バックナンバー

2007年06月28日(木)

[2007.06.30]

ハ~イ。私のオフも終わりに近づいており、今回はこちらリオ・デ・ジャネイロでのここ2週間の写真を紹介するよ。1枚目は私の取材にジーコ・サッカーセンターを訪れたインターネットテレビWTNのスタッフの連中だ。Carla Madeiraとスタッフの皆さんアリガトウ、そして写真もね! イベント「Palavra de Craque」にCaju、Junior、Raul、Cláudio Adãoと共に参加したよ。その模様をPaula Kossatzカメラマンが写真を2枚提供してくれた。1枚目は私がCajuとJuniorに対して話しかけているシーンだ。そして次は、我々全員がRaulの話を楽しんでいる光景。   ジーコ・サッカーセンターに、熱心なブロガーでもあるAndréaの訪問を受けた。彼女は仲間がトルコで撮った写真を手土産に持って来てくれたよ。Andréa、温かい心遣いを何時もアリガトウ!  熱心なブロガーと言えば、Moraesが企画したブログ・キャラバンの日に写した下記の写真をFábio Justinoが送ってくれたよ。ゴキゲンヨウ、Fabio。 そして最後に、皆さんの助っ人が必要なチャレンジだ。サイトスタッフが下記の写真を受けて、私にクイズを出して来た。この覆面サポーターはいったい誰だ?唯一のヒントは、良く知られた人物だと言う事だけらしい。この「なぞなぞ」を解くために皆さんの力をヨロシクね… それでは皆さん、また後程!……

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コッパ・アメリカ開幕

[2007.06.29]

今週コッパ・アメリカが開幕しました。私の意見では、アメリカ大陸の王者を決定して、W杯プレ大会でもあるコンフェデレーションズ・カップへの出場権を与えるコッパ・アメリカは、本来であればもっと大きな評価を得るべきだと思います。正に今週のヨーロッパ・コネクションはこのコッパ・アメリカがテーマです。   私がみる限り、全出場国が、怪我をしている選手達を除いては、最強メンバーを編成して臨んで来ます。但し、ブラジルのみが残念ながら主力選手数人を欠いて挑むのです。私自身は全員が参加すべきだとは思いますが、この件に関しては以前にも発言しており、今回の、カカーとロナウジーニョ・ガウーショのケースに関しては、調整するにあたりCBF組織の管理とコミュニケーションが欠如していたことを主張します。 我々の国が重要な選手を欠いて実際には戦力的に減退したチームで参戦する傍ら、アルゼンチンは最強チームを追及しただけではなく、リベルタドーレス杯の決戦などで披露したように試合の流れを変えられる傑出した選手であるリケルメを復帰させて、更には豊富な経験の持ち主のベロン選手も代表へ返り咲いたのです。アルゼンチンは長らくタイトルから遠ざかっており、コッパ・アメリカでの無杯期間にピリオドを打ちたいのです。 ブラジルは、行く手に最も困難だと私がみなす2カ国が待ち受けており、グループリーグでは注意を倍増させる必要があります。1カ国目はいきなり初戦で当たるメキシコであり、最近の戦績では大変てこずらされています。そして、もう1カ国は、私の意見ではアメリカ大陸に於いて実力上昇中のエクアドルなのです。4か国中3カ国が突破できるとは言えども、ドゥンガ監督は注意しなければいけません。そして、同グループのあと1チームはチリ代表です。 仮にドゥンガ監督が重要な選手達に期待をするチャンスを失った反面、若手の選手達にとっては代表で定着して新たな活動の場を見出す絶好のチャンスだと思います。更に可能性として、オリンピック出場を逃して非難を浴びたチームのメンバーが、その後欧州へと散らばり、勝者となった彼達がアマレリーニャ(ブラジル代表)でその実力を実証できる場でもあるのです。 私、そして我々の義務は応援なのです。ドゥンガ監督が選手としてプレーした期間を考慮すれば、彼ほど代表を知り尽くした人物は極稀です。更には、ピッチ内では巨匠としてその名を刻んだ、偉大なるプロフェッショナルでもある、ジョルジーニョが隣にいるのです。新たなトロフィーをブラジルへ持ち帰ることが出来るように、彼ら2人及びグループ全員に対して幸運を祈っております。 それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ! また来週お会いしましょう! ……

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ジーコの挑戦―ブラジル代表ワールドカップ激闘の記録

[2007.06.28]

