[2009.05.30]
私がCSKAの監督に就任してから、ここ数ヶ月、休みの日にモスクワの街を訪れる機会が何回かありました。私がより観光の為に尽くした時間はここで妻・サンドラと一緒にいた時でした。今回私が用意した写真は、ヨーロッパの中で人口が最も大きい都市で、我々が昼間または夜に出かけた時のものものです。現在私は、ロシアの首都、そして、国の経済力の中心である、モスクワ、我々がポルトガル語で言う“Moscou”約1300万人の1人です。
ロシアについて何も知らない多くの人々でも、少なくともモスクワという名前は知っていることでしょう。例えば、ここでは、待伏せを受けて、ナポレオンが1812年に戦争に負けました。社会主義が1991年に終止符を打ちました、スターリンやトロツキー等のソビエト社会主義共和国連邦(USSRまたは CCCP)の首都でもありました。
私は興味を持ったので歴史的な部分から語り始めました。モスクワには国の政府の建物があります。クレムリンとして知られている行政とメドベージェフ大統領の官邸。塔をもつモスクワのクレムリンは、間違いなく主な観光名所のうちの1つです。ここで調べてみると、クレムリンはロシア語で「要塞」と言う意味であることがわかりました。ユネスコの世界遺産である赤の広場に位置します。後世に語り継ぐために保存していく必要があります。
どこであっても観光において建造物の影響は大きいと思います。多数の大聖堂、美しい教会と建造物が2つの大戦に関与したモスクワ都市の歴史を知る為に役立ちます。そして、教会の影響力も強いです。当然のことながら、ここには、1億人以上の信徒を持つ東洋の相違、ロシア正教会の本部があります。ドームと特殊な色をもつ、聖ワシリイ大聖堂のような有名な大聖堂の大多数は、正教会に属しています。ドームと色の組み合わせと塔は、都市に特別な形を与えます。夜には特別なイルミネーションが使用され夜景が非常に美しいです。
しかし、観光スポットに限らず、他に様々なレジャースポットのオプションもあります。首都であるため、経済的中心は、すべての味覚を満足させる料理、夜の生活や中心都市が提供できるすべてを持ちます。しかし、それらは費用もかかります。私は生活をしてみてモスクワが世界で最も生活費が高い都市であることをすでに感じました。モスクワは、私が以前住んでいた東京での生活費を越えています。
都市に多くの雪をもたらす厳しい冬にもかかわらず、サッカーは非常に人気があるスポーツであり人々を感動させます。プレミアリーグ(1部)で競う16のチームのうち、6はモスクワのチームです。最も伝統的なチームの間で、CSKAの他に、Dynamo、LokomotivとSpartakがいます。大きな2つのスタジアム(そのうちの1つはCSKAが建てている)が、都市をサッカーで熱くさせます。それらの独特な特徴にもかかわらず、私はここで、キンチーノ区とモスクワを結びつける要素を見つけました。都市の紋章には、カッパドキアの戦士、聖ジョージがあり、そして私が生まれ育ったキンチーノには聖ジョージの本部教会があります。聖ジョージのイメージは市内を走るバスに貼られているので、カメラで写真を撮りました。
世界を旅しているなら、モスクワを訪れてください。……
in [世界紀行]

[2009.05.29]
今月の初めの8日に、CFZの取締役社長及びZico10の会長であるブルーノ・コインブラ、Zico10の全般的コーディネーターのファービオ・ソドレーとCFZのU-15監督のフェルナンド・ヴァヌッチは、プロジェクトZico10のパートナーとなる、もう1つのサッカースクールを開校するために、カルドーゾ・モレイラ市を訪れました。
かなりの数の父兄の見守る中で、開校式の夜は既にユニフォームを着た子供達のトレーニングから始まりした。その後、Italvaと São João da Barra との間で女子サッカーの試合が行われ、そして最後に、地元商業の代表者達とカルドーゾ市役所職員達の間での試合を行いました。
「場所、グラウンドと組織が良かったため、非常にすばらしいイベントでした。私には、スクールが成功するように十分に気持ちの入った真面目な人々の支持に対して感謝する機会がありました」と、彼の父に代わって感謝のプレートを受けたブルーノ・コインブラがコメントしました。
地元からは、サン・フィデーリス市長のルイス・フェネメと共に、スポーツ部担当のジョゼー・ウィリアムと司会議員のアマウリが出席しました。
Zico 10カルドーゾ・モレイラは、ブラジルでのプロジェクトの15番目のパートナーです。……
in [ニュース]

