ジーコの部屋

ハットトリックのフリーキックによって失われた4つのポイント

[2009.11.04]

サッカーにおけるエピソードというのは、数え切れないほどある。そして面白いことに、そういう類の話は同じ試合、同じプレーで起こり、多くの場合は時の流れよって忘れられてしまう。にぎやかな会話の中、あるいはプレーシーンを再び見た時など、プレーヤーの誰かがそれを思い出す日まで記憶の中に埋もれてしまう。
今、あるエピソードについて、ほこりを吹き飛ばして明らかにしようと思う。1987年11月22日に起こった話だ。

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日付を挙げられても、連想することは難しいかもしれない。しかし、私がハットトリックを決めて、フラメンゴがサンタ・クルースを3-1で下したマラカナンでの試合だと言えば、フラメンゴファンには簡単に思い出せるだろう。最初のゴールはクリアされたボールから生まれた。2番目はPK、そして3番目はDFビリグィーが動かずにボールを見ていたシーンで有名だ。試合終了間際、DFビリグィーがフリーキックの「ゴールを見たかったので」、ボールを止めに行かずに、ただ振り向いて見ていたというのは皆が知っている話だ。

そして、あの試合ではもう一つの出来事だあった。それは私をだいぶ苦しめたのだが…。それについてお話をしようと思う。あの試合での知られざるエピソードだ。

最初の2つのゴールでは私はサポーターに向かって走ったのだが、3点目のゴールは自分のチームのゴールに向かって走った。それは、我々のゴールキーパー、「ゼー・グランダォン」(偉大なゼ・カルロス)と一緒に喜ぶためだった。私はゼーが歓喜の表情で私に向かって走ってきたのを覚えている。

「やった!すごいゴール!すごい!」と言ってた。

そして、ペナルティーエリアの直前で我々はぶつかり合い、私は彼の胸の中に飛び込んだ。その拍子に彼が急に私を離したので、私は地面に強く左膝を打った。非常に痛かった。

実は私はひざの手術を受けていて、4ポイント縫っていた(ブラジルでは"4針"とはいわず"4ポイント"という)。その縫った部分が避けてしまった。試合はもう終わる寸前だったので、私がゼーとのゴールセレブレーション(祝福)でケガをしたことに気づいた人は少なかったのでよかった。

私は常日ごろからGKたちと触れ合っており、彼らは素晴らしい仲間で究極のプロフェッショナルであると知っていた。一番最初に練習に出ていき、たいてい、誰よりも汚れて帰ってくるのがGKだ。だから私は、ゼー・カルロス、カンタレリ、ハウールやニエルセン(いずれも一緒にプレーしたことのあるGK。すべてを挙げれば10人ほどになるが…)のような偉大な友人ができた。だからこそ私は、ハットトリックを決めたときに、ゼーと一緒に祝わずに居られなかった。そのことで、自分自身がケガをするとは思ってなかったのだが…。

しかし、そんなハプニングにも価値があったのだ。面白かったのは、ロッカールームで彼があの出来事について説明するのを聞いたときだ。

「ジーコ、僕はそういう事に慣れてないのを分かってくれないと。普段はだれも僕と祝ってくれないだろ! だから混乱したんだよ」

皆が大爆笑、そして1人が加えた:

「ちっ、ゼー。ジーコは3ポイント(ゴール)を決めたが、結局、マラカナンで4ポイント(4針)を失ってしまったじゃないか!」

そしてゼーの"苦情"は価値があった。その日からは、我々はゴールの後には、必ず誰かが彼と祝うためにゴールまで走ることを決めた。我々はそうして連帯感を増し、マラカナンでインテルナシオナルとの決勝戦で優勝を確定した。

ゼーは合宿での遊びの試合で時々私のパートナーになり、スヌーカーの相手でもあった。我々が組織した奇特なイベントとお祭りゲームの全てに常に喜んで参加してくれた。

以前にもここで紹介した通り、そのゼーは今年7月。腹部ガンのため、47歳の若さで早逝した。またここで「ゼー・グランダォン」についてたくさんの話をしたいと思う。

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