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リオ州選手権2部がスタート!CFZホームで初勝利

[2008.07.31]

2008年のリオ州選手権2部が7月26日よりスタートした。CFZ do Rioは27日にアウエーで初戦を行い0-1で敗戦からのスタートとなった。ホームでの最初の試合は30日、Portuguesaを相手に見事に4-2で勝利した。1勝1敗でグループ2位となった。 リオ州選手権2部は4つのグループに分かれて行われる。Aグループが6チーム、Bグループが7チーム、Cグループが7チーム、Dグループが6チーム。CFZはCグループに入った。他のチームはSão Cristóvão, Bonsucesso, Portuguesa, Brescia, Villa Rio, Olariaの6チーム。ホームアンドアウエー方式で行われ上位4チームが次のラウンドに進むことができる。……

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過剰なる仲介者達

[2008.07.29]

今週のバーハ・ダ・チジューカ・コネクションはある面、私がフェネルバフチェの指揮官を辞めてから、最近一番多く耳にしている質問に対しての解答だと言えます。そして、その質問とは、「ジーコ、貴方は何処へ行くのですか?」と、言う問いかけです。いったい私は今後何をやるのか、果たして何処へ行くのかを知りたいのです。その理由は、私が2002年のW杯以降には遥か彼方へと出向いているからです。先ずは日本でした。その後にはトルコへと直接向かったのです。でも、今日ではその背景は異なると言えるでしょう。 既に私はイングランドやポルトガルなどの国での監督に就任させられ…、更には私には構想外だと常に明確にしてきた我らがブラジル代表の時期監督候補とまで報じられました。マスメディアの力がこのような話題を作るのであり、実際には、メディアの力を操作する人物の影響だと思えるのです。全てのケースに於いて、最も私に奇異な感じを与えたのは、エージェントや仲介人からの話や、かつて耳にしたこともない大勢の人物によるオファーや構想でありながらも、実際にあったのは、私がまだフェネルバフチェの指揮に就いていた時に受けたベンフィカからの正式なコンタクトが唯一なのです。 何十年間に亘るサッカー界での生活に於いて、私はワールドワイドな代理人の過剰さに仰天させられます。クラブまたは連盟自体がこの異常な仕組みの捕虜と化しているかのように思えます。まるで一プロフェッショナルが自己の将来をクラブまたはセレソン(代表)と交渉をして欲しくないかのように見えるのです。全てが仲介人を通じてであり、多くの場合には便宜をはかるためにいるかのようです。そして、このような状況からロシアやアラブ首長連邦国など、世界中からの人物が姿を現しました。私は、5人ないし6人もの同クラブの代理人、又は、代理人を名乗る人物の訪問を受けたのです!実際には、異なる40人から30件以上のオファーが届きました。正に狂気の沙汰です! 今日ではグローバル化されたこの様な文化で育っておりません。私は、一人の代理人に自己の将来を委ねる、または、直接交渉する時代の人間です。それだけなのです。私はCFZ do Rioの会長として、監督や選手達などの契約を自分自身で行いました。本人と面と向かってです。もちろん正代理人なる人物は受け入れ、彼らが何れかの当事者を代表する役割を果たしているのであれば、私は決して代理人や仲介人に対して偏見は抱いておりません。但し、現状は仲介人と名乗る人物は、実際には多くがメリットを得るために両当事者に対して一方の味方であるかのような発言をする者なのです。彼らは常に委任状を手にするように試みます。目下、私自身のことを代弁している訳であり…、この事実は常に一目瞭然かのように感じます! これら全てが私を躊躇させているのです。私の思考力では、クラブや組織がこの様な仕組みから利点が得られるのか、理解出来ません。但し、CFZ do Rioでこのようなことが起こり得るのは難しい事実だと保障出来ます。でも、疑問の余地も無く、このようにして取引ゲームは行われているのです。今日に至り、私は自分が信じる方法で進めることを好んで来ました。そして、私は風潮に影響されることは無く、過去にもそのような経緯は存在せず、特に55歳の今となって変わることなど有り得ません。このような背景の下、私はCFZ do Rioのプランニングに協力しながら、孫を楽しみつつ暫しの休養を取っています。でも、私が選択した職業であるサッカーの監督業に再度就けることを期待しております。但し、サッカー界から足を洗って他の活動に専念する可能性を排除することもしません。でも、現時点で私が望んでいることではないのです。 以上で、皆さんの疑問に答えられたかと思います!何時も通りに私は平静な態度で確信を持って前進するが故に、今後とも皆さんが私を応援し続けてくれることを願っております。 それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!また来週お会いしましょう! ……

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Zico、Barra do Piraの市長を表敬訪問

[2008.07.25]

今週月曜日、ZicoはCFZ do Rioが Barra do Pira市で合宿を行った際に多大なるサポートを賜った同市市長と現地スポンサーItamaratiへの表敬訪問を行った。 Jos Luiz Anchite市長、Roberto Monzo Filho補佐官からは地元の名産品がプレゼントされた他、同市での Centro de Futebol Zicoの開校を打診された。 Zicoは「市長はCFZの今日までの社会貢献の実績と経験に大変興味を示されたようだ。特に以前 Rio州政府と共同実施したプロジェクトに於いて抵所得者層の子弟を中心に一万人以上の子供達をアテンドした実績を高く評価して頂いた」 後、ZicoはItamarati製糖工場へも表敬訪問を敢行。同社の協力がなければCFZ do Rioの11日間の合宿は実現しなかっであろう。最後はJean取締役を始めスタッフ全員と記念写真。「市長を始めとした市関係者の方々、Itamarati社の 皆さんのご好意に少しでもお返し出来ればという思いだった。本当に大歓迎をしていただいた。」 ……

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2008年07月22日(火)

[2008.07.24]