[2009.05.28]
2009年05月24日(日) ハ~イ。サイトリニューアルへのカウントダウンに向けての手短なポスティングだよ。それでは、早速写真紹介へと行こう。 キンチーノ地区「Zico 10」オープン後の初披露だ。子供達と指導者のユニフォームを身に着けていない実兄ナンドをご覧あれ。 キンチーノと言えば、モスクワのバスにプリントされている記章にご注目。これが何の意味を示しているかは、まもなくアップされる「世界紀行」にて。 そして最後に、とても強力だということで、大変マッチョでなければ飲めないといわれるこちらのビールの写真をゲット。このスペルをポルトガル語読みすれば何となく、下品で女性に関連している、好色的な単語に聞こえるよ。でも、正しい意味合いは「ゲップ」ビールとのことで、ポルトガル語でビールと組み合わせると同じく大変面白い表現だ。即ち、このビール名はどうしようもないのである。ポルトガル語では決して良い意味には聞こえない…。 Depois eu volto! それでは、また後ほど!……
in [ダイアリー]

[2009.05.27]
既にこのサイト上、特にこのコーナーにおいて、サッカーをピッチ内外で奥深く揺るがすようなテーマに関して取り上げてきたかと思います。そして、選手時代から自分の軌跡を見守ってくれている皆さんでしたら、リスペクト・ジャスティス・誠実と、平等に対する価値観が私にとってどんなに意義あることであるかをご存知でしょう。これらは家族から継承した財産であり、私の両親、即ち、父アントゥーネスと母チヂンニャから学んだフィロソフィーなのです。今週はこれら全ての価値観に反する「人種差別主義」という、嘆かわしいテーマに関して述べたいと思います。
幼年時代から、キンチーノ地区で、私は全員が平等であり全ての人を尊重しなければいけないことを学びました。二人の兄がサッカー界に身を置いていたことで、このスポーツが信じられないほどに民主的であることを発見したのです。僅かにボールが一個あれば全員が事足りて、創造力を駆使すればストリートを芝のピッチに感じさせる事すら可能であり、ビーチサンダルをゴールポストに見立てて、歩道をマラカナン・スタジアムの観客席に仮定出来たのです。誰しもがこのゲームには出番がありました。
この思想を強めるに当たり、私は7歳の誕生日を迎えた年に、白一色のスイスの真っ只中で、後にサッカーの王様へと変化を遂げた一人の黒人が輝く光景を目にしたのです。それがペレーでした。それに対して、アフリカ大陸では、その後約30年に亘って黒人と白人が同じ場所を使う共存が可能ではありませんでした。私は、我らがチームメイトである、白人と黒人が同じバスでは乗り込んで出発が出来ない状況下で、フラメンゴのデレゲーションと南アフリカの某空港で隔離され、憤慨させられた経験があります。ようやく1987年に終止符が打たれたアパルトヘイトだったのです。
先程私が述べた同様に、少年期に我々は全員が平等であり、お互いに尊重し合う必要があることを憶えました。そして、フラメンゴでの私の最初の大親友で相棒だったのは、黒人でミナスジェイライス州のバラォン・デ・コカイス出身のジェラウド選手でした。フラメンゴの下部組織での相棒で、その後はプロとして1976年までその関係は継続され、彼が我々一家と一緒に過ごした3年間はとても身近な存在で、父アントゥーネスはジェラウドが自分の「褐色の息子」だと冗談を言っていた程でした。ある手術で逝ってしまった私の心の兄弟です。その後も、チームメイトとして一緒にプレーを共にし、現在に至りペラーダ仲間でもある、アダァオン、アジーリオ、アンドラーデなど数多くの親友がおります。
