バックナンバー

イタリア・セリエA 83/84シーズンのジーコとプラティニ

[2009.07.31]

ジーコとプラティニ。この二人は世界を代表するサッカー選手であるが83/84シーズンにイタリアセリエAで共にプレーをしていた。ウディネーゼのジーコとユベントスのプラティニが得点王争いをしました。その当時の映像です。 ……

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CFZの3つ目のプロチーム、CFZ Imbituba について

[2009.07.30]

ブラジル南部のサンタカタリーナ州では二つのプロジェクトが進行している。ひとつはプロサッカーチームのCFZ Imbituba。そしてサッカースクールCear /Zico10。6月下旬にブラジルに一時帰国していたジーコも初めて訪問した。 「ホベルチーニョ」として知られているCearとCFZ Imbitubaの社長、ホベルト・ホドリゲスとチームのサッカーマネージャー、ファービオ・アラウージョらがエルシーリオ・ルース空港でジーコを歓迎した。 ジーコはスクールとサッカーチームの施設を視察するためにスポーツ複合施設に15時頃に到着し、スクールのトレーニングの様子を見学し、選手たちの育成の為に利用されている施設を確認しました。そしてCFZ Imbitubaのホームスタジアムである、「鷲の巣」として知られているエミーリア・メンデス・ロドリゲス競技場を訪れた。 「このプロジェクトが良い成果を与え、子供たちの成長を見ることは夢の実現です。私は非常に嬉しく思います」とジーコがコメントした。CFZ Imbitubaの所属選手にジーコの三男チアゴ・コインブラがいる。スタジアムでトレーニングを行っていた選手たちに一言をいうためにガリーニョは立ち寄った。観客席では何百人ものファンが、ジーコを見るために集まっていた。 CFZ Imbitubaはサンタ・カタリナ州選手権下位リーグで前半戦の優勝まで後一歩の所にいる。……

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ゼ・カルロスへのジーコからのメッセージ

[2009.07.29]

「私が彼のところへお見舞いに行った時、すでに希望を失わせるような状態でした。我々はいつでも信じ続けなければならないが、私に報告された状況はそのようなものではありませんでした。特に彼がまだ若くて、健康にはいつも人から羨望されていた男であったため、非常に我々を悲しませる出来事です。我々は、選手または元選手がこのように病気で苦しんですぐに亡くなってしまうとは決して思っていません。私はゼ・グランダォンと共に過ごした素晴らしい瞬間を記憶に残しています。近いうちに「ジーコの部屋」でそれらの思い出について話します。彼が安らかに眠りますように。」 ジーコ ……

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フラメンゴの元ゴールキーパー、ゼ・カルロス死去

[2009.07.28]

24日午後9時頃に、ゼ・カルロスの友人たちは、誰も受けたくなかったという情報を電話で受けました。1987年ブラジル選手権大会優勝のジーコのチームメイトであって、フラメンゴで80年代に輝かしい経歴を残した47歳の元GKは腹部ガンのため、リオデジャネイロで亡くなりました。 6月に彼はチジューカ(リオ北区)に位置するOrdem Terceira da Penitência病院に入院され、ジーコを含む多くの元チームメイト達からお見舞いを受けました。その際には、ゼ・グランダォンの健康状態は回復できなく、残り後約6ヵ月の命しかないことをガリーニョは医師たちによって知らされました。 ゼ・カルロスの死は、80年代フラメンゴのエースであったジューニオルのように、何人かの友達を驚かせました。「我々は、彼にはまだより多くの時間があることを期待していました。非常に大きなショックで、我々にとってはとても悲しいニュースです」と落胆しながら電話でコメントした。 事実を聞いてから、ジーコの息子であるリオのCFZのブルーノコインブラ社長は、CFZはこの土曜日に行われるArtsul とのリオ州選手権2部の試合前にゼ・カルロスに敬意を表すると、ZNRに知らせました。「ゼ・カルロスは我々にとって常に身近な人でした。私の父が主催したほとんどのフレンドリーマッチやイベントに参加しました。また、キンチーノ区の「Zico10」の開校において、彼はフラメンゴのマスターズと共に出席しました。大きな喪失です。試合前の黙祷の1分間の他に、CFZ選手たちは、明日、ユニフォームに喪章をつけてプレーします」とブルーノが述べた。 上記の写真では、ジーコが生まれ育った地区で「Zico10」の開校式にて、ジーコがJuventude Quintinoのシャツを着用、そしてフラメンゴのマスターズ・チーム。これがジーコとゼ・グランダォンが一緒に出場した最後の試合でした。……

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ロシア国内リーグ、CSKAはSpartakに2-1で敗れる

[2009.07.27]

ロシア国内リーグの第15節、CSKAの前半戦の最後の試合はSpartakとの対戦であったが残念ながら2-1で敗れた。 この結果CSKAの勝点は24のままで首位Rubin、Spartakは勝点28で4差となっている。……

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NBA選手・レアンドリーニョがCFZで治療

[2009.07.26]