ルイスアントニオ高崎(著),  藤原 清美 (翻訳) エキスプレス 1,470 円 1998年8月31日発行≫購入はこちらから1998年ワールドカップフランス大会本大会のブラジル代表をテクニカルコーデイネーターに就任したジーコ中心に密着取材したもの。前作のジーコの準備は本大会でフランスに入る直前までのもので、このジーコの挑戦はフランスに入ってから決勝戦を戦い終えるまでについて触れられている。フランス入りした後のロマーリオの負傷リタイア、ドウンガとベベットの試合中の喧嘩、決勝直前にロナウドが倒れた事態など、ブラジル代表に降りかかった様々な出来事が記されている。また初出場した日本代表からカズが代表から直前に外された事への違和感を覚えたことについても触れられている。目次序章 28時間のドラマ第1章 フランス上陸、最後の準備第2章 ワールドカップ、ついに開幕第3章 予選リーグ突破第4章 ジーコが語る、日本代表の戦い第5章 決勝トーナメント突入第6章 激闘!準決勝オランダ戦第7章 決勝!フランス戦……

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2007年6月19日(火)

[2007.06.26]

ハ~イ。ある匿名の人が、トロフィーのクイズで何か操作があったのではと主張してきた。下記が私だということを明らかにする実際の写真だけど、このような話は悲しく感じます。こちらのサイトは、常に民主的なオープンスペースであり、このようなことは二度と起こらないように願っているよ。 続いて、祝勝会の写真を数枚。一枚目はスタジアムでトロフィーを受け取る瞬間。 テクニカルスタッフ全員集合。後列左端から、Irfhan、Moracy、EduとEurico。前列中央が私、右側がゴールキーパーコーチのMurat、そして左側がエドゥーのアシスタントを務めるOnderだ。 そしてホットなショットを紹介。芸能人代表のロシア遠征に帯同するCleomir Tavaresカメラマンが撮った写真だ。次男ブルーノと共に約20分間プレーをすることが出来、更にはマラカナン・スタジアム創設57年のバースディーケーキのカットセレモニーにも参加出来たよ。 最後に、懐かしのショットを一枚…ウディネーゼ時代のプレーシーン。 それでは、また後程!……

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代償は選手が支払う

[2007.06.25]

代表招集への免除依頼、欧州のクラブへ対してのCBF(ブラジルサッカー連盟)の権威失墜や、これら全てに関する展開が含まれるエピソードを、私は見守っております。私は、過去には日本で、そして現在はトルコで、代表及びクラブの監督として両側での経験を積んでおり、この件に関しては今日では平静な気持ちで語ることが出来るのです。そして、今週のヨーロッパ・コネクションはこのテーマをとりあげたいと思います。 まず明確にしておかなければならないのは、CBF(ブラジルサッカー連盟)の立場は正に好都合だということです。FIFA(国際サッカー連盟)の支持の下で、予定された日程に対してCBF(ブラジルサッカー連盟)は単純に選手達の招集依頼を行い、最終的にもたらす結果の心配はしていないのです。仮にCBF(ブラジルサッカー連盟)が欧州で活動する選手達の給料を支払わなければいけないのであれば、異なる振る舞いをするかもしれませんが、そのケースには当てはまりません。CBF(ブラジルサッカー連盟)は選手達を紛争に巻き込んで、代表招集を「実際に彼はお国のために闘いたいのか否か?」というジレンマに陥れてしまうのです。 クラブ勢は、選手達を有するために莫大な給料を支払い、保険を掛け、更にはマーケティングに投資し、決定的な試合で選手達を必要とするのです。その反面、代表も重要な大会ではベストメンバーを編成する必要があります。私が日本代表の指揮を執っていた際にもこの問題は浮き彫りになっており、解決策は「対話」以外に存在しないことを理解したのです。 クラブと対立することで、サッカー隠語で「他へ責任転嫁」とも言われる、クラブが代表招集及び練習に弊害をもたらしたとして、最終的に結果が芳しくない場合には責任逃れを行うのです。正に心地好い立場をCBF(ブラジルサッカー連盟)は選択したと言えるでしょう。 日本代表の監督としては、我々の「海外組」は8~9人に至り、私の問題は勿論多少異なっていました。この状況にも関わらず、所属クラブとの対話に努めるという発想は如何なる国にも当てはまるのです。私は監督勢と話しをして、日本サッカー協会の担当者が直接欧州のクラブを訪問し、私自身も可能な時には同様に出向きました。我々は日本代表のスケジュールを伝えて、選手達を解放してくれることが重要であるかの説得を試みたのです。そして、私は何よりも優先して、代表への参加を望んでおり、心身ともに安心してプレーできるかを、選手達に聞きました。これはファンダメンタルな部分です。 そして今日、フェネルバフチェの監督として私は逆の立場を生きております。トルコ代表には、普遍的に4~5人、シーズン中は最多で7選手招集されました。どうしたら良いのでしょうか?結局何も出来ません。我々は、重要な時期に選手を招集されるのであれば、協会と対話を持ちながら、可能な限り選手達を保持出来るように日程交渉を行い、調整を図るしかありません。話し合い以外に打つ手はないのです。 現時点でブラジルの焦点がずれていることを残念に感じます。私自身、現役時代にはかつて代表への免除を依頼したことなどはないとは言いましたが、時代が違うことも理解できます。但し、彼ら選手達がメディアに発言することではありません。結局のところ、コミュニケーションと調整が欠如し、国のサッカー界を陣取る組織の虚栄心が多少ながら過剰ではないかと思います。責任逃れを装い、クラブとの紛争を引き起こして、最終的にその代償を支払うのは必ず選手なのです…。 それでは、皆さん、また来週お会いしましょう! ウン・グランデ・アブラーソ! ……

