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2009年02月25日(水)

[2009.02.28]

やぁ~。26日にはUEFAカップの決戦が待ち受けており、手短に最近の写真のポスティングをするからね。こちらの寒さは写真でも確認出来るように中途半端ではないよ。 下記は試合会場となるスタジアムだよ。皆さんが質問する前に、我々の競技は決してアイスホッケーでは無いことをご承知あれ…。 ピッチの確認。 ホテルに元日本代表フットサル監督のセルジオ・サッポの訪問を受けた。サイトにルポルタージュを掲載したからね。 ルポルタージュと言えば、サイトスタッフが日本で開催されたCOPA ZICO KIDS FUTSALのルポルタージュを準備中だ。お楽しみに。 下記は準備中の世界紀行の前触れ。写真からは場所の予測が出来るのでは…。 そして最後に、CFZ do Rio、フェリッペ・コインブラ・カップ優勝オメデトウ。以下の写真は、選手勢、テクニカルスタッフ陣営、会長と冠名のフェリッペ。 Depois eu volto!  それでは、また後ほど!……

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UEFAカップCSKA、アストンビラに勝利!

[2009.02.27]

26日、CSKAのホームモスクワ・Luzhnikiスタジアムで行われたUEFAカップ決勝トーナメント1回戦の第2戦、CSKAは2-0でアストンビラに勝利した。 第1戦を1-1で引き分けたため勝ち上がることになった。得点者は前半前半15分Zhirkov、そして後半終了寸前にVagner Loveが決めた。 ジーコのコメント:この勝利はとても価値の高いものだ。我々にとって休み明け直後のシーズン最初の2試合が現在プレミアで好調なASTON VILLA戦。しかも重要なトーナメント。私個人のとっても移籍後初指揮となる最初の公式試合だった。第1戦に続きチームは非常によく戦ってくれた。相手が試合勘の薄い控え選手を多く投入した隙をついて上手くゲームを支配していた。欲を言えば後半はもっと点がとれた展開だった。“練習は試合の鏡”といわれる様に常に本番の気持ちで望むべきであるが、今回も選手は集中を絶やさずきっちりとそれを実行してくれた。気迫とインテリジェンス溢れるプレー振りは称賛に値する。特にあのセットプレーは似た形は練習していたが試合中は流れで多少変える等工夫する自由は選手に与えていた。KrasicとZhirkovがまんまと成功させてくれた。今後は切り替えてロシア・スーパーカップ決勝の対Rubin戦と対Shaktar戦に照準を合わせる。Ucrniaのチームは質の高いブラジル選手(Ilsinho,Fernandinho,Jadson,Luiz Adriano)を揃えた強豪だ。さらにタフなゲームとなるだろう。……

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CSKA 前日練習を行なう

[2009.02.26]

モスクワでのとても寒い天候の中、前日練習を行った。ゲーム形式の練習の後フリーキックの練習をDzagoev、Daniel Carvalho、Serguiが行った。 いよいよ本日アストンビラ戦がキックオフされる。……

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CSKA、試合会場で練習を行う

[2009.02.25]

日曜日にCSKAは練習場でトレーニングを行った。-15度という気温の為、ドクターより練習時間を1時間にするように求められた。 月曜日の試合会場での練習はまるでカーニバルのようであった。修整課題が山積みで試合までの2日間でやるべき事はたくさんある。Didi曰く「練習は練習、試合は試合である」と。試合での好結果を期待したい。 試合会場は人工芝であるが、これだけ天然芝と違和感のないピッチを見るのは初めてである。人工芝でありこの日は-10度だった。関係者は試合日はー2度くらいになるだろうと言っていたが、試合日のキックオフは20時でありこの寒さが続いたら観客動員が心配だ。 こちらモスクワから現在行われているリオのカーニバルでの私のチームBeijaの健闘を祈っている。 ……

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名声のシューズ - スパイゲーム 

[2009.02.21]

