往年のフラメンゴ戦士懐かしのユニフォームで
[2008.07.08]
レトロタイプのフラメンゴユニフォームの発売記念イベントに伴い70年代後半から80年代の最も輝いたフラメンゴを代表する6人の戦士がCFZに集結しその偉業を讃えられた。
81年世界チャンピオン組のAndrade, Adlioと Zicoに加えRondinelli e Jlio Csar(ユリゲラー)。それに残念ながら当時唯一の欠席者となった Leandro。である。
当時から30年という月日の流れの後に集められた5人であるが再び彼等の存在感と偉業を目の当たりにするとどうしても今現在のフラメンゴの状態と比較してしまう。果たして今から30年後に同様の素晴らしいシーンが今のフラメンゴのメンバーで再現出来るのか?
ジーコはこう語る「今は昔と違って個人主義が当たり前となっている。選手は自由時間ともなると自分の部屋に直行し携帯、パソコン、iPodに夢中だ。その状況は最近まで指揮していたトルコでも同じだった。選手は練習と食事以外では仲間と顔を合わせない。我々の時代はとにかく常に仲間達が集まってワイワイガヤガヤやっていた。一緒にいるのが本当に楽しかった。当然いろいろな話題について直接語り合ったものだ。だから何十年経とうが再会したら昔の延長線上でこの様に喧しい。時代は変わってしまった。当時の状況を話しても今の選手は想像すら出来ないのではないか?」
また別の面で彼等が感じている変化とは選手とクラブの間の絆が希薄となってしまった点である。例えばLeandroの場合選手としてフラメンゴでデビューしフラメンゴで引退した。全てをフラメンゴに捧げた。Adlioにしても同じだ。彼の場合今現在もフラメンゴのユースの監督をしている。Adlioは「今は移籍は日常茶飯事でそれが当たり前になってしまっている。ユース、ジュニアユースの年代ででもだ。長い期間の育成は今では不可能だ。若い世代には当時のビデオ等を見せながら自分が所属しているクラブに対しての忠誠心や愛情の大切さを説いているが彼等に充分に理解させるのは難しい。仮になんとか育て上げトップチームに送り込んだとしても残念ながらその後のコントロール、ケアは継続出来ない」
Rondinelliは当時その勇猛果敢さから“Deus da Raa”(闘神)の愛称で絶大な人気を得たスーパースターである。「当時のフラメンゴの強さの秘密は堅い友情と結束にあった。もちろん並外れた技術、精神力も当然皆持っていたがね。ましてや Zicoという強烈なリーダーがいた。彼は常にチームのことを考え行動して来た。当然意見の食い違いもあったが全員がそれぞれにチームをさらに良くしようと考えていたからだ」
会場ではまた懐かしいエピソードにも花が咲いた。Adlioが口火をきる「確かに Rondineliの勇猛果敢さには頭が下がったよ。プレー中だけじゃなくて仲間の得点後の祝福の時までもね。奴はいつも最後に祝福の輪の中に飛び込んで来るんだ。そしてどさくさに紛れてヒジウチ、蹴り、ビンタ、もうやりほうだいだ。ある時それを見越した俺達は得点後に奴が飛び込んで来るのを待ってその瞬間に全員がいっせいにどけてやったんだ。彼?もちろん地面に真っ逆さまだよ!」
また口髭が自慢だったペウがトヨタカップで日本に行った際行きの飛行機の中で仲間に「日本は法律で髭野郎は入国禁止だぞ」と脅され泣く泣く剃ってしまった話やJULIO CESARの愛称(ユリゲラー)の由来が当時流行したスプーン曲げの様に相手バックを得意のドリブルでぐにゃぐにゃにしてしまうところから定着したと等々。お笑いばかりではなく Rondinelliが涙ぐむシーンも。
それは80年代後半から彼を敬愛する人々がその偉業に対し彼の名前を自らの息子に命名する等その登記数が今日までなんと 2.300件以上も存在する事実を知らされたのである。感無量。Jlio Csarもまた感慨深げに語る「私にとってのZicoという存在?・・・年齢は私とほとんど変わらないが自分にとっては父親の様な存在だよ。長い間一緒にプレーしまた引退後就職に悩んでいた時期自分にチャンスをくれた。もうここでコーチとして働き始めてから13年が経つがいつまでも彼の為に働きたいと思っている」