ハ~イ。先ずは前回の写真に関しての確認から。集合写真を送ってくれた友人のルイス・アルベルトに基づいて選手名を紹介した。従って、Jorge Luizで正しかったよ。 Marco AntonioとEdu Pantaneiro、正に彼はRui Reiだが、Dineiの父ではない。Dineiの父の名はNeiであり、一般的にはNei Guerreiroで知られていた。コメントアリガトウ!Max Carvalho、Marcelo Tijoloに私がサポートしたのは事実だよ。写真は本物だ! それでは、写真紹介へと行こう! Seedorfを親善大使とするGoal4Africaの祭典。下記は主催者とのツーショット。 素晴らしいミュンヘン・スタジアムの外観。 Van Persieは怪我をしていたが、祭典には出席したよ。 今週の月曜日には、再度CFZ do Rioを受け入れてくれているBarra do Piraíを訪れた。温かく私を歓迎する横断幕だ。皆さん本当にアリガトウ! 今回の我々の遠征はItamarati砂糖会社にスポンサードして頂いた。写真は会社の支配人に当たるJeanとのショット。 先週の土曜日にはJuventude de Quintinoのイベントが催された。先ずはサイトスタッフの撮影による舞台裏の写真から。 ピッチサイドで転寝をする私の孫の様子。 私の三男チアーゴ。 エドゥーは赤のチームで出場したよ。 常に出席してくれる、親愛なるCelso Garcia。 以下は、写真を撮影してくれたGuto Ribasの提供。先ずは彼本人との写真。 プレー中の私の様子。 最後に、ジーコ・サッカーセンターで怪我からのリハビリに専念しているイングランドのアーセナルに所属するEduardo da Silvaの写真だ。Eduardo、早い復帰を願っているよ! Depois eu volto! それでは、また後ほど!……

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恒例のJuventude de Quintinoのゲーム。今年のスペシャルゲストは?

[2008.07.22]

毎年恒例の同ゲーム。今回もその舞台となるAntunesスタジアムは強烈な暑さに見舞われた。土曜日の朝10時半キックオフ。同チームは60年代前半にコインブラ兄弟を中心に結成されたアマチュアチーム。今も不定期ながら試合を組んでいることから既に35年の歴史を持つ。 通常であれば試合はZicoの海外での業務の為に年末ないしは年明けに行われるが今回は急遽この時期に決定された。サプライズとしては今回のイベントの為にプロデュースされた往年のモデルのゲームシャツだろう。 赤と白の2種類だが胸の部分に“J”の文字がプリントされている。デザインはESTILO CARIOCA社の Flvio Lopes氏。同社では既に Amricaの1969年モデル(Edu) Flamengoの1992年モデル(Junior)Flamengoの1981年キーパーモデル( Raul)を製作している。 Lopes氏は「Eduとはもう長い付き合いだ。今回も自分達がプロデュースしたシャツを実際にこのスーパースター・ファミリーが使用してくれるのは大変名誉なこと」と語る。 もう一つのサプライズは、新しいCoimbra家の一員Felipe Coimbra(4ヵ月)の訪問である。前半開始直後、母親の Danbiaファミリーと共にスタジアムに到着。猛烈な暑さにもかかわらず前半を通しずっと熟睡! 肝心な試合はと言うとNandoが残念ながら不参加だった以外 TunicoとZeze(観戦のみ)も含め全員が参加。Zicoは Thiagoと共に白チームでプレー。赤には  EduとBruno Coimbraが応戦。スタンドには幼少時のZicoの才能を後の栄光に結び付けた Celso Garcia氏の姿も。 ハーフタイムには猛暑を避ける為ロッカーに直行すると思われた“孫にメロメロ”の Zicoおじいちゃんは、予想に反し孫のもとにダッシュ。孫をあやすのに夢中となった。当のFelipeは突然のおじいちゃんの出現に目を覚ました途端に目に飛び込んできた自分の周りを取り巻く大観衆に目をキョロキョロ。 父親のBruno は息子を Juventudeのメンバーに紹介するのに大忙し。最終スコアは12対4で白チームの勝利(Thiagoダブルハットトリック)    試合終了後はCFZのテラスで一族揃ってのシャラスコ、フェイジョアーダ・パーティ(IN BRASA提供) 勝敗度外視の一族、旧友の素晴らしい再会に乾杯!……

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ミュンヘンにて世界が結束

[2008.07.20]

先週土曜日ジーコはドイツ、バイエルン・ミュンヘン・スタジアムにて行われたチャリティゲーム“Goal4Africa”に参加。イベントの皮切りはまずジーコのキックオフ。 その後は監督としてFerrari (Roma), Z Roberto,F-1の Michael Schumacher,カメルーンからの招待選手、 ndiaやTunsiu等のメンバーで構成されたチーム・ブルーを率いた。 ところで前述のキックオフセレモニーをさらに詳しく説明すると Zicoと Klinsmannによりキックオフされたボールは オランダのVan Persie(セレモニーのみに参加)へ。さらにボールは Nelson Mandela氏の息子へ渡りそのまま Didaの守るゴールへシュートして得点という申し合わせで開始された。 「世界各国から招待されたアスリート達とアフリカからの招待選手等が一堂に会しサッカーを媒介としてアフリカの不平等撲滅を訴えるという素晴らしいフェスタだった」とジーコ氏。 同“Goal4Africa”のアンバサダーはオランダの Seedorf。ゲームではジーコ率いるチームでプレーした。対するチーム・ホワイトの主なメンバーは、Dida, Edmilson, Ballack, Paulo Rink等。結果はチーム・ホワイトが9対6で勝利。 最後に同イベント中に起こったちょっとしたハプニングをご紹介しよう。ジーコ氏の三男の Thiago Coimbraがゲーム観戦の為にスタンドを訪れていたことを知ったチームホワイトのメンバー達が急遽、助っ人として参加を要請。快く承諾したThiagoはすぐにベンチへ。暫くして交代で出場した際の背番号が“3”。本来であればブラジルのセンターバック Lucioの番号だ。当然中継のアナウンサーEusbio Resende氏(SporTV)は大慌て。バックの選手のユニホームを着たどう見てもバックには見えない正体不明の選手!?「誰だ、あの偽Lucioは?」その後ようやくピッチから連絡が行きThiagoであることが判明し混乱は納まった。 ……