その様にして私はサッカー界で育ちました。でも、残念ながら、この業界に長年身を置きながらも、私はスタジアムでの露骨な人種差別的表現を、初めてこちらモスクワの地で目の当たりにしたのです。猿を模倣しながら、ディナモのサポーター陣は単純に我らがフォワードMaazou選手の平静さを試合中に失わせたのです。Níger生まれの21歳の若人である彼は、プレッシャーに耐え切れず、プレーが出来なくなってしまいました。私は交代を余儀なくされたのです。偶然にも、この出来事はブラジル国民にとっては人種差別撲滅に対する大変重要な日でもある、丁度05月13日に発生しました。何故ならば、1888年のこの日に国内に於いて正式に奴隷制度が廃止されたからです。正に悲しい偶然だと言えるでしょう。
我々がPK戦の末にディナモを下しての試合終了後も、私は依然として自分が目にした光景を受け入れるのが困難でした。現在、我々が生きるこの厳しい世の中で、サッカーに携わっている者は模範を示す義務が存在することを熟考したのです。選手または人間育成に寄与する如何なる事実も、次の世代へと持ち越す必要があります。更には、人種差別に関する問題はFIFAが厳しく対応しています。最近のケースでは、処罰が与えられた、ユベントスのサポーターを巻き込んでの事件があります。
私は口を閉ざす訳には行かず、今後も05月13日が私の記憶から薄れることは難しいでしょう。 私がこの様な事実に関して知らない訳ではありませんが、実際に自分の目で見るのは別なのです。サッカーを自己の人生そのものだとしている私は、このスポーツには全てのクレド(信条)、人種、そしてイデオロギーをも受け入れられることで、強力な民主的価値観の存在を理解しているのですが、今回はスタンドから打撃を受けました。
でも、我々は反攻するために共に力を振り絞ったのです。Zenit戦前のミーティングで私はMaazou選手に、彼はピッチ外での如何なる行為にも心を奪われてはいけない故を説明しながら、話したのです。我々、即ち、テクニカルスタッフ勢及びクラブ首脳陣は、彼の味方であり、処罰が与えられるように戦っています。特にこの事件がロシア・メディアで反響を呼んだ後だからこそ、判決がサッカー連盟から下されることが私の期待でもあります。CSKAのサポーターも横断幕で敢えて連帯感を示してくれました。その行為に対する彼の感謝の表現は、我々勝利への先制点とベンチ全員に抱きつくパフォーマンスという形で、ピッチ上から送られたのです。
若きOuwo Moussa Maazouは新たな象徴だと言えるでしょう。彼が、多くの人々の目を覚ませてくれて、その彼らが偏見を取り除き、ピッチ内で行われるクリーンなサッカーに、現代社会に欠如している連帯意識への大いなる模範を見出してくれることを期待しているのです。そして、私がこの様なシチュエーションを再び目にしないで済むように、あの様な行為を行った人物に厳重な処罰が下されることを願っています。
それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!
また来週お会いしましょう。 ……
in [ジーコの主張]

