[2009.09.30]
29日、欧州チャンピオンズリーグのグループステージ第2節が行われた。Hグループのオリンピアコスはアウエーでアーセナルと対戦した。アーセナルのペース試合は進んだが、オリンピアコスもGKアントニス・ニコポリディスを中心とした粘り強い守備で得点を与えなかった。しかしながら、78分にファン・ペルシーが均衡を破るゴールを挙げ、さらに86分にはアルシャビンが追加点を挙げて勝負を決めた。
ジーココメント「相手が強豪であることは承知していた。その強烈なプレッシャーに70分以上の時間帯を耐えぬいたがそれが今のこのチームの大きな課題であるフィジカル面での限界だった。強化対策としてMoracyを登用した訳だ。怪我人も多く苦しいなかチームはよく耐えたと思う。しかしながらレフェリングに関しては疑問が残る。相手チームにはフランス籍の選手が多くまた監督までフランス人なのに何故あえて相手ホームゲームでフランスの審判団で行うのか?公正的配慮に欠けるのではないか?実際試合中のファールの判定に納得行かない部分が多くあったし最終的にはオフサイドのゴールで決められてしまった。我々は12日間で4試合をこなすという厳しい状況の真っ只中にいる。そのうち2つはクラシコの大事なプレッシャーの大きいゲームだ。幸いしたのは他会場の結果で2位につけていることだ。さらに力をつけて頑張らねば。」 ……
in [ニュース]

[2009.09.29]
日伯友好カップに携わって、今年で2度目ですが、今年の日本のチームは、いずれも去年以上のクオリティを見せてくれたと思います。特に、1人1人の技術力の高さが、目を引きました。一番驚いたのは、市川です。選手達が非常に明るく、よく笑い声のあがるチームでした。それでいて、初めてのブラジルとは思えないほど落ち着き、自信を持って試合に臨んでいました。だからこそ、結果も残せたのでしょう。負けた試合も含め、3戦3勝でもおかしくない内容でした。運営の面では、基本的なことを正確に行なう、というところを、一番意識していました。みんなに問題のないスケジュールを組むこと、試合などを時間通りに行なうこと、大会規則を違反するチームが出ないようにすることなど、運営技術にミスの出ないように、というところです。昨年の大会でジーコと共に運営を担当し、学んだ経験が大きくものを言いました。サッカーも同じですが、基本的なことがしっかりしていれば、トラブルが起こっても、対応できると。おかげさまで、大会は問題なく、スムーズに行われました。唯一悲しかったのは、マドゥレイラの姿勢です。フルミネンセに3対0で敗れそうになっていた時、試合を放棄して、ピッチを去ってしまいました。それは、大会に臨む姿勢としても、スポーツマンシップとしても、また少年達を育成する上でも、あってはならないことです。その後、私やCFZのシモンエス氏とチームがよく話し合い、来年は罰として、マドゥレイラは参加できないことになりました。一番かわいそうなのは、機会を奪われる選手達ですが、クラブの問題として、今一度、良く考えて欲しいという気持ちです。日本の人達は、高島さんの多大な尽力は言うまでもなく、多くの関係者がサポートをしてくれました。参加したチームの指導者、選手、全員の大会に臨む意欲や真摯な姿勢も、私や運営スタッフに大きな力を与えてくれました。大会と日本・ブラジルサッカーの更なる発展を目指し、来年もみんなで素晴らしい大会が開催できることを、楽しみにしています。
……
in [日伯友好カップ]

[2009.09.28]
8月にリオで行われた第12回・日伯友好カップ。指導者のコメントです。
賀谷英司コーチ(鹿島ノルテ)
「日本と違って、ブラジルには厳しい土壌があるんですよね。生きるか死ぬかじゃないけど、小さい時から、そういう戦いをやっている。だから、球際1つとっても、戦っています。その“気持ち”の部分がすごく大事だなと、あらためて感じました。そういう選手達が日本に来て、僕たちもJリーグの中で学びました。そういう意味で、15歳の年代で本場のブラジルに来て、試合をはじめ、いろいろな経験ができるのは、本当に大事なことだと思うんですね。もっと若い年代でも、やれたらいいと思うほどです。選手達も本当に感じたと思うので、日本に帰ったらまた、ブラジルで学んだことを、しっかりやってほしいなと。そうやって、持ち帰ったことを活かしてこそ、また意義があると思います。僕たちも指導者として、1対1で当たって負けないとか、日本でやっていると、甘くなる部分があると思うんです。だから、気持ちの部分と、技術的な部分、それに戦い方など、もっともっと、やっていかなくてはなりません。決勝を見て、日本のチームも、あんな決勝をやれるように、日々の練習から意識を持って、やっていきたいなと思いました。」
フェルナンド・バヌッチ(CFZ・U-17監督) ※Jリーグ選抜と親善試合で対戦。
「僕はこの大会に、監督として3回参加したことがある。その時の印象と比べても、今年のJリーグ選抜は、技術的なクオリティが、過去数年よりも非常に高かった。そして、驚いたのは、少年達は以前のように固くならず、もっとパーソナリティを持ってプレーするようになったこと。もっと喜びと意欲を持ってプレーしている。ブラジル人に対しても、対等に攻撃をしかけてくる。少なくとも、対等にプレーしようと、やっている感じだった。以前の日本人は、半ば尻ごみした感じで、少し怖がってプレーしているように見えたこともある。今年は、みんながすごく成長しているのを感じた。アドバイスがあるとすれば、ブラジル人の技術面というのは、まさに毎日の遊びなんだ、ということ。良い意味での遊びだよ、冗談半分で、という意味ではなく、生きる上で毎日欠かせない遊び。そういう毎日の経験の積み重ねの上に、技術力がある。それが、日本人に基本的に必要なことだと思う。僕らのサッカーを取り入れるためにね。でも、日本は正しい道を歩んでいるよ。進むべき道は間違っていない。僕が思うのは、ブラジル人監督が行って交流すれば、もっと成長できるということ。日本人監督を追い出すんじゃなく、プラス1として、日本のチームを手伝うためにね。僕らブラジル人が、毎日どんな練習をしているか、その経験を伝えるために。日本人とブラジル人の、経験やクオリティをミックスし、力を合わせれば、もっとずっと成長できると思う。」……
in [日伯友好カップ]

[2009.09.27]
ジーコが監督に就任してからオリンピアコスの初めてホームゲームが26日行われた。ギリシャリーグ5節Panionios戦でオリンピアコスは1-0で勝利した。得点者は前半17分Zairi。
ジーコのオリンピアコスでの2勝目。この結果勝点は13となり、日曜日に試合が行われるパナシナイコスの12を上回り暫定首位となった
Zairiの得点シーン……
in [ニュース]