ジーコのアシスタントとしての職務の中に”スパイ”とも言える、スカウテイングがある。その目的で、アストンビラのスタジアムで同チームのゲームを視察するために私はモスクワからイングランドのバーミンガムまで遠征した。 アストンビラは、ガリーニョ(ジーコ)がCSKAのトレーナーとして初公式戦の相手となる。 しかし、奇妙な事が起こり、全ての計画が大失敗になる恐れがあった。英国の姿勢と優雅さを知る私は、いずれのへまや不幸運によって再び恥ずかしい思いをしないよに、気を配って要求に応えていた・・・と思っていたが。 試合のキックオフは3時。スタジアムへ向かう前に、もう1つの仕事があった。それは試合の4日前にCSKAが宿泊するホテルの施設を訪問すること。実際には、私の見解においては、計画された目標を完璧に達成させる総合スポーツ施設だった。 訪問するための最大の問題は、わずかな時間しかないことと、そこからスタジアムへの30kmの距離であった。約40分かかる。更に、ヒッチコック風に、もう少し興奮とサスペンスを与えるために、施設を案内する担当者が、その場所に到着するのにほぼ30分かかると言った。試合時間に対しての心配は益々増加していた。 ストレスを溜めずにより健康的に時間を過ごすために、美しい景色に見とれて周りの山々の新鮮な空気を吸いながら、ホテル周辺を散歩することに決めた。着ていた服は散歩に適していなかった。すなわち、ズボン、ワイシャツ、コートと、擦り切れていた黒い靴。美しいメルセデスベンツに乗った指定の人が訪れる数分後までに、私は歩いた。時間の都合もあって、私はすぐに検討し結論を出した。後は、時間の余裕をもって、車に乗りスタジアムに向かうだけだった。だが、車の中で自分の足を見た時は驚いた。靴は散歩に耐えられず、横側が開いてしまい、ストッキングが見えていた。靴の隙間から入っていた寒風さえ感じられて、そのため非常に足が冷たくなっていた。店に寄って別の靴を買う時間がなかったので、少しの時間でこの予想外の事態を解決する方法は・・・・?たった1つのオプションが残った。持ち込んでた小さなスーツケースの中にあったスニーカーをはくこと。 正装をした状態で、CSKAの色を伝わる白、青と赤のスニーカーを履いていた私を想像してください。これではスタジアムの入り口ですぐにばれてしまう・・・何というスパイなのだ?私は、正装が義務付けられていない場所に座らせてくれるように願っていた。だがそれは叶わず、私がスタッフより渡された招待状を見たとき、本当に凍りついた。黄金の封筒は、黄色の文字で場所は浮き彫りで書いてあり、更に試合後にはスタジアムの中で最も高級なレストランで夕食の権利を与えていた。 不快な状況にもかかわらず、私はクラブの正面入り口まで向かった。明瞭な大きいさのため、私はそこがVIP席であることにすぐに気がついた。そして魅惑的で結晶質のスニーカーは下で、イタリア、イギリス、オーストラリア、ブラジルなどの多くのブランドの靴の中で、輝いていた。私の横に座っていた最も著名なゲスト、イギリスの監督、イタリア人ファビオ・カペロさえ、イギリス製の靴を履いていた。私は一瞬も当惑せずにただ職業上の義務を達成するために勇気を振り絞っていた。 私を通り過ぎた人々が下側を見て驚きの目をしていた事を否定することはできない。私がシューズを隠すためにコートを下に引っ張っていた。アストンビラ役員たちの好意によって私に与えられた席で、私は名声のシューズ履いていた。 興味深い点でスタジアムの中では、ジャーナリストの視点は完全に私の方向を指し示していたのでは・・・と私は思っていた。テレビカメラや写真のフラッシュがあらゆる度からあびされていた。それの本当の理由はファビオ・カペロ監督が目的であったが、一瞬私はCSKAのスパイが来たことがばれたのかと思った。 ミッションは達成できたが、好奇心とアドレナリンでいっぱいであった。 最大の驚きは、チームのトルコの合宿に戻った時であった。アストンビラからのスパイが練習試合日に訪れた。私より非常に図々しい彼らは頭から足までクラブのユニフォームを着ていた。彼は我クラブの社長と話したり、先発メンバーリストを求めたり、その試合に出場できない我チームのある選手(ジーコさえ知らなかった)に対してジーコにヒントを与えたりしていた。私があちらで良い待遇を受けた事もあって、試合を落ち着いて90分間観ていた。 話の終結または教訓:過去のようなスパイはもういない。特に私のような、女王の土地でスニーカーを履いたスパイ。実は、ブランドはアディダスであった。 ……

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ロッドとサン・ジョルジェの墓

[2009.02.20]

CSKAのキャンプでイスラエルを通った時に、私は同国の中心地域で小さな都市を訪問する機会がありました。 テルアビブの近くで、リオデジャネイロ地区のようでもあり、国で最大の空港を持つ、ロッドと言う都市。この場所の奇妙な点は、龍と戦う聖人サン・ジョルジェの墓があるということです。リオの教会本部は私が生まれ育ったキンチーノ区にありますので、幼児期から私はサン・ジョルジェと非常に強い関係を持ちます。4月23日に聖人記念日を祝う、教会での祭りを覚えています。今でも近所は、聖体行列のためほぼ1週間動いています。私の時代では、家族が常にカトリックだったので、その瞬間はとても重要でした。そしてサン・ジョルジェは、私にとってより大きな献身の聖者であり始めました。現在、私の人生がよりサン・ジョルジェと同感させた事が分かります。先ずは、ベンジョールに名を変えた、私の友達ジョルジェ・ベンです。彼は、熱狂的なフアンとしてフラメンゴの試合には来てくれました。彼は、「カッパドキアのジョルジェ」と言う、聖者のために、音楽まで創作しました。そして、ジョルジェの音楽のタイトルでは、もう一つのつながりに気がつきます: トルコ。日本での経験後に私を受けてくれた国は、王子ジョルジェの出身地であります。我々が最近合宿したアンタルヤで4月に生まれたと思われますが、生年月日は正確に分かっていません。まだ若いうちにロッドに向かい、そこで303年11月23日に亡くなったそうです。「ロッド」は彼の母親の名前であり、「ライア」みたいなもの。数多くの伝説との話があり、カッパドキアの王子に関しては何が真実か知られていません。実のところ、現在でも宗教的に分けられている地域で、彼はキリスト教の戦いと持久のシンボルになりました。信じたことを守るために最後まで戦い、殺されてしまいました。彼の信仰と力は、今でも我々の毎日の戦いに対してインスピレーションを与えてくれます。国際的で聖戦士。同聖者は以前から栄誉を受けていて、私が今日CSKAといるモスクワを含む、国々の数多くの旗の象徴の一部になりました。多くの要因が私をサン・ジョルジェに近づかせます。我々全員を見守ってくれますように!以下、ジョルジェ・ベンジョールが「カッパドキアのジョルジェ」を歌っているビデオです。http://www.youtube.com/watch?v=7820ssQFF3o&eurl=http://www.ziconarede.com.br/znrpub/news/pt_news_maisnotic.php?cod=4521……