[2009.05.26]
「まさにこれがサッカーだ。自分達はあまりにも特に前半決定機を外しすぎた。決めるところを決めておかないと必ずツケが回って来る。特に今日の様に手強い相手でさらに相手のホームならばなおさらだ。しかしながら今日の決定力不足には最後まで泣かされた。」……
in [ニュース]

[2009.05.25]
ロシアプレミアリーグ第10節、CSKAはアウエーで行われたKuban Krasnodar戦で0-1で敗れた。
この結果、勝点19のCSKAは二位に後退した。トップは昨年の優勝チームRubin Kazan。勝点19にはKryliaとFC Moscouが続いている。……
in [ニュース]

[2009.05.20]
2009年05月15日(金)
やぁ~。現在サイトのリニューアルへ向けての準備中。サイトのスタッフが取り組み中で、読者の皆さんの要望に応えて、写真は少なめで頻繁にアップされる予定だよ。
それでは、本題へと行こう。下記光景は、勝利にて我々をロシアカップ決勝進出へと導いてくれた、対ディナモとのPK戦に対する期待の表れ。
この瞬間に何を言っていたのか正確には憶えていない。でも、この写真同様に、サポーターの発言を気にしないよう、Mazoou選手に対して必死に叫んだのは事実だ。試合での悲しい注目点は、我々のフォワードを動揺させたディナモ・サポーターの人種差別的行為だった。
それでは、私の孫フェリッペの話題に変えるよ。下記が彼だよ、サウダージ!ここでは、フラメンゴの三連覇達成の日に「聖なるマント」を着ている写真。
キンチーノでのZico 10スクールの開校式では、写真を送ってくれたPaulo Codornaなど数多くの友人達に再会出来た。以下は、ジュヴェントゥーデの年末に行われるペラーダの写真。キンチーノの元FUNABEMで開催された。この試合はアントゥーネス・ファミリー(兄弟、子供、甥っ子)対友人チームだった。私は怪我をしており、出場しなかったことを憶えている。
Paulo Codorna, que mandou as fotos, é o numero 2. Tunico, Claudio, Cirillo e eu. Esta, sim, na inauguração da Zico 10.
写真を送ってくれたPaulo Codornaは2番。そして、Tunico、Claudio、Cirilloと私。Zico 10スクールの開校式にて。
そして、今週のコラムを読んでくれた皆さんは、私の鹿島アントラーズのJリーグ通算1000得点に対するオマージュを見たかと思う。下記が1000ゴール目の得点者となった岩政選手の写真だ。
最後に、「懐かしの写真」を2枚大いなるストーリーと共にお届けするよ。
1枚目は大変興味深い写真だ。残念ながら私は写っていない。これは、既に他界したRui Leite氏が設立した、かの有名なFLACHOPのチームだ。彼は私の父の親友で、ビール仲間でもあり、最終的には私の結婚式の仲人も勤めてくれたんだ。マラカナン・スタジアムで開催されたRaul選手の引退試合の日に亡くなった。再び私がフラメンゴ(当時私はウディネーゼに所属)のユニフォームをまとっている姿に感動したとの話だ。このチームはジュヴェントゥーデのメンバーにより代表された。実兄ナンドがGKを勤め、Ruiはその左隣に立っている。前列で大きな口髭を生やしているのは既に他界した実兄アントゥーネスで、その右隣にもう一人の兄ツニッコがいる。最も興味深いのはツニッコの後ろに立っている眼鏡をかけた人物だよ。我々一家の大の親友Ximangoで、Riverへ私の試合を観にCelso Garciaを連れて行った本人でもある。ジュヴェントゥーデの写真で、後列は、Paulinho、Wlaudir、Paulo Codorna、Zezinho Bracinho、Sergio Gordoと兄のNando。前列は、私の兄二人のTunicoとAntunes以外に、Mico、ZecaとClaudio。但し、何処で行われた試合での写真かだけは分からない。
「懐かしのコーナー」を閉めるのは、1971のチームで、私のフラメンゴ初期時代の写真だよ。後列は、Chiquinho、Rodrigues Neto、Reyes (故パラグアイ出身の名選手)、Onça、Paulo Henrique、Ubirajara。前列は、Fio Maravilha、Zé Eduardo、Samarone、Cabralzinhoと私だ。
Depois eu volto
それでは、また後ほど!……
in [ダイアリー]

[2009.05.19]
「試合全般を通して良いプレーができていた。重要なライバルチームとの試合で勝利することができ首位に立つことができた。」 ……
in [ニュース]

[2009.05.18]
17日に行われたロシア国内リーグ第9節、CSKAはZenitに2-1で勝利、首位に返り咲いた。
試合はCSKAが32分Mazoouのゴールで先制したが後半の54分に同点に追いつかれた。85分にVagner LoveがPKを決め、これが決勝点となって勝利を決めた。
CSKAの勝点は19となり単独首位になった。2位にはAmkar Permと引き分けで勝点18のRubin Kazan。……
in [ニュース]

[2009.05.18]
15日、ジーコは約束どおりに、ディナモのサポーターが行ったFW Mazoouへの人種差別を訴える行動を実行した。
UEFAの会長でもある、友人のミッシェル・プラティニに電話をした。その際に直接会長とはコンタクトは取れなかったが、プラティニの補佐と意見交換をした。
「彼は、UEFA主催の大会ではないので、難解な問題だと説明してくれました。何れにしろ、サッカー大国での出来事についてはUEFAは発言しているので、敢えてこの問題を記録に残すことにしました。ロシアサッカー連盟が直接的に何らかの措置を講じるかは分かりませんが、自分がやれることは行いました。あの試合で起こったことは受け入れられません。このような行為に対しては処罰が無ければいけません。」と、ジーコは述べた。……
in [ニュース]