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ジーコ、TVバンデイランチの人気番組“ポル・デントロ・ダ・ボーラ”に出演

[2007.06.23]

ジーコは先週TVバンデイランチの人気番組“ポル・デントロ・ダ・ボーラに生出演した。 キャスターのジョゼ・ダテナ、サンパウロ市からはネット、マウロ・ベティング、ポルトアレグレ市からパウロ・セーザル・カルペジアニ等と共に持論を繰り広げた。 特にブラジル・サッカー界の大きな問題点として監督とそれぞれの所属クラブの関係を上げ 「トルコでも頻繁的に監督の更迭は行われている。 しかしながらヨーロッパでは最近監督の長期政権がよく見受けられる。私はこの傾向は非常に良い事であると思う。実例として我が国でもここ数年長期政権を監督にたくしたクラブの優勝確率が高いという事実がある」 と指摘した。 また、先日ボタフォゴ×ナウチコ戦で行ったキーパーのミス(味方ディフェンダーのキーパーへのバックパス)からの失点に話題が及ぶと 「この件に関しては持論として常日頃から選手に伝達している。出来る限りキーパーへのバックパスは行わない事。 多少冗談気味に極端な例をあげ、その瞬間キーパーが心臓発作でも起こした場合そのまま失点につながる事だってありうる。  又、もし他にオプションがない場合は必ずゴール・マウスを外したコースを選択する事。  この原則を選手に浸透させる事でこの種のアクシデントを大方回避することが出来る」  と述べた。 ……

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ジーコ、マラカナン・スタジアム創設57年記念式典に参加

[2007.06.22]

マラカナン・スタジアムは今年創設57年を迎え記念式典を行っているが、ジーコも先週末に同スタヂアムを訪れた。この日式典の一環として、ブラジル選手権のフラメンゴ×インテルの前座試合でアーティスト代表対スデルジ選抜の試合が行われ2対2で引き分け式典を盛り上げた。多忙を極めるジーコは後半に間に合うのがやっと。ジーコの同スタヂアムに対する思い入れは深い。「マラカナンの存在意義はブラジルのみならず世界的にも大きい。私個人にとっても非常に重要な位置をしめる。多くの人々に祝ってもらいたい」因みに同スタヂアムでの歴代最多得点者(333ゴール)のタイトルも勿論ジーコ本人の宝である。 ……

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アルジャジーラTVがジーコセンターに取材に訪れる

[2007.06.21]

アラブ諸国の主要TV局の“アルジャジーラ”が先週CFZにてジーコに単独インタビューを行った。 その際アブドラ・インタビューは同局が1996年にカタールで設立され現在4つのチャンネル(内、2つが地上波、2つが有料、サテライトにより全世界的に放送が可能になった事)等詳細を説明した。約40分の収録は和やかな雰囲気の内に終了した。この模様は現地、地上波の“VIP”という世界の著名スポーツ関係者のコメントを伝える番組で放送される。印象的だったのは、“TVアルジャジーラ”といえば一般的にビン・ラディンのTV局という先入観を持たれている事にふれた際、彼等が「確かにここ数年彼を取り上げる事が多かった為にその様な印象を持たれていますがご心配なく。我々は何も爆破しませんから!」とユーモアたっぶりに応えていた場面だった。 ……

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ジーコ、芸能人ブラジル代表を迎えてジーコ・サッカーセンターで激励会を開催

[2007.06.20]

先週月曜日のこと、ロシアのSocchiで今月24日から7月4日にかけて開催される第1回アーティストW杯に向け、ジーコ・サッカーセンターでは準備を行っていた芸能人ブラジル代表を迎えた。ガリンニョ(ジーコ)はマスターズ連合チームを編成して壮行試合を行い2-2で引分け、その後芸能人代表チームはあと1試合をこなして6月21日にロシアへと出発する。 芸能人代表チームは、10年以上も前からサッカーフリークの芸能人達を会して慈善及び親善試合を開催している、Planet Globeにオーガナイズされている。そして今回、このチームは皆さんにお馴染みの有名人、Du Moscovis、Marcos Palmeira、Marcelo Kieling、Carlos Bonowと、試合では無得点に終わった補強選手として召集されたBruno Coimbraの加入で最終メンバーが決定した。この試合では「Zezé Di CamargoとLuciano」の映画主人公として知られるKielingが2得点をマークした。 「我々は、芸能人代表が恥ずかしい結果を残して本大会前にモラルを失わないように、多少手加減してあげたのさ。だからこそ、引き分けで終わったんだ。」と、名を明かすのを避けたマスターズチームのメンバーは語った。 良き主催者として、ジーコは試合に出場して、終了後にはフェネルバフチェ優勝への祝杯の意味も込めて、芸能人及びスペシャルゲスト陣を「シュラスコ」でもてなした。 「残念ながらトルコでの制覇時を共に分かち合えなかったが、自分を支えてくれた友人達に感謝の気持ちを表したかったし、アーティストW杯に出場する選手に我々の多少ながらの協力が出来た。彼らのロシアでの幸運を祈る。」と、ジーコは話した。 芸能人代表チームがロシアへ向けての最終試合はマラカナンスタジアムでの前座試合だ。 ……

