副審か?主審か?
[2009.09.04]
私の事を知る人は、私が審判による判断ミスの批判者であっても、ブラジルや世界で行われているように、主審と副審を責めて苦しい思いをさせる事には賛成しない事を分かってくれています。リオのCFZ時代にはとても妨害されていました。私はかつてW杯でゴールを不合理に取り消された事もあり、日本監督としても、審判から害されるいやな経験を味わってきました。しかし、私には主審の友人がいます。そして、悪意で試合に入る者は少数派と信じている。したがって、今週の「ジーコの主張」において、このテーマを扱って正直さを議論している訳ではありません。主題はゲームにおける責任感。または、その責任感の意識不足。
説明しましょう。私はコラムで「フェアプレー」に賛成をするのは初めてではない。主審によるミスは試合の一部であると言う事は私は認めない。更に、何百万のカメラや映像のリプレイと審判員が判断しなければならない秒の分数による競争は不当と思っています。しかし、試合を指導する人が自分の責任を省略したり、または旗の後で隠れたりする事に対して私は認めることができない。それが現在、ここロシアで起こっていることである。主審たちは、副審たちに決定を依存させている。彼らはもうファウルやPKの判定に対してそれほど責任を持たない。私の意見ではそれは不条理な事である。
我々に対して最近相手チームに与えられたペナルティーキック4つのうちの2つは、主審が迷っていたようで副審が判断を示した。ここでは、主審がプレーを続行させて、数秒後に、より悪い位置にいる副審の合図によって後戻りするのは珍しいことではない。私は主審がかかえるプレッシャーを理解している、しかし、それでは意味がなく、ルール外になってしまう。結局のところ、ゲームのジャッジを行うのはだれ?
そしてロシアの国外において異常なエピソードではない。私は世界中でそう言うケースを見ている、そしてより私を怒らせているのはサイドライン付近のファウルが副審によって判定されること。主審がホイッスルを鳴らす前にもう彼らはファウルを示すために旗を掲げている。副審をより自由にさせて審判を改善したいという考えは分かるけど、そのようにはいかない。ホイッスルを持つ人が責任をなくして解決する訳ではないから。その状況によってここで引き起されているミスの数は非常に大きい。ロシアのサッカーにおいて誰がプレーを判定するか分からなくなっている。
よく考えると、副審にはすでに少なくとも2つの非常に重要で難しい任務がある。その第1は、最終ディフェンスラインを見て、オフサイドポジションを判定することになっている(テクノロジーによって見張られると非常に難しくなるもの)。彼らはいつでも間違いに影響されやすい。その第2は、ゴールラインを含めて、ボールがタッチラインを割ったかを確かめることである。皆さんは少ないと思っているかも。これらの2つのミスなしでゲームを見ることは難しい。それなのに、彼らがペナルティーエリアでのファウルなどを示すようになると、どうなるのだろう。私が望む事は主審に対する責任である。我々はすでに4つ、5つのチームがタイトルの為に戦っているという非常に競争力のある選手権がある。彼らが間違えることは分かるけど、私はだれが間違っているか、そしてその間違いの理由を知ることが重要だと思う。ゲームをコントロールする責任を副審へ依存するという話は、常に疑問を抱かせる。判定する自信がないのか?能力不足か?副審への信頼か?とにかく、我々は確実性を持ちたいだけ: それぞれの人は役割を果すためにフィールドに入るべきである。
では、また来週!