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特別編・モッホ・デ・サンパウロ/ヴァレンサ

[2008.07.19]

以前にこのコーナーを見てくれている人たちの「世界紀行」を載せようと言ったことがある。いくつかのメールを受領したので皆さんがブラジルで訪問している、まだそう知られていない場所を紹介したいと思う。 まず最初に選ばれたのがウエンデル・ロボン。彼は何回かブログにでも登場した事があり、バイーア州サルヴァドール市の南地方による3つの写真を送ってくれた。調べてみた所その地域のアクセスはより難しいなので、多くの人がまだ行った事がない。ヴァレンサ町に住むウエンデルが、地域の写真を撮って、更に我々の食欲をそそる現地の食物を見せてくれた。   「トップの写真はバイーア州の最も美しい風景の一つである。それはモッホ・デ・サンパウロ灯台の光景、チンヤレー島としても知られている場所。カイルー町に位置し、主のアクセス通路は隣町のヴァレンサ(私の町)にある。第―、第二、第三、そして第四番目のビーチがあって、逆‘C’の形として知られている。  真ん中の写真は、チンヤレー島への一つのアクセス、アンパロ教会(アンパロは町の守護の聖人でもある)から見える私の町の風景(バイーア州ヴァレンサ町)。二番目の橋からモッホ・デ・サンパウロ行きの搭乗(船・モーターボート)に乗れる。見えにくいと思うが、奥の方にはチンヤレー島がある。船での横断は約1時間半かかって、モーターボートなら20分くらい。 最後に、皆さんの食欲をそそる為の写真。モッホ・デ・サンパウロの大きなロブスターと私。この写真は2006年12月31日に撮られた。」 これがウエンデル・ロボンのテキストと写真。サイトのスタッフの援助を受けてインターネットで検索した上で以下を追加する チンヤレー諸島はサルヴァドール市から南側に60キロ離れていて、ブラジル唯一の町・諸島であり、名称はカイルー町、そして本庁は同名の島に位置する。チンヤレー諸島はチンヤレー島を含む23の島からなり、マングローブの大運河によって大陸と隔てられている為、アクセスが非常に難しい。 ウエンデルはもう助言したので、世界を旅したいならあなたも確認できるよ。 ……

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2008年07月13日(日)

[2008.07.17]

2008年07月13日(日) やぁ~。今週も慌しい一週間となり、昨日はミュンヘンで素晴らしいイベント「Goal4Africa」に参加したよ。Seedorfの指揮で行われた盛大な慈善イベントであり、この件に関しては写真もあるので後程取り上げるからね。今回のポスティングは先週の土曜日にベネズエラで開催されたゲーム「Amigos de Ronaldinho Gaúcho x Amigos do Messi」の写真を紹介するよ。 ホストの一人でもある、Ronaldinho Gaúchoとのツーショット。     セーザル・サンパイオ、エジムンドとフィジカルコーチのミゲーオとの写真。 長旅での主な気分転換の一つはヴァンペッタの小話を聞くことだ。下記の写真は、機内での模様で、ヴァンペッタとマルセーロ・サンデルとのショット。 更に数日間遡って、ユニフォームレトロシリーズ発表でのトロンバ、ブラウンと私。 そして、この日にはメンガォン(フラメンゴ)のシェリフ(保安官)こと、偉大なる選手で人格者のファービオ・ルシアーノの訪問を受けた。今日曜日にはクラッシコ戦で得点を挙げている。パラベーンス(おめでとう)! ブラジル移民100周年記念イベントでの写真。リオ・デ・ジャネイロで催された徳仁(浩宮)皇太子殿下出席のセレモニーに参加したよ。ミナス・ジェライス出身のバンド「Pato Fu」のメンバーであるFernanda Takaiと、私の隣に写っている偉大なるWagner Tisoの二人のミュージシャンが目を引いた。写真は、リオ・デ・ジャネイロ総領事兼文化センターディレクター(理事、館長)の石井きよし氏より快く提供。 最後に1969年の「懐かしき年月」。写真は、現在鹿島アントラーズでオスワルド・デ・オリヴェイラ監督のテクニカルスタッフの一員として働いている、フラメンゴでの私の元チームメイトのルイス・アルベルトが送ってくれた。 1969年の07月にサン・クリストヴァンで開催された「Torneio Início」での集合写真。後列:Tião、Edson Gil、Luiz Alberto、Norion、Jayme、Assis、Paulinho Siri、Gil。前列:Jorginho、Rodrigues、Nelson、Delem、Zico、Dias、Rui Rei、Reinaldo、Jorge Luiz(定かではない)。 同じく1969年の写真をもう一枚。後列:Norion、Edson Gil、Jayme、Luiz Alberto、Assis、Tião。前列:Rodrigues、Nelson、Delem、Zico、Dias。 それでは、また後ほど!……

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元選手がクラブの首脳陣へ

[2008.07.16]