[2009.09.26]
フェネルバフチェで3つのタイトルを獲得した時と同様の体制がギリシャでもとられることになった。22日にオリンピアコスのフィジカルコーチへ就任が決まった。24日に同じくアシスタントコーチ就任が決まっているエドウーとともにアテネに到着した。
この2名の就任で、オリンピアコスに既に働いている理学療法士のリオ出身のRodrigo Salvittiが加わって4名のブラジル人スタッフの体制となった。(写真はフェネル時代のもの)……
in [ニュース]

[2009.09.25]
延期になっていたギリシャリーグ第1節、Olympiacos対AEK戦でのハイライト映像です。……
in [ニュース]

[2009.09.24]
ジーコのOlympiacosでの初采配は延期になっていたアテネでのクラシコ、アウエーでのAEK戦であった。Olímpicoで行われたこの試合はOlympiacosがTorosidisの2得点の活躍で2-1。ジーコ監督の初勝利となった。
ジーココメント「Torosidisから私への初采配のプレゼントであると共に全てのサッカーファンへの素晴らしい贈り物だったね。チームの動きは最高でもっと点が取れていてもおかしくはなかった。しかしこの種のクラシコでは勝利が最も大切だ。五万人対我々という極端なアウェー戦にもかかわらずチームは最初から気持ちが入っていた。このチームの利点の一つはその結束力だ。これからの厳しい闘いに備えてしっかりと練習を積んで行きたい。」
この結果、Olympiacosの勝点は10となり、首位Panathinaikosの勝点12に続く2位となった。ジーコはOlympiacosでの初勝利であるが監督としての256試合で150勝目となった。
試合後にサポーターの祝福を受けるオリンピアコスの選手バス
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in [ニュース]

[2009.09.23]
(このコラムは9月7日CSKA監督在任中のものです)
私の監督としてのキャリアに於いて、世界で最も困難だとされている大会である、欧州チャンピオンズリーグことUEFAチャンピオンズリーグに、3度目となる挑戦への準備を現在しています。それ故に、この大会はプロにとって最も反響のある大会でもあるのです。過去の参戦ではフェネルバフチェでの異なる2回の出場でした。1回目の参戦時には、クラブに就任直後で、更に補強も無く臨んで、グループリーグへの進出まで続きませんでした。それに反して、翌シーズンは計画性を持って準備をし、ベスト16進出を果たして、クラブに歴史を築きました。ホームでは、最終的にはチャンピオンズリーグ準優勝を果たしたチェルシーも含めて、重要な試合に勝利したのです。今週は、今年はCSKAモスクワで今回が自己3回目の参戦に対する期待に関する話題です。
上記の最後から2番目のフレーズが、「ホーム」というファクターがチャンピオンズリーグでは重要な側面であるかを明確に表現しています。グループリーグでは事実上の各国チャンピオンに値する話をしている訳で、地元サポーターの前面で戦いながら勝利することが重要になります。我々の場合は、正にイングランド(Manchester United)、ドイツ(Wolfsburg)、トルコ(Besiktas)のチャンピオンが対戦相手です。従って、常に拮抗した戦いになることが予想され、勝敗の行方は些細な部分において決定されます。
我々のグループに関しては、実際に対戦相手を選択することは出来なかったかのように思えます。シードクラブはイングランド王者ではありますが、現在ではレアル・マドリードへと移籍したクリスチアーノ・ロナウドというクラッキを欠いています。若しかしたら多少ながらのダメージを感じるかも知れませんが、依然として首位候補者である事実は変わりません。現時点では我々の対戦相手である他の2チームに関しては分析をしていませんが、Besiktasは馴染みがあり彼らの特徴は知っております。そして、Wolfsburgはチャンピオンズリーグでの新参者であり、それが我々にとってのプラスとなるポイントかも知れません。でも平穏な闘いとは程遠いと言えるでしょう。2位突破に対して3チームが鎬を削り、各チームには33%の確率があることを断言出来ます。首位突破は、正に最有力候補としてはManchester Unitedだと言えるでしょう。
全体的には、バランスが取れたグループ分けだと感じます。この側面に於いては公平な抽選でした。実際にはCグループ(ACミランとレアル・マドリー)及びDグループ(チェルシーとFCポルト)と、更にはFグループ(バルセロナとインテル・ミラノ)の3グループが、一見では第3の勢力が突破を狙うには最も困難のように見えます。でも、これも抽選自体のダイナミズムの一部ではないかと考えます。その反面、ハンガリーのデブレツェニとルーマニアのウニレア・ウルジチェニが、余り知られていない2チームではありますが、チャンピオンズリーグへの進出を果たして、ある面でEとGグループにバランスを与えてくれるでしょう。従って、チャンピオンズリーグとはこの様な大会なのです。選択肢はありません。
今後取り組むべきは、目標を更に高く持てる事実をCSKAに自覚させることではありますが、我々自身が超越しなければなりません。更なるは、現時点での薄い選手層と数少ない補強による、幾つかの不利な状況下でのスタート故に、多大なる献身が必要です。新たに合流するギリェルメ選手は紛れも無く我々のこの編成には重要な人物ですが、一般的な順応期間を過ごす必要があります。来る15日にはボルフスブルクとの対戦で大会の狼煙が上がるうえ我々には余り時間がありません。しかしながら、チャンレンジとはこの様なものなのです。様々な状況に直面して、我々はそれに立ち向かわなければいけません!
それでは皆さん、また来週お会いしましょう。ウン・グランデ・アブラーソ!……
in [ジーコの主張]

[2009.09.22]
20日、ギリシャリーグ第4節、オリンピアコスはアウエーでPAOKとの試合に臨んだ。前半12分に相手に先制されるが、43分にDiogoが同点ゴール、そして後半終了間際にPapadopoulosが劇的な逆転ゴールを決めた。
ジーコは契約上の問題がありスタンド観戦にとどまった。試合はアシスタントコーチのKetsbaiaが暫定で指揮をとり、オリンピアコスは重要な勝利を飾った。
……
in [ニュース]