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CSKAアストンビラと引き分ける

[2009.02.19]

18日に行われた、UEFAカップCSKAはアストンビラと対戦1-1で引き分けた。CSKAの得点は前半14分Vagner Love。, na etapa inicial (14min)、アストンビラは後半24分にCarewが同点ゴールを挙げた。 第2戦は2月26日モスクワにて行われる。   ジーコのコメント:「シーズン中でコンディションまた試合感共に上のチームを相手にしての第一戦目としてはよく戦ったと思う。気合いも充分感じることが出来た。自分達は昨年十一月からオフとなっておりかなり不利な状態だが選手は精神力で跳ね返すべく果敢にトライしてくれた。 ドローという結果も悪くない。しかしながらまだ前半を終えたのみだ。現在プレミアで三位につけているAston Villaは力のあるチームだけに Moscouでの第二戦も今日と同じ気迫で迎え撃たなくてはならない。 かなりタフなゲームとなるのは確実だ。」……

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2009年02月16日(月)

[2009.02.18]

ハ~イ。既に水曜日には私の公式デビュー戦となるUEFAカップの試合が待ち受けている。我々は寒い日々が続くこちらバーミンガムに来ているよ。以下は、到着後の初練習時のピッチサイドの様子で、こちらの気候を物語っており、決して目にしているのはコットンの山ではない…。 そして、移動前のモスクワでは更に雪が積もっていた。下記は我々のトレーニングセンターだ。   Lodの町にあるSo Jorge教会の記事をサイトに掲載したよ。写真が多すぎて余ってしまった。従って、更に2枚美しい写真を紹介。 最後に、サンパウロの我々の協力者であり、音楽グループBlitzのバイオグラフィーを発売予定のRodrigo Rodriguesが送ってくれた懐かしの一枚を紹介。彼は1989年のガーヴェアでのこの写真をアーカイブから見つけたそうだ。かれこれ20年の年月が過ぎ去ったよ。 Depois eu volto! それでは、また後ほど!……

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フェリッぺ及び海外のブラジル人監督勢

[2009.02.17]