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2007年6月14日(木)

[2007.06.19]

やぁ~。早速クイズの正解だ。フェネルのクラブのショップに出向いたら、優勝カップが届いた直後だった。勿論、記念ショットを撮ったのさ。 また、Moraesがアポイントをとって仲間と一緒にフラッグとユニフォームシャツを持ってジーコ・サッカーセンターを訪れた。皆さん、ナイスだね。心温まる行為を本当にアリガトウ。 それでは、また後程!……

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ジーコの準備―ブラジル代表ワールドカップへの90日

[2007.06.17]

ジーコの準備―ブラジル代表ワールドカップへの90日 ルイスアントニオ高崎(著),  藤原 清美 (翻訳) ¥ 1,470 エキスプレス  1998年7月17日発行 ≫購入はこちらから 1998年3月、その年の6月にフランスで行われたワールドカップに出場するブラジル代表のテクニカルコーデイネーターにジーコが就任した。その時のからワールドカップが始まるまでの間を密着し、親善試合やキャンプ地視察、代表選手発表、国内合宿などの様子を伝えた一冊。ジーコだけでなくブラジル代表の様子、ドゥンガ、レオナルド、ロマーリオ、ロナウド、ベベット、エジムンドなどの選手、ザガロ監督を始めとするテクニカルスタッフや裏方のスタッフについても書かれた本。また巻末にジーコが人生の中で常に心に刻み実行してきたことでもある、日本へのメッセージが記されている。序章 聖地マラカナンにアルゼンチンコールが響きわたった夜目次 第1章 ジーコ、ブラジル代表テクニカルコーディネーターに就任第2章 大改革!ジーコ初めての合宿第3章 史上最強のセレソン・ブラジレイラ第4章 ブラジル代表組織の全貌第5章 本番前の山場、アルゼンチン戦に挑む第6章 優勝しか許されないブラジル第7章 勝つために!最後の準備第8章 愛すべき日本へジーコからの提言……

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シーソーゲーム2007

[2007.06.16]

私は先週末に休暇の為にブラジルへ帰国し、その直後にブラジル全国選手権大会数試合を観戦する機会がありました。この大会が総勝点による1リーグ制方式で開催されるようになってからは、常に展望を予測すべきコメントを述べるスペースを本コラムで確保して来ました。そして、これが今週のヨーロッパ・コネクションのテーマでもあります。 今回が初めてチャンピオンが大会終盤で決定するのではないかと言うことができるのではないでしょうか。常に私はこの様な大会では、しっかりとした計画と組織化及び選手層の厚さが必要だと強調してきました。そして、近年ではこの争奪戦は普遍的に最大4或いは5チームに制限されていたのです。その他のチームをある程度突き放しながら、最終的には絶対的な強さを誇ってチャンピオンの座についたチームも存在します。 私は水晶の玉は有していないのですが、今年のブラジル全国選手権大会の相違点を的確に要約するコメントを耳にしました。誰が発言したのかは記憶にはありませんが、勢力均衡が激しくて浮き沈みが頻繁なことから「Gangorrão(シーソーゲーム)」と呼んだのです。大変興味深い意見と言うだけではなく、数多くのチームが首位グループに名を連ねることが出来ているかを指しているのです。私は予測を臆せずに、10から15チームがタイトル奪取の可能性を秘めており、更には降格争い自体がタイトル争いに筆頭する拮抗した展開となるのではないかと思います。 近年のブラジル全国選手権大会では、他を突き放しての首位チームの独走状態が、結局のところ降格争いを繰り広げるチームへと注目を引く羽目になってしまいました。この「Gangorrão(シーソーゲーム)」現象による傾向として、中間順位を占めるグループにとってのリスクも増加します。総勝ち点による1リーグ性方式で行われる大会での必要条件に対する教訓を得たチームが多くなった今こそ、欧州マーケットへの移籍が活性化する時期に如何に選手の流出を防ぐかが重要だと言えるでしょう。即ち、1チームの編成のみではなく、選手層を厚くすることでアドバンテージを有するのです。 興味深い詳細は、ブラジル全国選手権大会とリベルタドーレス杯又はコッパ・ド・ブラジルに参戦するためにチームの分割を余儀なくされた、サントス、フルミネンセ、フィゲイレンセとグレミオのケースで、彼らは途中で勝ち点を落とすべくリスクを負ったのです。今後は、ブラジル全国選手権大会の優勝候補リストに名を連ねる彼らがどのように立ち振る舞うのかが問題でもあります。 タイトルへの争奪戦は依然として拮抗しており、最後まで競り合いは継続することだと言えます。正に疑いの余地はありません。でも、闘いはあくまでも序盤戦であり、今後も数多くのチームが、この「Gangorrão(シーソーゲーム)」で順位の上げ下げを繰り返すことでしょう…。 それでは、ウン・グランデ・アブラーソ! 皆さん、また来週お会いしましょう! ……