[2009.09.21]
オリンピアコスの“オリュンポス”は、国内でチームの覇権を守り、更に国際的にもより高く飛べさせる難しい任務のために、Zeus(ゼウス、ギリシア神話の主神)と同様に、「Z」で始まる人名を呼び出した。少なくとも、サイトをチェックしてきた人々にはこんな話に聞き覚えがあるだろう。以前ギリシャの隣国、トルコでも起きたことである。フェネルバフチェでの挑戦はクラブ創設100周年とチャンピオンズリーグでの躍進であった。今回、オリンピアコスでの目標はここ13年間で12回のリーグ優勝を果たしている国内リーグの覇権を守ること。96/97のシーズン以来、2003/04だけがパナシナイコスの優勝だった。
「我々はこの勝利の時期を維持しなければならないので大きいな責任があります。オリンピアコスは強豪クラブです。熱狂サポーターを持っていることをAZとの試合で実感することができました」とジーコがコメントした。しかし、挑戦と責任には、結果として勝利があることを数字が示している。監督としての職歴で、ジーコが率いるチームはほぼ60%の勝率の成績を残してきた。CSKAでの勝率は57%。フェネルではちょうど60%。日本代表チームにおいては、やや低い(52%)数字であるが、それでも50%を上回っている。そしてタイトルによって証明される一貫性。ジーコが指導してきたクラブは合計9つの優勝を飾った。しかし、契約上の問題で、ジーコはまだチームを指導してない。口頭では合意している2年間の契約があっても。20日の試合もジーコは再びスタンドで観戦する。相手はPAOKで、試合は同チームのホームで行われる。
「私は、22日には、23曜日のゲームのためにチームの練習を開始できると思っています。私の初試合はやはりダービーマッチのAEKアテネ戦になるでしょう」とジーコが説明した。このゲームは、日程では大会第1節に行われるはずだったが、アテネでの火災のため延期された。
ギリシア人は明らかに好奇心が強い。Zico・・・またはZiko(現地では文字「C」を「K」と交換する言語で呼ばれている)はファンからのサポートをインターネットですでに確認することができる。映像のうちの1つは、ガリーニョがフラメンゴでプレーした時と監督としての写真を編集したビデオ。(下記にてご覧ください)
……
in [ニュース]

[2009.09.20]
2009年09月06日(日) ギリシアにて オラー。今週の金曜日にようやくパソコンに目を通すことが出来たよ。400通以上のe-mailが届いており、徐々に返事を書いている最中だ。そして、ブログの更新もアテネ到着直後の写真をポスティング。全てが短期間で行われたよ。CSKAモスクワの指揮を執っているかと思えば、次の日には監督ではなくなっていた。そして、リオへと戻るべく空港へ向かい、その途中にOlympiacosの監督に就任する為にギリシアに立ち寄った。今回の行方の結末に喜んでおり、前回のポスティングに皆さんが送ってくれた数多くの温かいコメントに感謝するよ。この新たなるチャレンジに皆さんの応援を期待しているからね。それでは、写真紹介へと行こう! こちらでの最初の写真を数枚。 到着日に早速確認出来たチームのフォーメーション。OlympiacosはチャンピオンズリーグにAZを下しての初戦。特にチームのポジショニングが気に入ったよ。 こちらのサポーターはトルコに匹敵する熱狂ぶりだ。Fenerbahe時代同様に、10以上のスポーツ紙が存在するそうだ。 そしてお馴染みのスコアの表示! 最後にサイトスタッフは抜かりなく、以下が新たな仕事服だと既にいたずらモンタージュを作成。サカナージェン・・・。
depois eu volto com mais fotos! それでは、後ほど他の写真を紹介するからね!……
in [ダイアリー]

[2009.09.19]
14歳の頃、ギリェルメ・コスタが公園で散歩していた時に彼の人生に変化が起きた。アマゾン州出身で応援するフラメンゴと格闘技が大好きなギリェルメは、毎時100キロ以上で走ってきた車にひかれてしまった。衝撃によって複雑骨折、内臓損傷の重傷だった。毎時70キロ以上で車にひかれた場合は通常致命的な事故なので、多くの人々は彼が生き残る可能性を疑った。しかし、ギリェルメは怪我と戦い6ヵ月後に退院し生き残った。脊髄損傷が原因で四肢麻痺になってしまった。しかしその時、チャンピオンが生まれた…そう、彼は人生のチャンピオン。
3年後、ギリェルメは車いす卓球のブラジル代表チームの一員で、パラリンピックのこのスポーツの偉大な有力可能選手の1人になった。そして、SporTVの「Sem Barreiras」テレビ番組へのインタビューにおいて(終りの、ギリェルメのインタビューのビデオをご覧ください)、少年はジーコに会いたいという夢を明らかにした。ガリーニョとは大の仲良し、市民権プロジェクトにおいて熱心な人、マウリシオ・マルチンス・メネゼスはその話を聞いて感動し、そしてサプライズを準備した。大会に出発する前に、少し休むためにカボ・フリオへの見せかけの旅行に、ギリェルメは家族とともにリオに来た、そして、サッカーセンターで、友人たちとのゲームに準備していたジーコと出会って、彼はびっくりした。
「フラメンゴファンが見えたので、電気をつけて」と、水曜日に行われたサプライズ企画で、ジーコが言った。
明らかに感動してびっくりしていたギリエルメは、自分の選手としての歴史について少し話をした。ジーコは、Sadefのような、障害者を支援する団体との関係を思い出した。ブラジル代表団のパドリーニョ(代父)になったこともあり、車いすの選手とテニスをしようとしたとき、醜く負けてしまったことについてギリエルメに話した。
「僕は震えている、頭のなかでは見てきたジーコの映像のフィルムが流れている。このサプライズについて何も知らなかった。僕は今も信じられない。ジーコは僕がサッカーをやっていた頃のインスピレーションであった、そして今は卓球のインスピレーションである」と目に涙があふれていたギリェルメがコメントした。
父のコラシーは、ジーコに敬意を表す美しい文章を読んだ。その文章は額装されて、ジーコサッカーセンターの事務所に置かれるそうだ。更に、ジーコはシャツとキャップをもらった。母のカルラは、事故の詳細や退院した1年後の息子の反応について話した。
「ある日、ギリェルメは私と旦那に向かって、スポーツなしではもう生きて行けないので、彼が活動できるスポーツを探すと言った。そして卓球を見つけた。わずか2年で、彼は既に目立っている、そして国内での主な監督の支持がある」と説明した。
ギリェルメはブラジルでの車いす卓球の最大のエース、イラニゥド・エスピンドラと同じ監督を持ち、Parapan Juvenil(ユース・パラ・中南米大会)に参加する。スポーツにかかわる彼の夢はたくさんある。
「ここからカボ・フリオへ行く。サイトを検索しNOG(非営利団体)を見つかったので、サーフィンをやりたい」と興奮して述べた。そして、誰がこのような少年に制限を課すことができるのか?ジーコは、ギリェルメの気力を強調する応援メッセージを残した:
「ギリェルメの生活史は素晴らしい。残念ながら、事故は彼に対していくつかの機会を奪ってしまったが、この少年の素晴らしさは困難を克服し生き続けたことです。彼は現在選手である。彼が必要としなくても、我々はより多くのタイトルを獲得するように応援したい。ギリェルメは、すでに人生の偉大なチャンピオンです。ギリェルメ、おめでとう!」
SporTVのビデオ。最後の1分に、ギリェルメはジーコとの出会いを夢見ることについて述べた。……
in [ニュース]

