ジーコの部屋

ペゥーと巨大なエビ

[2009.03.02]

ここCSKAに来る前に、元選手仲間であり「ジーコの部屋」のコーナーで数多くの話題になった人物、ペゥーを私の家で迎える機会があった。

1960

彼はサイトへのリクエストをする為に私に会いにきたのだ。 「ガ、ガーロ(ジーコ)、どうしてなんだ、わ、訳が、わ、分からん。ぼ、僕、ペ、ペゥーが、も、もう、き、君の、さ、サイトに、で、出てな、ない!き、君は、ぼ、僕の、は、話を、わ、忘れたの、か、か?」とクレームを言った。

そう言う事ではなく、まだ他にたくさんの話を紹介する必要があった事を彼に説明したが、ペゥーは納得しなかった。そして彼は、我々がかつてフラメンゴ時代にブラジル国内や海外遠征での様々なエピソードついて話しだした。

そのうちの幾つかは私がもう忘れていた事もあった。更に、最近アラゴーアス州の他の仲間たちのエピソードペゥーは話してくれた。
ペゥーはいつも我々を楽しませてくれる奴だ。彼のことを知っている人は‘多少’言葉をうまく話せないことを知っている。

そして、ペゥーから聞いた新しい話の中で一番面白かったのは、試合の為にイトゥーの町に遠征したFWが、ホテルのロビーで受付係に、なぜホテルのホールにある大きなテーブルの上にとってのついてない大きなバケツがおいてあったのかと聞いたときの返答。

イトウーは街のあちこちに巨大なスプーンなど、大きなオブジェがある事で有名な町である。 「あ~あ、又しても我々の仕立て屋が指キャップを薬箱の上に忘れて行った見たいだね。」と、受付係がベウーの友人に話したからである。

あの我々の80年代のチームが、「巨大なものがある土地」として有名である、イトゥー町で決してプレーした事がない事を思い出させた・・・

しかし、ペゥーはそのサンパウロ州の町で起きてもおかしくないのと同じようなエピソードでイタリアのカプリで主役になった。 1981年に、ナポリで試合があったので、我々は、ナポリにある非常に美しい島カプリに行く事になった。

チームが休みだった時に、ほとんど全員が勧められたシーフードレストランへ行った。そこに着くと、ペゥーが真っ青になっていた事に私が最初に気がついた。そのレストランには当時ブラジルでは存在しなかった特徴があった。

食事に出される魚や魚介類は前方に露出されていた。彼は反応なくただ入口を見ていた。魚は水槽の中いて、その他のものはぶら下っていた。 ペゥーが先ず見たのは、大きなフックに掛けられていた巨大なエビ。それは、壁との間にある一種の柱のようだった。

アラゴーアス州出身の彼は、あのようなものを見たことがなかったので、とても仰天していた。

「ペゥー、どうしたの?催眠術をかけられたのか?」と私が聞いた。

「い、いや、ガ、ガーロ…う、嘘、だ、だろう!!!」

私は尋ね、彼は繰り返し述べた

「う、嘘、だ、だろう!!!」

みんながペゥーの周りに集まってきて、笑うべきか、なにをすればいいのか、分からなかった。彼が逆上していると思って、我々は心配していた。

しかし、ペゥーにはそんな心配は必要なかった。

「お、おーい、ジ、ジーコ、み、みんな・・・ か、壁に、か、掛かって、い、いる、エビを、み、見て、ご、ごらん。す、凄い!・・・こ、ここの、エ、エビが、そ、その、お、大きいさ、で、あ、ある、な、ならば、、にわとりは、ど、どれ、く、位、の大きさなのだ、だろう!」

2分間の沈黙、そして全員の大爆笑。このような発言は、さすがにペゥー。
彼は本当に面白い人…

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