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タイム・スリップ

[2007.06.14]

我々は数多くの挑戦を試みて、幾つかの制覇を味わい、人生は正しくサイクルと繰り返される驚きから成り立つことを体感しながら、過去に生きたシチュエーションを想起させられる新たなる経験に直面します。今回は、既に多くの皆さんにはお馴染みのストーリーでもある、私の来日と日本サッカーでの軌跡のコラムとします。今週のヨーロッパ・コネクションはヨーロッパでは無く、UAE(アラブ首長連邦)からお送りします。そして、過去を述べるのは偶然の賜物では無く、講演を行うべくこちらの地に降り立った時点で私はタイム・スリップをしたのです。 それでは説明をしましょう。現在私は、特にサッカーを主としたスポーツ全般に関わるプロフェッショナル達を会しての、第2回スポーツ国際カンファレンスに出席するためにドバイに来ています。カンファレンスの趣旨は極めて単純なのです。UAE(アラブ首長連邦)は本格的にサッカーのプロ化を図る意向を持っており、それを可能とするために我々の経験に託したいのです。実際に私が日本へと渡った1990年初頭に提案されたことであり、私にとっては大変身近な動機でもあります。 私の講演は、内容的にはディスカッションとなったのですが、1991年に私が日本で直面した状況を紹介するものでした。当時、殆どのクラブは基本的には実業団チームであり、選手達は日々の仕事とサッカーの実践を両立させていました。後に鹿島アントラーズFCとなった住友金属蹴球団では、私のチームメイトとしてプレーをした選手の数人がその後もサッカーの道へと進み、他は継続して工場に残ったのです。これが、セミプロ・サッカーの現実でもあるのです。 こちらUAE(アラブ首長連邦)では、クラブ組織が事実上は存在することで、実際にプロ化への一歩は既に踏み出されており、更には日本同様にスポーツのプロ化に必要とされる資力には事足りません。でも、私が鹿島で直面した幾つかの欠乏部分を思い起こさせる側面が依然としてあります。当時は多くのグランドが芝すら張られておらず、更にはスタジアムもなく、サポーターも編成する必要がありました。勿論、マーケティング面でのヴィジョンや生まれつつあるサポーター団と選手達の関係確立もそうでした。当時のシチュエーションに於いて私は、ブラジルでのサッカー人生とその後のイタリアでの経験が間接的にJリーグの生い立ちとプロ化に貢献できたのです。 私は依然としてとしてこちらのサッカーに対する必然性に適合中でありながらも、事実は地域でのサッカーの発展のみではなく、彼らはワールドカップへの出場権の争奪戦に加われる強い代表チームの構築を望んでいるのです。今後、オーストラリアの参戦によって、アジア大陸に於いての闘いは更に厳しくなりました。この様な側面から言うと、私が来日した際に日本が目指していた状況と似通っているのです。そして、JFA(日本サッカー協会)は正しい道を歩み、著しく進化を遂げたと言えるでしょう。 鹿島の地に降り立った当初、主に取り組む必要があった基本的な点は食事面だったことを想起します。一般人には大変健康的な食事ではあるのですが、アスリートには物足りなくて、実際に私が日本代表で観察できた数多くの怪我の原因でもあることが今日でも見受けられます。その怪我故に選手のフィジカル面が衰えることで、回復期間に影響を与えるのです。一見些細なアイテムに思えますが大きな差が生じます。そして、この点がUAE(アラブ首長連邦)にとっても重要な教訓となります。組織すること、プランニング、そしてピッチ内外を含む全般的な注意が重要なのです。 私の今回のドバイ滞在は大変興味深いものとなっております。壮大な建造物かつ楽園的なビジュアルを醸し出すこの地域は、素晴らしい街並みであり、その現代的な風景に魅了されるも、「日いずる国(日本)」が抱いた意欲と熱望の過去を回想させられるのです。 それでは皆さん、また来週お会いしましょう! ウン・グランデ・アブラーソ! ……

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いったいどうした、アダォン?