[2009.09.17]
ジーコの予定が変更された。16日にCSKAを離れることになったため、モスクアにてリオに戻る準備を終え、空港へ向かおうとした時に連絡が入り、ギリシャのアテネに向かうことになった。アテネではオリンピアコスのチャンピオンズリーグのAZとの試合を観戦した。試合は1-0でオリンピアコスの勝利だった。
ジーココメント「今回の展開には正直驚いた。引越し荷物をリオへ送ったばかりだというのに。空港への移動中に電話が入り直ぐに行く先変更でギリシャに飛ぶことになった。今の段階では CSKAとの契約解除の書類等が整っていない為仮契約だが、程なく契約調印を済ませトレーニングに入れると思う。早速今日ゲームを見た限りでは良いチームだと思う。」 ……
in [ニュース]

[2009.09.16]
CSKAを離れたジーコは帰国に向け準備している。まだ、ロシアで行わなくてはならないこともあるが、アシスタントコーチのエドウーとともに今週中にはリオに帰国する予定である。
ジーコ監督のCSKAでの戦績は34試合で 20勝 5分 9敗だった。 ……
in [ニュース]

[2009.09.15]
少し前のことであるが、年間の途中の休暇でブラジルに戻る前に、私と妻サンドラは少し旅行することができた。カタルーニャの首都で短時間であったが非常に楽しい時間だった。バルセロナは行政的に成功したリオ・デ・ジャネイロであると冗談を言う人もいる。自然の美しさとその他の多くの点で我々の“Cidade Maravilhosa(美しい都市)”を他の都市と比較するのは難しいと思うが、そのような議論は理解できる。
興味深い側面のひとつに、バルセロナには非常に美しい海岸があってリオを思い出させること。違う点は、リオでは自然がロープウエーのあるポン・ジ・アスーカルとキリスト像とが組み合わされていること。バルセロナでは、1992年のオリンピック時に復興・整備されて海とより美しい風景が作られている。スペインが大会の開催国として選出されるまでは、同国の都市は古い構造であった。その後決して二度と昔のバルセロナに戻ることはなかった。
我々が宿泊したホテルは、海の近くの復興した地域に位置していた。塔、ホテルが建設され、独創的な可動橋は陸地とショッピングセンターがあるコンクリートの島を結び、すべてが非常によく整備されている。絵はがきにもなる眺望、路面電車みたいなロープウェイもある。
私はスポーツが大好きなので、いくつかのオリンピックの開催場所を訪問した。今回は、サッカー界の強豪クラブの一つ、バルセロナを訪問する機会がなかったが、私はオリンピックのスタジアムに行き、オリンピック村を訪問した。そして都市に対して与えるオリンピックのような大きな大会の影響力についてサンドラと話した。バルセロナの交通システムは、どこにでも電車やバスがあり、範囲がよく維持されて、現代的で効率的である。中心街では、他の大都会と同様に、泥棒によって観光客は苦労しているが、警察がよりそれに注意を注いでいる事に私は気づくことができた。
バルセロナは同時にスペインの街とカタルーニャ(大統領、政府、法律や全てを持つ自治州)の首都であるから。それは、都市と市民を共有するスペインによって受け入れらるので、2つの警察がある。都市のほとんどの場所に2つの言語(スペイン語とカタルーニャ語)が見られるのは奇妙な許容の行使となる。地下鉄、レストラン、観光スポットや中小店までに。
私が街を訪れた当時は、ほとんど世界中からの観光客を見ることができた。そして待ち合わせポイントのうちの1つは、中央にあるカタルーニャの広場と復興された地域、港を結ぶ、「ラ・ハンブラ」という大通り。キオスク、大道芸人、レストラン等、観光地域にある全てのものがラ・ハンブラや近くの路地に存在する。そして、通り道では、博物館、現代芸術と教会を見ることができる。
教会と言えば、バルセロナを通って、モデルニスモ期のアントニオ・ガウディの作品、美しくて有名な未完の大聖堂、サグラダ・ファミリアを見ないわけにはいかない。この大聖堂には余りにも多くの詳細があるため、我々には、全部を肉眼で確認することが難しい。ガウディは市内各地に広がっている公園や彫刻を作り上げた、当時の天才の1人であった。
より古典的な建築物への視線を失うことなく、若い精神とともに歩くのが好きな人々に、バルセロナには、モダニズム、現代性、組織化と多くの美しさがある。すべての年齢層の観光客から気に入られる、そして私とサンドラをうっとりさせた。世界を旅している人へ、今日の私からのお勧めの場所である。 ……
in [世界紀行]

[2009.09.13]
2009年09月06日(日)
ハ~イ。既にモスクワにて日々の仕事に戻っているよ。そして、我々の最近の助っ人であるグィレルメ選手は、既に合流して練習に参加した。彼が我々のチームでパフォーマンスを披露出来ることを期待しているよ。
何と、友人の「セルジオ・サッポ」は私の足跡を辿っているようだ。既にモスクワで指揮を執っており、現在はウズベキスタンに出現。下記はリバウド選手とのショット…。
…と、テクニカルスタッフとの写真。フェリッペ監督とムルトーザだ。フェリッペ監督とブニョドコルに幸運を祈るよ。
兄のナンドからキンチーノでの「Zico 10」の活動写真を受けた。写真の片隅にナンドが姿を見せる前置きのショットだ。サイトスタッフがナイスなルポルタージュを準備中だよ。
兄貴と言えば、こちらCSKAで一緒に仕事をしているのはエドゥー・コインブラ。友人のPaulo DerrotaとAmorim。Amorimはアメリカのユニフォームを羽織っている。
最後に恒例となった懐かしの一枚だ。下記は懐かしき過去の写真…。
Depois eu volto!……
in [ダイアリー]

[2009.09.12]
2009年08月27日(木)エドゥーの来襲及びお宝映像手短に写真を4枚アップ。始めの2枚は、こちらモスクワで27日に行われた我々の練習の光景。選手達とのコミュニケーション。
エドゥーの芸術を一枚。
そして、以下の2枚はサイトからのお宝映像。1枚目は、私が日本にいた時に、ワールドカップを制覇したバレーボールチームとの写真。
Nalbert、Giovane、Andre EllerとDante選手。
最後に、ブラジル全国選手権セリエBで現在首位チームのミッドフィルダーの若々しい表情。誰だか簡単に判るよね?
Depois eu volto!それでは、後ほど!……
in [ダイアリー]

[2009.09.11]
10日、ジーコはCSKAを離れることになった。
ジーココメント「今回CSKAを離れる事となった。ちなみに9日のゲームにも参加しなかった。後は正式に書類手続きを済ませるだけだ。解任はクラブ側の意向だ。後の事は自分の顧問弁護士が処理してくれる。一日も早く帰国したいが今のところいつになるかはわからない。」……
in [ニュース]

