インタビュー

鹿島アントラーズ・オズワルド オリヴェイラ監督インタビュー

[2008.05.15]

履歴にちょっと目を通してみるとなんと2000年FIFAクラブW杯優勝、1999年ブラジル全国選手権優勝(両タイトルともCorinthians)またVASCOを率いてMercosul制覇等々これだけでもそうそうたるものだが本人は「まだまだ足りない」とばかりに今度は地球の真反対の『日出る国』日本にまで足を延ばす。

ましてや彼が率いることになるチームは国内リーグで15位。しかしながらそのチームが最終的にタイトルを獲得してしまう。これらの偉業を成し遂げたその人こそが Oswaldo de Oliveira Filho。リオデジャネイロ出身の58歳。

昨年からジーコが心血を注いだチームとして名高い日本の鹿島アントラーズの指揮官としてチームを率いている。約20年以上の長期にわたりフィジカルコーチ又ヘッドコーチとして活躍した後監督に転身。監督としてはアントラーズが11チーム目である。勿論今シーズンの目標はリーグ連覇だがもう一つ大きな仕事が待ち構えている。初のアジア制覇だ。因みに同チームにはダニーロとマルキーニョスが“同胞”とてして彼をサポートする。ではここで監督に一問一答

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ジーコサイト:監督業を始めた経緯は?

オズワルド:まぁ、一言で表現すると、そうですね“自然分娩”というところですかね(笑)23年間フィジカルコーチ又ヘッドコーチとしての経験を積んでいたのをコリンチアンズのフロントが評価してくれてチャンスをくれた訳です。

ジーコサイト:日本進出に関しては?全く違う環境でしたが?

オズワルド:日本に関して私自身、直接的な繋がりはないのですが何故か凄く興味がありいつかは仕事をしてみたいと思っていました。今回それが実現した訳ですがお蔭様で大変、充実してますよ。食事も合うし、なにより人が素晴らしいです。サッカーの面でも全体的にクラブ、リーグが大変しっかりと組織されていますね。

ジーコサイト:アジア制覇という目標についてですがACLは南米で言えばリベルタドーレス杯に相当するのですがすがその印象は?

オズワルド:正直日本の多くのクラブはあまりこのタイトルには興味がなかった様ですね。私自身はカタールのアル・アラブというチームで参戦した経験を持っていますがかなり難しい大会です。国同士、お互いプライドをかけた闘志剥き出しの戦いである
ばかりか試合毎の移動の困難さとかまたジャッジの問題等リベルタドーレスと同じ様に厳しいですね。それとレギュレーションにより最初のステージは一チームしか上がれないのでさらに難しくなっているんです。

ジーコサイト:日本で一番やりにくかった点は?

オズワルド:やはりまず言葉の問題は大きいですね。しかし幸いにも大変有能な通訳がサポートしてくれています。

ジーコサイト:どうしても優勝したよく年はマークされるものですが今年の鹿島はまさにそうではないですか?

オズワルド:確かに。感じるのは昨年よりかなり研究されているということです。それとリーグと並行してACLを戦うという状況の中で特に日程の異常な厳しさとかを感じますね。大会舞台裏での決め事に何か偶然以上のものが存在する様な気もします。

ジーコサイト:距離的な問題またその情報の少なさからブラジル国内であなたの監督としての存在感が薄れる又はなくなるという不安はないですか?

オズワルド:正直言ってそれはあります。いつかはブラジルに戻る訳ですからね。でも今現在はここでの仕事、生活にとても
満足してますよ。 

ジーコサイト:あなたの夢は?又は将来のプランは?

オズワルド:今こうして監督となったのも自然の流れでしたしこの先何かこうしようとか特別に計画をたててやろうとは思っていません。全て“自然分娩”で行きますよ(笑)

ジーコサイト:あなたに影響を与えた監督、コーチとかは?

オズワルド:一番には Parreiraでしょうね。70年のワールドカップでは彼から多くのことを学びました。その後もたくさんの監督、コーチから影響を受けましたがあえて名前を上げることは控えます。

ジーコサイト:
鹿島というチームの力を客観的にどう評価しますか?

オズワルド:かなり良いチームであることは確実ですね。最初まだお互いに手探りだった時期は結構大変でしたがなんとか乗り切れました。彼等はとても集中力があり指示を端的に理解し実行してくれます。今の地位にいられるのもその賜物ですよ。

ジーコサイト:最後に何かメッセージはありますか?

オズワルド:今回ジーコのサイトのインタビュー依頼を受けた時は本当に光栄に思いました。何故かと言うと昔から私はジーコの大ファンでよくマラカナンに応援に行ったものです。まさに天才でしたからね。パス、フリーキック、ドリブル等どれをとってもとてつもない高い技術と輝きがありました。そんな彼も今や監督です。心から成功を祈っています。因みに鹿島でのチャンスを与えてくれたのも彼です。本当に感謝しています。皆さんこれからもよろしく。

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