[2007.06.12]

ここ数週間、ブラジルでベテラン選手が出場しての、ショーボールで知られるインドア・サッカーの大会が開催されていることを私はテレビを通じて観ています。当たり前ながら、現在の多くのベテランは私の現役時代には彼らも若かったのです。でも、経験豊富な奴らがこのクラブ対抗戦に参戦している姿を見ることは、90年代のマスターズブラジル代表で起こった陽気な出来事を想起させてくれます。そして、そのエピソードを今回の「ジーコの部屋」で紹介します。 素晴らしい仲間が一同に会してのチャレンジは、試合会場となったジャマイカでした。我々の監督は、愉快なキャラクターの持ち主で、選手及び監督としてのあらゆる特性以外に、彼は常に滑稽な人物としての第一人者でもある、偉大なエヴァリスト・デ・マセードだったのです。彼にとって、一杯食わせるためには適当な餌食が必要だったのです。そして、正にそこにクラウジオ・アダォンが姿を現した瞬間の出来事でした・・・。  若い世代の皆さんはきっと彼のプレーは見ていないとは思いますが、私と同時代のアダォンはブラジルが誇る偉大なるセンターフォワードの一人であり、今日に至りフィジカル・コンディションを怠りません。2007年で52歳の彼が体調万全だとすれば、約10年前を想像して見てください。でも、ここで詳述すべきは、かの瞬間は我々全員が元選手で、リズムも違っていたことです。従って、クラウジオ・アダォンはエヴァリストの最適な餌食としてそこにいたのです。 我々は試合の前日練習で恒例のツータッチトレーニングを行い、終了時にエヴァリストはゴールキーパー勢の練習に交わりに行ったのですが、我々は全員ロッカールームへと向かいました。でも、アダォンは監督のところへ歩み寄ったのです。 「アダォン、来てくれて良かった。芝も青々として、とても気持ちが良いので、君が試合でばりばりの状態で臨めるようにシュート練習でもやろうではないか。」と、エヴァリストが挑発したのです。 勿論、私やカレッカ、ホベルト・ヂナミッテも含む我々は互いに眼を合わせながら、エヴァリストが真剣に言っていないことを感じました。我々仲間は、体調は万全でしたが、身体が反応してくれないので既にそのような練習は無理だと解っていたのです。我々は遠くから観戦するために各自足音を忍ばせながら退散したのですが、アダォンはエヴァリストの挑発に乗ってしまったのです。 -レッツゴー、プロフェッサー。いざ、スタートだ。 エヴァリストがパス出しをしながら、彼がシュートを1本、2本…、10本と続けたのです。しかも、「ボールを受けたら、透かさずシュートだ、アダォン。」と発破をかけながら、シュート練習のテンポを上げていったのです。最終的に、アダォンは、フリーキックやトップスピードから、更にはハイボールやヘディングなどのあらゆるシュート練習をこなしました。そして、negão(ニグロの意で愛称として使われる)は飛ぶ鳥を落とす勢いで臨み・・・、エヴァリストの意向はアダォンがギブアップするのを待つことだったので、依然として楽しんでいました。でも、アダォンは強情な人物でもあり、なかなか降参しなかったのですが、ついに、「ストップ、プロフェッサー。このままでは死んじまうよ。」と、声を張り上げたのです。そこで、エヴァリストは更にからかったのですが、最後に、「これだけシュート練習をしたからには、試合で得点を量産しなければね。」と発して終了したのです。 翌日、ジャマイカ戦中にピッチ上で我々は、ベンチでアダォンがやる気満々で待機している姿を感じ取ることができたのです。彼はジャマイカのネットを揺らすべく、出場機会を貪欲に待っていたのです。意気込みは有り余るほどでしたが、何かが不足していた…。 ようやくエヴァリストは我らがフォワードを後半に投入したのです。そして、アダォンは、彼への1本目のセンタリングに対して電電光石火の如くダッシュをしたのですが、その直後に立ち止まってしまったのです。「いったいどうしたんだ?」と、我々は全員が口を合わせたかのように聞きました。すると、「肉離れだ。」と、咄嗟に返事が返ってきたのです。結局、アダォンは一度たりともボールに触れることなくピッチを後にしました。前日のシュート練習は正に気違い沙汰であり、その後、我々は彼をからかいの対象にせざるを得なかったのです。 「いやぁ~、調子に乗りすぎて筋肉を断裂してしまったようだ。」と、アダォンはまとめました。そして、今日に至り我々がサッカーをするために集まった際には、彼にしっかりとシュート練習を前日して来たかどうかを聞くのが恒例のジョークとなっているのです。正に笑い話と化しました。でも、今となっては彼も思い知ったことでしょう…。正に偉大なるクラウジオ・アダォンだ! ……

in [ジーコの部屋]

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2007年06月07日(木)

[2007.06.10]