フェリッペ監督がチェルシーを解任されたニュースを私は大変残念に受けました。私は予ねてからブラジル人監督の欧州サッカー界、特に世界でも屈指の競争力を誇るイングランドでの、成功例に対する重要性を際立たせて来ました。 現時点で全員が口を揃えてする質問は、「何故ブラジル人監督は他の外国人監督同様に仕事へ従事する期間を有せないのでしょうか?」、ということです。今週は、私はこのテーマに関して多少ながらディスカッションを試みたいと思います。   監督としての業務に就任する以前に、既に私は日本サッカー界で首脳部の一員として活動していました。数回に至り鹿島アントラーズの指揮を執りましたが、私の役割は監督を選出することであり、数人のブラジル人を日本へと導きました。数多くの国々でサッカーが依然として発展途上のアジアでは、ブラジル人の存在は選手育成の手助けになり、更にはクラブや地元リーグの活性化にも貢献するのです。私の場合も正にその通りでした。私はクラブのプロ化を援助するというミッションも同時に帯びて来日し、その後日本での10年間に及ぶ活動を経て、日本代表監督のポストに就任しました。   アジア諸国や中東の国々、更にはアフリカまでをも含めて、我々ブラジル人は世界サッカー史に於いての功績が認められているが故に、この様な道程は可能だと現在では理解できます。そして、このリスペクトが我々に対する市場開放の魅力の一つでもあります。但し、欧州に関しては問題が大きく異なると言えるでしょう…。   フェリッパォン(ルイス・フェリッペ・スコラーリ)の場合、実際にはリーガ・エスパニョーラ(スペイン)、セリエA(イタリア)、ブンデス・リーガ(ドイツ)、そしてプレミア・リーグ(イングランド)は、世界サッカーの中心地であり、全ての面に於いて競争力の激しい市場なのです。私のオピニオンでは、我々を隔てているのは、ブラジルサッカーはタレントに満ち溢れており、国内で監督を務めるのは決して難しくないという、誤ったヴィジョンでは無いかとの確信です。そこで、この偏見では、ブラジル人は勤勉ではなく、戦術面に然程関心が無いと捕らわれているのです。特に現代サッカーでは、取り組みの進展を見守る忍耐力不足に至ると言えるでしょう。   指摘される他のファクターには言語の壁があります。その国の言語を支配出来ない事実が選手達とのコミュニケーションに支障を来たすと指摘する者もいます。このケースに関しては、私は単純に、日本、トルコ及びウズベキスタンという、ポルトガル語とは程遠い3カ国で仕事をした経緯を踏まえた立場から発言が出来ます。この件に関しては、言語面での援助が必要ないとの虚栄心を捨てることで、有能な通訳の存在が解決出来るとの説きが私の口癖です。こちらロシアでは、私は自己が話を出来ない言語全てに対しての通訳がおり、一切問題は生じていません。結局のところ、我々は選手達とのコミュニケーションを豊富にして、グループを熟知しなければいけません。   私の経験によれば、クラブの元選手内での監督選出が重要な比重を秘めているのでは無いかとも思います。幾多のイタリアの友人やウディネーゼのサポーター達が何故故に現地クラブの指揮官に就任しない理由を質問するのは、偶然の賜物ではありません。既に組織との関係が存在すれば物事がスムーズ化するのは勿論だと言えるでしょう。   特にポルトガルにて素晴らしい功績を残した現在に至り、フェリッパォン(ルイス・フェリッペ・スコラーリ)が欧州サッカー界に留まることが出来て、私及びブラジル人監督勢がこの職業に於いてブラジルへの門戸を開放出来るような勝利を数多く得ることを願っております。我々が旧大陸のクラブ勢にて数多くの勝利を今後も達成出来ることを私は確信している次第です。それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!……

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CSKA、バーミンガムに到着しトレーニングを行う

[2009.02.16]

18日のアウエーでのUEFAカップ、アストン・ビラ戦に向けてCSKAチームは13日にモスクワより4時間半かけてバーミンガムへ移動した。 14日は午前午後の練習を15日には紅白戦を行った。 ……

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エルサレム、神聖な都市

[2009.02.15]

歴史的な都市、そしてモダンな都市、あるいは自然の美しさが目立つ地域について話してきた30以上のこの世界紀行のコラムに今回は異なる場所を訪問する機会がありました。CSKAチームに就任し、最初のイスラエル合宿の際に、パウロ・パッシャオンの招待のおかげでエルサレム市を訪れるチャンスがありました。アラビア語で「神聖な都市」は、私のようなカトリック教徒だけではなく、ユダヤ人やイスラム教徒にとって特別であります。紀元前10世紀には、既に地域の精神的な中心でした。そして、紀元前4000年の歴史を持っている、世界でも最古な都市のうちの1つです。 パッシャオンはこれまでにエルサレムを2回訪れており、イスラエルより認められてない首都での束の間の散歩では私のガイドでした。興味を起こさせることは、神聖な場所であるため、人々にはエルサレムが小さな地域(つまり旧市街)で観光の中心地という概念がありません。 主要観光スポットの中には、聖教会、神殿の丘、ダビデの塔博物館、そして、すべてで最も有名であるもの: ユダヤ教徒が祈って、願い事を書いて隙間に入れ込んでおく、嘆きの壁。 地理的には、エルサレムはオリーブ山に位置し、旧市街の周りに発展しました。写真でご覧の通り、街の地形を観察するのは非常に興味深いものです。街路は上下で、美しい図面を作って行きます。 遊園地の遊具のようです。 私は町をかなり歩き、おそらく唯一の地域の宗教ではない観光ポイントを通りました。それはマハネの市場。しかし、商取引は地域の経済で最強ではありません。我々が聖なる都市の住民から聞くのは、イスラエルのテクノロジー産業の大きな成長があるということです。 不幸なことに、イスラエルは国としては、常に戦争の瀬戸際に置かれています。エルサレム自身の領域はユダヤ人とイスラム教徒の間の論争地域です。そして、両方とも神聖な地域の所有者だと言明します。戦争やテロの脅威は、この地域への非常に価値のある訪問を阻むことがあるので、とても残念です。 あなたがとちらの宗教的なオプションにしても、世界を旅している人にはエルサレムは優れたお勧めです。 ……

in [世界紀行]

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鹿島レジェンド・秋田選手が引退試合でハットトリック!

