に対して非常に満足しています。 2010年度の計画 契約があってプロで利用されていた下部組織の選手12人だけが来季に残ります。もちろん、チームには経験豊な選手を1人か2人を持つ必要がありますが、補強選手は1月に入ってから探します。2010年半ばまで、我々は更にZico10サッカースクール50健をブラジル中で開校することで、下部組織は今年よりも強くなって、才能選手獲得の範囲を広げます。サッカースクールから来た何人かの選手が既にCFZにいます。そして、年明けには、キンチーノのサッカースクールからまた何人かの少年が来ます。 CFZがなくなると言う噂 CFZがなくなると沢山の人が言っていましたが、それは真実でありません。確かに我々との確約を守る事が出来るかどうかわからなかったので、我々は連邦へクラブのライセンスを渡した事もあります。予算が限られていても、解決を先延ばす事を好むクラブもいるけど、我々は違います。来年は、CFZは州選手権2部で争います。 翌シーズンのパートナーシップ 可能性は常に存在します。企業、グループ、個人で我々を支援てくれる人達がいてくれます。ただ、まだ交渉中です。このクラブでは誰も何も隠さないので、すべてが決定された時に発表します。 自分の子供たちがサッカー選手になること 確かに、私たちがジーコの息子であったためのプレッシャーに比べると、自分の子供たちは楽です。フェリッペはすでにサッカーが大好きで、フラメンゴの試合をみて、ゴールで大喜びする、そして、いつもボールが欲しいと言っています。私は、父が我々に対して扱ったようにします。サッカー選手になりたいなら、それはとても良いことです。そうでなければ他の事をすればいいです。一方、3月に出産予定のガブリエルは、常に内側から母親のお腹を蹴っているので、FWになるでしょう。 ……

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サッカーを襲う暴力

[2010.01.23]