ハ~イ。既にリオ・デ・ジャネイロに到着済みだ。今回は、ドバイでのシーン及びイスタンブールの街路での祝勝の紹介です。 第2回スポーツカンファレンスでの講演シーン。 カンファレンスの司会を務めた、スペイン語が流暢なブレザーを羽織っているNicolasは、アルゼンチン人であり、現在はこちらドバイで現地記者としてスポーツに携わっており、彼が私を招待してくれた。 Luciano do Valleマスターズ代表チームのチームドクターを務めたサンパウロFCのMarco Aurelio Cunha役員だ。彼も、サンパウロFCに関しての講演を行った。そして、Nicolasと、LuganoやKaka選手達を抱えるマーケティング及び肖像権管理会社のオーナーであるEduardo、更には私の友人で、CFZで一緒に仕事に関係したNIKEの元職員Fernando Nederだ。 私、ベベットと主催者の皆さん。 私の右側にいる長身の色黒でとても好感的な彼は1998年にブラジル対オランダ戦と2002年のフランス対セネガル戦の主審を務めたレフェリーだよ。隣の人物は今回の組織委員会の担当者、そして他のメンバー。 そして下記は、イスタンブールの街でタイトル制覇後数日間に亘り目にした光景だ。住宅にはフラッグが掲げられ、町中で誇らしげにサポーターが祝うシーン。1枚目は、トルコでは祝祭日に国旗を掲げる習慣と同様の行い。 そして、スタジアム…。 私の住んでいるイスタンブールのコンドミニアム…。 そして最後にクイズだ。トロフィーを手にしているのはいったい誰かな?私、モラシー・サンターナ、Samet通訳、エウリコ・カンポス、エドゥーの何れかだよ。  それでは皆さん、また後程! ……

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ジーコがUAE(アラブ首長連邦)でのカンファレンスで講演

[2007.06.07]

ジーコも含め、サッカー界の最強軍団がUAE(アラブ首長連邦)に招集されたのだが、決して誰一人ピッチでプレーをする訳ではない。22カ国のプロフェッショナル約64名が、今週の火曜日と水曜日に開催される、第2回ドバイスポーツ国際カンファレンスで講演を行うのだ。このカンファレンスの目的は、UAE(アラブ首長連邦)のサッカー発展に役立つ情報を提供することなのだ。 本サイトとの電話コンタクトでジーコは、スポーツの更なるプロ化を図ることに関係者達は深く興味を示しているのだと、説明してくれた。ガリンニョ(ジーコ)が1990年代初頭に渡った日本の事情と、現時点でのUAE(アラブ首長連邦)は似通った目標を持っており、その際の体験を述べる予定だ。 「ドバイは近代的な都市であり、サッカーの発展に適した経済状況を有している。プロリーグの立ち上げと日本サッカーへの企業勢の力強い参入など、実際に日本が歩んだ足跡を多少ながら紹介するつもりだ。これら幾つかの経験談がUAE(アラブ首長連邦)のサッカー事情に役に立つのではないかと思う。」と、ガリンニョ(ジーコ)はコメントした。……

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UAE(アラブ首長連邦)でのゼー・マリオのタイトルへジーコが祝辞を贈る

[2007.06.04]

Al Waslのチームが日曜日にドバイで行われたDubai Club戦を6-2で圧勝して、アラブ首長連邦杯のタイトルを制した。Al Waslは、ジーコの友人であり、ガリンニョ(ジーコ)とサンドラの結婚式の仲人でもある、ブラジル人のゼー・マリオ監督が指揮を執るチームだ。この試合ではブラジル人選手のアンデルソンも得点を挙げた。この結果でAl Waslは2位に対して4ポイントの勝点差をつけたのだ。トルコの地から、ジーコは敢えてゼー・マリオへメッセージを伝えた。   「私の結婚式の仲人でもある、偉大なるゼー・マリオに新たな勝利をもたらした一戦を観る機会がありました。1970年代に一緒にプレーをして、その後鹿島アントラーズでは彼が監督を務め、私がテクニカル・ディレクターとして仕事をした経緯もあるプロフェッショナルです。アラブ諸国でタイトルコレクターとして活躍する彼は、今回Al Waslを率いて新たなタイトルを手にしたのです。パラベーンス(オメデトウ)、そして今後ともヨロシク。」と、ガリンニョ(ジーコ)は述べた。 ……

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グランド・フィナーレ

[2007.06.02]

