ケルロン事件
[2007.10.03]
先週、マスコミに最も取り上げられ、紛れも無くサッカーファンにも注目を浴びた事件は、クルゼイロEC(ミナス・ジェライス州)の若きケルロン選手が仕掛けた「drible da foca(アザラシのドリブル=ヘディング・ドリブル)」だと言えるでしょう。クルゼイロEC対アトレチコ・ミネイロのクラッシコを観る機会があり、更にケルロン選手は既に知っていたのですが、そのドリブルを仕掛けられたディフェンダーを庇護すべく、彼に対立する反応に感嘆しました。そして、この件を今週のコネクション・ヨーロッパのテーマに選んだのです。
仮にマネー・ガリンシャ選手がかのドリブルを仕掛ける度に連続して蹴りの標的にされていたら、一体サッカーは如何なっていたかを想像するのです。又は、トリッキーなプレー、ヒールでの技、オーバーヘッドキックなどが非礼だと注視されたとしたらです。さすれば、サッカー競技自体が実際に今日とは大きく異なっていたことでしょう。正直に言うならば、「果たしてサッカーは存在していたでしょうか?」と、自問するのです。
私は如何なるドリブルにも好意的であり、それ故にサッカーの華麗さは正にそこにあり、その行為が創造力を表現することで、サポーターが常時スタジアムへと足を運ぶ主たる理由でもあるのです。そして、私自身がサポーターとしては、特にジョルダン選手を想起するのですが、当時フラメンゴのディフェンダーを務めていた彼はガリンシャ選手に対して蹴りなど入れませんでした。マネー・ガリンシャ選手ガが左右に揺さぶる瞬間、彼はボールを奪うタイミングを見計らい、仮に成功すれば、フラメンゴのサポーターはまるでゴールでも奪ったかのように盛り上がったのです。
ケルロン選手は、ハイボールへの対応に慣れていない相手ディフェンダーに大きな困難を招きながら、ヘディング・ドリブルを敵に対する危険な武器として、常にゴールを目指して突進します。そして、この類のプレーは非難を浴びてはならず、むしろ奨励されるべきなのです。
私自身は、敵はPK又はペナルティエリア付近でファールを犯す可能性があり、チームのフォワード勢に危険ゾーンでこのドリブルと云う手段を常に使用するように指示しております。フリーキックが得意なコエーリョ選手本人も、自分が得点機会を得るべく有利なプレーをしてくれるチームメイトが欲しくないなど有り得ないはずです。
私が現役時代には、フリーキックのスペシャリストだったこともあり、敵は多々ファールを犯すことを懸念していたので、常にエリア内またはその付近での手段としてドリブルを駆使していました。バスケットでのダンクショット、テニスやビーチバレーでの不意を着くレシーブや、バレーボールでのブロック無しの強烈なスパイクなど、他のスポーツを例に挙げても、個人または団体のタレントを際立たせる特別なる瞬間なのです。従って才能の抑制、又は罰することは何ら意味を成しません。
仮に敵が意思的に臨みチームのベストを試みるのであれば、如何なる選手も屈辱的に感じてはいけないのです。但し、相手を苛立たせる、単なる満足感の為に婉曲な行為を行う人物には私は正に反対なのです。敵に対する尊重心は、負かす為に正当なる全ての手段を正確に使用することだと思います。それが適切だと言えます。
現代のディフェンダーは、相手の頭上にボールが届かないようにフェアープレーに則りながらも、ショルダーチャージでハイボールを奪い取る方策を見出さなければいけません。でも、乱暴な手段に訴える行為は決してあってはいけないのです!
そして、その瞬間監督には、テクニックを常に最優先した闘いで、試合を単なる接触プレーと蹴り合いの場と化さないように、サッカーを保護するミッションがあります。ケルロン選手は新たなるオプションを発見した訳であり、我々はこの様なシチュエーションを創造する選手達に「ヴィーヴァ(万歳)」と称えるべきでしょう!
それでは皆さん、また来週お会いしましょう!
ウン・グランデ・アブラーソ