私が昨年5月にこのコラムで暴力について語りました。その際には、CSKAの黒人選手Maazouがディナモサポーターによって、私の目の前で、卑怯な人種差別の犠牲者になりました。その出来事に対して私は事件を告発し、UEFAの会長である、友人のMichel Platiniの補佐機関に電話しました。ヨーロッパ最大機関において、あのような行動をもっと監視してもらえる様に依頼しました。数ヶ月後、私の依頼は応対され、現在は同様な状況においては厳罰が規定されます。今週の私のコラムでは再び暴力について話します、しかし、今回は実際の身体的な侮辱による暴力です。 先日Kavalaの都市で地元チームと対戦し(オリンピアコスの監督として私の最後の試合)、我々は0-0の引分けでピッチを去りました。しかし、残念ながら、実際には試合はあまり重要ではありませんでした。試合前に、サポーターたちがピッチに侵入し、警察や他のサポーターと喧嘩しました。外側から爆弾の音が聞こえて、我々のチームは、安全に対して恐れがあったため、試合キックオフの1時間前から更衣室から出る事ができませんでした。コーナーキックの時には、まるで我々全員が戦争の的のように、ペットボトルや色々な物が副審や選手の方に投げられました。そして、ハーフタイムにはピッチの中で再び侵入したサポーターによって壊された椅子が見せ付けられました。後半のためにチームと共にピッチに戻ろうとしていた私も自分自身を守らなければなりませんでした。我々のリザーブのうちの1人が、私より運がわるく、頭に物を投げられました。試合の後、我々は戦いがスタジアムの外側で続いたということを知りました。そして、アリスの試合は、安全性の不足によって中断されました。私は、一生経験するとは想像したことない体験をしました。私は、自分の無傷な状態を維持するために警備員10人に囲まれて記者会見へ向かいました。私がはっきりしておきたいのは、このコラムはクラブの監督を辞める前に既に作っていたので、辞任とは直接関係ありません。しかし、これらの事実を報告しなければならない事はとても難しいです。そしてもっとありました。私は個人的に、一生経験するとは想像したことない体験をしました。私は、自分の無傷な状態を維持するために警備員10人に囲まれて記者会見へ向かいました。我々のバスは警察車両10台以上によって護衛され、他の道を利用して、到着には側面ゲートから入場しなければなりませんでした。あの時、我々は逃げているようでした。そして私はサッカーで仕事して自分自身を守らなければならなく、または、仕事の行使において自分の安全が脅かされるようになるとは決して思った事はありませんでした。その後、私はアテネの自宅で考え、同時に、少なくとも家の中では私は無事だと思っていました。こういう状況でサッカーはどうなるのでしょうか?私は常に自分自身に問いかけています。何百万のお金、プロフェッショナリズム等、サッカーをビジネスとして含む全てがこの環境をより整理させるべきでした。しかし私が見ている状況とまったく違います。そして、この気持ちは私を非常に悲しませました。特に私はスポーツに対して大きいな情熱を持っていますから。トルコでも最悪の暴力エピソードを目撃しました。Galatasarayのサポーターは、驚くくらいホームスタジアムを破壊しました。椅子、火事、まるでハリケーンが通ったようでした。しかし、行動していたのはサポーターでした。私はこういう状況で、いつまでサッカー界でやっていけるか、監督としてどれくらい続けられるのか分からないと考えています。この世界での約40年間にわたって、私がこれほど失望して懐疑的になったのは数少ないです。ここのエピソードは明らかにより厳しい影響を与えました。昨年のブラジル選手権の最終節でFluminense対Coritibaのゲームにて起きた出来事も引用できます。私は、数多くの国のエピソードや、サポーターによって攻撃される選手の多数のケースを引用することができます。しかし、我々がその出来事の中にいると、感覚はより激しいです。 私は、この状況下で無力さを感じます。私は年末には、チャリテイーマッチで結束した元選手や現選手を見に行った約8万人と一緒にマラカナンで活動していました。スタンドではヴァスコ、ボタフォゴやフルミネンセのユニフォームを着たファンがいたと聞きました。平和でしたので、私は可能だと信じます。現在、私は厳重な警戒の中オリンピアコスのチームと出ました。そして、記者会見の為に警備員が必要でした。私が見て、過ごしてきた全ての後に、この事実を受け入れるのは非常に難しいです。しかしながら、Maazouの件と同様に、私はこのコラムによって、これらの暴力のケースに対してUEFAのような機関やFIFA自体からもっと注視してくれるように要求したいです。チームや連盟に厳しい懲罰を与える必要があります。イングランドは数年前に手本となり、そして、現在、どの監督でも現地で働くことについて積極的に考えています。少なくとも安全は必要です。私がここで望むのは、尊厳をもって働けること、それだけです。サッカーの世界において暴力はあってはなりません。では、また来週!……

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ジーコのオリンピアコスでの戦績

[2010.01.23]

今月の29日でジーコはオリンピアコスのの監督に就任してからちょうど4ヶ月目となるところだった。デビュー戦では宿敵AEK戦に2ー1の勝利。奇しくもこのAEKに敗れた(1月6日)事が今回のシーズン途中解雇騒動の引き金となってしまった。 在任期間120日。21試合(国内リーグと欧州CLの2大会に参戦)中 12勝4分で、敗数は 5敗(内2敗はCLでの予選リーグ、他は国内リーグ18試合中での3敗のみ。CLでは強豪Arsenalを倒しベスト16進出。ギリシャ国内リーグでは現時点で2位に付けている。首位のPanathinaikosとの差は勝点で7となっているが折り返し地点でPanathinaikosは強豪との直接対決を全て残した状態である。 シーズン途中の解雇であった為タイトル争いは断念せざるを得なかったがギリシャでの勝率57% は以前のそれ等と比べても遜色ない。 今回でZicoは7つのチームを指揮した事となる(役員兼監督であったCFZを含む)……

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マラカナンでの像はジーコのために作られた3つ目の像

[2010.01.21]