バスケットボールのNBA・フェニックス・サンズとブラジル代表のシューティングガード、レアンドリーニョ(レアンドロ・バルボザ)は恥骨の障害から回復するためにブラジルでの休暇を利用している。彼が選んだ場所はリオのCFZトレーニングセンター。1ヶ月半前から同選手は毎日、アントニオ・ヒカルド・デ・オリベイラ理学療法士の指導によってエクササイズの日程を行っている。 「治療中には、コンペックス、超音波やレーザーの機器を使用している。また、筋肉強化のために一連のストレッチとエクササイズを行なっている。レアンドリーニョは非常に良い進歩をみせている。彼が練習に戻るには良いストレッチと内転筋部分の強化で済むため、手術の必要はもうない」と、W杯2006を含む、4年間日本代表で活動した他に、鹿島アントラーズで7年間スタッフのの1人であったヒカルドが述べた。 レアンドリーニョによると、ジーコの長男ジューニオルとの友好は、彼がCFZのプロと治療するかどうか決定するために重要であった。 「約3ヵ月間ケガしてプレーし、誰も私が感じていた痛みの原因を説明する事ができなかった。そしてNBAで多数の試合のため治療を行うことが難しかった。それから私が休暇に入った時、友人であるジューニオルと話して、彼はヒカルド理学療法士を薦め、それで恥骨の炎症が発見された。ヒカルド博士による治療法は驚異的であり、アメリカに住む私はこのような治療法を見たことがなかった」と、バスケットボール選手であった兄の影響で同スポーツに興味を持ち始めた選手が語った。 アメリカのバスケットボールリーグNBAの2006/2007シーズンに、フェニックスサンズでの活動によって第6ベストプレイヤーとして選ばれ、レアンドリーニョは8月末にポルト・リコにて開催されるアメリカ・カップのために7月26日にブラジル代表チームに合流する。その目的で26才の選手は障害を治療してリオデジャネイロで元選手ゼキーニャ・バルボサとフィジカル・コンディショニング計画を続けている。 1987年の800メートル競走世界チャンピオンである元ランナーは、シューティングガードが大会までにはブラジルを代表するために好調になっていると信じている。 「レアンドロは、トレーニングを真剣に実施し、素晴らしい乗り越える能力を持つ、非常に献身的な選手なのでアメリカ・カップまでには出場できるように良いコンディショニングになると思う」とゼキーニャが述べた。彼は1年前からレアンドリーニョのパーソナルコーチであり、現在はアメリカ合衆国、フェニックス市で暮らしている。 先月の25日には、レアンドリーニョは人生で一生忘れられない瞬間を経験した。サマラ・フェリッポとの間で、長女アリシアが生まれた。 「父親になってすごく嬉しい。私は最初から最後まで出産に立会い、その偉大な感動は言い表せないものである」と話してくれた。……

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日記更新しました

[2009.07.25]

2009年07月20日(月) 貴重な一勝 やぁ~。対Rubin戦で貴重な一勝を得た試合後でのブログの手短なポスティングだ。今週の水曜日にはリーグ戦で未消化となっている試合が待ち受けており、結果如何では首位に勝ち点1に迫ることが出来るよ。 Kazanでの写真紹介前に、多くの人達が前回のポスティングでのロベルト・カルロスとの写真の詳細を知りたくてe-mailを送ってくれたよ。実を言うと、私は以前から常に彼のファンであり、既に数多くのコンサートをサンドラと共に訪れており、私に抱かれているのは恥ずかしがって顔を背けた長男のジューニオルだ。ジューニオルはロベルト・カルロスの物真似が好きでとても楽しかったよ。でも、本人の前面ではとてもはにかんでしまったんだ。特に、サンドラに関しては家族と一緒にマラカナンにも足を運んだほどだ。子供達を連れてコンサートへ言った際には楽屋で彼と談話していたことを思い出すよ。彼はとてもナイスな人物だね。 それでは、写真へと行こう。 Kazanにて、到着シーン。 我々のチームが最後まで諦めずに闘った故に、功績として勝利の恩恵をこうむる結果となった、大変困難な試合だったよ。 決勝点となったゴールシーン。ボールがネットを突き刺さり、得点を祝うに走るVagner選手。写真は全てCSKAのオフィシャルサイトの提供。 ゲームセット、安堵感と貴重な勝ち点3。 最後に、ロシアカップで敗北を喫したUral戦での興味深い映像を手に入れたよ。試合後半にグランドに潜入して、とても手を焼かせながらも、最終的には勝手に出て行ったお騒がせ犬のシーンだ。 Depois eu volto!   それでは、また後ほど!……

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ロシア国内リーグ、CSKAは引き分ける

[2009.07.24]

延期されていたロシア国内リーグ台11節がCSKA対Spartak Nalchikの試合が22日行われた。 勝てば首位Rubinに勝点1差まで追いつくチャンスであったが、残念ながら試合は0-0で引き分けに終わった。この結果、CSKAの勝点は24となり首位Rubinとの差は3。4位のポジションとなった。 ジーココメント「思い描いた様な効果的な動きが出来なかった。決定機会も僅かで本当に大切なゲームをものに出来ず残念だ。確かに選手は勝利を得るべく必死に闘ってくれたが勝つ為に最も重要な“得点”が取れなかった。実際決定機は Mazoouのヘディングシュートのみだった。」……

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頑張れ、偉大なるゼ・カルロス!!

[2009.07.23]

