さらば、トルコよ!
[2008.07.02]
フェネルバフチェでは2年間に及ぶ尽力、ハードな献身と貴重な優勝もできました。クラブ創立100周年の年にトルコスーパーリーグでチャンピオントロフィーを掲げて、フェネルバフチェの歴史に名前を刻めたことを誇らしく感じております。先日、私は後処理と引越しの手配及び数人への別れの挨拶回りをするためにトルコを訪れていました。そして、この話題が今週のバーハ・ダ・チジュッカ・コネクションのテーマでもあります。
2006年のFIFAワールドカップドイツ大会直後にトルコからのオファーを受けて、私は自己キャリアに於いての新たなチャレンジへと向かいました。クラブ職員、とても美しい町並みの人々、常時チームへの応援体制が万全な熱狂的なサポーターを含めた、全ての皆さんに大変歓迎を受けました。そして、チームを指揮した2シーズン、我々は特別なる瞬間を数多く共生して、それらの想い出は永遠に私の心に生き続けるのです。
先週、私がイスタンブールで立ち寄った如何なる場所でもフェネルバフチェのサポーターからは温かく迎えられ、ライバルチームのサポーターからは敬意の言葉を頂きました。クラブへの残留願望に対する私の発言を耳にして、彼らの総体的な質問は何故合意に達しなかったのかという疑問でした。一番の相違点はテクニカルスタッフの編制に関する理由だったことを明確にして置きます。更に、それらの要素に、正式なるオファー提示の遅れに対する不満が加わりました。何故ならば、私は常々残留への意志を表明していたからです。
残念ながら首脳陣との意見の相違後にクラブを後にするとは言えども、2年前に機会を与えて頂いたことへの感謝の意をここに記したく思います。在職中には、2タイトルと、世界で最も困難なクラブ対抗の大会でもある欧州チャンピオンズリーグでの5位入賞など重要な成果をもたらすことが出来、ミッションを果たせた実感を持ってクラブを辞めます。そして、門戸は開かれてトルコを後に出来ると認識しています。
この特別版コラムを、クラブで私と共に献身してくれた全ての皆さんに感謝して終えたいと思います。何故ならば、私が常々言うように、誰しも一人では何一つ成し遂げられないからです。我々は常に素晴らしい人材が側に必要です。テクニカルスタッフのメンバー、選手達、身近で支えてくれたクラブ職員の皆さんです。トルコでの私のスポークスマンとして通訳を務めてくれたSamet Guzelには特別なる「アブラーソ(抱擁)」を送ります。私の仕事を身近で見守ってくれて、日常の出来事を常に報道するように努めてくれたジャーナリストの皆さん、御機嫌よう。そして最後に、フェネルバフチェのサポーターの皆様に深く感謝致します。多くのサポーターがオマージュを送ってくれ、力を与えてくれました。個人または幾つかの応援団はインターネットを通じても表明してくれたのです。人生はこれからも続き、私はフェネルバフチェがサクセスロードを歩み続けることを祈っております。全ての皆さん、オブリガード!
それでは皆さん、また来週お会いしましょう!
ウン・グランデ・アブラーソ!