古代から、偉大な人物を不滅にする像を彫刻し、人々は英雄、神々や人物に敬意を表する習慣がある。世界で数少ない選手に対してこのような作品によって敬意を表されている 年末にジーコがマラカナンスタジアムで自分に敬意を表するボレーシュートを再現する像を序幕した。しかし、多くの人が知らないのは、これがジーコのために作られた3つ目の彫像であること。他の2つは日本の鹿嶋市にある。 最も有名な1つは、カシマサッカースタジアムの前に位置する、ジーコがドリブル直前に右足を動かしいるシーンを示している。鹿島アントラーズの最大のアイドルとしてその敬意を表された。 彼が鹿島アントラーズでプレーするため、そして同クラブの発展を支えるために来日した1991年から開始したプロ化へのプロジェクトの責任者として尊敬されている。 スタジアム前のジーコ像は、市の観光スポットのうちの1つであり、スタジアム内にあるカシマサッカーミュージアムにもジーコへの敬意を表すエリアがある。 日本での第2目の彫刻はスタジアムにあるものよりは小さく、日本では有名なポーズのイメージでジーコを表現している。ボールを転がす瞬間を待っているチームの指揮官として、手を腰に、そして足をボールの上におくポーズ。 鹿嶋のショッピングセンターの広場で、2004年にオープンされた「エスパッソ・ジーコ」にある。そして手形と足形、写真や他のグッズもおいてある。 興味深いことに、ジーコに敬意を表す3つの像を見ると、各像が異なる瞬間をキャッチしている事に気づく事ができる。 立ち止まって足元にボールを止め、ドリブルしたり、ボレーシュートを行っている。 3つの芸術作品は永遠化されるジーコに動きを与えている。……

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オリンピアコス、ジーコ監督を解任

[2010.01.20]

オリンピアコスがジーコ監督を解任した。ジーコは電話でサイトに心境を語った。 Q)今回の解雇はいきなりだったのか? ジーコ)昨晩副会長と話しをした際「サポーター、マスコミからの君の解雇要求のプレッシャーが厳しい」と告げられた。それに対し「チームの状況が停滞している時はよくある事。自分は周りに左右されずに仕事を続ける」と答えた。しかしながらクラブとしては契約の続行は不可能と決定した様だ。会長不在も重なったとかで今朝クラブの“サイト”で解雇の事実を知った。 Q)解雇についてクラブ側の誰からも直接あなたに電話とか連絡はなかったという事か? ジーコ)なかった。自分の解雇をクラブのサイトで知るというのは辛いものだ。結局はサイトを見た1時間20分後の11時間42分、私、Edu、 Moracyの正式解雇通知(ギリシャ語、英語)を自宅でクラブ側から受け取った。この様なケースは長年サッカーに携わっているが見たことも聞いたこともない。それもクラブの規律部門の役人からまるで何か悪い事でも仕出かした人間の様な扱いであった。 Q) Olympiacosに於いての仕事の自己採点は? ジーコ)まだ始めて四ヶ月という 短い期間なので難しいが良い結果を残せたと思う。例えばクラブとの契約でも最終的に2位以内で終えた場合は延長についても全く問題はない事となっていた。今現時点でチームは2位。勝点は首位と7あるがまだ12試合を残している。CLではベスト16に進出し、チームの勝敗数は 現在まで21試合をこなし5敗。仕事の続行を妨げられる状況では決してないはずだ。しかし残念ながら現実には解雇となった。 Q)今後は? ジーコ)本当に残念だが一週間以内な引越し作業もこなさなければならない。従ってリオに帰国するまで多少時間がかかるだろう。今はまだ多少自分の気持ちが整理が出来ていないので今後の予定は落ち着いてから考える。因みに今回自分のサイトのテーマとしても考えていた現在の世界のサッカー界の実状、例えばここギリシャでも経験したが世界のサッカーを取り巻くバイオレンスの問題等、サッカーを生業とする者が、その為に直面する危険性等この機会にじっくりと考えてみたい。この場で自分を支えて下さった多くの方々に心から感謝したい。メールを通じ多くの愛情溢れるコメント、ご意見を頂いた中で今回特にそのご意見に素直に従う気持ちになった。 Alex Carvalho氏からの『少なくとも一年くらい家族とゆっくり過ごしたらどうですか!?』ありがとう!そうするつもりです。少し疲れました。……

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Kavala戦ハイライト映像

[2010.01.19]

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Kavala戦後のジーココメント

[2010.01.18]

「残念ながらまたまた大事な勝点3を取りこぼしてしまった。チャンスの数からすれば前半で決めてしまってもおかしくはなかった。Panathinaikosが連勝を続けているだけに今回の引き分けはかなり痛い。勝点で7離れてしまった今の状況でなすべきことはいつも通りしっかりとトレーニングを確実に活かし大事に一戦一戦を勝って行くしかない。」……