[2009.05.17]
4月末に、日本に於いての私のプロジェクトをここ数年間担当してくれている高島雄大から、04月29日に鹿島アントラーズがJリーグにおいて通算1000ゴールを達成したとの情報がe-mailで届きました。メッセージには、1対0で勝利したヴィッセル神戸戦での岩政大樹選手が得点者と報告されており、1993年05月16日にJリーグでのクラブ得点第1号を挙げたのは私だと書き添えてありました。この5対0で圧勝した試合では、私は更に2得点を決めております。その試合から数えて正確には16年が経過したのです。
私のサイト及びコラムを愛読してくれている方であれば、既に私が日本と鹿島アントラーズに対して深い愛着心を持っていることをご存知なことでしょう。あの小さな町へと到着した当時、あの地域に存在していた最も重要な企業は住友金属でした。サッカーはアマチュアで、鹿島アントラーズの原点であった住友金属のチームは実業団チームで、選手達は会社に勤務しながらサッカーをしていました。後に彼らの数人はプロ選手になることを選択したのです。
1993年に、Jリーグ開幕戦で得点を決めた際には、既にいくつかの土のグランドも踏んでいました。そして、その当時、12歳だった少年が、私が着用していた鹿島アントラーズの背番号10番のユニフォームを購入したのです。そして、その少年がチームのJリーグ通算1000ゴール目の得点者となった岩政大樹選手だと考えると胸が熱くなります。
現在、ヨーロッパに散らばっている日本サッカーを代表する選手達を見ると、その歴史に参加出来たことを誇りに感じます。私が日本代表でデビューさせた大久保選手は、ブンデスリーガで首位のWolfburgで際立った存在の一人です。中村選手は今日に至りスコットランドでレベルの高いプレーを披露しています。更には、ジーコ・サッカーセンターで開催される日伯友好カップに過去に参戦した選手達がスペインやイタリアなどのサッカー大国のチームでプレーをしているのです。
15年の期間に亘り、私は日本と直接関係していました。でも、現在に至っても日本代表の動向を見守っております。日本代表と言えば、2002年から2006年にかけての時代のメンバーがベースとなり、次回のワールドカップ出場権獲得まであと僅か一勝に迫っていることは、私にとっての誇りでもあるのです。これらは、今日収穫されつつある幾つかの実りでもあります。
初得点と1000ゴール目が長き期間を経て大いなる感動でつながるかのように、まるで15年間及び更なる過去をも含めたフィルムが編集されたようです。少年だった岩政選手が1993年に我々の勝利を祝い、当時は日本国内でも無名に近い町のチームの、背番号10番のユニフォームをまとって鹿島アントラーズを応援してくれました。その彼が、選手として2009年には日本サッカー界で最多タイトル数を誇るチームの一員として、ヴィッセル神戸のゴールネットを揺らしたのです。二つの光景と数多くのストーリー、そして一つの確信があります。日のいずる国、日本での努力が如何に実りある日々だったかです。アリガトウ!
それでは皆さん、また来週お会いしましょう。
ウン・グランデ・アブラーソ!……
in [ジーコの主張]

[2009.05.16]
ロシアカップ準決勝Dynamo戦でCSKAが勝利した後に行われたジーコ監督の記者会見で、決勝進出したことの喜びよりも、憤慨した気持ちをあらわにした。
CSKA・FWのMaazou選手が28分に交替されるまで、試合を放送していたテレビの集音マイクは何度もジーコがFW・ Maazou選手の名前を叫ぶ声をひろった。その理由が記者会見で説明された。
「私は、サポーターからピッチ内に対して行われた人種差別的な態度を初めて見た。とても嘆かわしいことに、相手のサポーターの一部がずっと猿のまねをして叫んでいて、Maazouはその侮辱に腹を立てた。私は長い間、彼が試合に集中するようにと呼んでいた、しかし、彼は相手サポーターと口げんかするためにピッチ内で何度も立ち止まった。その為同選手を交替させるしかなかった。このような出来事は非常に悲しい」とジーコがコメントした。
フォワードのOuwo Moussa Maazouはニジェール人の21歳で、最近CSKAに移籍してきた。チームでは7試合目であった。ジーコはDynamoに対する罰を必ず要求すると言った。
「FIFAはのこのような状況を絶滅するように努めており、そしてロシア連盟も無視しないと私は思う。私は人種差別行為の厳罰に対して賛成する。サッカーは若者に対する手本である。そして、色、人種、宗教、国籍を区別することなくスポーツを広めて行く。私はスタジアム内で起こったこのような出来事を認める訳にいかない」と付け加えた。……
in [ニュース]