ヴァスコ・ダ・ガマの会長を選ぶ選挙戦でのホベルト・ディナミッテの勝利を大いなる喜びと共に受けました。今までのライバル意識は別にして、我々は友人であります。彼の勝利は長きに渡る対戦から得たものであり、私自身も近年はその闘いを見届ける機会に遭遇しました。 ホベルト・ディナミッテ氏レベルの英雄がビッグクラブのトップへ就任するのは大変重要な事実ではありますが、今回のバーハ・ダ・チジューカ・コネクションでは更に掘り下げてテーマに取り組みたいと思います。重要なのは、選手がトップへと上り詰めることであり、私はスポーツ界での重要なポストに選手達が就くべく準備が普遍的に出来ていると信じています。そして、実際にそうあるべきなのです。私のコラムでも欧州を渡り歩いて幾度も遭遇する、元チームメイトや元ライバル達がスーパーバイザーや経営部門、又は訪れる先々でクラブの名前を普及するための外交員として、サッカークラブの運営に携わっている彼らとの再開を好ましく感じているコメントしたかと思います。 同時に、こちらブラジルでは如何様な人事が行われるには常に大いなる要求が存在しました。一部では私も同意します。何故ならば、ブラジルでは多くのクラブが社会福祉的要素を持つ団体であり、レガッタ、バスケットボール、水泳、バレーボール、フットサル、テニスなどあらゆる種目のスポーツも視野に納めなければならない必要があるからです。 そして、その反面で海外ではこの様なケースは極稀であり、殆どがサッカー主体のクラブなのです。この様な理由からも、ホベルト・ディナミッ氏が自らの立候補に対して、クラブ内のあらゆる所からの票を集めることが出来た事実により、彼の勝利に対する価値が大いに高まったと言えるのではないでしょうか。 ブラジル人元プレイヤー達が、クラブのみではなく、ブラジルの州や国を代表する連盟も含めて、今後とも重要な役職に就くべく準備を行うことを私は期待しております。例えば、UEFA(欧州サッカー連盟)に於いてミシェル・プラティニ会長の存在は大変重要な事実だと言えます。でも何にも増して、この資格はアスリート全般に対する特権であるべきだと考えているのです。 クラブで行われる競技種目の多様さ故に、この資格はサッカーの領域を超越します。幾つかの組織では既にこのような事実は成立しており、ブラジルオリンピック委員会の会長である元アスリートのCarlos Arthur Nuzmann氏を実例に挙げることが出来ます。 私は、元サッカー選手がクラブの会長に就任することは必要性として捉えるべきではなく、結果論だと信じているが故にこのような私見を述べています。クラブ運営には一連の重要職があり、サッカー部門にはしっかりと準備を整えた元プレイヤーが就くことが出来るのではないでしょうか。そして、他の種目の元アスリートでもクラブの会長として立派に役割を果たすことが出来るのです。 例えば、ボタフォゴは、現在は元アスリートで、元監督でもある、Bebeto de Freitas氏の手によって経営されています。そして彼が、近年クラブに変化をもたらした事に対しては否定は出来ません。 クラブ経営に関して論議する場合、奇跡的な打開策など存在しないのです。そして、クラブの行方を元選手に委ねることが唯一の解決策などと決して考えてはいけません。ケースバイケースを見極める必要性があり、クラブに於いての元プレイヤーの存在に関して、果たしてサッカー担当副会長や管理職、又は既に彼自身が選手として所属した経験がある現場寄りの役職に就くのが最適なのかを考慮しなければなりません。 そして、ホベルト・ディナミッテ氏がヴァスコ・ダ・ガマのイメージを覆すべくミッションに、私は幸運を祈りつつ本コラムを終了したく思います。私は何時もの通りフラメンゴの応援をし続けます。でも、万人は偉大なる敵に対して勝利を得た時に、大いなる喜びを感じるものだと思います。 ボーアソルテ、ボブ(ホベルト・ディナミッテ)!それでは皆さん、また来週お会いしましょう!ウン・グランデ・アブラーソ!……

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CFZ DO RIOの新社長にBruno Coimbra氏が就任

[2008.07.12]

8日に行われたCFZ do Rioの全体会議で同組織の新体制が発表された。新社長にはBruno Coimbra (ZICO氏の次男)が就任、長年に渡りZICO氏不在の間、社長の任を果たして来た Antnio Simes da Costa氏(ZICOの顧問弁護士であり代理人)は法務関係担当役員となる。 又ZICOに関しては同クラブオーナーの立場は変わらないがフロント内での兼任はしない事が決定した。ZICOは「今回の人事改正は自然的な流れで行われた。旧体制に問題があった訳ではない。ただ我クラブ経営にも新しい息吹が必要な時期が来ていたしその大任を Brunoに充分任せられると確信したからこその決定だ。 Antonio Simes氏の長年の経験また知識は法務関係役員としての立場から今まで通り大いに活躍して頂く。サッカー部門運営担当は引き続き Eagle社が Bruno と共に行う。新社長の Bruno にはとにかく精一杯の努力により成功をおさめることを期待したい。私自身、必要とあらば出来る限り手助けをするつもりでいる」と語った。2007年からCFZを指揮して来た Bruno Coimbra氏にとって今回の社長就任は更なるステップ アップとなる。これに関し新社長自身は「とにかく今自分はこの大任を果たす自信がある。まだまだ学ぶべきことは多いが今までCFZを引っ張って来た様に全力を尽くして行きたい。さらに強化をしなければならない点も多い。例えば下部組織の充実もその一つであるがやはり最大の目標はチームをトップリーグに参入させることだと考えている。長期的ビジョンを持ち将来につながる仕事を着実に推し進めて行きたい。また個人的にもクラブ運営のさらなる知識を学んでいくつもりでいる」と述べた。……

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デンマークの美しい首都 ・ コペンハーゲン

[2008.07.11]