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オリンピアコス、アウエーでKavalaと引き分ける

[2010.01.17]

17日に行われたギリシャスーパーリーグ、オリンピアコスはアウエーで Kavalaと対戦、ゴールが決まらずスコアレスドローの0-0で引き分けに終わった。首位のパナシナイコスが2-0で勝利したため勝点が47となり、40のオリンピアコスとの差は7に広がった。……

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困難な年明け

[2010.01.16]

年末のマラカナンでのスターゲーム、像の除幕式、そして家族と共に過ごしたリオでのクリスマスとギリシャでの年越しの後、我々は年明け早速、重要な2つの試合を戦った。その1つはここアテネでのダービーマッチ。我々は負けてしまったが、今週の日曜日にはLarissa戦で今年の最初の勝利を得た。 しかし、ここからは勝ち点を失うことはできない。今年の困難な始めが、今週のテーマである。 我々は2009年において国内リーグでわずか1敗で終り、その結果は我々に危機感を残したが、首位を逃してもそこまで心配することはなかった。しかし、年の明けに我々はAEKに敗れ、勝ち点差は5ポイントに広がった。もちろん、このような2連敗は、優勝を目指しているクラブに影響を及ぼしてしまう。 2-1で敗れたAEK戦に対して、前半において我々は少なくとも30分は相手チームを抑えた。勝てたかもしれないが、先制点を許したことによって我々のリズムが崩れてしまった。この試合は普通の試合ではなくダービーマッチであった。Larissa戦では2-1で勝ち、我々は試合半分だけ良いプレーを見せ、4-0で終わることができたかもしれないが、多くのゴールチャンスを失ってしまった。 我々のチームは同じ試合の中も不安定なパフォーマンスを見せている、そして場合によっては悪い結果という報いを受けている。 我々の最大のライバルは油断をせずに、幾つかの大勝によって大会の得点王を決めて行く。我々の敗北と彼らの勝利が首位から勝ち点差5の結果となった。今後、理論的には、単に我々の努力だけではどうすることもできない。彼らが負けるように期待する他に、直接対戦では我々は勝利しなければならない。 これは、オリンピアコスが困難を乗り越えられるように、コーチ陣や選手たち全員が力を合わさなければならない時である。もっと働いて、決定的な瞬間に必要なもう1つの何かを与える時間だ。 2月のUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメントと同様に、今からの各々のゲームは、我々にとって大会決勝戦である。選手たちは、チャンピオンズリーグのような大会にクラブで自分の履歴を残すことについて重要性を知っている、そして、ギリシャでオリンピアコスの覇権を維持する責任について自覚している。 困難の瞬間、より働いて、より気合を入れてゲームに入る時間だ。 では、また来週!……

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日記更新しました

[2010.01.15]

