鹿島の象徴、本田泰人選手の引退
[2007.08.19]
7月29日(日)に、日本サッカー界は、その歴史に於いて最も1チームに同化した選手の一人でもある、本田泰人選手の38歳での現役引退を見守った。彼は、中盤の選手として活躍しながら、14年間鹿島アントラーズのみに在籍して、貢献し続けたのである。
ジーコが日本に降り立った当時、本田選手は僅かに22歳の若々しい青年だった。そして、彼らは共に翌年、鹿島アントラーズ史上初のタイトルを制したのだ。それ以降、多くの制覇と友情を深めたのである。今回、時代を築いた数多くの仲間達がカシマスタジアムに集い、優勝を果たした鹿島アントラーズ1993を編成して、当時最大のライバルだったヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)との対戦が行われたのだ。スコアは、ジョルジーニョ、真中、オゥンゴール、そして勇姿を観に駆け付けてくれた約2万人のファンに歓喜を与えるべく後半35分に本田選手自身も得点を決めて、4-2で鹿島アントラーズが勝利を収めた。
但し、鹿島アントラーズの背番号10は今回使用されなかった。フェネルバフチェでの仕事の都合上、ジーコは記念すべき試合には出席できなかったのである。
「自らその場に出席できなかったことを大変残念に感じています。でも、私とエドゥーはメッセージを収録して、その映像がスタジアムで公開されました。良きパートナーのみではなく、日本に於いて大の友人と化した” Hondinha(本田)”と共に、今回その場にいることが出来たら何よりでした。ピッチ内外に於いて模範的なプロフェッショナルであり、常に魅惑的な人物の彼が、日本に於いて万人に尊敬される存在は決して偶然ではありません。重要な足跡は、彼が選手としての全キャリアを鹿島アントラーズに捧げたことであり、更にその象徴を強めるのです。」と、ジーコは語った。
ジーコ不在の中、ジョルジーニョ、カルロス・アルベルト・サントス及びアルシンドがアントラーズのブラジル勢を代表して出場した。
「これからの人生計画での多大なる成功を祈っており、彼はそれに値する人物です。ここに公なる私からの友情の表明を記します。心からお疲れ様、本田!」と、ジーコは電話にて本サイトへコメントした。
サイトスタッフも、北九州出身で1969年06月25日生まれの日本人であり、日本サッカー界屈指の美しい歴史を築いた、本田泰人の幸運を祈る。