最近、私はゼ・カルロス元ゴールキーパーの健康状態に関する情報を求められ続けており、私も含めた元チームメイト達が、彼が現在患っている重大な病気に直面しながらも、沈黙を守っていた理由に対する疑問を投げ掛けられています。そして、私は親愛なるゼ・グランダォンへ励ましのメッセージを送るために、私は今週のテーマを彼に奉げる決意をしたのです。 ゴールキーパーと私の関係は時に愛情と憎しみの付き合いだったと常に冗談を言っています。かつて私は彼らに付け入る隙を与えることを拒みました。でも、それはあくまでもピッチ内のことでもありました。ピッチ外では彼らの多くが私の友人であり、特に共に闘ったチームメイトであれば尚更です。その良き例がゼ・カルロスであり、合宿などでは常に全てのゲームなどの遊びに真っ先に参加を惜しまなかった人物です。ビリヤード、卓球、トランプなど、目的は関係ありませんでした。ゼ・カルロスは誰よりもゲーム参加に積極的であり、熱中していたのです。 アイルトン選手が不在の時には、私とゼ・カルロスは良きパートナーをトランプで組んで、ベベットとジーニョ選手組の勝利を阻止する為に、常に一騒動を起こしていました。合宿所などでは我々は互いに親交を深めて、今日に至る友情を築きました。記念ゲームやチャリティーマッチ、フラメンゴのマスターズの集いによる試合などでは、我々は常にゼ・カルロスの出席を期待していました。最近の試合で一緒に出場したのはキンチーノ地区での「Zico 10」のオープニング時でした。 今回私がリオ・デ・ジャネイロを訪れた際に、ゼ・グランダォンが重大な病を患っており、入院しているとの情報を、友人達から聞きました。彼の入院している病院へ、直接に励ましのメッセージを伝え、私からのパワーを与えるために足を運びました。1987年の我らが偉大なる守護神チャンピオン、現役時代はフィジカルコンディションを常に保っていた彼が痩せて意気消沈した姿を目にするのは辛い気持ちでした。 しかし、家族には彼の病状を公表しないようにお願いされたのです。多くの人達は既に知っていたのですが、フラメンゴでは大多数が情報を得ていませんでした。マルシオ・ブラガ会長は私からゼ・カルロスの容態に関して知らされたのです。 現在、こちらロシアで私は、ゼ・カルロスの癌への闘いを支援するファンドを募って、彼への励ましのメッセージを送るキャンペーンが行われている事実を知りました。彼の功績に値するイニシアチブであり、私も支援を惜しみません。既に私もサイト「頑張れ、ゼ・カルロス」へのアクセスを済ませており、皆さんにもサイトhttp://mkt.flamengo.com.br/hotsite/zecarlos/ をアクセスするように呼び掛けます。 今回、ゼ・カルロスは、人生で最も困難な守備を行って、この難題を乗り越える為には、我々全員のサポートを必要としております。そして、現時点で私は過去のヒストリーを思い出しつつあります…。きっと多くの人達は気付かなかったかも知れませんが、1987年のサンタ・クルス戦での第3得点目、私は熱狂の余り我らがゴールキーパーに抱きつくべく走り寄って、後に大変害を被る羽目となった、膝の術後の縫い目を引き裂いてしまったのです。でも、あの感動の瞬間は喜びを先延ばしには出来ませんでした。 現時点で私が言えることは、「頑張れ、ゼ・グランダォン」の言葉です。最低でも3千万人の人々が貴方の回復を願いながら、祈っております。今回の本コラムは偉大なる仲間へのオマージュであると同時に、全ての皆さんへのキャンペーンへの参加のお誘いでもあります。「頑張れ、ゼ・カルロス!!!」 それでは皆さん、また来週お会いしましょう。ウン・グランデ・アブラーソ!……

in [ジーコの主張]

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UEFAが人種差別に反対する強硬措置を承認

[2009.07.22]

先日、リトアニアのビリニュス市にて行われたUEFA - 欧州サッカー連盟の委員会において、試合中の人種差別を抑制するための新たな措置を承認されました。そのうちの主な1つは、サポーターからの人種差別の深刻な行為においては主審が試合を中止する力を与えました。 UEFAの決定によると、今後から主審はこのような状況においては競技規則第5条の主審の権限に基づき、先ず試合を中断します。そして観客に止めるように通知し、2回目通知の後に行為が止まない場合は、試合を中止する事ができます。 UEFAのミシェル・プラティニ会長は、それらの措置の目的は、スタジアムで人種差別を避けるために主審と試合の委員へ決定的な力を与える事だと説明しました。 「人種差別に関して我々は許容することはできません。これらの事件は、人間の尊厳への侮辱であり、UEFAが大目に見ることもできないし、無視することもできません。このような問題に沈黙していると、それらの状況に同意する事になります」と、プラティニが強調した。 UEFAは近いうちにこのテーマに含まれるすべての新ガイドラインについて広報すると約束ました。罰金、ホームスタジアムの使用停止や他の処分が含まれることが検討されています。 最近では、ジーコは、ディナモ・モスクワのサポーターがニジェール人Maazouを侮辱したエピソードの後、人種差別に対して会長の強硬措置を要請するために、友人であるミシェル・プラティニの補佐機関と連絡をとりました。同選手は、その侮辱に耐えられなく、ジーコによって試合中に交替させなければなりませんでした。……

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CFZがダノン・カップを優勝し、世界大会でブラジルを代表する

[2009.07.21]

7月5日、サンパウロのUSPスポーツセンターにてダノンカップの決勝戦が行われ、リオ州代表のCFZのU-12チームがミナス・ジェライス州代表のPoços de Caldaを1-0で下し、ダノンネーションズカップの国内ステージでの優勝を獲得しました。ヴィニーシウス選手がタイトルのゴールを決めました。 CFZは5勝2分けの負け無しという素晴らしい成績で大会を終えました。さらに、最も高い総得点(11点)とより低い総失点 (3点)でした。 この優勝により、リオのCFZは、10月6日~11日にサンパウロ市のパカエンブー・スタジアムで行われる世界大会でブラジルを代表して参加することになりました。日本より参加する川崎フロンターレを含め、合計40ヶ国のチームがジネディーヌ・ジダンが後援している国際大会に参加します。 この決勝戦には歌手・作曲家のカエターノ・ベローゾも観戦し、CFZのFWである彼の息子のトン・ラヴィネ・ベローゾを含めて、チャンピオンチームを祝福しました。 優勝チームへのプレゼンテーターとしてブラジルの5回目ワールドカップチャンピオンのカフーよりCFZにトロフィーを与えました。同チームは、リオのステージと同様に、さらに2つの賞を受けました: 失点率が最も低いGK賞(ターレス)と最優秀監督賞(ロビソン・タヴァーレス)。 「このタイトルは、今までの私のキャリアの中で最も重要でした。コーチ陣も非常に良かったと思います。我々にはブラジルを代表するチャンスが与えられました。ブラジルはダノンカップの世界チャンピオンになったことがないし、今回は同国で初めて開催されるので、我々は歴史に残ることが出来るかもしれません」と3回目のタイトルを手にした監督がコメントした。 ロビソン監督は、その世代の多くのプレーヤーがキャリアアップできると思っています。 「このチームには才能のある選手が多いので、将来大きなクラブのユニフォームを着る可能性があります」と述べた。 CFZメンバー: ターレス、アラン、コエリオ、アリッソン、リンデンベルギ、ウェリトン、ヴィニーシウス、トームとパソッカ。ホゥアン、パーブロ、ハモン、ガブリエールとネチーニョは途中出場。 チームのコーチ陣は、ロビソン・タヴァーレス監督、アシスタントのエドゥアルド・バドッキとフェリッペ・レアル、フィジカルコーチのファービオ・マルチンス、GKコーチのホドリゴ・モレイラと理学療法士のフェルナンド・サー。……