[2009.05.15]
「大事な試合をものにし決勝に駒を進めることが出来た。しかしながら多くの事柄を再確認させられた試合だった。先ずどんなシチュエーションであっても終了のホイッスルが鳴るまでは『もう大丈夫』は存在しないということ。内容も素晴らしくまた2ー0のスコアでつい気の緩みがでたのだろう。延長でも二つの決定機を逃しPK戦にまで縺れ込んでしまった。監督になってから三度目のPK戦だ。最初は日本代表としてアジアカップの準々決勝(対ヨルダン戦)。二度目はトルコでフェネルを率いて対 Sevilla。そして今回。決勝の相手は勢いのある Rubinだが当面は週末の対 Zenit戦に集中しなければならない。」……
in [ニュース]

[2009.05.14]
13日にArena Khimkiにて行われたロシアカップ準決勝は2-2から延長戦でも決着がつかず、PK戦で6-5で CSKAはDynamoに勝利した。この対戦は3日前に行われた国内リーグと同一カード。
前半43分にVagner Loveが先制点を決めて折り返し、後半に入ってからも53分にZhirkovが決めて2-0とリードしていた。しかしながら86分に1点を返された後、試合終了直前にPKを決められ同点となった。
延長に入っても得点が決まらずPK戦となった。4人目までは両チームが決め、先行のDynamoが5人目で外し、決めれば勝利というところでCSKAも決めれられず、PK戦もサドンデスとなった。6人目は両チームが決め、7人目でまたもDynamoが外すが、CSKAも再度決められなかった。8人目でDynamoが外し、今度はCSKAが決めて決勝進出を決めた。
決勝の対戦相手はRubin Kazan。5月31日に行われる。
CSKAはロシアカップにて2002, 2005, 2006, 2008と4回の優勝を飾っている。……
in [ニュース]

[2009.05.12]
「非常に良いゲームだった。前半にひっくり返せる勢いだったがなかなか決められず後半に入ってしまった。しかしながら勢いを失わず最後まで絶対に諦めないという気迫が最後に勝敗を決めた。さらに首位に肉薄したが水曜にカップ戦も控えているだけに切り替えないといけない。」……
in [ニュース]

[2009.05.10]
10日に行われたロシア国内プレミアリーグの第8節、CSKAはDynamoとロシアの伝統的な首都ダービーをアウエーで戦い劇的な逆転勝利を飾った。
前半CSKAは開始直後にD. Kombarovに先制ゴールを決められ0-1で折り返した。後半に入り78分にT. Necidの同点ゴールが決まった。そして試合終了直前90分にBerezutskiが決勝ゴールを決め2-1で劇的な逆転勝利を飾った。この結果CSKAの勝点は16となり、暫定首位となった。……
in [ニュース]

[2009.05.09]
私は、ロシア国内リーグの制覇の困難さについてこのコラムにコメントした。ロシアに着いた時から情報を得て、タイトル争いには5~6チームを予想していた。リーグの第7節が過ぎた後、それはほぼ予測通りであった。現在の混戦の中に2チーム“侵入者が”いる。そのうちの1チームは、現在のところまで、上位戦線に加わり続ける勢いをみせている。これが今週のZNRコネクッションのテーマである。
最初から首位が節ごとに入れ替わる状況が続いている、そして今は現在チャンピオンのRubinがトップにいる。私が意外に思ったのが、同勝点のFC
Moscou。私はロシアに来るまでこのチームを知らなかった。特徴のあるチームで、ロシア杯の準決勝選出が決まっている。同チームはRubinとの対戦になる、そして我々はDynamoと戦う。これまでののところ調子が出ていない驚きは9点で10位に順位するLokomotiv。しかし、これから先はまだ長い。
我々が前節で下した、Krylia自身も現地での話によると、昨年は上位のポジションに近づいていたが、結局最後には脱落してしまったそうである。私がここで見ている限り、このコラムで以前言及したそれらの6チームが力があるように思う。 - Rubin、
Zenit、 CSKA、 Spartak、 Dynamo と Lokomotiv - そしてそこに益々近づいてきているFC
Moscou。
不思議なことに、我々のチームはホームよりアウェーで良い成果を出している。タイトルを獲得するにはホームサポーターの前で勝点を確保し、アウェーでは対戦相手の勝点を奪うこと、と私が常に言うので、確かに、我々はそれを修整しなければならない。CSKAはホームアウエーの場所に関係なく、いつでもサポーターがついているので、プレッシャーによるものとは言えない。ホームで我々の重要なゲームのうちの2つは、UEFA杯やカップでの激しい試合の後に行われたもの。つまり、我々は直前のゲームでのストレスがたまっていたことも影響したと言える。
我々は5月13日、そして週の途中にもう1つの試合があり、ロシアのカップの準決勝において、Dynamoとの対戦が予定されている。しかし、今は我々は過密日程の中でチームを調整しなければならな良状況にあることは理解している。まず最初の試合を良い結果で飾りリズムをキープする必要があるということをすでに分かっている。
国内リーグのタイトルのための3つのライバルチームは同じ状況にいる。試合での決定的な瞬間により少なくミスをしたチームがアドバンテージを得る。そうやってRubinは昨年の優勝を飾った。良いスタートをし、リーグの経過に勝点をあまり落とさずに、チームをうまく調整した。
私が常に言うように、ホームアンドアウェー方式のリーグは100メートル競走ではなく確実にマラソンだ。全力でカップを持ち上げるには、最終節まで良い規則性が必要となる。我々はその目標の為に頑張り続ける…
では、また来週!
……
in [ジーコの主張]