フェネルで監督をしていた時のこと。フェロー諸島で行われたB36との試合の際に、私達はコペンハーゲン都市を経由する事になった。同都市は、デンマーク最大の都市であり、スウェーデン国の正面でバルト海の海岸に位置する。人口は約200万人の街で、とても気に入った。居心地よい所であった。 街のいくつかの観光スポットを訪れる機会があったので、写真に残した。ひとつの娯楽点はニューハウンにあるハーバー運河。困難な事を忘れてリラックスできる、ストレス解消の場所と言われている事が何とか分かる気がする。素晴らしい風景で、運河にはヨットや船が通り、全てがとても快適である。運河の両側には色々なレストランやバーが並んでいて、人々が美味しい料理を食べ好みのドリンクを飲む事が出来る。   横の写真に写っているメイン広場では、サッカーのクラブチームまたは代表チームの国際戦の日には大変な事になると聞いた。お酒が好きな応援者達はそこで集まり、他の応援者に喧嘩を売ることもあるそうだ。そうすると伝統的に寒い都市では気温があがってしまうそうである。 ヨーロッパのほとんどの観光都市と同様に、コペンハーゲンは歴史と芸術を大切にしている。多数の美しい建築の博物館や素晴らしい劇場、そして私はその中でより新しくてもっとも人気を集めている劇場の写真を撮るチャンスを得た。コペンハーゲン・オペラ・ハウスは、街での最も伝統的な劇場の収容力を解決する為に、2005年に開幕された。 デンマークの政体は立憲君主制度である。すなわち、王子、女王やお姫が存在し、しかしながら議会の議員が法律を制定させる。私はアマリエンボー宮殿の外側を訪ねて、衛兵と写真を撮った。彼は仕来り通りにそのまま動かずに立ち止まっていた。興味深いのは、毎日衛兵が交換の時間に市内を練り歩いて、それが地元のイベントである事。 宮殿の近くに建っている銅像の前を急いで通った時にこのコーナーの為に写真を撮った。フレデリック5世の注文に応じて1768年に建てられた、ジャック・ジョセフ・サリー彫刻家の作品。2回も修復され、世界で最も美しい馬の彫像の一つと知られている。 コペンハーゲンのような場所には、美しい物語がなくてはならない。より訪問される像は、運河の岸に設置された人魚姫の像である。岩の上にある像の撮影をしている、いつも興味津々の日本人たちの写真を撮った。 ハンス・クリスチャン・アンデルセン作家の童話においては、小さな人魚姫が人間の王子に恋をする。彼に近づくため、人間に変身できるように人魚姫は魔女の家を訪れた。魔女の魔法が永遠に続けるには、王子の愛を勝ち取らなければならない。そうでなければ、姫は海の泡となって消えてしまう事になる。 小さな人魚姫は王子の愛を勝ち取る事が出来なかった。しかしながら、人魚姫の姉たちが魔女と協定を結び、姫の命の代わりに王子の命を求める。姫はナイフで彼を殺さなければならなかった。もちろん、人魚姫は王子を殺すことは受け入ず、そして魔女の処罰として、海の泡となった。これが伝説である… この訪問には、奥に美しいヨットが見える、運河で撮った写真に写っている、ヴォルカンとモラシー・サンタナが同行した。 伝説、娯楽、寒さ、しかし、なによりも美しくて居心地の良い訪問するべき場所である。 あなたが世界を旅している時に、よい散歩をするに値する場所の一つである。 ……

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ジーコ備忘録

[2008.07.10]

ジーコ(著) 鈴木 國弘(翻訳) 講談社 1800円 2007年5月15日発行 2006年5月15日。ワールドカップドイツ大会に向けたメンバー23人が発表されました。本書内でもカギとなっているこの日から、ちょうど1年後の2007年5月15日。“日本サッカーのために”書き残した『ジーコ備忘録』定価:1890円(税込)が発売にされました。 2006ワールドカップ日本代表監督、ジーコが理解しきれなかった日本人のメンタリティとは…?今明かされる2006ドイツワールドカップ代表監督の真意! 2002年7月22日の日本代表監督就任以来、ジーコが歩んだ4年間の苦悩と葛藤の日々、そして姿を変えつつ成長していったサッカー日本代表を克明に記録。期待に胸膨らんだ「黄金の4人」の形成、奇跡的な優勝を遂げたアジアカップ……、接戦の続いたワールドカップアジア予選、そして目を疑ったワールドカップ本大会、オーストラリア戦の「魔の8分間」、ブラジル戦での惨敗。あまりにもショッキングな結果に、誰もが重く口を閉ざし、いまだ真相が明らかになったとは言いがたいジーコ・ジャパンの全貌。しかし、辛い出来事から目を背けていては日本サッカーに未来はない。「忘れたき惨敗にこそ深く静かに省みよ」を胸に本人が残した言葉が初めて公のものになる……! 目次 序章■2007年3月 トルコ・イスタンブール 「回顧」 1章■2006年6月12日 2006ワールドカップ vs.オーストラリア 「悲劇の間」初戦・前夜/オーストラリア戦へ向けての準備/流れが変わった「誤算」/選手を交代した意図/悲劇の始まり/「悪夢の8分間」を振り返って/真の意味でのコミュニケーション2章■2006年6月18日 2006ワールドカップ vs.クロアチア 「内なる闘い」作らざるをえなかった規制/メンタル面の修復/クロアチア戦キックオフ/命拾いした前半戦/後半戦、天国と地獄の境目/かすかに残った希望 3章■2006年6月22日 2006ワールドカップ vs.ブラジル 「王国との対峙」ブラジルから3点取った日本/メンバーを明かさなかった理由/試合直前までの駆け引き/希望から惨敗への転落/グループリーグの総括と本音4章■2002年6月18日-2003年 2002ワールドカップ以後 「代表監督狂想曲」’02トルコ戦で露呈した精神的問題/代表監督就任/「黄金の4人」誕生/世界情勢に翻弄された'03年 5章■2004年 2006ワールドカップ アジア地区第一次予選 「苦悩と手応え」辞意の覚悟あったシンガポール戦/国内組と海外組/無断外出事件/暑熱対策/シンガポールでの教訓/充実の欧州遠征/アクシデントにも動じないチーム6章■2004年7月20日-8月7日 AFCアジアカップ 中国2004 「ファミリー」修羅の場/狙いどおりのオマーン戦/反日感情渦巻く重慶/ファミリーと化した選手とスタッフ/ヨルダン戦に見た「信じること」の尊さ/バーレーン戦での底力/アジアを制して得られたもの7章■2005年 2006FIFAワールドカップTMドイツ大会 アジア地区最終予選 「世界を摑むまで」殴り合いになったら行けばいい/中田英寿という選手/消化不良で迎えたイラン戦/3バック、4バック論争/メディアとの空白期間/流儀に反しての大一番/「謎のチーム」ではなかった北朝鮮/大声で摑んだワールドカップ出場権8章■2006年5月15日-6月4日 2006ワールドカップドイツ大会直前 「日本代表」疑問が残ったマルタ戦/日本という国について/本大会メンバー23人の選考/変わっていった代表内の空気/「自由」――その理想と現実終章■2007年3月 トルコ・イスタンブール 「すべてが終わって」 ……