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Rubin戦後のジーココメント

[2009.07.20]

「この一勝は本当に貴重なものだ。自分達以外にもリーグ戦を面白くする意味でも。よそのチームは全てが自分達の勝利を望んでいたに違いない。これで再び団子レースとなった。一試合少ない我々は次の試合に勝てばRUBINに勝点差1にまで近付く。チームは本当によく頑張った。 意欲が萎えることなく勝利への執念を最後まで持続してくれた。幸いメンバー交代もチームに勢いを与えることが出来さらに追加点を取ってもおかしくなかった。」 ハイライト映像 ……

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ロシアプレミアリーグ、CSKAは首位Rubinに逆転勝利!!

[2009.07.19]

ロシアプレミアリーグ、首位のRubinに敵地で対戦したCSKAは2-1で逆転勝利を飾った。試合は後半に入って55分にまたも副審の判断によるPKで先制されたCSKAが73分にIgnashevichの同点ゴール、そして76分にはVagner Loveの逆転ゴールが決まりリーグ戦において重要な勝利を飾ることができた。 この結果CSKAの勝点23、首位のRubinの勝点27に4差と迫った。現在CSKAはRubinより1試合少ない試合数である。 ……

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プラティニとゲーム・スピリット

[2009.07.18]

フランス人のミシェル・プラティニは、私と同時期において、またサッカー史に於いても目の当たりにした最も偉大なるプレイヤーの一人です。幾度となく、代表同士で戦い、セリエAで私がウディネーゼ、彼がユベントスに所属していた時代に対戦する機会がありました。2000年には私の自宅にも招きました。サッカーは我々二人を友人になるよう近づけてくれたのです。 本サイトを初期から見守ってくれている読者の方でしたら、数年前からサッカー界のエグゼクティブの職務に元プレイヤーの存在が重要だと私が取り上げていたことを覚えてくれていると思います。そして欧州サッカー界で最も重要な機関の会長職へのプラティニの当選を祝福しました(2007年01月30日-「プラティニへ、幸運を」)。1983/84年シーズンのカルチョで、私が得点王の一得点一得点を争ったクラッキは、世界に於けるスポーツ界の最も重要な役職の一つに就く準備がされていることを確信していました。 UEFA会長選での当選後間もなく、イスタンブールの地で会った際には色々と会話を交わして、彼は欧州サッカーに変革をもたらしたい意向に関して話していました。プラティニは、ピッチ内でゲームの勝敗を決めるべく、ルールに則ったフェアプレー精神の信奉者でもあります。バスコ・ダ・ガマの名選手であったホベルト・ディナミッテ同様に、ライバル同士にも関わらずに、我々の意思の疎通はピッチを超えたのです。 従って、プラティニが人種差別に対して猛烈に働きかけるのは決して意外には感じません。差別に対して「許容範囲ゼロ」の姿勢を必然的に示す行為に関しては疑いの余地はありませんでした。 今年の5月に私は、ディナモ・モスクワのサポーターが我々のMaazou選手に対して取った行為を訴えるために、この場を使用しました。試合後の私の記者会見での発言はヨーロッパ全土で反響を呼び、同時にZNRサイトでの私の記事はブラジルで数多くのサイトやジャーナル、更にはラジオや雑誌などで取り上げられました。私は敢えてプラティニ及び会長補佐官にも電話をして、出来事に対する対応の依頼を伝えたのです。 サポーターへの忠告を行う為の試合中断や試合の延期、クラブへの罰金、ホームスタジアムでの試合禁令など…、UEFAの公式大会に於いての罰則が予め規定されたのです。執行委員会の会議で告知され、これらは欧州大陸の各国で模範的な例として取り上げられるかと思います。国際大会での適応となり、各国のサッカー連盟で承認予定なのです。 プラティニ会長にて布告されたUEFAの措置は、問題解決への第一歩となることを期待しております。サッカー、即ち、社会共生の良き例であり、スポーツを通じての自由原理への尊重及び平等が、人種に対するこの様な汚点と許容の欠如と、共存してはならず、且つ、許されてはいけないのです。そして、人種差別が社会に及ぼす害を減少させるべく、他の分野にもこれらは伝染しかねません。「人種差別への許容範囲ゼロ」がフェアプレーのスピリットなのです。 それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!また来週お会いしましょう。……

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日記更新しました

[2009.07.17]

2009年07月12日(日)パラベーンス、キングハ~イ。もしもリオ・デ・ジャネイロに居たならば、紛れも無くサンドラとマラカナンスタジアムへ、ロベルト・カルロスのデビュー50周年記念コンサートへ足を運んでいたことだろう。知らない人には常に私は言うのですが、彼は私とサンドラの結婚式のサウンドトラックを作曲してくれたのだ。テレビやインターネットで、雨天にも関わらずにビッグなパーティーだったことを確認でき、そしてロベルト・カルロスは感動してくれたんだ。下記は彼と撮った家族との写真で、パーソナルアーカイブからのワンショットだよ。ロベルト・カルロスがパイプを口にしているシーンだ。 現代の日々に戻り、以下は雑誌「Caras」提供のシネ・オデオンでDVDの発売イベントが行われた際の写真だよ。サンドラ、息子達とDanúbia及びMariah。 今回はタイムトンネルからのスタートでもあり、懐かしの写真2枚で終えるよ。日本にて、友人Marcos Boccattoとのショット。当時彼はJFLの東京横河電機の監督を務めていたよ。現在彼はサンパウロ州指導者組合員でもある。 最後に、蔵出しのEvandro Mesquitaとの写真。彼とは頻繁にペラーダを楽しんだよ。 ではまた。 ……

