ジーコの主張

マラカナンの魅力

[2008.08.19]

既に私は世界中を駆け巡りましたが、マラカナン・スタジアムでは他とは違う特別に醸し出すようなエネルギーを感じ取ることが出来ます。私は、「サッカーの聖地」またはそれに類似する表現は余り好みません。何故ならば、全く異なる物でありながらも、宗教と混同しかねないと思うからです。でも、事実としてマリオ・フィーリョ(マラカナン)・スタジアムには特別な何かが存在します。そして、今週のバーハ・ダ・チジューカ・コネクションは、私が第二の故郷(自宅)と見做す、彼の地をフラメンゴと特にジーコカップの試合及び私のDVDの収録時に最近訪れたことで記憶が心によみがえさせられた場所、マラカナン・スタジアムへの敬意です。

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私が少年時代には、あのピッチに足を踏み入れる夢を持っていました。スタンドの高い位置から眺めることで、ピッチ上で選手達や私のアイドルでもあったヂーダが何を感じているのかを体感するために唯単にグランドに足を踏み入れたいという希望が芽生えたのです。私の家族のある友人のお陰で、スタジアムの職員がピッチを温存させるために必死に阻止しようと試みるも、その夢を達成することが出来ました。彼は芝を踏んではいけないと言い張ったのです。でも、それに対して私はその時点で如何にして抵抗出来たのでしょうか? 何故ならば彼は私よりも遥かに体格が優れていたのです。

あの瞬間は私の脳裏に鮮明に記憶されました。徐々に、あのグランドで私のアイドルの背番号10を纏ってプレーをしたいと正しく感じるようになったのです。でも、それら全ては常時自然の流れに沿ってでした。常にサッカーのグランドに足を踏み入れれば、それが例えガーヴェア又はウェンブリーやマラカナン・スタジアムであれ、自己のベストを尽くすためでした。しかしながら、マリオ・フィーリョ・スタジアムはホームであり、物事が自然に起こっていたことは認めざるを得ません。あらゆることを知り尽くしていたのです。ピッチサイドの広告版やゴール裏の観客ゾーンは私にゴール位置の感覚を与えてくれ、更には同じ場所を陣取っていたスポーツ評論家さえも自己の位置確認に役立っておりました。

スタジアム自体は私が彼の地でプレーをしていた時代から幾度と無くリフォームされました。我々が得点を決めた直後に走り寄り、サポーターの興奮気味の目を身近で確認することが出来た、ゴール裏の芝の観客ゾーンは椅子席へと姿を変えました。国際試合への必然的なる対応だと言えるでしょう。私が多々に至りフラメンゴの試合を観戦するために押し潰されそうになりながら座った一般席は既にコンクリートではなく、現在ではカラフルな椅子席へと回収されました。でも、スタジアムに入った瞬間に感じるエネルギーは、依然として変わらず、今後も永遠と変化することは無いでしょう…。

最も感動的な映像の一つとして私の記憶に刻まれているのは、スタジアムに到着してホールエレベーターで来賓室及び席へのアクセスがある6階まで行くシーンです。エレベーターのドアが開いた瞬間にスタンドを埋め尽くす群集を目の当たりに出来ます。エレベーターの静けさの中から、ドアが開いた途端に、徐々にサポーターの声援が喝采へと変化する模様を演出してくれます。素晴らしい景観と鳥肌が立つような音響効果なのです。

プロ選手として333得点をそこで挙げて、その多くを私は、自分のみではなく敵の正確なポジショニングまでをも思い起こすことが可能です。私にとってあの芝のピッチを歩くことはまるで自宅の各部屋を、電気を消して移動するようなものなのです。正確なる道標を把握しています。最近行われた得点DVDのインタビュー及び映像の収録で、全ての感情が依然としてその場所に残っていることを感じ取りました。ピッチまでへの道程、ゴールマウス、ゴールネット、全てが当時と変わらずに慣れ親しんだ存在なのです。

ジーコ・サッカーセンター主催で開催された、協会登録が成されていない子供達、即ち、純粋なるアマチュアを対象としたジーコカップで、各カテゴリーへの贈り物として決勝ラウンドがマラカナン・スタジアムで行われた期間、私は大変喜ばしく感じることが出来ました。何十人という子供達の参加であり、彼らにあの巨大なる存在へのこの共通する感情をキャッチすることが出来たのです。彼らは、私の若かりし時代同様に、ピッチを眺めて夢中になっていました。何時の日か彼らもあのピッチに立たんことを誰が予言出来ますか? いったい誰がマラカナン・スタジアムの魅力に対して疑問を持つことが出来得るでしょうか…。

それでは皆さん、また来週お会いしましょう!

ウン・グランデ・アブラーソ!

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