オバマとアパルトヘイト
[2008.12.01]
サッカーは我々に素晴らしい可能性を与えてくれる、そのうちの1つに世界中を旅して異なる文化を知れることがある。しかし、時として想像できない事態に不意に出くわすと驚くことがある。数週間前、米国史においてバラク・オバマが初の黒人系大統領として選挙で選ばれた。ニュースでは人種差別について、またオバマが世界最大の強国のリーダーに達した事の重要性についてとても話題になっている。
今回の「ジーコの部屋」のエピソードは、オバマの当選によって、70~80年代のフラメンゴでの海外遠征での思い出が私の頭の中に浮かんできて思い出した事である。これまでにたくさんの奇妙な出来事やおかしい出来事があった。しかし人種差別をめぐる、私にとって特に印象的な出来事である。
我々は、現在において世界には狂信者がいることは知っている。しかしながら通常の場合サッカー界ではそういう問題は直接絡まない。人種差別についてもそうである。私にはそれは全く問題はなかったし、私の人生を知る人は若いうちに亡くなったジェラルドの事を知っている。彼は私の両親や私自身に対しては家族の一員として見られていた。そう、私の黒人兄弟であった。
1974年に南アフリカ経由をした際に、我々が経験したものは大きなショックだった。
ジェラルドは、他の黒人の仲間と同様に、我々と一緒にあの代表団にいた、しかし、我々はその国にあった差別レベルを知らなかった。それは、アパルトヘイト、白人とアフリカ黒人の間のほとんど完全な分離のシステムであった。黒人は白人と同じ場所に行く事は禁止されていた。とんでもないことだ!
それは明らかに、我々全員を驚かせた、我々が帰国前にヨハネスブルグ都市をバスで観光しようとしたとき、最悪のハプニングが起った。クウェート発のブラジル行き便だったので、南アフリカの首都で9時間待たなくてはならなかった。我々は都市を観光するように頼んだ。代表団の担当者は、我々がどのように時間を有効に利用できるかを知るために代表者を訪ねた。そこでの話し合いは止まらなかった。一瞬厳しい口調にもなっていた。私もジェラルドと話していた。
「あの中では、大変なことになっているよ。」
地元代表者からの応答を聞いた時には、びっくりした。都市を観光するためには、黒人と白人を分けて、我々は2台のバスを使用しなければならなかった。もちろん、誰もその理由を理解できなくて混乱が生じた。こっち側で説明、向こう側で質問、そしてやっと明らかになったのが、代表者が黒人と白人を混ぜて我々のチームをバスに一緒に乗せたくなかった事。それは、法律に違反するからである。アパルトヘイトの法律。我々は空港にとどまることに決めた。我々は、空港の待合室で縛られて9時間も出発時を待ったが、強豪チームであったからという事ではなく我々は団結した。
このコラムでは、わたしは通常おもしろい話を持ってくるが、今回は我々にとって悲しいエピソードとなったものを用意した。言葉で何を言われても受け入れられない。あのハプニングを経験した全ての人は熟考した。なぜ白人が黒人・インディアンや黄色人種よりも優秀、または国別に優れていると考えられるのか?
神様のおかげで、サッカーは我々に肌の色や国籍では勝てない事を教えてくれた。そして我々に多くの寛容性や才能の優位性を与えてくれた。
オバマが、アフリカでアパルトヘイト打倒に貢献したネルソン・マンデラのような偉大なリーダーになれるように。
そして、全ての人類皆が肌の色ではなく人間性を見れるように、その戦うべき境界線をオバマが倒せるように。
結局、我々はすべて平等なのだから・・・・