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ロシアカップ、CSKAはUralに敗れる

[2009.07.16]

ロシアカップのチャンピオンであるCSKAは15日に09/10シーズンのロシアカップの初戦を戦った。敵地でのUral Oblast(ロシアの2部チーム)との試合であったが0-1で敗れた。1試合のみで行われる為に初戦にて敗退となった。 ジーココメント「ピッチは素晴らしくおそらく二万人を越える観客と申し分のない状況にもかかわらず期待に応える様なゲームが出来なかった。間違いなくUralの方が出来がよかった。闘争心に加えチームの組織が際だっていた。自分達はただ単なるゲームをこなす的な雰囲気だったが相手は決勝を闘う勢いがあった。これでは差が出て当然だ。確かにかなり暑く半分が控え選手ではあったがそれにしてもあまりに出来が悪過ぎた。とにかく切り替えて週末の Rubinとの“クラシコ”に備える。」……

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日記更新しました

[2009.07.15]

2009年07月08日(水) 残り二日 やぁ~。ロシアプレミアリーグ再開へのカウントダウンだ。3rdディビジョンのチームと大変有効な練習試合を行って、土曜日には既に勝ち点3を争う試合が待ち受けているよ。我々はハードに献身しているから。でも、常にリラックスする雰囲気も存在しており、その際に私の兄は爆笑に陥ったよ。 サイトスタッフが私のESEM訪問に関するナイスな記事を掲載。一見の価値あり、そして下記は生徒達に私がサインをしたTシャツの写真だよ。 ビーチサッカー・・・、正に何年も前のことだね。以下のツーショットの相手が誰だか判る者はいるかな? 最後に、インターネットであらゆるニュースの検索を行う、Alexandre Gontijoが私の元パートナーのモーゼルがモロッコのRaja Clubの監督への就任決定したニュースのリンク先を送ってくれたよ。下記はサイトスタッフがYoutubeで検索した、我々が共にプレーした時代を思い出して感動しているシーンの映像だ。モーゼルのことを想起すると、常に全員がコメントするドキュメンタリーの一部でもあるよ。正に彼の反応は感動的だね。Depois eu volto! それでは、また後ほど!……

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Terek戦の映像

[2009.07.14]

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CSKA、Terekと引き分ける

[2009.07.13]

再開したロシア国内リーグ、チェルシーへ移籍したZhirkovを欠いたCSKAは, アウエーGrozniyでTerek.と戦い1-1で引き分けた。CSKAのゴールは後半25分Necid。二分後にPKを取られるが、主審ではなく副審の決定によるもの。クロスをクリアしようとしたCSKAのDFの手にボールが当たったが主審は試合を続行した。約10秒後、Terekの抗議を受けた副審によって主審にPKであると伝えられPKの判定となった。 「長い経験の中でもこの様なことは初めてだ。最もボールの近くにいる主審を差し置いて副審がPKを下すとは。全く信じられない出来事だ。いくつかのチャンスは逃したがチームの全体的な動きはよかった」とジーコがコメントした。 この結果CSKAの勝点は20。1試合少ないながら首位のRubin Kazanとは7差となった。……

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モーゼルがモロッコのRajaの監督に

[2009.07.11]

フラメンゴのジーコの元チームメイトであるり、ポルトガルに20年あまり住んでいるモーゼルがモロッコのRaja Athletic Clubの監督に就任した。契約期間は一年。モーゼルはルワンダのインテルで優勝経験がある。 「モロッコリーグで優勝したい。力のあるチームであり、自分もルアンダのあとにアンゴラにおいても優勝の経験がある。今回もチャンピオンになりたいと思っている。新しい環境に適用する自信もあるし是非とも成功を収めたい。」とモーゼルがコメントした。……

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ジーコがフラメンゴを引受けるプロジェクト

[2009.07.10]

26日にフラメンゴ本部であるガーヴェアにて開かれた記者会見で、 マルシオ・ブラガ社長より、クラブをジーコの指導で専門管理する方向へ持っていくことプロジェクトが発表されました。マルシオ・ブラガの期待感にもかかわらず、今のところは、ジーコがフラメンゴ会社の役員になって同社がCFZの全財産を組み込むことを意図する議定書に署名されただけです。 「我々が現在持つ財産を分離してクラブを売るつもりはなかった。更にCFZで進行中の多数のプロジェクトがあります。しかしマルシオ会長より数ヶ月前にこの提案を提示され、再びクラブにより直接協力する時が近づいているのではないかと思いました」とガリーニョがコメントしました。しかしながら「私の目標は 2011年12月まで契約を満たすこと」と、現在CSKAと契約している事を強調しました。 サポーターが思っているよりも、今後からのステップはよりゆっくりで複雑なものである。議定書が署名されて、Fundação Getúlio Vargas (FGV)は、CFZの財産の財政的実行可能性を評価するために雇われます。そのための期間は90日あります。取引の最終的な価値判断の他に、FGVはその方法とフラメンゴがジーコとの財政的清算するまでどれくらい時間がかかるか示します。 FGVによって示唆される最終的な提案は、承認を得るためにフラメンゴの評議会へ提示されます。このプロセスは合計約4ヶ月で行われる見込みです。 つまり、CFZの動向やジーコが専門管理でフラメンゴの役員になる事についてはまだなにも保証できません。署名された議定書はもろく、そして、一方が取り決められた事を違反した場合破棄することができます。基本的にすべてがFGVの研究によって示されるものと、マルシオ・ブラガが発展しているサッカー専門職業化の新たなプロジェクトジェクトに対してフラメンゴの評議会のあつかい方によります。http://video.globo.com/Videos/Player/Esportes/0,,GIM1068797-7824-DIRETORIA+DO+FLAMENGO+ASSINA+PROTOCOLO+DE+INTENCOES+COM+O+IDOLO+ZICO,00.html ……