2010年1月9日 2010年の最初の投稿 ハ~イ。. オリンピアコスでの仕事の他にもここギリシャには家族が着ているので、2010年の初投稿するのに時間がかかった。パソコンに向かう時間がほとんどない。しかし、いくつかのものを用意した。先ず、ツイッターを管理するZNRスタッフが多くのメッセージへのリンクを送ってくれたので、その中の幾つかを引用したい。 @pedrohbcunha, @marcinhaBTAVARE、私の従姉妹が亡くなった後にメッセージを送ってくれてどうもありがとう。このニュースで年を始めるのは本当に悲しかった。もっと先に、この話について私が用意した2つの写真がある。 そして、ツイッターで言うと、見ている人の@artedabola, @reybahiano, @thioliveira, @izabelbebel, @edx30, @edmilsonlani, @IgrejaFlamengo, @RozaneDias, @butecodofla, @rafaelburity, @ricardoriodejan, @F_Zavoli, @leomercio, @rmuchinelli, @soundtrackers, @saulo_bricio, @marco_sa, @pecak, @AlmiJr, @djmangueira、沢山の愛情の表示やメッセージをありがとう、そしてそのフォロワーの何人かを私は知っているよ。スターゲームや像について話した人がいた。そして、その多くのユーザーは送られたものを広げてサイトが知れ渡るように支援してくれている。とても良いことでありがとう!と伝えたい。私はTwitterで起こっている事を知るために覗きに行くので、このサイトにて答えるようにする。いつかは私もツイッターを使用するようになるかもしれない。 Luiz Claudio Peixoto、我々はスターゲームによって北京まで届いたのか?それはよかった。メッセージありがとう。Craveiro Junior 今回はコメントを残したので良かった。Marcos Machado 君はゴールや他いろいろによってブログでCFZブラジリアのリポーターになっているのだ。いつものお気使いをありがとう。Djalma とAlexはいつも顔をだしている。Ricieri Stapazzoli, Renata Bottino, Ricardo Afonso, Maria da Graça, Rodrigo Lemos, José Carlos Filho, Daniel Pereira と他に多くの人、メッセージありがとう。私はいつも全部読んでいる。 さて、幾つかの写真を見ましょう。私が言ったように、残念ながら、私にニックネームをつけた従姉妹、リンダの死亡で今年が始まった。下記の写真では、リンダが他の3人姉妹の真中にいる。ふたりは第1回目の結婚から生まれ、他のふたりは第2回目の結婚から。私のトゥネカ伯父は私の父親のふたりの姉妹と結婚した。真中の2人、リンダとマリアジーニャは、シプリアナ伯母との最初の結婚、そして他の2人、エリーザとルーシアは、エルネスチーナ伯母との第2回目の結婚。エルネスチーナはまだ生きているたった一人の伯母である。104歳なので、リオで最も年をとった人だろう。 ここでエルネスチーナ伯母の1つの写真。 そして最後に、鹿島が3連覇を獲得した後にクラブハウスに届いた沢山の花束。花屋以上だ! 後で、ここギリシャでの大晦日の写真をもって戻るよ!……

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オリンピアコスが世界のクラブランキングの12位に

[2010.01.14]

The International Federation of Football History and Statistics (IFFHS)が2009年のクラブの年間ランキングを発表した。 オリンピアコスは、206,5点で12位。一番のチームは341ポイントでバルセロナとなっている。 1- FC Barcelona (ESP)- 341,0 2- Chelsea FC (ING)- 292,0 3- Manchester United (ING)- 291,0 4- Shakthar Donetsk (UKR)- 275,0 5- Werder Bremen (ALE)- 272,0 6- Hamburgo SV (ALE)- 264,0 7- Arsenal FC (ING)- 260,0 8- Estudiantes de La Plata (ARG)- 243,0 9- Cruzeiro EC (BRA)- 235,0 10- Galatasaray SK (TUR)- 219,0 11- Roma (ITA)- 212,0 12- Olympiakos (GRE)- 206,5 13- Grêmio FC (BRA)- 206,0 14- FC Internazionale (ITA)- 206,0 15- FC Bayern (ALE)- 204,0……

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ジーコのニックネームの命名者であるリンダの死

[2010.01.13]

年末年始のお祝いの中、ジーコ家族に悲報が伝わった。ジーコの従姉妹であった、エルメリンダ・ホリンが癌の為79歳の誕生日の前々日、2009年の最後の日に死亡した。 「リンダ」として知られていた従姉妹は、アルトゥールー・アントゥネス・コインブラのトレードマークとなったニックネームを考えた人である。ギリシャのアテネでこの悲しいニュースを受けたジーコは、当時を思い出しメッセージを残した。 「ここギリシャで、サンドラ、息子たち、孫フェリッペと一緒に迎えた新年のお祝いの中で、私の家族にとってこのような悲報を受けるのは残念なことである。私は兄エドゥーとこのギリシャの遠くにいるが、兄弟のナンド、トゥニコとゼゼーから我々に情報が伝わり、リオ・デ・ジャネイロでは我々を代表を務めてくれた。我々は、キンチーノ区で幼年時代にいつも近くにいた彼女に深い愛情を持っていた。私の父親はとても仕事をし、自分の兄弟やその兄弟の子供たち(リンダを含む)を育てた。そして彼女は私のトレードマークになってしまったニックネームをつけてくれ、その後私の歴史の一部となった。リンダはいつも皆が色々なニックネームによって私を呼んでいたのを聞いていた。アルトゥルジーニョ、アルトゥルジーコ、トゥジーコや他に似たようなもの。そして、いつの日か、彼女は私の父親に「ジーコ」を使うようにと言った。私はリンダへの愛情をあらためて伝えたい。そして遺族へも力を送りたい。彼女が安らかに眠り、ニックネームを決めた時に私を見てくれたように、天国から我々を見守ってくれるように願っている。ありがとう、リンダ!」 とジーコが述べた。 ……