[2009.02.14]

鹿島アントラーズでジーコと同時代の選手であり、クラブ歴史において最大のアイドルのうちの1人である、DF秋田の引退試合が2月1日に行われた。試合はもちろんカシマサッカースタジアムで開催され、相手は伝統的なライバル、ジュビロ磐田が選ばれた。試合は4-2で鹿島の勝利。そのうちの3得点は秋田が挙げハットトリックという素晴らしい憂愁の美を飾った。 ジーコはCSKAとの責務のため参加できなかったが、ブラジル人選手はサントスとマジーニョが参加した。鹿島のもう1つの得点はFW深井正樹。ジュビロの得点者は高原直泰と松原良香。ジュビロは0-2で勝っていたが、逆転を許した。 秋田選手は、Jリーグ優勝4回( 1996年 、 1998年、2000年、2002年) 、 リーグカップ優勝3回( 1997年、 2000年、2002年)と天皇杯優勝2回( 1997年、2000年)でクラブのDFラインを守りつづけた。更に、 1997年、 1998年、 2000年と2001年には日本リーグでベストイレブンとして選ばれた。住友が鹿島に変わった後に同選手は1993年に入団、直後にJリーグがスタートした。ジーコはピッチの中と外での指揮者であった。その瞬間に友情と、90年代後半の黄金時にガリーニョがテクニカルデイレクターに就任した時も親交が続いた。   ジーコからのビデオメッセージがスタジアムのスクリーンに映し出された。内容は以下の通り。http://www.youtube.com/watch?v=od-i7xyJb9o&eurl=http://www.ziconarede.com.br/znrpub/news/pt_news_maisnotic.php?cod=4517 「私は、友人の秋田が選手として輝かしいキャリアの終わりを祝うこの引退試合に参加したかったのですが、私のCSKAの仕事があり、出席することが出来ず本当に残念でなりません。秋田と共に数多くの勝利、喜びの瞬間や、悲しみのいくつかの分けあった自分は直接親愛の情を伝えたかった。 君はこれまで一緒にプレーした選手の中で特に偉大な真の選手でした。彼の献身的なプレーは常に若手選手たちの模範となっていました。トレーニングや試合で難しい時でも皆に目的を断念しないように動機づけていました。 多くの人よりの秋田への敬意は、私のキャリアの一部として、また鹿島アントラーズ自体の歴史に対して残るべきである、彼の顕著なキャリアを思い出させる為に価値があります。どんな時でも、身につけたユニホームの誇りを持ち、全力で守り抜いた君はそれに値する存在なのです。 秋田、今日の試合が君にとって幸せ溢れる時間となることを心より祈っています。そして、この瞬間が終了ではなく、日本サッカーの偉大な選手のうちの1人の新たなキャリアにとって非常に重要なスタートになりますように。 また近い将来にお会いしましょう」 ……

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リオ州選手権、短期決戦の大会

[2009.02.13]

イスラエルとモスクワ間、そしてロシアからトルコへの道程の狭間で、多少ながらカンペオナット・カリオッカ(リオ・デ・ジャネイロ州選手権)の序盤戦を観ることが出来ました。インターネット上で幾つかの画像をダウンロードして、テレビでも少々の映像を目にしましたが、得た確証は決して目新しくありません。現在のカンペオナット・カリオッカの大会方式はつまずきが少ない事が重要な大会です。正に短期決戦の大会なのです。そして、この話題が今週のテーマでもあります。 先ず、私は最初に地域大会に対しての敬意を表明したく思います。結局のところ、この種の大会に於いてこそ、ライバル心をもとに、勝利に対する更なる喜び又は敗北での苦痛を味あわせてくれます。そして、フラメンゴが世界タイトルを獲得するに至ったあの世代を確立させる決定的な一歩となった、1979年の3連覇など、カンペオナット・カリオッカの数多くの出来事が想い出として私の脳裏に記憶されています。 でも、現在開催中の大会に関しては、序盤戦数試合の結果は予測可能であり、長年に亘り繰り返されていることでもあります。ビッグクラブが短い準備期間で悩みながら参戦した現状に反して、昨年から準備に取り組んでいる、投資額も少ない中堅クラブは、最低でも大会を困難化させる意欲で臨んで来ました。 チームのベースを維持したフラメンゴでさえ、現時点までのパフォーマンスではサポーターを納得させることが出来ておりません。苦しみながら勝利を手にしているボタフォゴのケースも同様です。チーム編成を大きく変革して、開幕戦で出遅れたヴァスコ・ダ・ガマは、既に立て直しつつあります。そして、フルミネンセに関しても依然として迷走中です。疑いなく、これらチームの共通点は不安定な試合だと言えるでしょう。 望ましいことに、ビッグクラブのドラマとは一切に縁の無いマドゥレイラが、一方では善戦しています。そして、アメリカーノがようやくエドゥアルド・ヴィアナ氏との関係から開放されたことは更に好ましいのです。このカンポスのチームはリオ・デ・ジャネイロ州連盟元会長のチームとしての影に苦しめられているかのように見えて、数大会に及ぶ不甲斐無い結果後、今回アメリカーノは地方の強豪チームとして復活したようです。 しかし、セカンド・デイビジョンから昇格したチーム勢が依然として思うように成績が振るいません。そして、私は個人的にTigres do Brasilに関して、テクニカルスタッフに私の大親友の二人である監督のジョアン・カルロスとアシスタントコーチのマルセーロ・ポンテスがおり、現段階での成績に嘆かわしく思います。彼ら二人とは、私はフラメンゴで共に働き、後には鹿島アントラーズで一緒に仕事をする為に導きました。 私は昇格したチーム勢の主なパフォーマンス不振の原因として戦力が関連しているのではないかと確信しております。リオ・デ・ジャネイロ州のセカンド・デイビジョンで実際に携わっている者であれば、ファーストまたはセカンドでプレーをする連中が存在することを解っているかと思います。数人の選手は昇格に対してしっかり順応し、他の選手はそれが出来ません。従って、常に難解な問題でもある、この調和を取らなければなりません。 でも、私の注意を最も引いているのはジャッジングのレベルに対する疑問です。改革を行わなければならないのは理解できますが、現時点までに目にしたのは殆どの試合で信じ難い数のミスで、その幾つかは初歩的なものです。これは大会にとって常に有害なことです。本コラムのタイトルでも述べたように、カンペオナット・カリオッカは短期決戦の大会ということもあり、尚更です。如何なる段階での試合でもつまづけばタイトル争いから脱落する可能性が存在します。この行方を見守ることにしましょう! それでは皆さん、また来週お会いしましょう。 ウン・グランデ・アブラーソ! ……