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欧州サッカーを救済するべきチャンピオン

[2008.07.09]

以前から本サイトにアクセスしてくれている人であれば、2004年の欧州選手権の覇者であるギリシアに、本コラムを捧げたこと覚えているかと思います。私はそのコラムで、伝統のないなかでも浮上中の国々に関した例を挙げており、ギリシアの戦略と戦術面での規律とフィジカル面に対して祝辞を述べました。でも、決して私を魅了させるサッカーで無いことも明確にしておいたかと思います。更に4年が経過して、ここで再び本コネクションのコラムで新たなユーロのチャンピオンであるスペインにスポットを当てます。そして、今週の本コラムの話題は2004年に取り上げたテーマよりも喜ばしく感じさせてくれる事実を告白しなければいけません。   皆さんは私が回顧主義者でないことはご存知でしょう。しかしながら、今回チャンピオンに輝いたスペインは、パスの制度とつなぐサッカー及び攻撃力からなるタレント性を主な特長として、無敗で大会を終えている事実からも、今大会は最も安定したチームでありました。数多くの有能な選手達がピッチ上で活躍するにも関わらず疑問が問われた欧州サッカーのクオリティーに対する信頼性をスペインはある面回復してくれたと言えるでしょう。但し、前述したピッチ内に足を踏み入れる有能な選手達は多国籍プレイヤーでもあります。 Flores、Villa、Fábregas選手からなるスペイントリオは質と精度の高さを存分に披露してくれました。でも、決勝戦でXavi選手が重要な役割を果たして、更に決勝点をTorres選手が挙げたことで、試合が団体競技であることを証明してくれました。更には偉大なるゴールキーパーであるCasillasと、Puyol選手の経験を忘れてはいけません。本音を言わせてもらうならば、スペインは経験豊富なチームでありながらも若いチームなのです。今後更に数多くのタイトル奪取が可能な代表だと言えるでしょう。 私のフェネルバフチェでの後継者でもあるLuis Aragones監督にこの場を借りて祝辞を送ります。大会制覇後にこの様な使命を帯びてトルコへと向かうことは、これ以上に無い好機だと言えます。そして、Aragones監督はフェネルバフチェで素晴らしい成績を残すべき要素を兼ね備えていることだと確信しております。彼が幸運に恵まれることを心から願っています。 そしてトルコと言えば、Fatih監督率いるトルコ代表は、ロスタイムで得点を決めて混戦の末に進出を成し遂げる躍進振りで、若しかしたら今回のユーロで最も感動的な瞬間を演じた立役者かも知れません。でも、それだけではありませんでした。チームは好内容の展開を繰り広げて、ハイクオリティーな活躍ぶりをも披露したのですが、ベンチ要員の欠如へと至る数多くの問題を監督はドイツ戦で避けることが出来ていれば、若しかしたら決勝戦を闘っていたかも知れません。私がフェネルバフチェで日々を共にし、今回立派な活躍をした数人の選手達に、個人的に喜びを感じる次第です。 数多くのチームがカウンターアタックを基本とした試合運びを仕掛けたことで見応えのある試合を多く提供してくれた反面、幾多のチームは勇敢さに欠けるぎこちない展開だったことが観察出来ます。最終的な総括として、ワールドカップ予選の継続へ向けて期待を持たせてくれる、レベルの高い大会だったと言えるでしょう。既に2010年のワールドカップは目前へと迫っており、サッカー界は立ち止まりません。でも、スペインはこの価値あるタイトルに熱狂して祝杯挙げるべく、多少ながらの余韻に浸れることでしょう。そして、スペイン国民の皆さんパラベーンス! それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ! また来週お会いしましょう!……

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往年のフラメンゴ戦士懐かしのユニフォームで

[2008.07.08]