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ジーコがバッハ・ダ・チジューカでのサッカースクール開校式に出席

[2009.07.09]

ジーコは再開されるロシア国内リーグにおいてCSKAの指揮をとるために既にモスクワに戻っている。束の間の休暇となったリオ滞在中のイベントについて伝えます。 6月26日に、バッハ・ダ・チジューカ区に位置するBosque Marapendi協会(ABM)でもう1つのZico10サッカースクールが開校されました。ガリーニョの他に、CFZの社長でプロジェクトディレクターのブルーノ・コインブラとコーディネーターのファービオ・ソドレーが出席しました。 協会の外では、車のスピーカーからジーコの到着が発表され、何十もの人々が彼を迎えるために雨の夜に立ち向かいました。その中に、ピエダーデとヴィラ・ダ・ペンヤの生徒達がいて、全員が親達に伴われてスクールのユニフォームを着ていました。 ガリーニョがZico10プロジェクトの新しい学校に到着したとき、まるで彼がゴールを決めたように子供たちは叫びました。それから、写真を撮ったり、サインをしてもらう為にジーコの方向へ走り出した。エースはあまりの包囲にうまく歩くことさえ出来ませんでした。青と白の風船とジーコのポスターで飾られたホールでは、天気が良くなかったため、学校の生徒達の間でゲームを行うことが出来なかったのですが、サイン会を続けるため長い列がつくられました。悪天候でしたが、そこにいた家族達を落胆したわけではなく、フラメンゴの永遠のアイドルとの思い出となる物を得ることができて喜んでいました。 開校式には、バッハ・ダ・チジューカ・スクールのコーディネーター達、マルコ・アウレーリオとアウグスト・シェイェルも出席しました。二人は、ピエダーデ、チジューカとジャカレーパグアーのサッカースクールで同職務を果しています。 「今週の金曜日にスクール生募集が開始され、そして、特に場所と構造がよいので、これまで予想以上のお問い合わせがありました。我々は、プロジェクトが進行して、生徒達がサッカーを学ぶことを望んでいます」と、このプロジェクトで6ヶ月前から働いているマルコ・アウレーリオが言いました。 その日が誕生日であったアウグスト・シェイェルは、地域でサッカースクールの成功を信じています。 「我々が現地で行った研究によると、我々の目標は、上半期には約250から300までの生徒数に達成する事、そしてその期間後には、子供たちを惹きつけられる広大な領域であるので、おそらく1000人の会員登録ができるかも知れません」と、2008年11月から赴任しているコーディネーターが明かした。 開校の1年後に、「Zico10サッカースクール」は全国に広がっている120校において平均12000人の生徒会員数に達成しました。新たな地域による検索は全般的コーディネーターのファービオ・ソドレーが担当しています。 「このプロジェクトの目的は教育とサッカーを結合することです。Zico10に入学するには学校で良い成績を取る必要があります。このような内容はブラジルではあまりないプロジェクトと言えます。ブラジルの全州に届くまであと5州か6州くらいで、達成すると2010年の目標は海外で拡大することになっている」と述べた。……

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ブラジルに新たなるタイトル

[2009.07.08]

各国の代表チームが参加する大会の話になると、常に同じ質問を私は投げ掛けられます。一体どこの国がタイトルへの最有力候補者ですか?この質問に対して、どんな大会であろうとも答えは異ならず、紛れも無くブラジルなのです。他の強豪国のクオリティーは認めますが、既にワールドカップを5回制覇した国で、ブラジルが持つ伝統をからすれば、このアドバンテージと責任を背負って出場するのです。今回のコンフェデレーションズ・カップでも同様であり、決勝戦の前半においては我を見失ったかのような状況でしたが、折り返しての後半には試合の流れを逆転する意気込みでチームは臨んでいました。 日本代表の監督を勤めていた時期、ブラジル人選手が1~2名居れば多方面で異なるのでは無いかとの念に私は幾度と無く駆られたものです。実際に、ブラジルは人材がとても豊富であり、チームに決戦のスピリットが宿ると、抑えるのは大変困難と化します。アメリカ勢は前半のブラジルの無気力な時間帯を効率よく活用し前半で2-0とリードしました。でも、後半は好調期を迎えているカカやルイス・ファビアーノ選手が最善を尽くすに値する選手であることを証明してくれました。試合終了の笛が鳴り響くまでは息の根が止まった敵など存在しません。但し、アメリカ代表は、ブラジルと一緒に優勝候補に挙げられていながらも準決勝では思うようなプレーが展開できなかった、正にあのスペインを下したことを思い出す価値があります。決勝戦はドゥンガ監督の功績だと言えるでしょう。エジプトがイタリアを下しながらも、アメリカ合衆国に躓くなど、コンフェデレーションズ・カップでは興味深い瞬間がありました。イタリア代表は、現在の世界チャンピオンでありながらも、期待に応えられなかっとと言えます。その反面、開催国の南アフリカ勢は限界を超越可能だと証明して、最終的には僅かな差で3位決定戦を逃しました。ジョエル・サンターナ監督の功績ではありますが、来年に向けてチームに競争力を与えるには課題が山積みであることも事実です。そのクオリティーからもスペインは私が観戦するのが好きな代表でもあります。現在のこのジェネレーションがスペイン史上で最良ではないかと信じておりますが、今回のコンフェデレーション・カップはVicente del Bosque監督がチームを今後更に調整して行く必要性があることを明確にしました。そして、その時間はあります。結局のところ、最もハイレベルの選手達を数多く有するグループは2010年には優勝候補国として臨む要素を存分に秘めております。ブラジルに関して語るならば、今後はワールドカップへの出場権を確保するだけであり、現状では首位で安泰した立場におり、本大会を視野に入れ始める時なのです。2005年にはブラジル代表はコンフェデレーションズ・カップを優勝して、その翌年には敗北を喫しました。ワールドカップでは今回の南アフリカに出場しなかった他の強豪国が名を連ねることもあり、ベストな準備を整えるべく、教訓となるチャンスが再度与えられたのです。ドゥンガ監督及び全選手の皆さん、逆転と勝利、そしてブラジルサッカーに新たな制覇をもたらしたことに祝福を送りたいと思います。パラベーンス。それでは皆さん、また来週お会いしましょう。ウン・グランデ・アブラーソ!……