[2009.09.10]
本コラムを書くに当たり、私は多少ながらタイムスリップをしたく思います。2003年の東京にて、私はサッカー日本代表の指揮官を務めている時に、バレーボールの試合を観戦しました。バレーボール・コートには、翌年に向けて初のオリンピック金メダルを目指すべく準備を行っていた、偉大なる女子チームの存在がありました。そのチームの指揮官の名前はジョゼー・ホベルト・ギマラェンス氏でした。ワールドカップでは、ブラジルは最終的には銀メダルで終えましたが、私のあの日の代表との出会いは大変印象的な出来事でした。
私が会場を訪れていることを知ると、ジョゼー・ホベルト監督は代表メンバー全員をロッカールームに留めました。彼は私の移動を待ち、チームに対して何らかの言葉を発するように依頼したのです。全員が注意深く耳を傾けてくれて、我々は記念写真を撮り、意見を交わしました。ヴィルナ選手をメインとする写真が以下です。2枚目は、ブラジル代表監督とのショットです。そして最近、東京は女子バレーボールブラジル代表のグランプリでの8度目のタイトル制覇の舞台となりました。そして、この内容が今週のテーマでもあります。
数週間前には、ブルーノ・ヘゼンデ選手、男子バレーボールブラジル代表の制覇に関して書いたかと思います。そして、今回もビッグチーム内に於いて取り上げるべく二人の主要人物が存在します。一人目は既に述べた、名高くも冷静沈着なジョゼー・ホベルト・ギマラェンス監督です。有能且つ独自のスタイルを有する彼は、地位を徐々に確立しながら、周囲の尊重とタイトルを得てきたのです。そして、彼がそのグループを注意深く指揮していた姿を目にした2003年以降には私の敬意を呼びさませました。
今日、あの6年前とは多少異なる編成の代表の指揮官として、男子のリーガ・ムンジアルに匹敵する、グランプリでの8度目の栄冠を果たしました。でも、彼は冷静沈着且つ勤勉な姿勢で、常に執着心を持って勝利を追及s続けています。闘士であるジョゼー・ホベルト氏は、典型的なブラジル人の人生を象徴する指揮官なのです。2004年にメダルを逃した苦難を乗り切り、2008年には金メダル獲得で全てを超過して、現在では満場一致の存在です。正に功績だと言えるでしょう。
闘いと言えば、二人目の登場人物は2005年にようやく代表に定着したのです。日々平均身長が伸びつつ、パワーも増し続けるスポーツ種目に於いて、多大なる努力を要しました。彼女は、その166 cmの身長で、バレーボール界の流れに挑戦すべく臨んだのです。男子のリーガ・ムンジアルで最優秀選手に選ばれたセルジーニョ選手同様に、リベロのファビアーナ選手ことファビまたはファビジーニャは、コート上では巨人的存在なのです。テレビで観戦していると、ボールがコートに触れることを阻止するためにスペースを埋め尽くすその姿は、彼女本来の身長が倍増されたかのように見えます。
ファビアーナ選手は、巨人の領域に於いての小柄な偉大なるタレントであり、コート上でのこの天才的な「獅子」に止まらず、彼女は熱狂的なフラメンゴファンでもあります。彼女との出会いは、興味深くも私の50年史の自伝発売会となった2003年でした。その際に彼女はブックストアーに居たのです。気付いた私は、彼女に近づくように声を掛けました。でも、彼女は列での順番が訪れるのを待つとの事で、誘いを拒否されました。その場に待機していた皆さんに対する尊重すべき思いやりの行動でした。
ファビアーナ選手は、私がブラジル人であることを大いに誇りに感じさせてくれて、フラメンゴがオリンピック種目を含めた総合スポーツクラブだった時代を思い起こさせてくれます。当時、ガーヴェアのグランドが雨で使用不可の時に、バレーボールやバスケットボールのコートを練習に我々が使うことは決して珍しくありませんでした。イザベル及びジャッケリーネとは共存及び試合も観戦し、同様に体操のルイーザ・パレンテや、更には幾人もの才能豊かな水泳、柔道、そして、エーリカやガゼーラ・ネーグラなどの陸上の選手達の成長を見守りました。フラメンゴに所属することはアスリートになることであり、更にはアスリート達との共生を意味していました。なぜこの様なことを述べているかと言えば、それ故に、他の種目を応援することは私にとって習慣となっていたからです。比較的に最近では、既にあくまでもファンとしての存在時代に、ヴィルナとレイラには感動させられました。それは満席のマラカナンジンニョで開催された2001年のスーペルリーガ決勝戦で対ヴァスコ・ダ・ガマ戦での驚異的な勝利です。ヴィルナ選手は私にあやかって背番号10を使用していたと語ってくれました。
現在、こちら遥かなるモスクワで生活をしていれば、必然的にブラジルのこの様な制覇を目にすれば記憶は膨らみます。ジョゼー・ホベルト監督とファビアーナ選手、実際にはブラジル代表全員が私に感動を与えてくれ、幸福感に満ち溢れさせてくれました。指揮官と小さな巨人の二人です。ブラジルでは卓越したスポーツの同意語となった種目の、新たな制覇を象徴する二人の闘士なのです。再度、CBV(ブラジルバレーボール連盟)、及び、首脳陣、そしてサポートスタッフ、テクニカルスタッフ、更には女子ブラジル代表の選手達、そして特別なる戦士であるファビアーナ選手にオメデトウ。
それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!また来週お会いしましょう。 ……
in [ジーコの主張]

[2009.09.07]
8月27日、モナコで2009/10UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグの抽選が行われ組み合わせが発表された。CSKAはグループBに入り、プレミアリーグ王者マンチェスター・ユナイテッドと同グループになった。その他にドイツの初出場のボルフスブルクとトルコのベシクタシュも同じグループで対戦する。
グループリーグの第1節は9月15と16日に行われる。各グループ1位および2位は、チャンピオンズリーグの決勝トーナメントに進出する。
ジーココメント「フェネルバフチェに所属していた時と同様に、今回のグループリーグの組み合わせ抽選で我々はナショナルチャンピオンたちのグループに入った。もちろん、グループリーグの対戦相手を選ぶ事ができない。我々はプレミアリーグ王者マンチェスター・ユナイテッドと顔を合わせる、しかし、彼らには昨季で主要となった選手がいない。我々のグループにはまだ、私がトルコで働いていた頃の非常によく知っているベシクタシュがいる。もう一つのチームは上昇しているボルフスブルク。しかし、同チームはUEFAチャンピオンズリーグ初出場という点もある。これから先への道のりは厳しい。マンチェスター・ユナイテッドがグループリーグ突破の有力候補だとして、我々には33%のチャンスがある思う」と述べた。
……
in [ニュース]