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2009年02月06日(金)

[2009.02.12]

やぁ~。先ずは5日の写真から。私の兄エドゥーが62歳の誕生日を向かえた。こちらではケーキを準備してハッピーバースディーを歌う習慣が無いので、我々はこの日を空白で終えない為にテクニカルスタッフで祝杯を挙げた。4対0での勝利後に、美味しいワインで62年間の健康な人生に乾杯。エドゥー、オメデトウ! エドゥーと言えば、UEFAカップで18日に対戦する我々のライバルであるアストン・ヴィラの試合を視察に、彼はバーミンガムを訪れていた。彼は0対0で引き分けたウィガン戦の試合と、我々が滞在するホテルの模様を撮影。ホテルの写真は後程掲載するよ。 そして、アストン・ヴィラのスカウトの訪問に応じ報いた。彼は我々のOsijekとの試合を観戦。エドゥーが既に我らがライバルのスカウトを巻き込んでの愉快なストーリーを準備中なのでお楽しみに。 こちらアンタリアでは充実した施設に恵まれている。ホテルには我々のみが宿泊客で、下記の景観どおり、立派なグランドも2面保有。そして、興味深いのは12日にブニョドコルがこちらに到着することだ。 こちらアンタリアでの練習模様。仕事するには最適な気候。 後ほど他の写真もポスティングするからね。最後に、鹿島アントラーズ史上最も偉大なる選手の一人である、秋田選手の盛大なる引退試合の紹介で終えるよ。残念ながら私はその場に出席出来なかったが、スタジアムの大型スクリーンに映し出されたメッセージを収録。サイトスタッフが特集を準備中だよ。秋田、お疲れ様! Depois eu volto! それでは、また後ほど!……

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Daniel CarvalhoのゴールでCSKAがZilinaに勝利!

[2009.02.11]

イスラエルとトルコの25日間に及ぶキャンプが8日終了した。最終日には4試合目となる親善試合がトルコ・アンタリヤで行われ、CSKAはスロバキアのZilinaに後半40分のDaniel Carvalhoの決勝ゴールで2-1で勝利した。 CSKA最初の得点者はDzagoev。 CSKAはモスクワにもどり18日のUEFAカップアストンビラ戦に備える。 ジーコのコメント:「今回の相手は非常に激しいプレーで挑んで来たが最後には勝つことが出来た。長期合宿の最後を勝利で飾れたのは喜ばしいことだ。本来の調子に戻りつつあるDaniel Carvalhoは動きも良く決勝点となるPKも決めた。これからの予定としては代表選手達はそれぞれのチームに戻ってプレーした後、再集合し13日にイングランド(対 Aston Vila)へ向け出発する。」……

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カコ・エスピノーザがプロCFZチームの監督に昇進

[2009.02.10]

リオのCFZのプロチームに新しい監督が就任した。ジュニオールでの指揮で素晴らしい成果の後、カコ・エスピノーザはトップチームの監督に昇進することとなった。初戦は2月末に予定されているリオ・カップ。フラメンゴ時代でのジーコの元仲間、デラシーが助監督になります。  http://www.ziconarede.com.br/portal/cfzdorio/home.php……

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アンタリヤでCSKAでの初スタッフゲームが行われた

[2009.02.09]

快晴の6日午前、トルコ・アンタリヤで合宿しているCSKAチームで初めてのスタッフゲームが行われた。チームで働いているスタッフのチームAとチームBが対戦しチームAが勝利した。 午後には紅白戦が行われた。チームAがチームB4-1で勝利した。選手の中では特にDaniel Carvalhoは良いコンデイションであり好プレーをしていた。 ……

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CSKA,親善試合でOsijekに勝利!