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CSKA、FK Dmitrovと練習試合を行う

[2009.07.07]

ロシアの国内プレミアリーグは、11日に再スタートします。4日にCSKAは、ホーム練習グランドにて国内3部リーグに所属しているFK Dmitrovと練習試合を行いました。4×0でCSKAが勝利、Necidが2得点、AldoninとDzagoevゴールを決めました。 「今週は再度ゲーム感覚を取り戻す事が主目的で費やしたが、今日のゲームの内容を見た限り仕上がりは良いと思う。月曜から二部練習に戻るが、いよいよ土曜の Terek戦に備えペースを上げて行く」とジーコがコメントした。……

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日記更新しました

[2009.07.06]

2009年7月2日(木) 充実した一週間 ハ~イ。こちらロシアでの一週間は我々の仕事には大変有効な一週間になりつつあるとサイトでコメントした。残りのシーズンは体力的に要求が厳しくなるので、フィジカル面に重点をおいているよ。でも、リラックスする時間も勿論あるから…。 オフから戻って来ても、我らがカメラマンは常にクリエイティブで、再び攻撃。実兄エドゥー・コインブラがアクションを起こせば、スペシャル映像は間違いなしだ。 Depois eu volto! それでは、また後ほど!……

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日記更新しました

[2009.07.05]

2009年06月27日(土) オフ期間終了 やぁ~。オフ期間が本日終了。少しの間、家族と一緒に過ごせたのだが、サウダーデが訪れるには時間を要しないことが既に分かったよ。そして、私の孫フェリッペが丁度毎日が新たな発見の時期でもある。ちょっと目をそらして、再び見ると成長しているんだ。でも、帰国したら色々と彼にこちらでの話をすることが出来るからね。 下記の写真では、私のDVDのテーマとなった音楽へのインスピレーションとなったAlexandre Piresの息子アルトゥールとの出会い。 Indaiatubaでの試合後にカンピーナスのアモローゾ選手の家を訪れた。私が、イタリア・ウディネに彼が訪れた時に会ったんだ。我々は、1996年に彼がプレーしたフラメンゴ以外にも、ウディネーゼという共通点がある。 Depois eu volto! それでは、また後ほど!……

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日記更新しました

[2009.07.04]

2009年06月23日(火) Odeonでの祭典 ハ~イ。シネランジアのOdeonでの私のDVD発売イベントは感動的だったよ。多くの友人達の出席と仕事の素晴らしい出来栄えが私を嬉しくしてくれた。数多くの人達が参加出来なかったことは承知しているが、一ヵ月後には誰もが未だに目にしていない映像を見ることが可能だ。即ち、DVDには上映された以上の内容が収録されているからね。購入した方にはサープライズが待っているよ。 あっ、そうだ!既に多くのe-mailsが届いているので、耳寄りの情報をひとつ。DVDはブラジル全国でも流通される予定だ。従って、もう少々お待ち下され。 そして、皆さんの温かい気持ちにアリガトウ。多くの方達が新サイトを気に入ったと口にしているよ。 それでは、また後ほど写真紹介をするからね!……

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一味違うDVD

[2009.07.03]

ブラジルにおいて、以前より私のゴール集DVDが存在しないということについて、道行く人々に声を掛けられていました。彼らは、ビデオは既に時代遅れで、私の映像はTVまたはインターネットのYoutubeから届けられるものだけであり、現代的な、即ち、DVDが欠如していると口にしていたのです。DVDの第一回目試写会となった発売記念イベントは22日に行われ、スタッフの約1年間の仕事にピリオドを打つべく特別な瞬間でもありました。 DVDの企画はそれ以前に生まれました。何年も考慮しながら、ある時にプロダクションに話を持ち掛けてプロジェクトを進めるように話したのです。ビデオによるゴール集や、私のサッカー人生に関する映像とは異なる作品にしたかったのです。ドキュメンタリー「Zico Na Rede」はそのような観点では的を射止めたと言えるでしょう。違う局面からゴールを観る方法としては疑問の余地は無く、そのコンテンツには、最も華麗なゴールを収めておらず、または、全てのゴールを収録しようとした訳でもありません。私が試みたのは、幾数かのゴールを、その場にいた元チームメイトやジャーナリスト、更にはサポーターの協力を得て、語ることだったのです。 勿論、多くの人達がその名を連ねることが出来ませんでした。更なるストーリーに関する取材や、映像自体を含めることを望んでいたのは事実です。でも、素材が有り余って、編集及び制作が困難なのは自然の流れだと説明されました。注意して観察すれば、難なくDVDのVolume 2、更にはVolume 3の制作が可能にも思えます。軌跡に関して語ると正にそうなのです。興味深いシチュエーションを想起しながら、そのシーンを楽しんで、更にはそのプレーが得点で終えた場合には、とても喜ばしいものです。 Cine Odeonで行われたロードショーは全く素晴らしくも、私を応援してくれるサポーターの皆さんには、あの場に出席していた500人は、常に私を温かく見守ってくれるマラカナンスタジアムで観戦してくれた幾千人と幾万人のフラメンゴのサポーターを代表していたのだと伝えたいと思います。あくまでも一イベントでしたが私にとっては感動的な催しとなり、実際には、決して映画館向けでは無かったプロジェクトのセレブレーションでもありました。結局のところ、映画の一部でもあるエクストラシーンの、何十ものゴールと幾つもの証言がZico Na Redeには更に含まれています。 現時点で、数多くの人達が購入を希望してe-mailを送っておりますが、暫しの間待って頂く必要があります。その後、デストリビューターの見込みではブラジル全土にて販売されるとのことです。(日本での販売は未定です) 本プロジェクトのディレクターを務めてくれたPaulo Roscio氏に感謝したいと同時に、今回セレクションされたゴール集の完全なる調査を担当してくれた私の次男Bruno Coimbraを含む、全スタッフに祝辞を述べたく思います。そして、最終的には映画のサウンドトラックともなった、感動的な音楽を作曲してくれたAlexandre Pires氏にもお礼を言います。更には、プロジェクトの実現化に向けてスポンサーしてくれたEletrobrás及び、DVDの数々のモーメントを生きる機会を手助けしてくれた家族全員と友人達にも感謝致します。皆さんが気に入ってくれることを私は期待している次第です! それでは皆さん、また来週お会いしましょう。 ウン・グランデ・アブラーソ!……