[2009.09.06]
8月30日に行われたロシア国内リーグ20節、CSKAはアウエーでRostovと戦い、決定的なチャンスをものにすることができずに0-1で敗れた。CSKAの勝点は33。首位Rubinが43、二位Spartak
Moscouが39、3位Moscouが34で現在CSKAは4位となっている。首位Rubinとの勝点差は10となった。優勝に向けて厳しい敗戦となったが、残りの試合数は10節であり首位Rubinとの直接対決も残されている。ジーココメント「絶好のチャンスに決められなかった。Rostovにはこれで勝ち点で6ポイントを献上してしまった訳だ。今回の敗戦は優勝を狙っている我々にとって本当に痛い。」……
in [ニュース]

[2009.09.05]
ここロシアでは既にリーグの半分が過ぎ、私が最初に想像したシナリオとはあまり変わっていない。昨季優勝者のルービンとスパルタクモスクワが我々のチームや他の競争者に対して、それぞれ勝点差7と6で離れている。しかし、後12節があって各チームが勝点36の為に戦うので、他のチームにまだチャンスがある。
一部のチームは補強して調整している。たとえば、CSKAでは我々は選手が移籍で欠けているグループであるが、最近チリ人Gonzalezがチームに加入し、既に前節でプレーした。多くのチームがまだ補強をしようとしている。
タイトルへの現在の候補として7チームが考えられる。ダイナモとFCモスクワ(勝点30)は、優劣の基準によると我々の後になる。順番によって1点差のロコモティフ(28)とゼニト(27)が、冒頭の2チームチームと合わせて、タイトルを制覇するために戦うというチームリストになる。
ロシアカップにおいては、トップチームの中ではアムカル・ペルム(今季のリーグ上位チーム内に順位していない)、ゼニトとFCモスクワだけがタイトルの競争に残った。我々を含む、ロシアプレミアリーグの中では上位4チームがデイビジョン2またはデイビジョン3のチームとの対戦で敗退した。残ったトップチームは同じグループにいるため、どちらかが敗退してしまうので、デイビジョン2と3による1つのチームが決勝戦に残ることは確実である。
それらが示すものは、ここのトーナメントはバランスが取れていて、誰もロシア・プレミアリーグで失敗したくないと言うこと。当然、常に勝利を目指している我々監督によって押し付けられなくても、疲れの影響や選手層が薄い場合等、すべてが早期敗退につながってしまう。我々は度々、あまりプレーする機会がない選手を試合に出す事があり、良い結果が出ない場合もあった。我々がここで生きるジレンマである。
常に混乱しているストレスの多いロシアの審判を含む、これらのすべての困難があっても、我々が優勝を果すことができると私は信じている。そして、我々はその目標で一生懸命戦う。チームは激しいトレーニングを行っており、これから年末に向けて重要なトーナメントがある:チャンピオンズ・リーグ。そして、我々のチームはまだやり手があると確信している。頑張って、100%以上の成績を上げる事ができると信じるしかない。私が常に言う「110%」を達成できたチームには、ほとんどいつもメダルとトロフィーが与えられる。
今週末にはまた厳しい試合が我々を待っているので、頑張りましょう!また来週!……
in [ジーコの主張]

[2009.09.04]
私の事を知る人は、私が審判による判断ミスの批判者であっても、ブラジルや世界で行われているように、主審と副審を責めて苦しい思いをさせる事には賛成しない事を分かってくれています。リオのCFZ時代にはとても妨害されていました。私はかつてW杯でゴールを不合理に取り消された事もあり、日本監督としても、審判から害されるいやな経験を味わってきました。しかし、私には主審の友人がいます。そして、悪意で試合に入る者は少数派と信じている。したがって、今週の「ジーコの主張」において、このテーマを扱って正直さを議論している訳ではありません。主題はゲームにおける責任感。または、その責任感の意識不足。
説明しましょう。私はコラムで「フェアプレー」に賛成をするのは初めてではない。主審によるミスは試合の一部であると言う事は私は認めない。更に、何百万のカメラや映像のリプレイと審判員が判断しなければならない秒の分数による競争は不当と思っています。しかし、試合を指導する人が自分の責任を省略したり、または旗の後で隠れたりする事に対して私は認めることができない。それが現在、ここロシアで起こっていることである。主審たちは、副審たちに決定を依存させている。彼らはもうファウルやPKの判定に対してそれほど責任を持たない。私の意見ではそれは不条理な事である。
我々に対して最近相手チームに与えられたペナルティーキック4つのうちの2つは、主審が迷っていたようで副審が判断を示した。ここでは、主審がプレーを続行させて、数秒後に、より悪い位置にいる副審の合図によって後戻りするのは珍しいことではない。私は主審がかかえるプレッシャーを理解している、しかし、それでは意味がなく、ルール外になってしまう。結局のところ、ゲームのジャッジを行うのはだれ?
そしてロシアの国外において異常なエピソードではない。私は世界中でそう言うケースを見ている、そしてより私を怒らせているのはサイドライン付近のファウルが副審によって判定されること。主審がホイッスルを鳴らす前にもう彼らはファウルを示すために旗を掲げている。副審をより自由にさせて審判を改善したいという考えは分かるけど、そのようにはいかない。ホイッスルを持つ人が責任をなくして解決する訳ではないから。その状況によってここで引き起されているミスの数は非常に大きい。ロシアのサッカーにおいて誰がプレーを判定するか分からなくなっている。
よく考えると、副審にはすでに少なくとも2つの非常に重要で難しい任務がある。その第1は、最終ディフェンスラインを見て、オフサイドポジションを判定することになっている(テクノロジーによって見張られると非常に難しくなるもの)。彼らはいつでも間違いに影響されやすい。その第2は、ゴールラインを含めて、ボールがタッチラインを割ったかを確かめることである。皆さんは少ないと思っているかも。これらの2つのミスなしでゲームを見ることは難しい。それなのに、彼らがペナルティーエリアでのファウルなどを示すようになると、どうなるのだろう。私が望む事は主審に対する責任である。我々はすでに4つ、5つのチームがタイトルの為に戦っているという非常に競争力のある選手権がある。彼らが間違えることは分かるけど、私はだれが間違っているか、そしてその間違いの理由を知ることが重要だと思う。ゲームをコントロールする責任を副審へ依存するという話は、常に疑問を抱かせる。判定する自信がないのか?能力不足か?副審への信頼か?とにかく、我々は確実性を持ちたいだけ: それぞれの人は役割を果すためにフィールドに入るべきである。
では、また来週!……
in [ジーコの主張]

