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ジーコと日本、絆新たに

[2007.08.20]

日伯友好カップの開幕が近づくと共に、数多くのガリンニョ(ジーコ)と日出(ひいずる)国に纏わるストーリーが想い出されます。結局のところ、現在はフェネルバフチェの指揮を執ってはいるものの、日本との関係は10年以上に亘り続いたのです。継続した? 否、この相愛は、ジーコが日伯友好カップで行われる国際交流に対する支援を通じて、生き続けていることを明らかにします。勿論、ジーコが抱く個人的な鹿島への愛情以外になのです。でも、他にも幾つかの実例が存在します。

ジーコは10年以上、選手又は指導者の立場として鹿島アントラーズに関係してきました。最近、彼はフェネルバフチェでの仕事上の都合で出席できずも、現役を退いて引退試合を行った鹿島の象徴でもある本田選手からユニフォームを受け取ったのです。長らくぶりに彼は、写真の通り、特別なる鹿島アントラーズのユニフォームを纏いました。

更に、アントゥネス兄弟(ジーコ&エドゥー)によってフェイジョアーダ(ブラジル料理)を知った鹿島に関してですが、今月の11日に、U-12のチームが全国大会決勝戦でヴェルディーに敗れて準優勝に輝いたニュースが届きました。ジーコサイトを日本で手伝ってくれ、ジーコの友人でもあり、ジュニアチームを統括している高島雄大が、敢えてe-mailに写真も添えて、今大会での好結果を報告してくれました。

「あなたの教えを常時テクニカルスタッフに伝えるようにして、常にジーコスピリットを持つことが出来た。」と、高島は語った。

そして、最近イスタンブールへ訪れてジーコを訪問したのは、同じく日本に於いても勝者としての比較的に最近のガリンニョを想起する、平田氏(3枚目の写真)です。日本代表の指揮を執った2002~2006年の期間、彼は日本サッカー協会のジェネラルセクレタリーを務めました。

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「全ての努力及び献身がこの様な形で報われることを大変嬉しく思う。大の友人を数多く作り、至福の時を過ごせたことを、想起するのは常に良いものだ。私が頻繁に口にすることだが、正にこれが最大のトロフィーであり、我々が人生で手に出来る最高の報いなのだと明確にしておくことが重要だ。」とジーコはまとめた。

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