レトロタイプのフラメンゴユニフォームの発売記念イベントに伴い70年代後半から80年代の最も輝いたフラメンゴを代表する6人の戦士がCFZに集結しその偉業を讃えられた。 81年世界チャンピオン組のAndrade, Adlioと Zicoに加えRondinelli e Jlio Csar(ユリゲラー)。それに残念ながら当時唯一の欠席者となった Leandro。である。 当時から30年という月日の流れの後に集められた5人であるが再び彼等の存在感と偉業を目の当たりにするとどうしても今現在のフラメンゴの状態と比較してしまう。果たして今から30年後に同様の素晴らしいシーンが今のフラメンゴのメンバーで再現出来るのか?  ジーコはこう語る「今は昔と違って個人主義が当たり前となっている。選手は自由時間ともなると自分の部屋に直行し携帯、パソコン、iPodに夢中だ。その状況は最近まで指揮していたトルコでも同じだった。選手は練習と食事以外では仲間と顔を合わせない。我々の時代はとにかく常に仲間達が集まってワイワイガヤガヤやっていた。一緒にいるのが本当に楽しかった。当然いろいろな話題について直接語り合ったものだ。だから何十年経とうが再会したら昔の延長線上でこの様に喧しい。時代は変わってしまった。当時の状況を話しても今の選手は想像すら出来ないのではないか?」 また別の面で彼等が感じている変化とは選手とクラブの間の絆が希薄となってしまった点である。例えばLeandroの場合選手としてフラメンゴでデビューしフラメンゴで引退した。全てをフラメンゴに捧げた。Adlioにしても同じだ。彼の場合今現在もフラメンゴのユースの監督をしている。Adlioは「今は移籍は日常茶飯事でそれが当たり前になってしまっている。ユース、ジュニアユースの年代ででもだ。長い期間の育成は今では不可能だ。若い世代には当時のビデオ等を見せながら自分が所属しているクラブに対しての忠誠心や愛情の大切さを説いているが彼等に充分に理解させるのは難しい。仮になんとか育て上げトップチームに送り込んだとしても残念ながらその後のコントロール、ケアは継続出来ない」  Rondinelliは当時その勇猛果敢さから“Deus da Raa”(闘神)の愛称で絶大な人気を得たスーパースターである。「当時のフラメンゴの強さの秘密は堅い友情と結束にあった。もちろん並外れた技術、精神力も当然皆持っていたがね。ましてや Zicoという強烈なリーダーがいた。彼は常にチームのことを考え行動して来た。当然意見の食い違いもあったが全員がそれぞれにチームをさらに良くしようと考えていたからだ」 会場ではまた懐かしいエピソードにも花が咲いた。Adlioが口火をきる「確かに Rondineliの勇猛果敢さには頭が下がったよ。プレー中だけじゃなくて仲間の得点後の祝福の時までもね。奴はいつも最後に祝福の輪の中に飛び込んで来るんだ。そしてどさくさに紛れてヒジウチ、蹴り、ビンタ、もうやりほうだいだ。ある時それを見越した俺達は得点後に奴が飛び込んで来るのを待ってその瞬間に全員がいっせいにどけてやったんだ。彼?もちろん地面に真っ逆さまだよ!」    また口髭が自慢だったペウがトヨタカップで日本に行った際行きの飛行機の中で仲間に「日本は法律で髭野郎は入国禁止だぞ」と脅され泣く泣く剃ってしまった話やJULIO CESARの愛称(ユリゲラー)の由来が当時流行したスプーン曲げの様に相手バックを得意のドリブルでぐにゃぐにゃにしてしまうところから定着したと等々。お笑いばかりではなく Rondinelliが涙ぐむシーンも。 それは80年代後半から彼を敬愛する人々がその偉業に対し彼の名前を自らの息子に命名する等その登記数が今日までなんと 2.300件以上も存在する事実を知らされたのである。感無量。Jlio Csarもまた感慨深げに語る「私にとってのZicoという存在?・・・年齢は私とほとんど変わらないが自分にとっては父親の様な存在だよ。長い間一緒にプレーしまた引退後就職に悩んでいた時期自分にチャンスをくれた。もうここでコーチとして働き始めてから13年が経つがいつまでも彼の為に働きたいと思っている」……

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リオ協会がジーコに優勝メダル(2008年フラメンゴ)を授与

[2008.07.07]

3日日、リオ州サッカー協会をアントニオ・シモエス(顧問弁護士)ブルーノ・コインブラ(次男)と共に表敬訪問したジーコ協会側は Rubens Lopes(会長)以下 Jomeri Raymundo Calomery(総務)Cludio de Albuquerque Mansur(法務) Enas Madeira (運営) Leonardo Ferraz (会長補佐)等が出迎えた。同協会での昼食後旧知の Ronaldo Castro( Tv Ferj.)のインタビューに応じた。 そして協会を後にしようとした際に会長から突然授与された2008年度リオ州選手権フラメンゴ優勝メダル。 ジーコのコメント:「会長の Rubinhoとの付き合いは長いが常に良い関係を保って来た。彼の会長就任によりリオ州協会の新たな時代が到来したと考えている。今日は本当に有意義な時間が持てた。もてなして下さった協会の方々に感謝したい。また栄えあるメダルまで頂いて感激だ。CFZを通じて協会とはさらに絆を深めていきたい」……

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アレッポ ・ 過去への旅

[2008.07.05]

私はいつも言っているが、サッカーは私に普段行く事がない場所や以前から行きたかった場所を訪問る機会を与えてくれた。これらの場所を紹介したくて、このサイトで「世界紀行」のコーナーを作った。通常は外国人向きで、豊かな構造、美しい自然や文化等を持つ観光スポットを紹介しているが、今回の提案は少し異なっている。 4月上旬に、アル・イテハドのスタジアム竣工式で行われた親善試合の為に私たちはシリアを訪れた。ほぼ200万人の人口で、ダマスカスに次ぐシリア第2の都市、アレッポでの素晴らしいイベントであった。 トルコとの共通点は、人口の大多数がイスラム教徒である事と、国境に近い事だけ。更に、アレッポの概観は、発展のため、十分に異なっている。つい最近まではテレビさえもなかったが、写真でご覧の通り、多くの衛星アンテナが見られる。 最近の近代化への試みにもかかわらず、都市の特色はまだ歴史であって、最も普通なのは、遺跡と伝統的な建築に行き逢う事。私が異なる提案であると言うのは、それはアレッポが観光客より考古学者のための訪問として示される点である。現代のアレッポが古代アレッポの場所に立っているため、様々な所で遺跡が発見され、歴史を研究している人には大事な資料となる。 地元の人と話しながら知ったのは、アレッポが他の地域に向かっている冒険家達の寄り道の都市であり、結局寄り道が歴史的な訪問になってしまう事。イスタンブール同様に、大きななバザーがあると聞いたが、訪ねる機会がなかった。  しかし、ほとんど時間がなくても、昔の円形劇場と素晴らしい城(我々にはあまりにも素朴的に見えるが、古代建築の美しさの象徴であり続ける建物)で写真を撮る事が出来た。 フィールドの中では、試合は同点で終わり、そして私達は偉大ないイベントの参加者になった。数時間のイベントでは、スタジアムの中の群衆と外側に入場できなかった群衆。およそ7万5000人の人々が出席し観戦した。 本当に素晴らしい経験であった。アレッポは、考古学散歩やちょっと変わった旅を味わいたい世界中の人々が訪れるべき場所である……