[2009.02.08]

アンタルヤの二次合宿で5日に行われたCSKAの親善試合、クロアチアの Osijekに4-0で勝利した。得点者はVagner Love, Krasic, Dzagoev、Adonin。親善試合でジーコ就任後すべて勝利している。 このアンタルヤ合宿で、CSKAはこの試合とさらにもう1試合を予定してます。今日の相手、クロアチアのNK Osijekには3人の外国人がいます。彼らのうちの1人はジーコたちと対戦して家にいるみたいに気楽になれたでしょう。その人は、マナウス出身のLSBアンドレー・ルイス(Andr Luiz Cardoso)、23歳。2007年には、サント・アンドレー所属でブラジル選手権セリエBで活動しました。その後、クロアチアへ移籍しました。8日には、スロバキアのMSK Zilinaとの試合が予定されています。Zilinaには前のライバルと同じように選手にはほとんど外国人を持たない事実があります。ブラジル人選手1人がいて、サント・アンドレでプレイしたことがあります。FWアダウト(Adauto Evandro da Silva)、経験豊富なストライカー、28歳。サント・アンドレー市出身、キャリアをスタートしたクラブに名を与えた町、その他にアトレティコ・パラナエンセ 、ポンテ・プレッタ、サンタクルース、スポルティングヒホンでプレーした。  ジーコのコメント: 良いゲームだった。特にスタメンを70分見ることが出来た。時間と共にリズムが良くなり決定機も作りだし最終的には4点を取ることが出来た。これから先もさらに良くなって行くと思う。得点シーンはこちら! http://www.pfc-cska.com/press.php?lg=ru&type=7&id=4594&d=&p=1……

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強化合宿第一段階の総括

[2009.02.07]

1月26日にCSKAモスクワの強化合宿第一段階を終えました。イスラエルでの滞在は大変有益な期間となり、チームをより良く知ることも出来ました。強化合宿第二段階はトルコで行われます。でも、今週は、Caesariaでの期間に関して私は話したく思います。    01月12日に、我々は満ち溢れる意気込みとイスラエル国内で生じている状態に多少ながらの疑念を抱きつつ到着しました。結局のところ、国際ニュースでは国境付近のガザ地区での戦闘ばかりを取り上げていたのです。我々が滞在していたCaesariaは、戦地からは事実上安全な距離でした。そして、14日間に亘り平穏に仕事に専念することが出来たのです。我々が滞在した場所では戦争の気配はしませんでした。   常に本サイトをアクセスする者であれば、我々のトレーニング情報を、ピッチ上の写真や更にはチームのランニングに使用した美しい浜辺の写真などを満載しながら、更新したことに気付かれたかと思います。そして情報からは、この第一段階での我々の最大の焦点はグループのフィジカル面でのしっかりとした基礎固めでした。   例えば、アストン・ビラとの戦いを主たる目的とされた活動は、我らがフィジカルコーチのパウロ・パイシャォンが大部分で指揮官を務めました。イングランドのチームが大会に参戦しながら新年を迎えた状況に反して、我々のグループは休暇中だったのです。従って、準備の第一歩はチームをフィジカル面で良い状態にして、UEFAカップでの我々のライバルに対しての遅れを取り戻すことでもあります。   合宿のこの時期でファンダメンタルとなったポイントは私がしっかりとチームを知る機会があったことです。そして、最低でも今年の中頃までは彼らが基本的には戦力でもあります。一人か二人の選手補強は行われるかも知れませんが、既にUEFAカップに関しては外国人選手が数多く所属していますので、可能性としてはロシアリーグに向けてのみでは無いかと思います。そして、我々は経験とタレント豊かな若手選手が融合した、とても良いチームを有していることを確認出来ました。今後更に進化を果たすポテンシャルを秘めたグループだと言えます。今後は技術と戦術面での練習が強化される段階へと突入します。2度の親善試合はNetanyaとHakoahのお互い大きく異なる2チームとで、試合に臨めるコンディションの選手達をほぼ全員観察する為に有効でした。現時点では、課題を修正して、ウイークポイントに重点を置き、長所を更に伸ばすように働きかけていかなければなりません。そして、これらはトルコのアンタリアの町にて行われます。かの地にはフェネルバフチェで訪れていることからも、熟知した場所でもあります。気候が良くて、施設も充実しており、この準備第二段階には最良な条件なのです。   直近の焦点は02月18日に我々が対戦するアストン・ビラなのです。選手達が必要とされる試合に対するリズム感を得るために、08日までにトルコの町にてフレンドリーマッチを2試合行います。一年はあくまでもスタートを切ったばかりで、我々はハードに献身し続ける必要があるのです…。   それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ! また来週お会いしましょう。    ……

in [ジーコの主張]

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トルコ・アンタルヤでCSKAの二次合宿が始まる

[2009.02.06]