[2009.09.03]
フルミネンセの優勝で終わった第12回日伯友好カップ。3人の指導者のインタビューをお届けします。
【インテルナシオナウ アンドレー・ジャルジン監督】※28日に鹿島ノルテと対戦。
外国のチームと対戦できたことを、私達はとても喜んでいます。特に日本は全く別の文化を持った国。その相手との対戦を、名誉に思うし、誇りに思っています。意義深く、かつ、クオリティの高い試合になりました。ブラジルでも、日本サッカーは急速に発展したと言われています。日本の人達は規律があるし、学ぶ意欲がとても大きい。そして、教える力のあるブラジル人を、多く日本に呼んでいます。だからこそ、短期間で成長できるポテンシャルがあるんだと思います。私からアドバイスできるとすれば、技術面をたくさん練習することです。子供でも、できるだけ早い時期、5、6歳から始めることです。良い選手になる可能性を高めるためにね。早く始めて、長い期間をかけて、しかも毎日、たくさん練習することです。そうすれば、成果が出るはずです。日本人は非常に熱心で、献身的に頑張る国民。それを、サッカーにも活かすことだと思います。
【鹿島アントラーズ・ジュニアユース育成担当部長 河崎淳一氏】
鹿島は今回、ブラジルに来る前に全国大会を戦っていて、その直後に、日本から28時間ぐらいかけて遠征してきたということで、ちょっと疲労があったと思います。3試合目になって、ようやく精神的にも肉体的にも、良い状態でできました。ただし、簡単に繋ぐとか、クロスの精度など、技術的な面では、まだまだ足りないかなと。ブラジル人は、シュートやクロスの精度など、基本的な技術のレベルが、やはり高いなと思いますね。ブラジルの選手の印象としては、以前に僕が来た8年前と比べ、みんな体が大きく、フィジカルが強くなりましたね。一方、いわゆる10番、アイデアとイマジネーションがあって、1人で勝負を決められる選手っていうのが、少し減ったような気がします。私達も、8年前は、“経験”ということで済みましたが、今はやはり、スタッフもみんなプロ契約しているし、選手もプロを目指す子供達なので、やはり“経験”じゃなくて、“勝負”をしに来たんですよね。そういう中では、今年のアントラーズの特徴であるハーモニーを活かし、粘り強く、一生懸命やって、いい形で終われました。しかし、決勝トーナメントに行く目標が達成できなかった以上、これを“経験”で終わらせるわけにはいきません。日本に帰って全国を獲り、来年はまた、きっちりとリベンジできるように、いいチームを作ってきたいと思います。
【Jリーグ選抜団長 上野山信行氏】
個々の力は、やはり日本の選手の方が低いかなと思うんですが、これは、普段の練習の習慣の違いだと思います。ブラジルの選手は、“サッカーをしている”、つまり、ゴールを目指しています。日本の選手は、ゴールに行かない。確かに日本の選手も技術はうまくなってきていますが、ゴールに向かう技術、ゴールに直結する技術も、向上していかないと。その基本線をもう1度考え直してやっていけば、なんとかなるんじゃないかな、というのは、また改めて感じたことですね。厳しく言えば、今回出来ていたことは、ほとんどないかもしれない。しかし、意識が行動を起こすんだということを、選手達にも話したいですね。先程言った、ゴールを目指すという考え方を意識している時には、良いサッカーができている。その良い考え方を70分間持続できれば、そんなには、差がないと思ってます。現在、Jリーグには36クラブがあり、そこに、Jリーグ・アカデミーのダイレクターがいるので、こういう話を議論した中で、アカデミーの方向性、基本的な共通点を、構築したいと思っています。Jリーグが出来てまだ17年。すぐには難しいんですけど、すぐに構築しておかないと、この先、厳しくなります。早急に立て直すことが大事だと実感しています。 ……
in [日伯友好カップ]

[2009.09.02]
31日、朝からリオらしいピーカンの青空となった大会最終日は、フルミネンセとインテルナシオナウの両チームが、まさに決勝にふさわしい、熱戦を繰り広げました。
フルミネンセが2点を先制し、大勝の予感すらした前半。しかし、ハーフタイムではインテルナシオナウのアンドレー監督が、選手達1人1人のやるべきことを再確認し、気合を入れ直します。
そして後半、そのインテルナシオナウが目覚めました。開始直後にまず1点、そして、死闘の末の終了間近にもう1点を返し、2対2の同点で70分を終了します。その後は両チーム一歩も引かない戦いで、10分ハーフの延長は0対0。試合はついに、PK戦にもつれこみ、最後はフルミネンセが歓喜の雄叫びをあげることになりました。大会参加全27チームの頂点に立った、優勝フルミネンセ、おめでとう!
【準優勝インテルナシオナウ アンドレー・ジャルジン監督】
2つの素晴らしいチームによる、素晴らしい試合になりました。どちらが勝ってもおかしくなった。前半は片方が、そして後半はもう一方が優勢で、延長戦は非常に対等でした。PK戦は、PKの能力がより高い方が有利になり、優勝が決まったということです。2点のビハインドを背負った時には、FWをもう1人投入したことで、より攻撃的になったのもあります。しかし、ここまでやれた一番の理由は、試合に臨む姿勢を取り戻したということです。それでチームには負ける理由はなくなり、先へ先へと進んでいった。私達のチームの長所は、みんなで力を合わせること。結束力。勝者のスピリットを持ち、名誉をかけて戦うこと。いつでも尊厳を持ち、強い気持ちで戦いながらも、対戦相手を尊重すること。それが、私達の武器。いつでも仲間であること。勝利の時も、敗戦の時も、そして今のように苦しい時にも、もう1度、結束力を取り戻すことです。
【優勝フルミネンセ カイオ・コウト監督】
勝利の秘訣は、チームみんなで頑張ったことです。選手とスタッフ全員が一丸となったことですね。フルミネンセの長所は、間違いなく結束力です。ここには1人のスターはいない。全員が重要な戦力であり、全員が平等なんです。この後、選手達に話したいのは、おめでとう、ということです。プレーにおめでとう。頑張ってきたことにおめでとう。そして、人生は続いていく。誰もここで止まってはいけないし、ここで満足してはいけない。勝利の道を歩み続けなければならない、ということですね。
★表彰式表彰式では、優勝、準優勝、フェアプレー賞などの栄誉を称え、トロフィーとメダルの授与。また、副賞にはカシオ・ブラジル島田宣彦社長より、1人1人にG-ショックが贈られ、選手達から笑顔がこぼれました。
会場では94年ワールドカップ優勝メンバーで、鹿島アントラーズでプレーしたこともあるベベットが、ここまで頑張ってきた選手達の健闘を称えるために、プレゼンターとして参加。大会MVPに選ばれたジウマール・エレー選手は、そのベベットとしっかり抱き合い、歓喜の受賞となりました。
【MVPジウマール・エレー選手】
すごく感動しています。特に、タイトルを獲得できたのは、僕らにとって素晴らしいこと。この全国規模の大会で優勝するために、年の最初から頑張ってきたんだから。僕も、長所のヘディングを磨いて、チームに貢献できるように頑張りました。僕の夢はプロ選手になり、パラー州ベレンに住む家族を助けること。家族は貧困に苦しんでいるけど、自分には絶対プロになれるポテンシャルがあると信じて、夢の実現に向けて頑張ります。
★修了式リオ遠征のすべての日程を終えたJリーグ選抜と鹿島アントラーズ、鹿島ノルテの3チームは、CFZ(ジーコサッカーセンター)内にある、ガレリーア・ド・ジーコ(ジーコギャラリー)で、修了式に臨みました。
大会運営のマルコンから、今後の活躍へのエールを受けた後は、CFZ会長であるジーコの次男ブルーノから、1人1人に修了証書が手渡され、チームには記念の盾が贈られました。
1週間のリオ滞在。毎日が目一杯のスケジュールの中で、たくさんの経験と思い出を、心と体に刻みつけた選手達。日本に帰ったみんなが、その経験を活かし、これから新たな目標に向けて頑張ってくれることを、期待します。お疲れ様でした!
<文=藤原清美・写真=Jorge Ventura / George Henrique> ……
in [日伯友好カップ]