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2008年06月30日(月)

[2008.07.04]

は~い。ポスティングの前にブログの更新が遅れた理由を説明する必要があるよ。皆さんもご存知の通り、このスペースは私専用のものだ。私は、敢えて全てのコメントを読むようにして、写真の選別、テキストの書き込みまで行うのだが、最近はそれが可能ではなかった。1週間トルコに滞在して、引越しの手配をし、その直後にはブラジリアを訪れて、今週末にはロナウジーニョ対メッシのチャリティーマッチのために2日間ベネズエラへ行って来た。結局のところ、予定が山積みだったのだ。でも、ようやくカムバック出来たよ。そして、約束どおりブロガー連中のジーコ・サッカーセンター訪問時の写真掲載だ。こちらを訪れた連中との素晴らしい友好的な交流が05月28日に行われた。この企画は、偉大なるモラエス氏がe-mailと自己のサイト「História do Torcedor(サポーターの歴史)」を通じて参加者を募り、成立した。それでは、今回は彼らとの親睦会に捧げるポスティングであり、早速写真紹介へと行こう。 殆どの写真がサルバドール市のPaulo Viniciusから送られて来たものだ。写真提供をアリガトウ! 下記は、企画の責任者であるモラエス氏とのツーショット。 大人数故に残念ながら全員の名前を記載することは無理だよ。でも、連中との写真を下記に数枚紹介するからね。では、集合写真から。     この写真の人物は紹介できるよ。Maria da Graçaと彼女の息子Gustavoだ。熱心なブロガーであり、彼女自身が送ってくれた写真だよ。ナイス!貴方と息子さんに御機嫌よう。 それでは、また後ほど!……

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さらば、トルコよ!

[2008.07.02]

フェネルバフチェでは2年間に及ぶ尽力、ハードな献身と貴重な優勝もできました。クラブ創立100周年の年にトルコスーパーリーグでチャンピオントロフィーを掲げて、フェネルバフチェの歴史に名前を刻めたことを誇らしく感じております。先日、私は後処理と引越しの手配及び数人への別れの挨拶回りをするためにトルコを訪れていました。そして、この話題が今週のバーハ・ダ・チジュッカ・コネクションのテーマでもあります。   2006年のFIFAワールドカップドイツ大会直後にトルコからのオファーを受けて、私は自己キャリアに於いての新たなチャレンジへと向かいました。クラブ職員、とても美しい町並みの人々、常時チームへの応援体制が万全な熱狂的なサポーターを含めた、全ての皆さんに大変歓迎を受けました。そして、チームを指揮した2シーズン、我々は特別なる瞬間を数多く共生して、それらの想い出は永遠に私の心に生き続けるのです。 先週、私がイスタンブールで立ち寄った如何なる場所でもフェネルバフチェのサポーターからは温かく迎えられ、ライバルチームのサポーターからは敬意の言葉を頂きました。クラブへの残留願望に対する私の発言を耳にして、彼らの総体的な質問は何故合意に達しなかったのかという疑問でした。一番の相違点はテクニカルスタッフの編制に関する理由だったことを明確にして置きます。更に、それらの要素に、正式なるオファー提示の遅れに対する不満が加わりました。何故ならば、私は常々残留への意志を表明していたからです。 残念ながら首脳陣との意見の相違後にクラブを後にするとは言えども、2年前に機会を与えて頂いたことへの感謝の意をここに記したく思います。在職中には、2タイトルと、世界で最も困難なクラブ対抗の大会でもある欧州チャンピオンズリーグでの5位入賞など重要な成果をもたらすことが出来、ミッションを果たせた実感を持ってクラブを辞めます。そして、門戸は開かれてトルコを後に出来ると認識しています。 この特別版コラムを、クラブで私と共に献身してくれた全ての皆さんに感謝して終えたいと思います。何故ならば、私が常々言うように、誰しも一人では何一つ成し遂げられないからです。我々は常に素晴らしい人材が側に必要です。テクニカルスタッフのメンバー、選手達、身近で支えてくれたクラブ職員の皆さんです。トルコでの私のスポークスマンとして通訳を務めてくれたSamet Guzelには特別なる「アブラーソ(抱擁)」を送ります。私の仕事を身近で見守ってくれて、日常の出来事を常に報道するように努めてくれたジャーナリストの皆さん、御機嫌よう。そして最後に、フェネルバフチェのサポーターの皆様に深く感謝致します。多くのサポーターがオマージュを送ってくれ、力を与えてくれました。個人または幾つかの応援団はインターネットを通じても表明してくれたのです。人生はこれからも続き、私はフェネルバフチェがサクセスロードを歩み続けることを祈っております。全ての皆さん、オブリガード! それでは皆さん、また来週お会いしましょう! ウン・グランデ・アブラーソ!   ……

in [ジーコの主張]

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