[2009.05.07]
私にとって、ここロシアの真夜中では90分以上の大きな苦しみであった。今回はテレビで試合を観戦する事が出来なかったため、インターネットで試合の流れをチェックしていた。実際に画像を見ることができなかったのでつらかった。テレビで生中継されていたサンパウロ州選手権の決勝戦で、通常であれば他会場のゴールが入ると映像が流れるので、マラカナンでのフラメンゴのゴールを期待していた。実際にはPK合戦まで行ったので苦しみは増加した。
しかし、重要なのはフラメンゴが再び3連覇(5回目の3連覇)を達成したこと!そして、通算31回目の州選手権優勝を飾り、州の覇権を得たこと。私はフラメンゴのメンバーとして7回優勝に参加した名誉があり、今はブラジルにいるサポーターの喜びを想像し私はモスクワで大喜びしている。
選手、クラブスタッフやチームの指導者であるクッカ監督おめでとう!そして私が見た映像で非常に素晴らしいお祝いをしていたサポーターに特別におめでとうと伝えたい!ただ1つ残念だったのは、外国で暮らすフラメンゴのファンがテレビ生中継で試合を観戦するチャンスがなかったこと。Globo Internacionalはサンパウロ州の決勝戦を選んだので、ブラジルで最大のサポーター数を重視しなかったと思う。海外にいると私はどこにでもフラメンゴのファンに会うので、私は常に世界で最も多くのサポーターを持つクラブのうちの1つであることを確認できる。
フラメンゴ優勝おめでとう!新たな大会に向かって良い準備ができるように。フラメンゴのサポーターの皆さんおめでとう!
ジーコ……
in [ニュース]

[2009.05.06]
4月26日にリオやサンパウロ等の州選手権決勝の第一戦が行われた。リオ州選手権は、どちらが優勝するかまだ明確ではないが、サンパウロではロナウドが素晴らしい2得点を決め、コリンチャンスが3-1でサントスに勝利しタイトルに一歩近づいた。このリオとサンパウロの州選手権を見て感じたことが今週のテーマです。
ロナウドがすでに何回かコメントしているが今回も同じであった。彼が私と出会う時は足が震えるそうである。彼は、私と間で常にあった選手とファンとの関係を思い出すようだ。私自身もあこがれの選手であるジーダに時々会ったときは、本当に足が震えたことがあった。8年前に彼との最後のインタビューをする機会が与えられた。そのときにも少年時代のように正面にいる永遠のアイドルとして、その瞬間は感動の渦に巻き込まれた。
我々はこれらの感情を失うことはない。コリンチャンスにて、ロナウドが優秀な選手である事、そしてすぐれたボールコントロールを維持している事を示している同様に。
ロナウドが前に進んでいたGKファビオ・コスタに対してチップキックを決めたゴールが皆の注目を集めた。私が印象に残ったプレーは、ロングパスを受け、相手DFの内側に切り込んで2点目のゴールを挙げたシーン。素晴らしいボールコントロールで、非常に見事なプレーだった!
最も重要なものは、我々が元気なロナウドを見る事である。彼の復帰に関して私が聞かれたとき、彼がサッカーをプレーする喜びを再び取り戻す必要があると言った。そして今、彼はその喜びを取り戻したようだ。彼の中に喜びが存在した時、ただのプレーヤーからエースにかわる。
素晴らしいドリブルやゴールに向かっていくプレーを見るのは素晴らしいことである。リオ州選手権、ボタフォゴとフラメゴの試合でマイコスエルがホゥアンに対して向かって行ったドリブルは素晴らしかった。私は技術の高さが見られるfutebol arteを常に擁護している。それに対してフラメンゴのSBホゥアンのラフプレーは良くなかった。挑発にとらえてしまってのであろうが、仮に退場になっていたらフラメンゴは厳しい状態に陥ってしまった。決して技術のあるプレーに対して過剰に反応して取り乱してはいけない。
決勝戦では多くの要因が影響する。フラメンゴが優勝を獲得できるよう、私はここモスクワで応援している。素晴らしい熱意あるプレーで乗り越えられるように願っている。今は優勝を達成するために110 %の努力が必要な時である。
また来週!
……
in [ジーコの主張]