[2009.09.01]
30日、二回目のブラジル選手権の試合観戦を行いました。会場はパン・アメリカン大会のメイン会場であったENGENHAOスタジアム。ホームチームのボタフォゴと元鹿島アントラーズパウロ・アウトゥオーリ監督率いるグレミオとの対戦でした。試合は元千葉のヘイナルド選手の先制で始まり3-3で引き分けに終わりました。
★最後の夜は名物シュハスコでおつかれさま!
いよいよ、今回のリオ遠征も最後の夜。というわけで、最後の夕食は、ブラジルを体験するには欠かせない名物のシュハスコを、3チーム全員揃って食べに行きました。
まずは、サラダバーに集まって、野菜もたっぷり食べることを忘れません。一方で、サラダバーにはお寿司などの日本料理コーナーもあるため、思わず手を伸ばす選手達も。
そして、各テーブルには長い串に刺して焼き上げられた、様々な部位の肉が運ばれてきます。その場でウエイターさんに切り分けてもらうのですが、食べ盛りの選手達は、切り分けてもらう間も、待ち切れないように、お肉をジーッと凝視。
たくさん食べて笑顔も弾ける、おつかれさま会となりました。
日伯友好カップ準決勝の結果
クルゼイロ 0-2 インテル
フルミネンセ 2-1 バイーア
<文=藤原清美・写真=Jorge Ventura / George Henrique>……
in [日伯友好カップ]

[2009.09.01]
鹿島アントラーズと鹿島ノルテは30日、グラジャウでのフットサル大会に出場しました。相手は元日本代表フットサル監督のセルジオサッポのフットサルスクールのグラジャウ・テニス・クラブ。
準決勝で鹿島ノルテがグラジャウAに2-4で敗れました。鹿島アントラーズはグラジャウBに延長の末3-2で勝利。3位決定戦で鹿島ノルテは3-1で勝利し3位となりました。鹿島アントラーズは決勝戦でグラジャウAに接戦の末2-4で敗れ準優勝に終わりました。
このほかに女子チームとのエキジビションや試合後に参加選手たちとの交流会も行われました。
【土田哲也監督】試合をする以上は優勝したかったので、決勝で敗れて準優勝というのは、非常に残念です。もちろん、フットサルにはフットサルの技術や戦い方があり、ウチの選手達がそれに慣れていない、というのはありますけどね。ただ、ブラジルのサッカー選手の中にはフットサル経験者が多いというのは、選手達も分かっているし、ボールの持ち方から始まり、細かい技術の面で、フットサルから、いいものをサッカーに繋げているんだ、ということが実感できたようです。施設等からも、ブラジルでいかにフットサルが浸透しているかなど、ブラジルサッカーの歴史の一面を見ることができました。試合は一生懸命やりつつ、そうした違った面からブラジルサッカーを体感できたことを、選手達は存分に楽しんだようです。準優勝のトロフィーとメダルをもらったことも、良いお土産になりますね。
【小笠原賢二監督】
実はノルテには、小学生時代にフットサルをやっていた選手が多く、フットサルで全国優勝したメンバーが5、6人いるんです。だから、少し相手を舐めてかかっていたらしく、そして、やはり公式戦とは違うことから気が緩んでもいたらしく、1試合目で負けて、3決に回りました。だから、1試合目の後、「何やってるんだ!本気で戦え!」と、また喝を入れることになってしまいました。でも、選手達も“相手は遊びじゃない”ということを実感したんですよね。親善試合でも、試合となると真剣勝負を挑んでくるブラジル人の勝利への意欲に、また学ばされた。それで、実際テクニックのレベルなどは、ウチの選手の方が高かったのもあり、3決では、きっちり勝つことができました。試合の後は、選手同士の交流を楽しんでいましたよ。こういう、ピッチの外の体験も、この遠征の大切な思い出になるはずです。 ……
in [日伯友好カップ]

[2009.09.01]
30日、Jリーグ選抜は一つ上のカテゴリー、CFZジュベニールと親善試合を行いました。
《Jリーグ選抜の試合結果》Jリーグ選抜 3-6 CFZジュベニールGK 斉藤(河野) DF 菊池 岩波 佐藤 小口MF 内藤 西袋 安在 野津田(井上)FW 出岡 青山(伊東) <Jリーグ選抜の得点者 出岡、西岡田、安在>
【鴨川幸司監督】今日の相手はCFZのU-16チーム。1歳しか違わないのですが、公式戦で対戦してきた相手とは、ずいぶん違うサッカーを見せてもらいました。これまで感じてきたのは、ブラジル人の強さや、ゴールに向かう姿勢、そして、常にガンガン縦に速いサッカー。ところが、今日のチームは選手個々のスキルが非常に高く、繋ぐサッカーをしていました。年齢が上がると、そうしたサッカーに変わってくるんですね。非常に質の高いサッカーをする相手でした。選手達は、プレッシャーをかけて頑張っても、うまくかわされてしまう、そのテクニックの高さに最初は戸惑い、前半4対1となってしまいました。しかし、後半はその相手に適応し始め、攻撃に出られるようになりました。守備の方では、やはり巧さと速さに苦しみましたが、後半だけなら2対2と対等です。結果は6対3ですが、違ったタイプの相手とやれたこともいい経験になったし、さらに、その相手にこれだけ良い戦いができたということで、良く頑張ったと思います。……
in [日伯友好カップ]