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ジーコギャラリーへ訪問した学校の生徒達がジーコと面会

[2009.07.02]

ジーコギャラリーはすでに今年3月14日のリニューアル以来、市町村ネットワークの20の公立・市立学校の訪問を受けている。ピエダデ区に位置するEducandário da Santa Cruz市立学校の生徒達、教師達とコーディネーターにとってもこのギャラリーへの訪問は記憶に残る日になりました。 彼らはリオのCFZ創設者と名誉会長であるアルトゥール・アントゥネス・コインブラ・ジーコにリニューアル後はじめて直接会った学校となりました。子供達は大喜びでした。他の学校と同様に通常の見学のみとなるはずだった訪問が、サイン、写真やガリーニョとの楽しい会話による特別な午後となりました。 学校の教育コーディネーターアリネ・フィゲイレドは、出会いは偶然であったと明かしました。 「我々の訪問は3回キャンセルになりました。偶然にも、今回の日程はジーコがリオにいる日と一致しました。ジーコに出会えたことは素晴らしかったです。彼の歴史を確認し、これまでジーコが獲得したものは偶然ではなかったという事を子供達に見せてあげたいです」と語った。 ジーコギャラリープロジェクトでは、10~12歳までの学生達が通っている市内の学校に対して、展示会だけではなく、ヘクレイオ・ドス・バンデイランテス区にあるサッカーセンターも見学する事ができます。このプロジェクトのコーディネーターは、スポーツ複合施設で訪問客を案内する担当者でもある、「マルコン」として知られている、マルコ・セルケイラです。 この訪問はアントゥーネス・スタジアムの観覧席からスタートし、それから会議室でサッカーセンターの様子とジーコからの歓迎ビデオが表示されます。そして子供たちはフラメンゴの歴史において最大のアイドルまでなった道のりのわかる写真、記事やビデオのジーコギャラリー展示へと進みます。他には経歴に沿ってガリーニョが獲得したトロフィーも若干展示されています。 学校訪問の最も感動的な瞬間のうちの1つは終了にあると、マルコンが語った。 「子供たちは、クラブでの散歩の間は非常に楽しんで行く、しかし、訪問の終わりに学校の名前がアントゥーネス・スタジアムのスコアボードで表示されるとき、彼らには思いもかけないことです。感動して涙を流した先生や校長もいました」と振り返りました。 各学期の終わりには、委員会メンバーがギャラリー訪問に関して最高の作品を作った学生を選びます。最高の作品賞には1人同行者を連れて2名でアメリカに行けるディズニーへの旅券とテーマパークのチケットです。費用の全てがプロジェクトの考案者ジーコによって支払われます。ジーコは、対象となったサッカーセンターの施設を訪問する学校の選択はどのように行われたか説明しました。 「私が電車で学校に通っていた頃のその道程によって、即ちキンチーノからセントラル・ド・ブラジルまで位置する公立学校を選びました。私が学生であった時、思い出に残っている2つの訪問がありました。それはKibon(*アイスクリーム会社)の工場とCoca-Colaの工場への見学でした。我々はサッカーを教えて常に恵まれない子供たちを対象として働いてきました。今回私は送り迎えやランチを提供する訪問プロジェクトを展開することに決定しました。我々がクラブで行っている仕事以外にも、サッカーセンターでの仕事を見せる為です。私は子供たちに喜びを与える事ができて嬉しいです」と述べた。 学校からの訪問の1日後、フラメンゴの永遠の背番号10であるジーコは市立教育事務局( SME )の代表者、ジーコギャラリープロジェクトに参加している市立学校の校長や教師たちとミーティングを行いました。キンチーノのガリーニョはなぜこれらのプロとミーティングを行ったか説明しました。 「私は、彼らが我々のプロジェクトに与えている全ての愛情と支持に対して感謝するためにこのミーティングを行いました。校長と教師がによって子供たちにこのような機会が与えられるからです。」 フラメンゴファンで体育学の先生であるエドゥアルド・ロドリゲスはアイドル・ジーコとの初めて会って感動していました。 「私は、子供の頃からこの日を夢に見てきました。サイン入りTシャツは額に入れます。そして、私と妻がジーコと一緒に撮った写真は実物サイズのポスターを作って、家のテラスに掛けておきます。ジーコは選手の手本だではなく、市民の手本でもあります。私はガリーニョに関する否定的なニュースを決して聞いた事がないです」と語った。 SMEの管理及び統治アシスタントのルシンダ・ファリアにとってジーコとの再会は永遠に記憶に残るでしょう。 「私はキンチーノに住んでいたので、ジーコがルシンダ・バルボサ通りで成長するのを見た世代です。彼にも直接言いましたが、これだけ勝者である人が昔から全然かわっていないことに感心しました:明るくて、家族思いで、故郷を忘れていません。私はフラメンゴファンではありませんが、ジーコを非常に誇りに思います」と、述べた。……

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