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Larissa戦のジーココメント

[2010.01.12]

「及第点以上の内容のゲームだった。 序盤から主導権を握りニ得点。これである意味余裕が出来た。しかしながら後半はリズムを失う場面もあり危ない部分もあったが。しかし重要なのは勝ち点3をもぎ取った事。この時期、不用意に勝ち点を落とせない。何故ならPanathinaikosとの差が5となっていてこれ以上離される訳にはいかない。とにかく彼等が調子を落とすのを待つとともに自分達は勝ち続けなくてはならない。」……

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Larissa戦のゴールシーン

[2010.01.11]

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オリンピアコス勝利!

[2010.01.10]

10日に行われたギリシャスーパーリーグ、オリンピアコスはホームで戦い、GalletiとMarescaのゴールにより2-1で Larissaに勝利した。 この試合での勝利は重要であった。9日の試合で首位パナシナイコスが勝利したため勝点差が一時的に8に開いたからである。パナシナイコスの勝点は44。オリンピアコスは39とその差は5のままである。……

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日記更新しました

[2010.01.09]

2009年12月30日 2010年、おめでとうございます! ハ~イ。今年の最後の投稿、私と一緒に過ごすために家族の皆がギリシャにきてくれて、もう2010年へのカウントダウンに気を引かせている。スターゲームに行ってくれた人、私にメッセージを送ってくれた人や、つまり、このサイトをチェックして、常に私と共にいる皆さんへ再度感謝の言葉を送りたい。心から、ありがとうございます。 写真の前に、このサイトをいつも見ているサポーター、アンドレアにメッセージを残しておきたい。彼女の母はクリスマス前に亡くなった。テレザ・カウダスさんが天国から我々を見てくれるように祈り、家族にお悔やみ申し上げます。そして、今月の初めに娘タチアナを亡くした、友人のマルクス・ヴィニシウス・ブカルにも。私が最初に出したVHS「初心者へのジーコサッカー」の製作に働いたタチアナに対して私は深い愛情があった。スターゲームでの1分間の黙祷は彼女2人のために捧げられた。 では写真へ。この最初の大きいな写真は、スターゲームの更衣室で、ユニフォームを着た私の孫フェリッペ。 スタンドに横断幕があると聞かされ見に行った。私と同名の小さなファンと一緒に写真を撮るのは難しかったが、全てがうまくいった。 今度はマラカナンで私の像の除幕式にて。像を思いつき、実現するために戦った人のうちの1人である、フラメンゴサポーターのマルセロ・チジョロの横で。 パーティー中にモニターではZico Na Rede のDVDが流された。. 最後に、また像の除幕式で、サンドラ、フェリッペを抱いているブルーノとガブリエルを妊娠しているダヌービア。 ではまた! ……

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素晴らしい年末!

[2010.01.08]

