ニュース

鹿島アントラーズ功労賞で11名が受賞

[2009.03.04]

鹿島アントラーズは、クラブの発展に寄与した功労者を称えるため、「鹿島アントラーズ功労賞」を新設するとともに、カシマサッカーミュージアム内に「鹿島アントラーズ殿堂」を設置した。

1

功労賞受賞者を殿堂において掲額している。クラブの発展に貢献した人物を称えるとともに、その活躍を後世へと伝えていくことをクラブの責務と考え新設された。選考はクラブ内に設けた選考委員会が行い、委員長は代表取締役社長が務める。

カシマサッカーミュージアム内の殿堂コーナーに功労賞正賞である顕彰額のレプリカを制作し掲額する。さらに活躍時の写真。選手ゆかりのグッズ等を展示している。第1回はスターティングイレブンと銘打ち、11人を選出した。現役選手(クラブを問わない)およびアントラーズのスタッフとして在任中の人物に関しては今回の選考から外された。

クラブの歴史において最大の功労者であるジーコは殿堂でも特別な場所に展示されている。CSKA監督としての仕事があり、彼はまだ功労賞を受け取っていない。しかし、ガリーニョは既に他の3人のブラジル人、元選手のジョルジーニョとビスマルク、そして2000年から2005年までの間のチャンピオン監督トニーニョ・セレーゾの隣で殿堂コーナーにいる。

今回の栄誉が与えられた方は以下のとおり。

ジーコは、住友金属(翌年、鹿島アントラーズに改称した)に加入した1991年に、クラブの歴史を変えた。日本サッカーのプロ化への始まりであった。ガリーニョは、選手、監督、テクニカル・ディレクターとして活動した。

2


鹿島在任中には、J初の3冠を獲得した。

3


1997に加入。3冠制覇時のメンバー。2001年にはJリーグのベストイレブンに選出され、更に、1994年から2003年までに日本代表チームの38試合に出場した。

4


2月1日に引退試合を行った。クラブで10年間を過ごし、9タイトルを獲得し、鹿島が日本の最大チームになるように寄与した。1995年から2003年の間に日本代表チームの44試合に出場した。

5


チームと共に獲得した数々のタイトルの他に、Jリーグベストイレブンに4回選出された。さらに、日本代表チームの58試合出場した。

6


鹿島アントラーズでプロ選手としてのキャリアをまっとうした。クラブで14年間プレイし、数々のタイトルを獲得。300以上のゲームに出場した。

7


ミッドフィールドでプレイし、鹿島で活動したシーズンには中心選手となった。1996年と1998年にJリーグを2回優勝。そして1996年にはリーグMVPとして選ばれた。

8


ジーコが使用した背番号10のシャツの後継者である。得点を重ね3タイトルを獲得、鹿島でプレーした5年間で歴史に名前を残した。

9


ジーコと共に、鹿島アントラーズ第一世代のプロ選手として活動した。情熱的な選手で、J1とJ2の他のクラブにも在籍したが、鹿島で彼自身の歴史を残した。2003年にサッカーを引退した。

10


FWとして優雅さを与え、鹿島アントラーズでプロ選手のキャリアをまっとうした。258試合に出場した。

12



宮本征勝は鹿島アントラーズで選手ジーコにとって最後の監督であった。プロサッカーの最初の2シーズンでチームを率い、アントラーズ栄光の歴史をスタートさせた。1938年7月4日に生まれ、残念ながら2002年5月7日に亡くなった。鹿島からの功労賞の顕彰額を受け取ったのは宮本夫人。

13



   

in [ニュース] |

< 前の記事へ | 最新の記事へ | 次の記事へ >