約2週間前に、イスタンブールへ到着時にサポーターの群集や運搬車など、タイトル制覇で想像可能な全てが街路に満ち溢れてのレセプションに関して、私は述べました。しかしながら、あの日以降も祭典は繰り広げ続けられているのです。一瞬の間、クラッシコ(ダービーマッチ)での偶発事件で一時中断されましたが、その後もイベントやインタビュー、サポーターからの慈しみを受けながら、先週の土曜日に開催されたリーグ閉幕ゲームで絶頂に達しました。そして、今週のヨーロッパ・コネクションは、ここ数日間の要約を行います。 仮に、混雑状態の空港や大晦日でのリオ・デ・ジャネイロのコパカバーナ海岸沿いの賑わった街路を思わせるような状態を一見するだけで、我々の心に感動を与えてくれたのですが、更なるクライマックスはSuperlig(トルコリーグ)最終節前の数日間に残されていたのです。 喜びを分かち合える家族が我々の身近にいられるのは最高に素晴らしいことですが、選手時代には大変難しい状況であり、監督に就任してからも日本との距離上困難さは継続されました。従って今回が、サンドラ、チアーゴ、ブルーノ、ジューニオルと共に家族同伴で喜びを分かち合えた初めての勝利なのです。彼らは今シーズンの、タイトルを決める試合までの一節一節を要求及び困難を乗り越えながらも、充実した素晴らしい数々の瞬間を体感することが出来た経緯を、多少ながら垣間見ることが出来たのではないかと思います。 Superlig(トルコリーグ)最終節となったAnkaragucuとの試合会場は正に興奮状態でした。サポーター軍団は絶え間なく歌いながら、飛び跳ね続けて、飾り付けは華麗極まりなく、ピッチ上では数々のイベントが催されつつ、壮大な光景の中で優勝トロフィーがピッチの中央から出現するシーンを目にしたのです。群衆を熱狂の渦へと巻き込むべく、選手達がカップを高々と掲げた瞬間、これら全ての祭典が15万人の観客で埋め尽くされたマラカナンスタジアムでの私自身のサポーター時代を想起させられました。但し、私が選手時代に優勝を味わった瞬間同様に、今回は別のシチュエーションだったのです。 このセンセーションは余りにも最近の出来事であり、説明するのは困難だと言えます。ただ言えるのは、大変素晴らしくも献身的なチームによる、専念してきた厳しい仕事に対しての報いなのです。そして、私にとってチームとは、テクニカルスタッフ、クラブ職員、選手達、首脳陣の全ての皆さん、そして更には如何なる関係であれ、我々の勝利に何らかの形で携わった全員を含めて、表現しているのです。 今シーズンは多くの修練を積むことが出来、全ての困難に直面して、脳裏を過ぎるキーワードは忍耐です。ロッカールームやピッチに関わらずに、練習や試合でのディスカッションや、レフェリーの不正なジャッジなどに対して、冷静さを保つようにミーティングで最も使用した言葉の一つでもあります。この素晴らしい勝利の醍醐味を味わえるために、最たるは大いなる敬意を持って臨まなければいけなかったのです。 この制覇に関与出来たことに私は誇りを持っております。最大級のタイトルであり、まつわる数字やデーターが更なる高貴さを明白に物語ってくれます。 正にSukru Saracogluスタジアムでの「グランド・フィナーレ」でした。ピッチ上での戦闘は停止したのですが、実際には我々やサポーターの中では、祝勝は継続されているのです。そして、新たに再スタートを切るべく瞬間まで、この勝利に浸るしばしの余暇があります。結局のところ、その後も終わり無き挑戦が待ち受けているのです。そして、今後は欧州の大会へ向けての、更なる飛躍を目指して準備あるのみです。今回の勝利に携わった全ての皆さんに祝福の意を表しながらも、前途のミッションは更に多難だと言えます。そして、課せられる責任も重大だと言えるでしょう! この場を借りて、この闘争に於いて我々及び私を常に支援してくれた全ての皆さんへ、再度感謝の意を伝えたく思います。皆さんが与えてくれるこのエネルギーは基礎であり、肥しとなるのです。それ故に、ブラジルや如何なる場所であれ、私を応援してくれて、直面している困難を見守ってくれる貴方も、フェネルバフチェと共にチャンピオンなのです!心からオブリガード(アリガトウ)!今後も神のご加護により、家族の下で数多くの喜びを体感できることを願っております。正にプライスレスだと言えるでしょう。 それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!また来週お会いしましょう! ……

in [ジーコの主張]

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フェネルバフチェがここ17年間での最大の勝点差で優勝

[2007.06.01]

ジーコはフェネルバフチェ創設100周年の年に優勝したことで、既にトルコサッカー史にその名が刻まれました。ガリンニョ(ジーコ)にとっても、実際にサッカークラブで監督として指揮を執った初仕事でもあり、今回の制覇は彼の経歴に傑出した存在として記録されます。でも、2007年の優勝は他にも歴史的数字を明らかにします。 下記の表で判るように、1990年以降の全ての優勝データーを一見すれば、フェネルバフチェが2位とは最大の勝点差で優勝しているのです。カナリア軍団(フェネルバフチェ)のこの期間5度目の優勝を遂げています。ジーコ率いてベシキタシュに勝点差9をつけたこのチームは、同じくベシキタシュに対して勝点差10で優勝を成し遂げた1989年度のフェネルバフチェにのみ勝ることが出来なかったのです。 今季優勝チームの権威はデーターを分析しても明確となります。チームは全ての統計をリードしたのです。攻撃面ではリーグ最多得点チームとして64ゴールを挙げています。守備面では最小失点の31ゴールのみで、34戦で僅かに4敗です。……

in [ニュース]

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