私がこの2009年の最後のこのコラムで扱うテーマについて、このタイトルが全てを表している。この年末のリオでの短い滞在期間には強烈出来事が多くあった。この数日間において感動が集中した。 我々のチームは年明けの1月6日にはダービーマッチが行われる。このために、ここギリシャではリーグ戦は停止しないため、年末のリオの滞在は七日間であった。リオの家に到着してすぐに、三男チアゴ・コインブラの結婚式のために準備をした。チアゴは22日にマリアーと結婚し、わたしはスーツに着替える時間もないくらい慌ててパーティへ向かった。子供が人生での重要な一歩を踏み出す瞬間を見る事は親を感動させるものだ。ふたりが幸せでありますように! そして、そのあとクリスマスがあった。再び家族が集まる大きな喜びがあった。私の孫フェリッペやサンドラと息子たちと一緒に、家でできるだけ一瞬一瞬を楽しんだ。自分にとって前を向いて進むために力を与えてくれる「家族」の存在はとても重要である。 クリスマスが過ぎ、私はマラカナンで像の除幕式に出席した。私はこのような敬意を表わすことについては、できれば、対象者が生きている間にするべきだと思う。その人が行ってきた功績を、本人が出席して讃える事は素晴らしいと思う。そして、正に自分はマラカナンのホールで、アベルゴメスによって工夫された美しい彫刻が私に与えられた。私はボレーシュートをしている。 私が、マラカナンは私の家であるといつも言っているので、今回は感動的なものであった。私は多くのゴールを挙げ、プロの選手として非常に幸せな瞬間を過ごした。今回像によって不滅にされたことを本当に誇りに思っている。それがサンタクロースが今年の私のために贈ってくれた素敵なプレゼントだと思っていた。しかし、まだ他にもあった。 本当のサプライズは像の除幕式の翌日の27日に用意されていた。我々のスターゲームには70,000人以上が入場し、もしブラジル選手権ならば、今年度の最多入場者数の5番目になるはずだった。スタジアムではフラメンゴサポーターの存在をはっきり感じることができた。そして他のチームのサポーターであっても試合の目的はチャリテー活動であると知って観戦してくれた。 スタンドにいたフラメンゴサポーターがヴァスコやフルミネンセのサポーターである子供と一緒にいるのを見たという人達からたくさんのメッセージが私に届いた。ホタフォゴのユニフォームを着た女性や家族全員がユニフォームを着てたシーン。スタジアムでは問題やケンカは発生しなかった。ゼ・カルロス(私の元仲間)の家族と、病気であるフルミネンセのワシントンのためにチケット代を通して募金が集められた。 7万人のサポーターによってスタジアムが一杯になり、この日の為に集まった選手と一緒に、常に私の家のようなピッチに立てる事は、言葉にできないくらいの感動であった。そしてサポーターに敬意を表するには、他のものを全部忘れる事が一番だ。マラカナンスタジアムで歴史を作ったもう一人のアイドル、ロマーリオも参加してくれた。更に、フラメンゴの今回の優勝の立役者であるアドリアーノ。思い出に残る試合の為の最高の選手である。これら全てが妻サンドラの誕生日の日に行われた。 今は私はここギリシャで大晦日を迎えている。この年末の悲しい出来事は、私の最初の伝記を書いた友人マルクス・ビニーシウスの娘、タティアナ・ブカールの死。私は常にタティアナには愛情を持っていた。そして何回かサッカーセンターにも来てくれたアンドレア・カルダスの母親、テレザ・カルダスの死。アンドレアは、長年にわたって私のキャリアをチェックしてきているファンである。亡くなった2人は天国からきっと私たちを見守ってくれている。 最後に、私のコラムを読んで、サイトを常にチェックして、私の仕事を応援してくれる皆さんにお礼を言いたい。2010年には良いことがもっとあるよ!皆さん明けましておめでとうございます!……

in [ジーコの主張]

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オリンピアコス敗れる

[2010.01.07]

6日に再開されたギリシャスーパーリーグ、オリンピアコスはホームでAEKと対戦し2 - 1で敗れた。 この結果オリンピアコスの勝点は36。首位 Panathinaikos は Ergotelisに4-1で勝利したため勝点は41となりその差が5と開いた。 ……

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マラカナンスタジアムでのジーコ像の除幕式

[2010.01.06]

