ジーコが通っていた学校がジーコギャラリーを訪問
[2009.03.31]
キンチーノ区でまだ「アルトゥールジーコ」として知られていた頃、細い男の子はストリートサッカーの他に、ハイチ学校に通っていた。ほぼ50年後、当学校の現在の生徒達がジーコサッカーセンターのジーコギャラリーに訪問、アイドルとの親近感を高めた。
最初の訪問は、同じキンチーノ区の私立学校オズワルド・テイシェイラから行われた。次の日にジーコサッカーセンターで午後を過ごしたのは、ハイチ学校の生徒たち。プロジェクトコーディネーターのマルコ・セルケイラが説明する通り、学校の選択は、最初の段階では、ガリーニョの個人的でノスタルジックな基準によるもの。
「ジーコがキャリアの初めに練習に通っていた道程、キンチーノ駅とセントラーラル・ド・ブラジル駅の間の列車の線の近くに位置する市立学校が招待されます。」
このツアーはサッカーセンターのミーテイングルームから始まり、生徒たちはジーコの人生についての説明を受ける:コインブラ家族の祖先から現在のロシアで監督としてのキャリアまでが説明される。スクリーンでジーコが生まれ育った家が写った時は皆が大騒ぎ。大多数がその場所を知っているから。説明の終りには、マルコは景品が与えられる抽選会を行った。
ランチタイム後には、ジーコギャラリーを見物する時間だ。ジーコ展示に利用されていたスペースは改装された。ボールの形をしている構造で床在に人工芝を利用し、そしてジーコと一緒に写っている家族、選手や有名人の写真がパネルになって展示されている。引き伸ばした新聞記事はガリーニョについて興味を引く話を明かしている。近いうちに、アイドルのゴールを示する為のテレビが用意される。
散歩はCFZのピッチで終わり、そこで子どもたちは自由に走ったり、選手の真似して遊んだり、チームのようにポーズして写真を撮った。子どもたちは帰る前に、さらにガリーニョの歴史を語る本をもらった。
アルトゥールジーコのような細い男の子、マテーゥス・ヘベロは初心者の頃のジーコの写真の横でポーズする。プレーヤーになる意志は大きい。ただ彼がプレーしたいチームが異なる。
「ジーコは好きだけど、僕の好きなチームはバスコだ」
彼の母親、教師のカルラ・ヘベロは、心のチームに関係なく、子供たちのサッカーとの親和性を確認する。
「ジーコが住んでいた場所を生徒全員が知っています」
子どもたちはサッカーセンターのピッチで自由に遊ぶ。
ハイチ学校の記念写真。
生徒たちはジーコの本をもらった。