[2009.05.04]
3日に行われたロシア・プレミアリーグ第7節、CSKAはアウエーで首位だったKrylia Sovietovに3-1で勝利した。得点者はV. Berezutski、Love とMaazou。
この勝利でCSKAの勝点は13となった。首位は勝点14でRubin、2位には同じく勝点14でMoscou。CSKAは3位となった。……
in [ニュース]

[2009.05.03]
2009年04月28日(火) ハ~イ。手短な写真紹介とこの日記を見ている皆さんへ、ニュースもありまあす。私の昔からの友人である、Ronaldo Helal氏がUERJ(リオ・デ・ジャネイロ州立総合大学)で、「スポーツ及びコミュニケーション」好きにはとってもナイスなエクステンション授業コースをコーディネートしています。申込期間終了まであと僅か。結局のところ、彼は以下の案内状を私に送ってくれました。ご覧のとおり詳細が記載されているかね。Ronaldo、アリガトウ、そしてボーア・ソルテ!
それでは、早速写真へと行こう。最初に「Copa Danone」に優勝し、リオ・デ・ジャネイロを代表して全国へと臨むCFZのU-12チームの祝杯シーンだよ。選手たち、Rbson監督、全テクニカルスタッフの皆さん、パラベーンス。 そして、次はレッド対ホワイトの戦いを更に一枚。でも、今回我々はホワイトのユニフォーム。レッドはLokomotivだよ。写真は、大変有能なカメラマンとしてエドゥーの代役をこなしているわれらが理学療法士Tlioの作品だ。 彼は電子掲示板に映し出されたゴールシーンのリプレイをカメラに収めたよ。
そして、恒例の試合終了表示。我々はロシアカップの準決勝へと進出。次なるはDynamoとの対戦だ。
最後に、CFZの「Força Azul」サポーター団に祝辞を再度送るにこしたことはないと思う。既に「Orkut」コミュニティーには70人以上のサポーターが存在するようだ。今週の水曜日は又してもスタジアムへと応援に行く日でもある。
Depois eu volto!
それでは、また後ほど!……
in [ダイアリー]

[2009.05.01]
CFZの創立者で現在は名誉会長であるジーコは、同クラブの日常からは離れている。先日CFZの公式サイトに掲載された記事によって、Força Azulが創設された事を知った。CFZを応援し始めた学生達のイニシアティブに熱狂したジーコは新たなファンたちにメッセージを送った。
ジーココメント「若者たちの熱狂をみることはすばらしくありがたいことです。どうか、これが素晴らしい道のりの始まりでありますように。発起人であるフレデリッコとガブリエールや今からCFZのForça Azulの一部となる全てのメンバーに感謝したいです。彼らが良いエネルギーをもたらしてくれるように、そして我々のチームがピッチ中でそのパワーに報いられるように。選手たちはそれによって動機づけられると思います。もしかして、このことがCFZが1部昇格するために足りなかったものかも知れません。現在、私はスタジアムに行くことができないので、すでにOrkutでのコミュニティに入っています。そして、きっと私の息子ブルーノやアランのクラブを指導している人たちがForça Azulを支援していくと思います」 ……
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