年末に行われたマラカナンにあるサッカーの殿堂でのジーコ像除幕式は、ダービーの試合の時のような熱気がありました。スタジアムの歴史で最大の得点王として333回揺らしたジーコは、美しいボレーシュート のシーン(ジーコが大変気に入っていたプレー)で、デザイナーのアベル・ゴメスの作品によって不滅の像になりました。 「私は少し前にこの像を見てとても気に入りました。私はアベルと見ていて、どのプレーを見て彼が製作したのか思い出そうとしていました。私が82年のワールドカップにおいてニュージーランド戦で決めたゴールに似ていると思いましたが、彼は私がフラメンゴのシャツを着ていた時のプレーだと言いました。像は完璧に動きをキャッチして、素晴らしいです」とジーコがコメントした。 作品をかぶせていた白い布を取る前に、ジーコは感動に溢れました。彼は、家族の存在を強調した、しかし、彼の亡き兄ゼッカ、そして亡き両親のアンツネスとマティルデがそこにいなかった事を嘆きました。 「私の両親と兄が、この重要な時に、天国から私を祝福していると知っています。約40年前に、ここにいる友人ペドロ・シリロと、私は初めてマラカナンのピッチを踏みました。この像の制作に対して、依頼をしたフラメンゴのサポーターたち、アベルやマルシアに感謝したいです。とても光栄なことであり、とても嬉しく思っています」(ビデオでのジーコのスピーチ) 式典は、ジャーナリストのセルジオ・ドゥボカジエ(SUDERJの広告担当者)がジーコと家族をホールに呼び出して始まりました。次に、長官のマルシア・リンスが今回の除幕式について説明しました: 「キャリアの中で800ゴール以上を記録し、そのうちの333ゴールはこのマラカナンスタジアムで達成した。ジーコの像をここマラカナンに置かずにはなりませんでした。数年前からこの瞬間のために奮闘してきたサポーターたちの勝利であり、敬意に値します。間違いなく、ジーコはここで戦った最大の名選手のうちの1人で、名声の歩道に足跡を残した最初のチームの一員でした、そして、今、不滅にされます。おめでとうございます」と、観光局の長官がSUDERJ社長のサーヴィオ・フランコの隣で述べた。 妻サンドラの他に、兄弟のエドゥー、ナンド、ゼゼーとトゥニコ、息子たちのチアゴ、ブルーノ、ジュニオルと妻たち、孫のフェリッペとその他の親類や友達が出席しました。有名な元フラメンゴ選手の中では、ジョルジーニョ(ブラジル代表のアシスタントコーチ・元フラメンゴSB)とチャルレス・ゲヘイロ(元SB)やアーティストのイヴォ・メイレレスとサンドラ・デ・サーも参加しました。 ……

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DataZico:2009年は2つのタイトルと試合が勝率58%

[2010.01.03]

2009年の監督としてジーコの最後の公式試合は、オリンピアコスがアリスに負けた12月20日の試合。その結果でギリシャスーパーリーグの首位を失うことになった。しかしジーコにとっては素晴らしい年であった。DataZicoによると2009年の53試合において勝率58.4%の31勝を得て、ロシア・カップとロシア・スパーカップの2つのタイトルを獲得した。 ジーコはCSKAを年を始めから9月まで指揮した。35試合において、ロシアのクラブは20勝と2つのカップを獲得した。勝率57.1%の成果。非常に良い結果であったが、役員達は9月に契約を解約することを決断した。 9つのタイトルを含むカリキュラムとフェネルバフチェを指導した時からの実績によって、ジーコはすぐにギリシャのオリンピアコスからのオファーを受けた。そして、9月29日にAEKとのダービーマッチで主要な2対1の勝利でデビューした。2009年は、18試合において11勝で61.1%の勝率で終わった。 2009年の53試合のうち、14は敗戦であり、最後の18試合においてはわずか4敗であった。ホームでは、勝率72%を与える22試合で16勝。オリンピアコスでは、サポーターの前に不敗のジーコが進んでいる。 ジーコが率いるチームの成績は常に勝率60%に近い。チームたちは通常、ホームでは非常に強くて、ゲームの全体的な平均スコアは約2対1である。 ジーコが2006年のワールド・カップのすぐ後、監督の職務についた時は、国際的な舞台で自分の名前を強化するためには実績を得る必要があることが明白であった。そして日本代表チームでの素晴らしい仕事は実を残した。ジーコは、アジア・カップ優勝とワールド・カップ出場権のような重要な結果の他に、日本人達を指導して勝率52%の経験を持って前へと進んだ。 選手であった時と同様に、ジーコは順調に進み、フェネルバフチェでは勝率60%と2つの印象的なタイトル(2006・2007スパーリーグと2006スーパーカップ)を獲得した。ブニョドコルでの短い在籍期間は、経験、より多くのタイトルや新たな文化との人生経験を与えてくれた。 「監督になるために我々は動かなければならない。そしてもっと学ぶために経験する必要がある」と、ウズベキスタンへ行った際にジーコがコメントした。 ジーコは監督として学び成長し続けている。 DATAZICOで他の統計をご覧ください ……

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