2日間の休暇後、30日に我々はモスクワからアンタルヤに無事に到着しました。3時間のとても良い旅でした。早速、その日に選手たちは4000m走を4本行って、フィジカルトレーニングに取り組みました。 31日に、我々は午前と午後に練習をしました。午前中には、チームがスピードアップしてゴールへ向かうための技術的なプレーを中心にしました。午後においては、アタック対ディフェンスとカウンターアタックの早いボール出しの戦術的な練習を行いました。2月1日にも、午前と午後に分けて練習しました。 2日には、ここアンタルヤで最初のゲーム形式の練習を指導しました。美しい太陽で天気は晴れていて、気分的にも助かります。 練習試合は、クロアチアとスロバキアからのチームとの対戦を予定している。    ……

in [ニュース]

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マウロ・ガルヴォンのインタビュー 

[2009.02.05]

昨年末に、サイトがインタビューした時、マウロ・ガルヴォンは2003年にバスコでスタートして、ボタフォゴ、ナウチコ とヴイラ・ノヴァを通じて監督のキャリアを積んだ。そして監督としての仕事を再スタートする為のオファーを待っていた。ブラジルで最高のDFのうちの1人であった頃の平静で、急いではなく、良いチャンスを待っていた。 2009年の初めに、新たなチャレンジのオファーを受けた。ガルヴォンは、彼がアイドルであったクラブの1つ、そして今年リベルタドーレス杯に出場資格が与えられた、グレミオのサッカー常務取締役になる招聘を受け入れた。サイトのインタビューでは、元DFは監督としての仕事、バスコの2部降格やジーコとプレーしていた時代について語る、そして彼が世間に認められたポジションでのベストプレイヤーを示す。 Q:偉大なプレイヤーであったというあなたの事実は、監督としての仕事に対して大きな期待を持ってますか?人々は、最善の結果となるように待ちます。しかし、時には、クラブには構造を与えることができず、結局ジレンマが生じてきます。しかし、私は落ち着いています。私は今まで自分の経験となったいくつかの良い仕事をしてきました。今、私は南部のクラブで働いています。そしてリオデジャネイロで他の仕事があります。時間と契約があると、落ち着いて仕事ができます。締結されたことにおいて遵守されます。良い結果を即座に出す必要があるブラジルでは、それは困難であります。 Q:どのようにあなたの監督としての仕事を評価しますか?比較的よかったです。私は2003年にアントニオ・ロペスのアシスタントでした、その後私はバスコを指揮し14位で終わりました。当時24クラブでしたので、あまり上位ではないが、下位でもありません。途中での仕事を引受けるのは簡単ではありません。しかし良い経験でした。その後ボタフォゴに所属しました。私は良かったと思います。以前選手として活動した2つのチームを率いました。年明けに仕事をスタートして、好きな選手と契約ができれば良いのですが。優勝を目指して平静な州リーグをして、良い段階で全国リーグを始めること。ただそれは長年活動している監督にしか起こりません。ブラジル代表時代のマウロ・ガルヴォン:2つのワールドカップ・1つのオリンピック出場と1989年のアメリカ・カップ優勝   Q:あなたがアイドルであったバスコについては?ブラジル選手権での2部降格をどのように受けました? 最近、バスコはタイトル争いはせずに、リーグに参加しているだけです。そういう事がこの状況に近づかせてしまいます。私が居た頃からそうでした。過去にはフラメンゴが危なかった。そして、ボタフォゴ、パルメイラスとグレミオは降格しました。バスコは難しいクラブです。別の政策方式で複雑です。分裂がありましたのでそれが妨げとなりました。選挙は行われずに結局取戻しでした。本当は、12月には新しい役員が入るはずです。それから計画をたて始めます。たとえ前の計画がよくなかったとしても、衝突状況になります。なんとなく空虚があります。誰が指導しているのか、わかりません。そしてバスコは2回も監督を変えました…全てが2部降格への招待。選手達は集中できず、そしてブラジル選手権は非常に困難です。多分、それほど多くの変化がなければ、バスコは倒れなかったでしょう。A役員またはB役員とは言いませんが、もっと冷静になれたでしょう。コリンチャンスは、また別の話ですが、回復して見本となります。 Q:ピッチの中でジーコとの対決はどうでした? 私はインテルナショナルとボタフォゴでプレーしていた頃に彼と対戦しました。ジーコは私の頭痛の原因でした。彼は得点を決める上に、ゴールの真正面に味方へパスを出していました。ジーコは、プラティニ、ジダンやロナウドと同じ位置にいます。私は、彼を非常に尊敬しています。1986年のワールドカップで一緒でした。負傷を克服してプレーできるための彼の努力を伴いました。私は非常に人物とプレーヤーを結合します。常に私の人生では、2つの顔を持たないようにしてきました。フィールドの中でやる事は、外側でもやります。そして、ジーコは姿勢を持つ人物の例です。子供たちには、そういう、ジーコ、ジナミッテやファルコンみたいな人物の見本が必要です。 Q:現在の「マウロ・ガルヴォン」、ブラジルで最高のDFは誰ですか? チアーゴ・シルバとフアン。両選手とも、ブラジル人DFの特性をよく表します。  ……

in [インタビュー]

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